どの様に我々は産まれて来たか、は理論。なぜ我々は存在するか、は実践。どうやって我々は暮らして行くか、は技術。
仮説としての定常宇宙は始終なく、原則として形態を変容させ続ける。我々は太陽系地球の欠片として自律形態のある末節な丈。その目的は文明による生存闘争の遊戯的自浄にある。我々は思索してから知らなければならない。人類の英知は宇宙における我々の地位を守る便宜として唯一有効に働くから。つまり、知能こそが人類の先端なのだろう。
俗物の生活は我々にとり召し使いと考えて違わない。理想家は又、謙譲の寄付を以て世俗に貴族義務を負う。しかしこの様な共生の工夫なしには分業能率を果たしえない。均質は原則、天分は例外。