哲学とは反省的批判思念の複眼的多角化によって未知の経験に準備する方法で、少しアリストテレス風でプラグマティックな幸福主義、知的共同化の意義を超えて、地球生命にとっては生存可能性としての適応力を高める工夫の活動。それが達成し得る脱形而上学的かつ脱実践理性的道徳とは、内実を言えば、永遠に鍛えられていく問題解決能力の遊戯に過ぎない。我々は大勢の哲学者たちを率いる他方で、浅ましい生への執着の故に最早そのベクトルを笑うべきであり、尚飛躍して形相の向こう側の理想に至って、死を笑うべき。
我々は日々馬鹿笑いをする為には時々あまりに真面目なので、沢山の倫理的解決を要求される新たな命題に次々直面する。死を超越した道徳的至高性はここに最も考え深いおかしみの哲学を以て対処する必要がある。例えばユーモアとかウィットとか機知とか呼ばれる能力の是認が要求される。