また京都の自文化中心主義。長安を真似て「年間真夏日1位」の酷暑の盆地が全国標準だと嘯く。
夏暑く冬寒い高が平安期の移民地区を標準化されても。
ありえない妄言が出てくるのも、全て自称天皇一味の傲慢に媚びへつらった信者の因果応報。平安文学の読みすぎ、御愁傷様です。
地球のどこかの季節を標準化できないのは文化多元主義や多文化主義の観点からも明らかですが、長安まねた旧山城国の人々にだけ、中華思想が季節感の面でも残ってしまった様子なのは、惨めでもある。でも凄く迷惑です。何しろ平安京ができるずっと大昔からこっちは山城盆地ほど夏暑くなく冬寒くないので。
おそらく上記の人物は『枕草子』冒頭で勘違いしたのでしょうが、一作家の主観が全国標準なんてありえません。アイヌやアテルイ、ウチナーンチュらの季節感が当時の移民地区の清少納言のものより周縁的とみなすのは単なる中華思想で、現代的考えではない。先住権や比較文化、文化相対主義や文化人類学をみよ。