2006年2月24日

芸術論

画家と彫刻家というものは、社会計画内で、ある程度の三次元空間的責任を任された建築家にとっての、職人芸と考えるべきだ。ところで音楽家は基本的に社会作業の内部に消滅しなければならない。文明は自体、音楽だから。また、文学者というのも大衆自体の日用の文書に還元されるべきだし、事実それほど間もなくそうなるだろう。そして演劇家あるいは劇作家という総合芸術の担い手とされた者は、一般の人々という個性ある芸能人にまで至る。総合芸術の目標である自由は、また他由、他人の自由を許し、個性を普遍的解放に導く方法だからだ。
 そういう話の最後には、究極の芸術家たる建築家の専門は各家庭の父親の日曜大工にまで到達するだろう。そこで芸術家という称号は軽い褒め言葉に過ぎなくなる。普遍文明の美の極地はそうして見通せる。そしてそれは、我々にとっては信じられない素晴らしさでしかない。作家は個性そのものなのだから。