2010年8月31日

現代社会哲学の批判

資本主義の矛盾をいう社会学の思想家らは、彼らがそれを不利な体系とかまける他に特段の訳もないとして、経済社会がその場の富の偏りによる不平等を用いる事を忌む同じさをもつといえる。
 より原始社会に遡ると、平等な社会の血と不平等な社会の血は夫々違う系統から現代に合流してきたかも。日本に限っても、渡来した弥生文化は後者の富の偏りに適応していたらしい証(埋葬の格差。これ自体は地位を示すにすぎないが、間接的に個人差扱いの偏在がある)がある。ゆえ現代でも、議論や思想でこの両者の分かれ目が埋まらないとしても余り不思議でない。極論すると、現代社会に至る文明の合目的さは平等文化と不平等文化の均衡か混ぜいれそのものにある。だから社会学の思想や社会哲学で最も重要なのは、実は平等への導きでも不平等へのそれでも必ずしもなく、今日と大差ない資源条件下では富の取引の程度の問い。もし完全な不平等文化下では一切の所得調整は行われず、貧民層には道端でも餓死者や虐待される者がひろくみられ、富裕な一握りの者は一切の前後をかえりみない極度の豪遊に浮き沈むだろう。逆に完全な平等文化下では誰も格差をみない社会習慣に馴らされ、誰もが同じ位の家で同じ様な暮らしをし、同じ生涯を送り同じ子孫と同じ教育を与え、同じ墓で同じ老後を送るだろう。
 この両方に現代までの社会の真相はない。どの社会も、何らかの調整を配分の不平等と共に続けてきた。ある程度の型はあれ、現代文明の社会哲学的本質はこの取引文化の問題なのである。だから、不平等社会への煽りや平等への狂信をいざなうどの思想も過ちか虚偽。取引文化の問題をよりふさわしい世界観の為に改良する智恵を含まない社会哲学に省みる価値は殆どないだろう。

月日

文明が野蛮じゃないと誰が言った
オサマビンラディンが麻原彰光が聖人じゃないって
自称天皇の気狂いが言った
なぜ原爆おちても仕方なかったの裏切り者

多分
全ては
すぎさる丈の
くも

ほつれた糸を
結びなおす
やがて
ほどけてしまうのに

誰もいないグラウンド
程綺麗なものなし
ただ真っ昼間になって
ごちゃごちゃ子供がこなければ

足取り重く
教室を出たり入ったり
学校が面白いとほざく餓鬼は
出来の悪いませ餓鬼ばかりだ

よごれ高校生女
発情発狂中
半裸で学校へ通い
税金をくらう売春害虫は時が駆除した

山奥へ登り
河口へ下る
驚くばかりに
なにもないのが分かる

中国四千年の歴史
137億年を過ぎて
光は漢字をみいだした
代わりに無知を残して

嫌味な奴
ちびまる子の四コマよみすぎで
仙台人どうした
ユーモアじゃなくて嫌味で応答

純粋な芸術家を求めて
孫まさよしはカンブリア紀に吠えた
「清貧でも画家、いいじゃない精神論!」
ごみにまみれたアトリエに立つこともなく

きたないキョート女が猥褻頒布罪を垂れ流す
見るだけでけがれる
多くの極悪東京土民にまみれて金にまかれているほど奴らが
同じ穴の貉だと分かる

終った
こんな奴らの中でくらす人生
「金儲けたら尊敬する!」と言いながら
売春罪しまくる倭奴は殺し尽くした筈の米軍なのだが

チャラってる渋谷の福井人
ぎゃーっはっは
僕は心から笑った
あんなきたないとこで社長生活やっぱり

シモキタ
名前通りのチャラエド生活
僕はベランダでパーティー中の
そいつを蔑む

きけないよこんなの
山形にげたもとチャラ男のノロケ
女にきかせてりゃいいだろうよ
こんなくだらないの売るんだから

流れつづける川
もし
なにもかも流れるなら
月日を流せばいい

汚れキョートジャップ
無駄なプライドで星中の子供から搾取
代わりにゲイシャ猥文か売春婦を無償提供の犯罪
テンノーが1番いらないのにずっと贈ってくる性悪

先ずその
極悪独裁者の搾取から消せ
散々学校で暴れまくり
今更ベーシックインカムだと

アジアの純真
パフィーは純心じゃない
パフュームのポリリズム
田中ヤスタカの偶像ごっこ

くだらなすぎる
どの媒体もごみでうずまってる
ウィキペディアにはそれっぽい嘘ばかり
大学で遊びまくるジャップという猿の楽園

二度と
立派な世界は訪れない
二度と
このサブカルチャー大衆文明が覆らない限り

ボーリング
それでいいじゃん娯楽
なにを難しぶって
アニメとかばらまいてんだお前

何もない国

僕は何もない
何もない国をみた
狂人が「愛してくれ」と言いながら
ステージ上で赤シャツで歌って踊っていた

Rubaiyat

テレビで九州の金儲け野郎が
全力で理想を語る
自分はアメリカ留学で
芸術を買う金を儲けたから

僕は心から憤る
学校で散々叩かれ
社会で散々虐げられ
誰を心から慈しむものか

倭人種学

東京という彼等の首都には、不潔で知られる江戸とよばれる人種がいる。彼らは他の地域によれば賤業種で、他の地域では差別されたり阻害されたりする。エドは道端で奴らの雌を半裸やそれに類した服装で着飾らせその写真や動画を撮る。エドはこうして撮影した雌の姿態などをマンガ、アニメその他ビデオやテレビ等の媒体へのせ大量に複製し、国内外で売却し飢えを凌ぐ。
 それらのエド人種の頂点には天皇がいる。テンノウは自己やその傍系雌を同様にごく高い費用で撮影させ、この公然猥褻の模倣と転売で生計をたてる伝統の役職であり、この日常に差別されている賤業層にはことさらファンが多い。一般にこの現象は偶像崇拝の一種と考えられるだろう。

