極東の概略史
1.30000年以上前から、日本列島に最初に暮らしていたのは純日本人であるアイヌ・沖縄・縄文人(Y染色体ハプログループD)であり、70000年前頃に他集団から分化している。
2.約8000年前頃に、朝鮮半島にもこの縄文人系統の民族が暮らしていた。
3.約7000年前頃に、鬼界カルデラの火山噴火で、西日本側の縄文人はほぼ絶滅した。
4.約2800年前頃から、中国の江南地方あたりから、天皇の先祖を含むであろう弥生人(Y染色体ハプログループO1b2)達がほぼ無人だった西日本に、朝鮮半島を経由しながら移民してきた。
5.約1300年前頃までに、朝鮮半島に弥生人達は定住しており、内紛によって新羅のみが残り、その他の百済・任那・高麗の弥生人達は西日本側に亡命してきて、一部が関西地方の奈良で天皇と共にヤマト王朝と名乗った。
6.約150年前頃までに、弥生人の末裔としての天皇は、縄文人の末裔と考えられる徳川がそれまでに統一していた日本の全領土を奪い、アイヌの暮らす北海道や沖縄の領土までを手にした。
7.約70年前頃、天皇ら弥生人の末裔は朝鮮半島に再び侵入し、中国の江南地方あたりを含めかつて暮らしていた界隈に領土を拡張したが、アメリカによって阻止され、再び日本列島のみに領土が限定された。
天皇と日本人について
天皇や弥生人は、遺伝的共通性のあるY染色体O1b2の広まり方からみて、中国江南地方界隈に北アジアから降りてきたある集団が、狭い海峡だった朝鮮半島を主に経由して西日本に入ってきたものであって、仮に直接船で中国江南地方から西日本に入ってきたとしても、その集団は朝鮮半島に現在いる集団との遺伝的距離はほぼ近接している。この際の水稲の技術の伝播については、彼らに付属しているものだといえる。いいかえれば、中国江南界隈から朝鮮半島に留まった人々と、そこを経由するかまたは直接西日本に入ってきた北アジア人の集団が2800年前までにあったということだろう。この人たちの末裔から、天皇が奈良で王朝を作ることになった。それが1300年前頃のヤマト王朝と呼ばれているもの。この王朝はご存知のように、全国各地の縄文人、九州の弥生人などを未開人もしくは異民族とみなし、先住民族の権利を弾圧し、その歴史文化を証拠湮滅しながら徴税を義務づけていった。そして今の天皇家に至る。
アイヌや、沖縄人、縄文人といった最低でも30000年以上の歴史がある純日本人に比べ、天皇は実質1300年の歴史しかない、新参者の転入生である。そういう意味で皇族も旧華族も新参者の弥生人文化。所詮2800年前頃に中国から朝鮮半島経由で入ってきた侵略者だから、底が浅い。
神道とは、中国江南から朝鮮経由で2800年前までに移民してきた弥生人である天皇が日本古来の土着信仰である自然崇拝を大陸風の多神教で覆い隠した洗脳。時期的には1300年前(700年代)頃から始まった奈良地方発の新興宗教。目的は純日本人に天皇の先祖と天皇を崇拝させる事。天皇は中国江南から朝鮮経由で入ってきた北アジア人として、南アジア人の暮らす純日本人空間に入ってきて、日本人を奴隷化する際、その純日本人たちが信仰していた自然を偶像化した。このやり方は、中国や大陸側で普通だった多神教の手段をとったもので、それが~ミコトだのといった人間の姿をとった人格神の概念だった。そして天皇は奈良から洗脳部隊を派遣して、日本各地の民間信仰を偶像化で天皇の祖先だと誤認させる宗教改造をはじめた。その拠点が神社。大体1300年前からはじまったこの新興宗教は、今日、神道といわれている。
2800年前~1300年前(前784~716年)頃に帰化した天皇の男系遺伝子、天皇家は神武天皇の即位年である前660年から始まったと神道側はしている。なお天皇とは、中国神話における三皇の一であり、中国神話の物真似、模倣そのものであって、全く独創ではないどころか、中国思想そのものに過ぎず日本のものではない。その名義は中国から侵略してきた非日本人としての天皇家を物語る。