2007年6月2日

解脱

慈悲の念は生存競争の頂点においてしか煮えぬもの。
喜捨寄付とは縁起の福祉法である。それは自然へ調整に働く。

なれば功利主義者の侵略愚行はやがて文明の智恵により因業と還り淘汰される、人間においてすら。
プロテスタントpragmatismは自体、我執を免れない以上《悪行》でしかない。

もし君が強者白人の行いに盲目にも従えば地獄への自業自得の旅路に就くのだ。
ダーウィン曰く『強い者が生き残るのではなく、環境に適応した者が生き残る』なれば、
地球共栄の和平に懸ける努力は古代ギリシア最善の聖奢に勝る。

奴隷を使役するには輪廻の業なき人工機械を利用せざるべからず。
同類を道具にするとは何事か。左すれば己れも来世にて必ずや奴隷にされる事、生き霊憑きの必定たり。

フェビアン社会主義の賢明たるやそれが弱肉強食の過剰を戒める手段において善行に近し。
慈悲は目的なり、成功はこの福利方便なり。