2007年6月15日

現代文学論

理想主義は浮世の為ではなく、未来人類の為だ。それは将来からの感謝、後世の崇拝を褒美として賜る一方で、現し世からは凡そ何の報酬もない。享楽的実存は絶望によって倫理的に展開するのは既決。現代衆愚はみながいずれ、理想主義者の言説へ藁をもすがるだろう。だがもし一民族またはそこに繋がる人類の血筋が適応種をも育むなら、そして育まない訳はないが、我々は努めて理想しないべきではないし、その結果としての先見哲学をも史実に記録して置かねばならない。民主主義は衆愚政治によって再設定される。我々に可能なのはその被害を最小に留める予防策と、後の筋書きを画いておく手際。我々はリチャード・ローティら新自由主義の限界が煽動政治家の台頭による国家の弱体化で調整なき無宗教として実証されるのをじっくりと、歴史的に観察する機会に恵まれてはいる。
 彼らを救う方便は世界宗教の回復にしかないだろう。文学を淘汰し、聖書を配るがいい。それすら自然に進行する。すなわち書物の終わりは心理不安によって原理主義に行き着く。では我々の課題はと云えば遠い未来の、人格相互目的たる文明社会、神の国への漸進主義に先駆けた世界宗教同士討ちの予防線を引く事。特に、キリストとイスラムの自由と服従の対立を仏教の諸行無常の諭しで調停すること。現代文学の目的は世界宗教間の和平にある。