鈴木雄介ブログ
2007年6月28日
脱国語論
文化間の浸蝕作用は防ぐものではない。世界史が存在するのは民族化学反応の為。すべて一語族の命運は文化律の変遷に依拠している。民族連合、においてすら。且つそれは土着的ならざるを得ない。言語は風土の慣習。全ての言語は方言だ。世界標準語が確定される日は来ないし、もし来たとすれば集団的獲得形質差異としての
族
(
うから
)
が消滅した日に違いない。
我々の普遍的正義への漸近が国家史にあることは疑うべくもない。しかし国家は解体される為にさえ存在して来た、民族より国家を重視するのは道徳の為であり正義の為ではない。
国土と民族の一対一対応観が文明の不均衡に展開するとき集積の利益に由る。語族を国体から解放しなければならない。国益間調整すなわち国際分業の世襲を防ぐには民族を単一言語つまり国語から解放しなければならない。
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