2006年2月19日

聖性の三面等価性

社会一般の進歩が大まかに言って、知識と道徳と技術の三面に分かれることは自覚されるべきだ。それらは必ずしも足並みを揃えない。だからどこか一面だけの伸張を以て人間界の大躍進と思うのは間違い。
 Paradigm論が人類普通の野蛮から文明へという流れを否定する訳ではない。それは基本的に、科学理論展開の脱構築的性質の展望に適するに過ぎない。
 もし人に文明を為す意志があるならば、知徳技、古典的にいえば真善美の三面等価の原則を理解すべき。それぞれの発展の論理はまた少しずつ異なっている。知識は科学的学習によって、道徳は哲学的内省によって、技術は芸術的追究によって育まれる。そして知識は積み重ねられるもの、道徳は行ったり来たりするもの、技術は改めて至るもの。
 人は三面をそれぞれの適性に応じて養成する必要がある。