「信仰の自由は最大の信仰である。」
それは価値多元論と道具主義に基づくpragmatismの基本理念になった。
だが、ここにおいて信仰は自己中心性へと容易に空洞化し得る。
なぜなら信仰がそれ自体の目的──善導──から逸れてしまい得るから。
わが自信仰もこの大衆化の危機から逃れられない。
だから我々のpost modernistic belief(脱現代信仰)の中心は、
如何にしてかつて到達した至善の実威を、常なる大衆化の堕落を防ぐ、超精神的な大衆的styleで再創造できるかにある。
はるかに高次の理念で照らされた『普通の信仰』が改めて獲得されなければならない。
それはまた、現世の変容に常々対応し得る脱構築的再解釈の方式に当てはまっているべきだ。