2010年7月3日

教育改善案

高校の学費無償化をもし次期政権でも維持したくば、それに伴って実質的国営の教育体制の意味で教員選択の義務も国民自身に課される。なぜなら正真正銘の国家公務員なので、その給与所得はほぼ全額が「現に成人後」の全国民の租税へほぼ平等にかかっている。
いわば教員は高等学校へ通わせる親か地域が養ってきたのだが、今後は全国民が他の地域にある千差万別の質量に差のある教員をほぼ強制で養わされる。福祉型教育とはそういうことで、実際、北欧にみられる如くその自由のなげうちに伴う自己責任の転嫁は「教員の選別」に以前より遥かな注意深い義務を負わせている。

要するに、事実上の国家公務員な以上その教員らは全体の奉仕者でなくてはならず、無償で心血をおおやけな教育業務の為に注げねばならない。
 更に教員免許の鞍替えは当然要請される。教育水準を上げようと試みれば国民の議決で最低限度の教員免許の中身を望ましい姿へひきあげられる。
よって、修士号以上の学位並びに地域の選択に応じ中学校以上の教員へは博士号の学位を義務づけ、高等学校については免許をもたない教員雇用(現状維持を含む)への自治体の人事関係者への禁固か科料による罰則を設け、現在それを有しない教育機関はある猶予期間後の解雇を前提に同等の義務を負わせられる。
但し、私学へはその努力義務との選択を、下賜金の受け取りの拒否に併せて提示していい。(格安さの面で公教育からの落伍者の為の再教育用の受け入れ先になる可能性が残るので。)

 要は全国民が汎用税で直に養う教員なので以前のざまで教育委員会その他の外部機関へその荒く達の優れない選別を任せるのは不合理。政党及び政策に準じて教員免許の必要条件を強制で底上げするを得る。