2006年2月27日

もし君が女神などと呼び慣らす、君自身の精神に属する理想の女性を探求したとして、恐らくも間違いなく、君は天下地上で最も聖なる御霊を養生するだけになるだろう。その様な神々しい精神の究極は果たして大切だろうか。猿には分からないに違いない。人は、或いは至高の神格としてその様な天かける仙人みたいなものを崇拝するかも知れぬ。愚かしい奴らにあっては仕方ないことだ。だが、思うにその様な遊戯はすべて、宇宙悠久の趣味に過ぎないわけだ。どうして無限の自由を悟って君こそが世界の御子だと自覚しないものか。とは言え仮に、君が精神の究極に到達したとしてそれは誇らしくも償いに足りもしないだろう。なぜなら君は自然と遊び、生命を先導し、宇宙を指揮する使命にあるのだからな。まるで一筋の流れ星の様に、清く明るくあれ。はたまた君が大志の道を行くのならきっと普遍に祝福されるだろうから。雨足が去る様に。