自然への適応がその場で要された、淘がれた形質なら各地で異なるそれらの姿は、自体で合目的。それらの間に適応放散でのいれかえが起きる訳もこの状況の改めのみ。もし文明場での違いが明らかならそこでの文化素に差があるから。文化間競争はここに生じ、社会淘汰の内にあるおもな要素は文化淘汰に沿う。
社会淘汰∋文化淘汰
⇒社会淘汰は文化淘汰の要素
自然への対処の仕方に、利用の詳細差があるのは彼らの文化がひきついだ手だてへ異なる系統があるからのみ。文化淘汰自体は社会淘汰要因が一定の輪か巡り、つまり定まった適所での誇示と選好の常さへ保たれて起こる。
形質が単に複雑化を目的とするとはいえない。合目的さと複雑さの間には文化要因が介在していて、それは社会が自然条件から大部分ひきついでいる。