誇示一般が求愛か威嚇の形へ用いられるのは、転用か偶然の当て嵌めのみ。これらの生態行動は、習性の浮動で説き明かせる。どの形質の揺れも微妙に各個の行いの傾向を変えると同じく、習慣から導かれる一定の行動系列も殆ど遇有か機会によっている。だからその習性の複合さにたまたま雌からの強壮さの目安な見方が後発で当て嵌められてこそ、この習性は被保存要素となる。究極で誇示の効果は行為系列の予期されなさによる。これは偶然について、過去にどれほど異系配偶をへてきたかの証として雌からの審美眼の見立てが生じた由縁に思え、実際類のないのと同じく単なる突然変異でもない種の習性はこの輪、即ち異系配偶と新たな遺伝形質の間で揺れて行く。
動物個体のうち集団行動を前提とする類でみられる幼児個体の遊び行動は、なぜ特定習性が延長され同種間の威嚇競争へ至ったか、その形式化の糸口をまじまじと示す。いわば入れ代わる余地のある勝負関係が、そこで相手を本質的に殺傷しないあわいで輪にかけた競戯行為を積み込むかの印。それは自ずと複雑になる集団での儀式や試合へ展開する。
集団虐殺、つまり異種か同種での戦争が行われるとき勝負関係の強化への誘因が高まっていたといえる。だがどの競戯も普段の競い合いに伴う争いでこの同種の雄同士で一般に最も激しい特定習性への仕事量の傾注は、必ず個体間の絶滅に繋がり易い。一夫多妻の動物では群れによる個体防御と狩りによる雄間協力の前提がない所で必然にこの唯一絶対の個体への選好はつづく。群れで獲得できる資源がそれ以外の時より大きい条件では集団は戦争を儀式化し雄同士の絶滅争いを回避したがる。だが反面で集団統率の為にこの儀式は、個体の生態に直接意味のない形質をも維持させ易く、遺伝系列の取引にみれば利己からの儀式離脱の確率と平衡する。