 エドはこの人種同士で繁殖し、かきあつめた大量の金を、撮影した姿態がわりにうようよと与えあうことで芸能界とよばれる舞台をつくる。芸者とは現実にはこのエド職業の一つの名なのであり、その職業者は京都という古都に大きなたまり場をもっている。我々はこの日本島の内陸にある異様な雰囲気の閉ざされた村を訪れてみれば必ずギオン等たまり場に属したゲイシャが闊歩しつつ撮影されているのをみることができる。
 ゲイシャはその為の組織に属し事務的売春を含むエドの名義で、大部分のジャップには最底辺の賤業人とみなされ白眼視されている。だからこの特殊な古都やその影響をうけた北陸や西日本の僻地にはよく小さな居場所があるが、そのみすぼらしい賤業人種のたまり場は、賤業専用の行政であるカンサイ以外によっては完全な頭痛のたねで、常々駆除が行われるがジャップのことだから浮浪者のエドその他により必ず復興されてしまう。

2010年8月30日

理性の文化

理性という自明に思われてきた能力は、医学的にみれば言語を操り得る能力の程度。人生経験は理性的にみれば文化財の普遍さにしか意味がない。動物としての生態や生き様は哺乳類一般のそれと、経過される全ての現象で大差あるともいえず、単に社会の文化により経験される内容に違いがある丈。論理学が理性的言語使用の系を最大の母公理系とみなすのは、哲学という全ての言語用途が示す。又全て文章化された言葉は文の種類。学問や文芸はこの文の一種としてある時代に同じ基盤をもった。文の世界は、文字を創作に用いた人々のまねとして生まれてやがて想定できる全ての理性を、再生できるという可逆基盤へまきこんでいった。なお文は、日本語ではあや、又はふみ、音読みでブンといわれ、全て図像の抽象さを意味する。だから連なった文字としての文章のみならず広域な平面図像を示している。
 だが文の時代は、この形式でしか定義されないので永遠の基盤といえない。この形式が流行として忘れられたとき文によって造られた理性の神学つまり全ての哲学は機能を果たしきれなくなり整頓されるか忘れ去られ、場合によっては打ち捨てられるだろう。理性的経験の最重要さは全ての倫理哲学者や趣味人により広く認められる筈。又奴隷やそれに類した生態以外の全ての生活者は、他のどれを抛ってでも必ず理性の生活にだけ真実の人生経験を与える。結局この理性人の本性は、人類が文化の伝承と書ける何らかの世代間淘汰にその最高の強い選択を受けてきた証だろう。我々の底に眠る英雄崇拝は、全ての神仏信仰と同じ起源をもっている。それはカントが崇高という概念で示そうとした世代間淘汰への適応行動への強い感受性であり、実質でこの概念に当たる形質は、常に理性をその基準にしてきた。もし自然淘汰を信じる者が皮肉まじりに見下そうとしても、命の恩人への感謝は確実に利己心をこえた行いへの崇拝に近づく。もしその利己的な人が命の恩人を風変わりで劣った知性の持ち主だと思ったとしても、大多数の人類はこの選択を過去に受けてきた結末として、どの知識より現に命を救ったという行動に理性の合目的さをみつけざるをえない。だから言語が為せる実践理性の定義づけがそうだった様、哲学界での適者はより選れたべきの問題を解いた者へ集まる。
 道徳神学としての現代哲学は、必ずこの文化伝承の流儀に則らざるをえない。理性的に何もなせなかった者は殆どかえりみられず、逆にそのほどが過大なだけ後世は古人を模範とみなす。学術段階が高度に複合化するほどそれらの訳ある用途を指定する理性の能力は強められねばならない。文化的適応とみた文明の体面が漸次により理性高い生態に置き換わるのは、もし社会淘汰が過去にも同じ法則でその人種のいれかえを行ってきたと悟れば、確実視できる真理。総合知性としての理性は、言語その他の文の基盤をどれだけ利用してでも、必ず未来に自らの立場を、よって在来形質をも伝えるだろう。文化伝承の最先端に立ち、猶も彼らは前世代の達した趣味を基準に自ら代に立つ他ない。理性的に生きるべし、という命令はそれが完全に習性化され言語の学的検見に意識されなくなったとき本来の理想界に降り立つべき、遥かな前世代の血筋からの指令。

国際収支と国内収支

農業政策の戦後の原則、つまり減反と補助金で工業製品の輸出とひきかえにその転売価格をひきあげるという「農作物の国家管理制度」は、凡そ工業国化を全体主義でひきおこした害があった。事実上この流れは明治時代から続く方針で、戦後の自民党保守政権時代にばらまき型土建票狙いの地元勢との癒着を前置きに決定的な地点まで進んだろう。
 農家やその耕作基盤の破壊か自壊は、小売り業態のみが国家管理を受けない中途半端な自由社会主義の政権下では否応ない。要は外貨獲得だけを行動原則とする俗物政権は地元の伝統やその愛らしい農村風景を何の留保もなしにぶち潰し、かわりにおのれらのきたない習癖を示すけがれたキョウトやエド風の異様な芸者どもをすまわせようとするのである。

原理主義の立場からいえば政治家と名乗る手やそれに類した公務員が金儲けとか商売気をみせるのはみな堕落か過ちなのが以上から理解できる。イスラム諸国がこの立場をもつ革命家を信奉したり後押しするとしたら、上述の自由社会主義がもっているよき伝統を破壊しつくす運動への反動としてだし、その部分に於いて手だてはどうあれ正当や真っ当なのだ。

