2024年2月24日

京都市上京区中華思想の相対論

世界中のどこの国民も、「東蝦夷」とか言う謎の概念で東日本人全体を差別表現なんてしない。但し関西人の一部を除くと。この言葉を2024年に𝕏で吐いていた京都人が実際にいた事から関西圏の古典がなぜあれほど民族差別や人種差別の記述だらけなのか全くよくわかる。それは関西社会が元々差別的だからだ

 実際、ある奈良人がウトロ地区へ放火した事件があった。これも東日本からは通常何もかも意味がわからない。そんな風土は見た事も聞いた事もないからだ。だが、関西地方の人々の書いた文章にはその種の深刻な差別意識が加害側から自慢げに出てくる。勿論その原型は天皇の絶対権力による華夷秩序だった。
 川端康成の『掌の小説』にも関西地方の被差別部落の逸話が出てくる。自分が読んだ時、全く知らない世界だったので、何かとても不思議でまた不気味な感じもした。
 京都の闇が深いという事は公然の事実。そこに暮らす人々の差別意識の深さにも事の一端がある。天皇一味の植えつけた深刻な悪習でもある。

 わが県の地誌で東日本最古の文献でもある『常陸国風土記』には、冒頭から常陸は天国と書かれ、全体として格調高い四六駢儷体による立派な古典文学だが、一か所だけ差別的記述が出る。それは黒坂なる人が奈良からきて、虐殺自慢する所だ。常磐道で捕まった野蛮な大阪煽り男みたいのがきた可能性がある。法や国境がなかった時代にいきなりきて現地の人を虐殺し、それを堂々と地誌に加害自慢差別自慢の形で記述する最悪ぶり。後の世の戊辰戦争時に東日本一帯で西軍がやった大蛮行とそっくりだ。
 薩長軍人は中国で百人斬り競争を本気で自慢していた。新聞記録が残っている。本当に野蛮な人というのも存在する。

 桐貴清羽という元舞妓による未成年人身・性売買の告白は、京都市・府警の正式調査も行われていない様子で、京都社会から完全に黙殺されている。これがなぜ、関西地方が未開で野蛮かの証拠だ。ジャニーズの告白は国連が介入までできたのに、閉鎖的関西は事を荒げないよう人権侵害を伝統と言い繕っている。