2006年2月26日

現代政治論

アメリカの政治体制は民衆政と衆愚政の中間にあるような大衆政だと考えられる。なぜなら大統領への権力が行きすぎる事態を理論上は間接選挙によって多少抑えられてはいるが、実際上mass mediaなどによる新種の超ナチズム的扇動、例えば非常にわかりやすい国粋スローガンによっては、常に衆愚政に傾く危険を負っている。

 イギリスの政治体制は貴族政と民衆政の中間にあるようなdemocratic aristocracy: 民主的貴族政だと思われる。これは大衆政より軌道balanceを崩す危険が少ないが、代わりに寡頭政と衆愚政の中間とも言うべき堕落政に陥る可能性がある。なぜなら学閥派などによるある種の高級官僚支配体制の固定化は、ひとたび始まれば国民自身によっては抜け出しづらい。

 日本の政治体制は両者の取捨選択に拠る、より洗練されたものだ。これは大衆政と民衆的貴族政との中間にあるような中流政とも言うべきもので、恐らくその安定感では現代地球一に先進している。しかしここにも未だ欠点がある。中流の最大の位置が常に固定し、停滞したそこに癒着の危機が発生するからだ。現実近代には、自由民主党の学閥官僚の支配体制内に寡頭的腐敗が観察される。
 もし日本が高貴な使命を自覚し、さらに理想的な政治へと進む気なら、即ち次のような改良策を必要とする。第一に、政策第一主義により、専門官僚支配への事前対策。第二に人物の信頼により学閥政党の破壊。第三に、在野で自ら文民貴族の手本を示す。