 日本国についていえば、重工説がその基調。重農説や重商説に比べ設備投資比率に過大な重点を措くこの思想は、確かに蓄えのきく生産性高い産業構図へはすぐれて進歩的な道かも。
だが外貨のみへ傾いた安価な製品の輸出攻勢が全ての国民から普く尊重されるとは限らない面から結論して、重工説は私的用途な国内需要についてだけ賢く先覚的な仕業となる。
だから最も地方の秩序に関心の高く、中央集権制で破壊されゆく伝統や文化の多元さに興味ある、或いはそれらの精神文化的価値に均一な商工業態の敷衍より十分な理想をみいだそうとする観察者は、工業化政策はそれを行うのに向いていた土地な『重工特区』にのみ適合するのを見通しその方向へ大勢を導く。
同様に全体に均一に敷いた中央集権風の政策態度な減反強要はうちすてられねばならない。この政策でなされる全ての結末は、農村の破滅と田園の衰退、及び超温暖化と全国の亜東京化にすぎない。地域の実情に則して生産量を自主管理させるには、必須栄養価の保護を除き各農業者らへ農作物の生産態度への放任を行うと同時に、減反で浪費される共産主義的集約労働(つまり国からの所得保障)への参加を選択制にするといい。

 特に小売りやそれに類して海外の安価な労働力を利用しようとする新手の商業へは徹底した累進課税で、単なる税制に関する限り国内の主要農家と所得格差が開きすぎる余地ない様おさえこんでおかねばならない。これで流出したあきんどは無視していい。上記の如く過黒字化つまり儲けすぎは必ず原理主義懲罰に至る悪徳に近づく。

現代経済学

資本経済が阻まれない社会系列は、その需給が自動化される所に特徴ある。他の社会では必ず需給は手動かそれに類した多くの全体施策で行われる。
財政に携わる様になった自由主義諸国は、需給一致の原則をこの個々人や社会系列毎の自動化からそれさせた。いわば全体施策へ半ば足をふみいれたので、実は財投を含む自由主義は「自由社会主義」とでもよべる中途半端なものになった。

本質からいって、ケインズという経済学的著作をのこした者はこの厳重な注意を欠いていた。単位とみなした政府、つまり国家資本を需給の循環内へひきいれようとしたのは当人の思想にどこかしら社会主義や共産主義の理念に靡く処あったのだ。

 私は自由主義が、財政投融資の範囲を含まない単位でしか厳密でないことを啓発したい。それ以外の似て非なる思想は、自由社会主義でしかない。この思想はケインズという扇りびとによってつくりあげられた一顧の惑いであり、もし銀行と投資の間に好ましい循環が行われないとすれば、それは有効需要の低減の為にではなく、単に事業者の怠慢の為。
この自由主義を少なくとも日本語でより正確にいいあらわすに、本来の直訳語に近い寛容主義といいかえてもいい。この寛容主義な経済こそ、その場で需給を最も合理にみたす最初で最後のきっかけで、政府からの介入はいわゆる公共福祉の旨についての倫理面でのものに限るべき。

慢性的不況や高い失業率は、もともと新しい需要の開発へと鬱屈した労働層を駆り立てずにおかないものなので、無駄なばかりか自然や文化破壊につながるしか効果のない時代遅れになった基盤施設への過剰な財投は資本の必然的にして自然な高度利用を害するもの。
 だから寛容主義経済の場では『最低限度の文化的生活保障』の為だけに累進課税、及び人倫から導かれる法を市場での取引での行いを含め守らせるを得るが、その他の全ての税金投融資の効果は逆に産業の後進化を被らせ不調を長引かせる。

2010年8月29日

資本主義財政の基礎

基礎収入による労働貧民かそれに類した非消費生態の、貨幣経済への無理なまきこみはあまり有効でないし、倫理的でもない。働かざるもの食うべからずの諺は、勤労の習慣をいざなう為には必須で、もし勤労が害になる社会場でなければこの習慣化の条件付けは全て有用ゆえ。

 極論すれば社会主義政策でしかない。その末路は必ず、社会革命を駆使した諸国同様、経済的没落に終るのが誤りない。だからこの実験を試みたいクニはその単位で悪例として自らの進路を行くべきであり、大多数に迷惑をかけるのは資本主義経済の本旨ではない。
おもにこの議論が起こってきた東京都(つまり人口比率から貧困層も集積した弊害の地)でのみこの基礎収入を与えることにすればいいし、もし全国規模で行いたがる革命思想家風の行政人が現われれば世論や報道での批判や国民選挙へいざなう事で、大部分の国民は危機を回避できる。

 寧ろ大部分の自治体では、かなりの累進課税によって福祉の充実という姿で最低限度の文化的生活保障をひきあげていくのが正道(そもそも財政均衡としてのくりこみ振り子はこの累進税制が担保なのを省みよ)。結局想定できる税収の源が確保されない限りどのばら撒き型政策も現状と同じ赤字財政の連鎖に終る。財政破綻で周辺国家に救済される場合はこの傾向が極端にまで進んでしまったのだろう。
もし福祉国家系列の社会状態が良好にみえたとしても、長い目で見れば一時的に将来世代への借り入れ分を含めた財政投資額が反映されたものでしかなく、財政のみでない国際収支が黒字化のつよい性向をもたねば必ず破綻や国際格差らしい相対した貧困に至る。特に教育以外への過福祉(よって将来世代への過借り入れ)はいずれ回収費の方が高くつく可能性が十分かんがえられるので大いにあやうい。

