美醜は主観内にしかなく、それは趣味による。審美性は場所進化の方向付けのみ。客観美醜は存在しない。合目的性の指標そのものが各主観同士で違う。身体の対称さもその一側面のみで、内臓その他を鑑みれば完全対称からのずれ方が本質な生態変化らしい。対称さと美を同一視したがる主観は、発生の節約で片側のみの設計を反転すれば過半が仕上がるという自然の功利を真実と取り違えている。対称さが合目的さではない。ごく強い流れや現に引力の中にある
鮃や
鰈その他の対称さから逸れた機能に適合した生物や生態は、単に内的増加率な適所から離れて系統進化してきた為、設計の実施労力の節減を至上命題とはしなかった。非対称さの高い生態的美醜も、合目的さが場所適合なればこそありえる。