2010年7月3日

文明間の道理

社会系内で自らの運動が用いる全影響は文明場か他の主観との関連でのみ合理化される。故単なる実証規則集をこえた全理念は文明場の他者理解で、その共有すべき建築規律。政経界は演劇界の詳細で、運び行きをとりあげた姿。彼らも文明の建設に携わる役割。無人島でさえ二個体以上の影響は同じ社会構想に還る。
 合文明界は他者連環を最大多数の最高幸福へまとめたがる。つまり文化の訳はこの類の主観の間の知覚基盤への適応にある。和辻が間柄とよんだ作用も同じ。
 現実に社会集団には埒や界隈があり、この圏域ごとに知覚基盤差が生じる限り最大多数という理念は、快苦の量的規範さえ違う程に応えて間違える。最も不合理なその衝突を戦争と呼び、想像の限り最も小規模のそれを議論か話し合い、意見交換という。
 もし文明に目的があれば、それは趣味の満足にある。そしてこの程も、主観の間に営まれる高い理想に還る。つまり間柄が属する知覚基盤差とそれらの求める恒常体での適応したふるまいが、文明毎の最良さの目安。単に個性の分で趣味に叶う環境を探れば、彼らの遺伝した形質が適合した場所を選び抜く運動のみが見つかる。生命の維持を考えれば移住と変異は連環な上望ましい。すぐれた文化段階では、自由意思の尊重される意図も同じ。これらは格差概念を打ち砕くに十分。その格とよばれる社会化された趣味の差すら単に受け継がれた業。格差は因果応報を目に見える様にした眩惑に過ぎず、調整の教義は属した社会でのそれを先ず永遠にこえない。つまり格差とやらは連綿した個性とその集まりへの誤った偏見のみ。しかも個性のない文明場とは変異が許されないので、移住も自然界からのいざないもない。つまり原則で特殊な機械系にしか無格差社会はなく、この場合は個性も許されない。個性あれば格差ある。この偏差こそ文明間の協調から改良された社会環境としてのすぐれた淘汰を引き出す訳。
 趣味に相違があればこそ、格差は存在しえないことになる。それらの間柄にねたみややっかみがあるとすれば、彼らが特定の場所学を狂信しているから。一律幸福観の矛盾も同じ。この種の指標は全て錯誤。交易でとりかえられる社会構成の部品は、もし法や心理の様なものでも特定の経済勘定内でこそ和平的。それは契約された酬いの為。
 文明の達の為にそれらの間柄で条約を結ばせるのは、結局利害の勘が望ましい趣味に叶う時のみ。故法治域間の条約は目的に合う利害のみ択ばせる。場所の理由は全てこの種の社会内でふるまえる共有した規律へも還る。これらを考えれば、統一文明よりは合理文明化の道こそ真に場所の達を洗練させる法則と分かる。理想は場所毎に大幅に違い、所謂理性界か形而上学界への求心さにさえも意向の差が免れずそこでの到達できる将来像含む限度に違いがある。だから趣味の追求は、文明を場所毎に進ませる一つの働きのみ。理は趣味観から生じる。文明の理由も同じ。この文目は想像できる幸福を個性の適応度へ還す。