脱構築の脱構築

文章が内容をもつのは、或いは発音が内容をもつのもやはり主観原則に戻る。意味はその主観にとっての意味しか持てない。辞書という共有道具も主観定義の鞍替えにしか使われない。
 倫理規定はどの主観にも一定の理解を与えなおす。この規定は様々なてだてで伝えられるが、倫理規定さに鑑みると単に主観の捉える内容を導く効果しかないか、又はその用途がわに幅広い価値を見出されている。つまり理解の基礎が倫理規定には任されている。どの脱構築論も主観の、よって倫理規定の議論。一般にこの趣味観は何らかの合主観さを問うのみ。
 言葉の不確定さや認識毎の意味異なりは定義が煩雑すぎる言語を用いる限り生まれる差延の基。故もし言葉を特に哲学とよばれている種類に属するだろう、規則のある程度以上の煩雑さを回避しない侭での方法で用いて何事かを伝えるに、主観さを定義から導くのは必然。ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』はこの試みだったが、既存論理学説の解説か少なくとも補説を大幅にこえられていなかった。脱構築論をこえた学説は、この主観定義を規則の単純化で果たした所に生まれえる。だが定義を以前の日常語や学術語に限った侭では論理学の不完全定理、自己の補集合系でしか母公理系は定義できないから、凡そこの目的をはたすのは無理。意味論の前提には論理定義の要素に亘る徹底が要る。

倫理規定

社会条件はその場所がもつ地政文脈により、かつそれらのかさなりは背景に有した地域特徴を浮かべる。自然条件はつねに社会の底流か規制として働いている。
 淘汰すべき人格、犯罪人格は地域特徴からの指摘ないと必ずや示されない。ゆえ罪観念は地域偏差なしに生じない。地政文脈は合社会条件に特定の理解偏差を用いるので、いわば人は場所の子として宿命づけられる。文明自体は社会場からの合社会条件の改良か改造計画のみ。結局どの文化段階も、この文明場から導いた何らかの倫理規定によっている。判断とか形質選択観は倫理のもの。

2010年8月28日

空調衛星の適正自治体規模

空調衛星を自治体が飛ばすにはその為の費用を市民以上が賄えるを得る。

 政府にはこの為の必要条件が今の所欠けているので、技術からの恩恵を受け易い例えば研究都市等の自治体の規模で、ふさわしい自注を前置きにした財投を兼ねこの計画を実行した方が効率良い。
但し実績があがれば地上の様々な國から注文が必ずみこめるので、文部科学省や科学技術政策局は助成をなせるだけ惜しまないべき。

情報工学

量子コンピューティング、つまり量子電脳は最小共回ともまわりの定義で可能。量子系が違う地点で粒子あたり独自に回転していく際にそれらの位置を確認することが順番にできればいい。この確認の際には光ファイバーほか既存の設備を有する。
 先ず最も単純なもので2種類、可能な複雑さとして想定できるもので東西南北天地に対してそれらの中間点を含む14種類の回転位置を単位量子あたり定義し量子方位とよび、これを機械に計測できる様プログラムしておく。この量子方位計測システムを粗同位置とよぶ。実現の為には磁気照射か光子の反射を連続させて前段階から変化があるかを確かめ、長い程ちがう向きにあると考えて変化したあとの反応時間から向いている位置を定める。次に光ファイバーその他でつないだ2か所にそれぞれこの粗同位置を設け、両者に同期を確かめる。この際に前述の情報量を込めることで量子計算ができる。
 更に各情報量をパケットなどの単位として送る際には量子ビット化(つまり前回計測の内容を重ね合わせて次回にくりこみ、同じ結果な繰り返しは省略)で計算速度を有限倍化できる。

2010年8月27日

物理学仮説

各素粒子は状態変化。6種類考えられているクォーク、6種類考えられているレプトン、この両方に対して6種類のゲージ粒子はそれらを媒介する。
 引力子と光子は対なので一組(引力子に対するので光子は斥力子とよべる)、プラスマイナスWのウィークボゾンは同じく1組の対。グルーオンとZ0のウィークボゾン(実質はグルーオンの1種)は1組の対。そして引斥はuやdのクォークと電子や電子ニュートリノを媒介し、ウィークボゾンはeやsのクォークとミュー粒子やミュートリノを媒介、またグルーオンはtやbのクォークとタウ粒子やタウニュートリノを媒介する。各素粒子間の状態変化を変身とよぶ。どのゲージ媒介も変身を促す。媒介されないとき素粒子はより安定な単位にもどる傾向がある。
 又これらのゲージ粒子間には、更に小さな物質単位として砂子がある。砂子は束として波の性質を兼ねる故に量子効果をもつ。

過熱報道

劇場型政治の出来レースに報道機関が騒ぎ回るのは下らない。間接的世論誘導で衆愚報道におとされる。より有益なのは側近のききとりに徹することだ。戦略家の作戦計画は常に側近政治に近づくから。

鉄砲百合

話をするまもなく時は流れ去るもの
南蛮人が戯る眺めあし
暑さとは少しも親しむべくなき日より
鉄砲百合の乱舞聡き
通りすぎてきた日々はただいとおしき
海鳴りのさざ波のうちよせるまに生まれきえゆく命どもありき
南方のつちかたつどい禍々しき災いに満ちた騒ぎをするとききし
いずれ人ども地からなずむ
雨おとのきこえなき
わずかずつ野にくだる月のあかりはつちを透かし
はるかな遥かな夢想をこえ世を広げゆく力よ
むなしき人ども二度よをしらず

2010年8月26日

整理

誰も自由を忘れていった。誰もがそれを忘れる丈だった。
月は全てを見渡し、地上の整頓を行おうとした。
もし地上に下らない生き物しかいないならなぜそれらを整理しない?

