2006年2月15日

女権先見論

極めて理知的な女性は、その様な男性の総量に比べ相対的に少ないという経験則について。近代化された社会についても万が一、女性が一般に情緒的な事態があるならば我々に考えられる原因は2つある。1つ、性差による差別が幼児期から構造的に宿命づけられることで。2つ、精神機能を発生させる脳内構成にまで、DNAが必然的な性別を付与するので。
 このうち1は女性優先の風あるアメリカにおいても女性の社会的活躍は厳格かつ客観的に比較して、男性に対して少ないことが真の可能性の低さを物語る。及び2について、脳神経の組成を調査研究しなければならない。左右の脳の接続基幹の出来に性別差があるという実証成果が不完全ながら確認されている。これを新皮質と旧皮質の関係にまで演繹すれば、本能と理性との分別がし辛いという女性の一般的特徴まで言及できる可能性がある。果たして狩猟型の暮らしをしていた二足歩行の類人猿時代から延々と我々の基底に影響を与えた社会環境は性に特有の才質を与えたと見做すのが自然だろう。故に女性は優秀な遺伝子を選別するべく女らしい性格を各文化圏で様々に形成して来た。
 近代文明はとりもなおさず本能に対する理性の支配の史実であったし、それは十進法の代数学を基礎に地球人をほぼ完全に覆い尽くした。脱工業化を図った現代が自然権に基づく男女平等の権利を社会化するのは当然だ。大まかに言って人民の半数を占める女性の優秀な人物が次々、本格的に社会の高度な制度へ参画するのはあらゆる男性にとっても多大な恩恵を意味する。男尊女卑であれ女性優先であれそれらは神学的封建制の段階で我々に適当な思想形態だった。なぜなら少数の貴族による専制支配および武勇の利に適していたから。だが形而上学的法治制のレベルに至ってこれらは地球規模の理想に依り脱構築されることになった。こうして女性啓発論が未来に対してより良く基礎づけられなければならない。我々の社会的知性は習得的である。性差や性別から解放された新しい女性像がむしろ理知について先んじる男性によって先見的に模索されねばならない。それは彼女たちを文明内について善導すると共に、女性の潜在力の養成によって種の全体を著しく進歩させる方法である。