2006年2月17日

経済学

ゲーム経済論。資産家が自主的福祉を推進するほどに資本主義経済は自然、共産主義経済へ近づいていく。その理屈は、情報産業の創造的生産効率化を図る為に生産手段すなわちIT機器の社会的共営を余儀なくされる、複合企業の利他的脱皮の必然にある。情報産業における最大のサービスはより良い情報生産方式の消費者への提供なのであって、興行自体ではない。なぜなら創造者の解放が情報生産の具体的やり方であり、工業時代にまつわる機械式従事の労働にはそぐわないばかりか逆に反するのだから。
 つまり、労働者はこのIT時代にあっては消費者と生産者を常に兼ねる創造者という新しい産業階級的地位を獲得するだろう。資産家の任務は彼らの知的遊戯の欲求に即した舞台提供の非価格競争市場を形成することであり、この様な新しい市場を価値競争市場と銘々できる。そこでは新しく面白い価値を求めて永遠の情報交換が日々斬新に行われる。異なった知識形態商品、soft wareがやりとりされるだろう。
 しかし、この市場は生産手段そのものすなわちIT機器、hard wareの良質量産が殆ど完全に社会に共有化されるとき、事実上消滅する。Playerたちに解放されることになる筈だ。これを自然的共産革命と呼ぶのは易しい。要するに、近代文明の究極の商品とはgame softの生産という史実に人類は行き着く。この自覚こそ資本経済を共生の勝利に導く。公開株式市場だけが最後のgame soft wareとして残されるのかも知れない。しかしそれは最早競争というより遊戯の経済なのだ。なぜなら十分すぎる物質的資産を一般的に私有する地球の人々は利潤を私益の為でなく、より良い福祉という唯一の使命実現の為にだけ獲得するように遊び励むのであるから。