信仰

チャラ穢土奴民がきたならしい汚れドラマを国中に自慢気にばらまきまくり、全ての幼気な少年少女を堕落世界へ誘き寄せる。

穢奴ジャップの大王は山ほどカネを蓄え、警察を退廃にまきこみながら日本中へ淫蕩な風習といつもの下種なキョート風の芸者猥文を垂れ流しまくる。

 神のまなこに害虫が長居するのは少しも望ましくない。然るべき目的の為にテンノーケジャップを粛清する計画は、その尊い御手の上に実行されるに違いない。 

知覚基盤理論

時代に関わらない地球神意は常に普遍神意と等しいとは限らないので、普遍神学か知覚基盤外の学問を通してしか認識が普遍理論を得るのは難しい。つまり信仰の立場はその主観を生み出した系統毎に異なる。唯一の科学がありえないのは知覚基盤間の違和から導ける未来。
 彼らが定義したり興味をもつ対象の知覚基盤すら絶対精神でありえない。なぜその理由や知覚が違うだろう。要は絶対知覚による唯一神学はそれが世界内の主観という操られた自由に入る限り必ず構想の限度をもつ点で、比較精神的か客観式でしかない。もし宇宙神話が語られるなら必ずや知覚基盤間の互譲か譲り合いの立場に返る。だから世界哲学か現象論的系統たる事象の知覚は皆自らの依って立つ基盤らしさの探索。
 どの環境認識も現象哲学の場面や部分集合。その為に最も安定した理解は常に知覚基盤間の考えに繋がる総合科学か知恵による。合知識間の論理展開に知覚基盤上の注解や注釈が与えられる程それらの知識系統に為せる文化的敷衍やひきのばしは効き目ある。

2010年8月25日

商材計略

文庫サイズの板状読書端末を、価格は店頭5000円以内に抑えて売り出す。又廉価版としてwifiや無線LANによる接続なしの、内部のフラッシュメモリへミニUSB接続のみの店頭1500円程度でのオフライン専用機も揃える。
アイパッドを駆逐する目的で「文庫機」と呼び手堅く書店毎に流通させること。中身は後発で構わない。

島民

下らない地球に降る雨
誰が望んだのかもしれずそれは
誰もしらない地下の水脈にのまれながら染み込む
僕は下らない島民を見た
そいつらが脱け殻みたくうろつき
次々死んでくところを
大雨が何もかもを流し尽くし
結果地上に何もなくなったらきっと
あの下らない島国も海に沈んで消えることだろう

場所倫理学

場所倫理かその生態理念の目あては普遍知覚にではなく、つまり神学の完成にでなく単に自律形質間の複合型にある。もし遺伝の成りゆきを見ようと見まいとその複合運命は免れず、秩序化の独自なことわりは自律さにまつわる系統の多岐。場所理念が仮にも普遍道徳らしきものとは異なるのがこれらから分かる。或いは唯一知覚にのぞみがないゆえ孤立や孤独な主観か魂にみなせる世界の根本理由は趣味観に返る。しかも場所の変形や適応度、主には転用さるべき自由な認識の様々に彼らの由や所以は限られゆくのでそこで為しえる最高の理想と雖も完成された趣をこえない。絶対理解は絶えず理想主義的趣味観をこえられない。その魂、心の様に多岐化したり伝わらない主観さが知覚の原理に相対して成し遂げる全ての営みは場面での最善さ、乃ち時勢誇示の適切な功利さへの細やかな注釈でしかない。場所観が趣味の自律へ至る際には知覚基盤への積み重ね、つまり学問の過程が要る。之は理解の前置きに前の世代の術策が高まる丈それをのりこえたり解釈や分析する学習密度が高まるから。学習手段や道具に比べて学的認識の応用は先立つ。世代間の意向差はこの再世代化が忙しい程せばまり、場の必要適応条件を努力量で下げるか当たり前なありふれた段階に仕置く。孝養と向学の適応行動での社会的尊厳に現れる違いは、実質でこの再生能率による。

権威と猿

西洋土人が与える餌を喰らいまくる情けない豚を見ろよ。ほらお前の目の前でヨーロッパ人みたいな椅子に座っちゃって舌を出す極東の黄ばんだ猿だ。西洋の犬になった情けない爺さんどもに敬礼、ありえないよね。先ず先祖の血潮の為に切腹しやがれ。

 舞妓をばらまきつづける汚い倭奴の首相が誉めまくる黄色い猿に、唾をひっかける男がいる。
「西洋の負け犬め! 白人の植民め! 恥を知れ! 島国に帰りついた途端にその横柄な態度、いつもの西洋かぶれか!」
僕はそのダイナマイト賞を両肩にひっかけた縮こまった小汚ない外道老人どもの墓が、何者かによって掘り返され、遺骨が消えるのを見る。万物に理由あり。それは弔いの為ガダルカナル島へ永久に葬り去られたのだ。

2010年8月24日

場所の理

宇宙界との協調か適応は普く地球風習性を否定しきる訳ではない。宇宙文明に母系をもつどの生態も何らかの出自を余儀なくしている。世界では生態に必ず起源がある。
 もし大文明のそれと小さなそれを比べれば明らかな生態造りの差がある。
 世界の本質は趣味観で必ず異ならせられる。唯一世界観はありえない。地球風の世界観もその哲学的趣味構造を重ねられる丈で脱地球風の趣味を自らの知覚基盤上に実現し難い。もし地球風の外の趣味機能か眺めをえたくば、その為に感覚器官からの改めがいるだろう。つまり地球型知覚の生態機能、いわば知性の場所か人種らしはそれ自体の微差や揺れを含め認知条件。系統発生が特有の感覚器官やその機能を比べて強めたがる因果は何れ、宇宙内完成な特定知覚に至り易いが全てどの理想も絶対理性には至らないだろう。外宇宙の概括全知か少なくともその全能想定力は必ずや個別の知覚能力域をこえている。内部人格により森羅万象がつくりえる可能性は自ら共の造りが操れないが故ほとんどない。結局、神の徴れは民族精神を除いて考えてみればみな理想の外にある。だから何れの知覚も趣味観で全知に至りえないばかりか自らを造る精神の技術に追いつけない。自然科学を自然神学と呼んだ哲学者はその限界を悟る故戒めを含めてそうしたのだろう。そして人種や品種にみた個りが宇宙文化に捧げられる最大の認識や知識からの貢献も同じく、道徳神学を補完する一応の実験たる部分解析による創造力の真似事、つまり趣味かrecreationなことだろう。
 全て神学か理論の目的は神らしさの模擬。そして精神度は生態組織が理解した世界構造の合理さに由来し、神の侍として万物の趣味者は場所で営まれるべき理を体現する為に地位を指定される。

