工業化の進取の
権を地球各国の使用権と取り違えた因果は、カンウ゛ィンの召命倫理がロックやヒュームから連なるイギリスの物質主義思想で蒸留され対外植民すら合理性で処して行こうとした故。ドイツかゲルマンでカントな人格主義が樹立されていればこそ、植民侵略を召命感のもとにいざなう意いは彼らになかった。之らの実例は、各社会での少数者思想の意義とは別に使用者思想としての功利主義が、アリストテレスな幸福主義の系譜を直に引き継ぐ人格主義とは違う結論をひきだしたと教える。つまり手段以上に目的として各主観を扱わせようとする思想か意志は、使用者らによる人格の道具視を内面の良心から規制した。それが巨視すればドイツとイギリスの運命の違いになった。歴史家の目にはこの両者の進退は、イギリス王座からの自律をめざしたアメリカでのプラグマティズムとよばれる使用者思想からの脱却の試みも含め、かなりの必然を伴って見える。物の一種としての生態機械を前提とした社会進化の把握は、カント哲学でいう心や信やそもそもの人格さえ快苦刺激への一定の反応の恒常さにしか認めない。生態機械論か物質主義の立場からは脳死の問題も法的自由意思が失われたと認められる時点で解消するだろう。同様に、形而上学な理念をもとに立法能力を含む会合さの規模で認めるべき人格を文明度に応え遇するのは、もてなしか歓待の権利へその労働者思想を留め置く。
結局、西洋で近代化の際に起きた歴史事象はみな思想の対立で試合。理解するという哲学の働きからすれば、国連司法権へしかそれらの報償断罪は求められる段にない。もっぱら公法なくばおおやけな刑も認めえないから。