2024年2月13日

欧米サロン作家の邪道

先日、某画家をみかけた。𝕏上で。そして何か上から目線で「日本の人達へ知ってほしいのは」とかいっていた。名誉白人ポジションから日本に帰朝者顔で何かを教えるみたいな言いぶりだった。
 東京藝大の油画専攻が生み出した魔物で、完全な偽物だなと感じた。黒田清輝以来の失敗作。
 村上某はあそこまであからさまな俗物だったろうか。違ったと思うのだ。飽くまで国粋主義という要素を、いわば岡倉天心側の姿勢で維持していた。唯そのあり方が卑劣なだけだ。
 だが某画家(Iとする)は違った。黒田の様に、西洋主義を笠に着て日本の芸術界を下に見るという実に醜い態度だった。
 我々が西洋に生まれようが東洋に生まれようが、やっている仕事に違いなどない。だから彼はいわゆる業界ゲームをやっているにすぎず、しかもそのあり方が完全に下卑きったものなのだ。自分が全人生の中でみた全ての人々の中で最大の俗物だった。
 茂木健一郎氏も似たイギリス出羽守だが、Iはより程度が酷い。日本美術という視野がないのである。茂木もいっていたが油画専攻に基礎的教養教育が施されていない事は明らかなので、コランに諂っていた黒田の姿勢をそのまま繰り返してスター面しているだけなのである。しかも作品自体は単純にごみ同然だ。
 我々の時代では既に国粋主義の様な必要はない。国家的課題が違っているし、状況も丸で違う。寧ろ文化多様性が重大な議題で、文化帝国主義は間抜けなBBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズのJ-pop無理解の証にしかなりえない。音楽教育を受けていないだけでなく魂が腐っているから植民地提督面だ。

 相手にしなければいいのだが、一言釘を刺してやった。彼はこう言っていた。絵は感覚論なので言語化できないと。そんなの感覚論こと美学という哲学の分野があるのだから、無学さの証明にしかならない。原理的には視覚美術は視覚の議論を扱っているが、平面や立体の考察を通して理論的把握の必要がある。

 いかにも愚かそうな、俗悪な素人みたいな人が「話しかけられて光栄です! 大ファンです、わぁ」とかいっていたので、自分は傍ら痛く、その偶像崇拝業界ゲームの気持ち悪さに耐えられなくなったのだ。あの種の偽物崇拝の風土が広がると遂にはジャニーズ化するだろう。世界美術が偽物のはびこる東京芸能界みたいなものになるべきではない。自分はいかにも物を知らなそうなふりをして、結構な長さの独り言みたいに返信したあとで、結論として岡本太郎の主観論の車輪の再発明だとガツンといってやった。恐らく当人の知能からいって理解できないと思うし、正に立派な技にとって醜く悪質極まりない大抵の取り巻き共も、何を言われたか気づかなかったろう。恐らく当人の知能からいって理解できないと思うし、正に立派な技にとって醜く悪質極まりない大抵の取り巻き共も、何を言われたか気づかなかったろう。それで変な人がいるものだ、みたいに無視していた様子だった。
 同時代のありさまがそうだったのだ、という事については歴史に記録する価値があると考えこの文を残す。嘗ての時代でも繰り返されてきた光景だが、サロン作家というものがいて、彼らは偽物にほかならないが、明らかに同時代ではアートスノッブから称揚されているのだ。偽装の技能だけで生きている連中の末路は、単に大した作品を残せず、労せず手に入れた中途半端な名声を種に、散々一流アーティストのふりをしてしぬだけだ。だが彼らには何もない。あるのは下らない衆愚を相手に一種の心理主義詐術をする事だけである。
 近づくまい、決して。邪道の果てには地獄がある。