世界史学と場所倫理

場と所の意味差は場が物理環境か無機要素を指すに比べ所は社会環境か有機要素へ傾く、といえる。
 万物の場毎の原理は必然度が高い。場は巨視や微視の極端差でも人為含む微力な有機力学では動かしえない域をたもつ。
 対して所のそれはこの有機域に全く適合し、寧ろ有機特徴を理由とする。有機さは倫理視野でみなすと所の由をことわるもと。ゆえ倫理な実現は所にのみ叶う。寧ろ全て倫理は所らしさの論理にしか見えない。仮にその中身が普遍思想風や世界市民風でさえやはり所らしさが介在してのみ倫理展開がなる。宇宙適応の度合いある型は望む場所展開の社会な実践法案に託され、且つそれらは継起や維持つまり続き方を倫理学的にとりたがる。哲学が一貫したひふみを取ろうとする限りそれを探究する理性は矛盾を嫌い、排中律を前置きに学野を拓きたがるだろう。結果、倫理学は歴史構想を自らの体系へ似せたり合理化の裏付けや方便にしたてたがる。
 もし歴史知識から唯一の実践のたちばを導きたくばそれを学の体系とみなすのは清潔なあり方ではない。凡そ実証できた史実は主観の規律と同じ考えのもとに正統性を述べられる可ではない。
 所の由や所以は普遍史観を必ずしも当てえない時に主観の意義を発てる。つまり地政認識が普遍倫理学風の当て嵌めや囲い込みに対し系統の違う理を与え直すのが正義と考えられてきた、絶対精神論への批判の経過。場所倫理学は普遍倫理学系をいなすかさもなくば脱却させる。普遍倫理学系は常に上述の史実の私用に陥った越権かおごりたかぶりなので、簡潔にいって過ちを改め難い地位の執着を時の哲学の進展より愛顧し易い。乃ち場所正義論は世界精神論より趣味的。社会生物の由来はみな実践理性の西洋型知覚ほかの適応にも、生き残りや経済的生態の多彩を余地づけるので。

2010年8月23日

魔のさした都東京

公家崩れのキョート豚が次々に気色悪い売春罪を煽る、テンノーケの不潔きわまるあづま京都。

 君はその中で蠢くムイミな虫でしかなかった。別に脱出口があるでもない地獄じみた、延々つづく石詰めの都市を走り抜けても走り抜けてもヒトの家。
 もし西キョートのげすに媚びた結果あの邪悪な戦災をもたらした西日本人がふさわしい末路を得るなら、奴らが公家の発情南蛮虫連中と同じ生態を得ることだろう。その薩摩人は頭のわるさの為に政権を混乱にまぎれて乗っ取り、遂には極悪侵略犯罪長州ヒトもどきの一員に堕ちた。アッハッハ、これが必然なんだ。大阪や津は段々浸食され関西弁が通る。キョートの穢れは次第に化け物テンノーケごと流れてく。

 君が見るこの悪がつくりあげた魔のさした都東京は全て気の所為だった。なにを証拠に、その都市を壊死させるのは穢れキョート豚に流れた黴菌だから。

フジテレビの犯罪劇調通報

己どもの下等風俗の穢多類を撮影し公然と放映予定のフジテレビは猥褻図画頒布罪(広告収入による販売の目的をもつ所有)に該当する。
 犯罪者集団であるフジテレビ社内の全関係者を逮捕し、その害毒放送局にすぎない真相を覆い隠す誤った社会的名誉ごと給与所得及び現身分を即刻剥奪すべき。

宇宙文明学

文明系は宇宙無境界原則に基づくと二種類に別れる。一つは場に働く斥力か引力どちらかが過大な為、常に変化していく熱い文明系。もう一つは引斥がほぼ平衡した居場所の為に定常観が普通の冷たい文明系。この七夕系からみなして最も大きな表十五夜系か最も小さな裏鈴系は明らかに熱い文明に属する。これらに比べ唐傘系は表裏に関わらずかなり七夕系に近い定常観をもつ。

ツブルクリン竹すみ

ヘレニズムクインシー
きゃらきゅらうばゝ゜
ときどきうずらちゃんぎゅ
たばねちまーぱっぱ
たんとおたべのしろがみ
つまった日にとんでた気が
しもしませんてしたわ! にゃー
んてね、ぎゃおーむ。たぴ
たつきりの
よるべのまどにおちつける
かたむくまぎわの
月はかなしむ
ツブルクリン竹すみ
トッパツにぎゅっぱちたっ
しぃうゐーぁあらゝゝゝ
うみ! ちがいしかあらしまた

