ある民度の水準を引き上げるには同一言語圏に「議論の慣習」を根強かせることに因る(福沢『文明論之概略』)
どうやってそれを活発化すべきか。
議論・discussと論争・argueとの差異の理解を深める必要が先ず在る。前者は修辞的な詭弁術によるゲーム風の勝敗を重んじ、後者は理屈抜きの醜い言い争いを意味する。摂養しなければならないのは前者の議論の慣習なのであり、後者では無いことをここで確認しておく。なぜなら目的は議論での民度の切磋琢磨であり、論理による戦争自体は手段に過ぎないから。
法治制に基づく中流知識人の方法は、市民間に民主的権利の自覚をますます促すことにあったろう。