2010年7月7日

資本経済の合理な範囲

無制限開放型の資本経済は、心理損得からいって先進国側にとり功利でない。なぜなら資本経済はそれ自体の働きで「搾取する」仕事量を半面で伴うので、既に周囲との経済平衡への道筋を与えられ近代化に成功した国々(現状では中進国とよばれる)との競争状態と同列に扱うとうらみを買う可能性がある。
実際に物価内開きや将来への備えのため個々人が消費できる財貨に限りがあるのに、後進国か途上国の立場を重んじれば彼らは比べて総生産の高いと示されている国々へ嫉妬を覚えたり偏見で遇しがち。

この矛盾は、一般化して「経済大国劣等感」とよべる。実際にこの大国でのくらしが幸せかどうかと関わりなく、命懸けの競戯とみた途上国との経済政略のあわいにはこの種のおどけが免れていない。つまり、経済大国という体面は、無制限型の資本主義侵略では必ずしも趣味で立派と考えにくい。
宗教感情をおもえば我々は金持ちより奉仕者を望むべきだし、返礼の省力化という元々の共通貨幣での取引の目あてがそうだったのと違和した思い込みは、彼らの間に無益な不和を倦みやすい。結局、経済大国劣等感の因果は無制限な商いにあるので、『限定型資本経済』をとる限りこの矛盾はもとから生じてこない。

 そしてこの限定は、法の重なりに叶う時のみ真。つまり一般論な住み分けに等しい。但し、仮設な条約その他での抽象的隣接もありえるが、例外。立法の自由は、他一切より経済的自律に不可欠な由縁。でないと必ず弱肉強食化し、社会不安分子が高騰してくる。