ブラックジョークマーク

身の程しらずの為に、ドクロマークを重ね貼りする施策が高齢者と市民の身の為になるのが誤りない。

2010年8月22日

ベンチ

海からの風の名もなく吹く風よ
夜をへていなくなりき蜂の女王
ミンミンとカナカナにわか傾きぬ
涼しきは都はなれてしれるなり
なつかしき朝は失う走る虫
かざあしをこえてゆきけり車ども
みとに来し漫画の文化みじめかな
曇りぞらラヂオヘッドの歌かなし
港より迫る夕陽を眺めけり
畠するおばちゃんの横を啼く蝉
売れるほどつまらなくなる商い
なにもなき所に真理あつまりぬ
空き地占め間をみるベンチ悟りける
かわりなき公園は命はぐくむ
消えゆくもの根づかず
夏ありしアスファルトにくき車ども
やむをえぬスプリンクラーの芝生しく
山あいに鳴く雀ひとり恵まれし
遠出するあとは車の熱痛し

減反の過ち

農家戸別所得補償(通称京都人発想のサラリーマン農家政策)は馬鹿げているばかりか過ち。
貨幣経済での地位が人生の目的とみなす俗物は農業者には殆どいない。もしそうなら途上国との労働者格差を利用した安売り小売店舗でもアメリカからかすめた技術でIT企業でも開業すれば済む話。

 農産物を他の製品や奉仕と同等の品物とみなすべきではない。
貯蔵のきかない第一次産物は最大安価に、乃ち限りなく豊富に生産するのが目的でその共通貨幣との換金がではない。
 最善の農業ほか第一次産業支援とは「放任政策」であり、いかなる作付も農耕主体に任せておくこと。

減反の脅しと政府介入は生産量と農地改良、及び田園の吸熱量すべての面で害のみ。

貨幣経済は商売人どもにやらせておけば済むのであり、政府はその累進徴税によって福祉を充実させる道を進めば良い。もちのわるい全ての食料作物を金銭価値と並列化してみなすべきではない。なぜならそれらは豊富に流通すればするだけ幾らでも人間生活に益なのだから。

2010年8月21日

宇宙物理学

宇宙斥力による異方さと花火効果による等方さの間の平衡はその場の運動を左右する。乃ち
宇宙斥力-花火効果=場の運動方位

排出熱量税案

排出熱量取引を二酸化炭素のそれより優先させるを得る。
これはCO_2が植生には好都合ゆえ温暖化の元凶とはいいきれず、急激な植林破壊に伴う再生不能率より悪果に繋がるとは言えないから。

国連の場で熱帯雨林帯にある国々や米中などを主要源に、地球環境への排出熱量を税額として負担させるべき。
 植生の吸熱に比べて社会が排出する全熱量を鑑み、都道府県間へも「熱量排出税」を高い順に累進で科す事。
その場所を通過させる交通量や営まれる産業種別の熱排出量と森林や緑化率による吸熱との差し引きも含む。なお計測は第三者機関、およそ私立研究所複数へ全過程公開のうえ依頼しそれらの誤差を重ね合わせるをう。

論証界

実証認識は論証認識の道具。論証、つまり論理の検証には歴史的実践しかありえない。正しい道義は弁証法自身の中にというより、実践者の史的足取りにしかみつけられない。
 実証認識の級はそれらの系列を正当づける基礎。但し論理展開のあわいには略無際限の可能性や選択肢があるので、論証界での勝率か精確さは情報系列の冗長さに比例する。正しさは彼らが認める到達した理念を冗長さにかけて繰り返し検証した結果でしかなく、歴史観では階になる。最終理念は、理想の働きをこえては世界史観に返る。故論証淘汰、つまり趣味のとがれは最高の理想度を用いる。神格的世界観の程度は彼らが担う社会秩序を環境構成要素で果たす。世界観の完成は必ずや史的生存と神意に等しい。

2010年8月20日

倭奴処分施設案

倭人女うまれついて精神薄弱の奇形児な証拠に人の面前で公然猥褻罪を破り、石原慎太郎という野蛮獣類が煽る東京都各種のあしき商売をみれば分かるが山ほど売春している。よってこれらの殺処分は効率的なほど社会風紀の健全化に益する。

先ずこれらの公然猥褻罪を平気で犯す精神薄弱児は私警かそれに類した倭奴殺処分会のNPOにより見つけ次第、公共監獄な厚生施設に送致され一切の人間から隔離すべき。
この厚生施設は仮に「倭奴監獄」とよぶ。中には全ての地点に監視カメラを設け私生活をなくし、それをインターネット放送で全世界に流す。実名は家族構成と共に全員公表されるを得る。

次にこの施設内では全て無償でトヨタやパナソニック他機械製作の下請けを担わせ、作業に遅滞した倭奴は別ルートへ再び隔離する。
およそ50歳になるまでは決して施設から出してはいけない。精神薄弱な倭奴は公家の如くすぐさま売春行動を再開するから。

ここで別ルートに隔離した人材のうち亜細亜各国の派遣仲介者へ照会し、売却できる倭奴は東南アジアや朝鮮あるいは南アメリカほか売春婦か奴隷の需要ある途上国へ税収となるオークション形式での売却をする。
できない者は海洋上に粉砕機として設けた最新処分場へ遠隔操作その他で送り、鯨などの餌として活用。見つけられた公家の血は邪悪なので必ず全員を含むこと。
 またこの際、対象となる親は教唆罪にあたるので戸籍で確認でき次第最も安価な死刑、おそらく犬と等しい隔離した空間への空気汚染での毒殺が行われるを得る。

焼き栗

上がるふ
歌留多のひびき
しまったとおもう
迄もなく戸締まり
単なるしわざ
牛タン韮な浦島
凸版印刷さらさ
縛った紐トパーズ
ぐみのね
焼き鯰がんちゃら
上ずった
ミネラルみずのシーツ
態々買った
何て素晴らしい焼き栗
けどそんな所
いつのまにきえたの

