隠れた生得的地位を破壊し尽くすまで、自由社会に終わりはない。中流指導民主主義、中道制によって福祉政治を確立し、資民経済即ち全構成員が労働資本家(株主)である経済に到達し得たとして、その先にあるのは殆どマルクスの夢想した無階級社会に限りなく近い機会平等の世界ではあるが、一方で知的格差の支配する新たな階級序列化が無形のうちに蔓延していくだろう。ここに於ける対策を講じる。
先ず生得的格差に基づく社会的差別を撤去していく工夫が要る。立法と、社会各員の内省による倫理観の養生の風儀再啓発とは、常に主権者の課題とされる。しかしそれだけでは充分ではない。見えない差別は各自の偏見の仕組み自体にあるから。偏見を正見へと社会的制度として反省的に整えさせる方式は一体どこにあるか。
これは機会均等の原則だけでは不充分な証拠であるから、次のような新たな社会的原則を提起したい。乃ち機会延長の原則。つまり、我々はどの様な偏見に基づく差別も各自の潜在的または顕在的能力の不均等に由来すると考えるのだから、これを正見と平等の風紀へ整える為には顕在的能力におけるある程度の見限りを許しながらも、潜在的能力の可能性については決して見限ってはならない。被差別者本人の自由な意志に任せて、何度でも何度でもある機会へ再挑戦させる原則が社会一般に立てられるべき。こうして我々の文明では知的格差の漸進的解消と共に隠された生得的地位破壊の社会改革を果たすだろう。