2006年2月15日

女性啓発論

前提として種の全容を保存するには死亡者より誕生者を増やす必要がある。この為に現実的な生物的手段は健康な女性1人に対して数人以上の子孫を育ませることだ――第一の公理。他方で、我々の社会の定員はその発達の度合いに応じる――第二の公理。社会の無際限な生産拡大が可能な場所では又、子孫も莫大に繁殖する。
 上記より推論するに、女性啓発の適度な程度は、社会的発展の可能性に応じて獣性を損なわない迄と言うことができるだろう。体外受精や子宮外胎児養育の生物学技術が進展しても我々が人という哺乳類を抜け出さない限り、妊娠と出産および幼児の保養は動物としての機能の面から女性の任務と見なされるのが良い。だから女性啓発の要は一般的知性すなわち社会常識の開発に存する。
 或いは高度情報化は少なくとも女性の保養の手間を半減させたではないか、為らば彼女らの活躍は無際限に拡大されて然るべきだとの主張への解説。それは我々の繁栄を絶望視した衰退文明以外で現実的ではない。
 それなら個性への例外はあり得ないと云うべきでは無い。もし権利があれば全ての女性が一流の男性と同等かそれ以上の神的能力を目指すかと言えば異なる様に、法律は可能性の平等を飽くまでも堅持して保証し続けるべきだと民主的漸進的に考える。共学と機会均等および社会間性差別の全廃に種々の工夫を以て徹しながらも、世間一般に、教養主義的女子大学は奨励されるべきである。多様な人格や思想をあらゆる個性に許しなお一層促進しながらも我々の社会が未来に向かって正式に求めるべき女性像を失ってはならない。