2010年7月1日

理性の一貫さ

最も先に実用さと功利さを見分けたがった者は、アリストテレスがそうした有用さと快楽の区別をも領域へ含めて、デューイの考える社会哲学で分離しだしていた市民の世界観と理性人界でのそれをもう一度ふりだしへ返そうとした。が実用さは、実際には功利さの部分集合。快苦の本質は生態の健康への場所な善悪のみ故、合実用さは功利さへの貢献として已ある。
 同じく使用者が任じる可役割は、功利さを場所柄と最大に合致させる工夫。が全知なき間これらは彼らの科学により、道徳と覚わしき対象すらその場で営まれ得る全科学からの択び已。みな功利集合の択びは、善悪の根拠を理解度に求めること、つまりその場で科学から求まる最大の常識観を択ぶこと。故功利さの質的側面は、場所で可能な常識が量的制裁の共有認識界たる政の領分に対して、それらの立法の為に最善の実例を先んじて示す事にある。理解度が進んでいる個性らにとってしか進歩を場所柄と同じくする巧さはとれない。大多数の劣った理解度にあっては既存の場所柄を保守か旧守するのが精一杯だろう。
 合幸福さはこれらを鑑みれば趣味が場所適合を果たす度合いに返る。乃ち理解度の促進な観想か理想を究極目的に仕立てたアリストテレスの姿勢は、代表さとみれば正しい。全個性は彼らの理解度に応じてしか主観を発揮しない。故理解度の実現は数理という道具的知性を含む自然と社会知識からの総合的学識な哲学の度合いに返る。
 各々の幸福は功利さが審美化され習性となった境遇にしかない。だから宇宙が自己の適所で違う形態をとるのは自然。それらの非対称則は、趣味の違いな品的功利に返る。品種差は趣味観の結果。