文明学間の知覚

宇宙間文明学はそれらの運動か運命法則を明かす。数えきれない無限分の文明数を思えば選択な淘汰がそれらの間で厳正に働くのは自然。
 有性生殖は遺伝多様化のてだて他でない。よってその方法以外の生存益があれば有性系統は傍系にならずば消え去る。事実上身体や遺伝子への直接改造に比べて単純な生殖方法は効率が低い。正しいくみあわせが見つかれば人為改良は全て自然配偶に優る結果を用いる。我々が古代に見る発情と淫蕩の社会場は隔離的有性人類の生殖環境と考えられ、そこからくるあらゆる習性も同じ。より合理に社会改良を果たす遺伝系列をひきだせる故遺伝子操作後の人類はそれ以前の不能人種を追い払う。大衆文明は無用化し、複製能率に順じて既存人類は生き残り難くなり最後に淘がれる。
 宇宙文明学は地球科学やその知覚基盤の外で比較論を営む。知覚差はここではいわば現象識への観察角度のみ。故文明内知覚の固定視や不変視は偽で、理想状態か観想方法すら主観で違う。

ヒトケシ

退屈凌ぎにジャップを叩き潰してみた
ジャップはぎゃと言ったか言わないかすぐ地のもくずと消えた
面白くなってジャップを次々叩く
叩けば消せるヒトケシの小槌
ジャップは東京都にたかり
映像や画像に醜態を撮りまくる他習性がないらしく
天皇を消したときは笑った
銀座とか新宿に誰もいないのは最高だった
池袋と有明は寂しくなったが良かった
都庁はすっきりし皇居は整然となった
アメリカ人がやってきて軍事基地をつくり中国人が集団で来てアパートをたてまくった
僕は冷たい眼差しで何もかもをみわたしていた
いつでも消せるこの昔ジャップが住んでいた関西くさい穢土は浄化されて行った
醜すぎる天皇一家がいなければこれほど清潔になるなんて
今ではあれだけふえまくっていた風俗営業店の跡形もない
天皇とその部下がきえたので需要が激減で自然絶滅したらしかった
ついでにあのきたならしい関西人も一匹のこらずいなくなった
ゲイシャ以外に能のない人種だったので当然だが
京阪神出身のチャラチャラ売文屋も西海辺りからはるばるきた汚れアイドル連中もいつの間にか消え失せていた
僕は平和になったこの島を穏やかな気持ちでみわたしていた
ヒトケシの小槌は今では錆びつきつつあるが消すのが面倒になるほど善良な風俗がそこに戻ったのだから
昔ここへは倭奴とよばれる蛮族が住んでいたらしいが誰の記憶にもない

2010年8月19日

少年

空の上から地上に降りる視点
巨大な灰色の島
その一角を映す
小さな少年が二本差しで大都市の中を走り続けている
穢奴を斬り伏せる
次から次へ
石造りの都庁のてっぺんから
島中に下劣な産物を撒く元凶を退治すべく
いざ出陣
ところが
穢奴マスゴミは
かねにまみれて公家と薩長のアジア猿どもにかしづかれ
連日連夜テロリスト扱い
ならお前らの暗黒の蠱惑界の中心で
今も昔も全国民から暴力ずくで奪った税金で鱈腹くらいまくる
どっかのやくざの親分はどうなんだ
奴は命令づくで
アジアの人間を生き埋めにし強姦させ嘘をついて逃げおおせた挙げ句
原子爆弾でお前らを焼き殺したんじゃなかったか
山奥であの無意味な戦の犠牲になった少年隊の魂がきみに乗り移る
倒しても倒しても湧いて出る蛆虫ども
次から次へ切り捨てても石詰めの都市に隙間はたんとある
そこに入り込んで穢奴はかならず繁殖してくる
きみは穢奴の気違いどもが
真夜中の街で淫蕩を尽くすのを粛清するため立ち上がらねばならぬ
その邪悪な西戎の末裔を髪の毛一本のこさず滅却し尽くさねばならぬ
南蛮奴の底知れぬ退廃を正すため京都で戯れる人虫どもを斬り伏せ続けねばならぬ
少年を捉えた視点は地上を離れ地球を映す
無音の宇宙で小さな青い星は回りつづける

星月の怠け

なにもない
すぐ月日を前に
発つ鳥は土を
忘れゆくのだとして
丸で多くの
歪んだ京のかざものが
たゞきえゆくのを
なんとなく眺めるだろう
時はむごくも留まらず
丸で波間の旭の如く
探偵のまなこを欺くゆえ
割れてしまう金甌無欠の皿
いつの間に滅び去るかもしれず
限りない展がりのゆめは
さりとて宙宇の滲みらしく
目に輝く星月の怠け

大宇宙が錆びゆく内
かわらず佇む大きな皿
そこに入ってくるのは
雨、風、雪
みぞれ、霜、吹雪ふぶき氷柱つらら
山背、凪、月影
皿の中に詰め入れられた数えきれない物は
どこにも行き場のない物ばかり
けど気づいてみれば何もかも
ただ融け出すのだった
大宇宙を容れたその皿は

消費密度

高い消費密度は系列間の複合が選択なとぎで巧く運んだ因果次第。文明系のもつ斥力をみれば宇宙系間選択も同じ理由に基づく。事実上選良とぎは皆宇宙間真理。最上の選良は複合生態を経済力学によりはたした為うまれるし、宇宙系の生態学はこの文法をどの体系間でも外しえない。文明選択はその社会淘汰を世界史流で示す。共存体験型の生態合理化は決めて主導経過でありえない。宇宙内生態の巧みは事実上社会系統な文法をこめた消費体制への建築さ次第。
 常識で理想高い生態は他より成功行動な反応系統が複合しやすい。

2010年8月18日

倭奴処分法

「倭奴処分法」をつくり、見つけ次第わたくし市民にも風俗産業従事者(男女問わず映像や画像撮影とその教唆者、ならびに石原慎太郎はじめ猥褻物流布者含む)を殺処分可能にすべき。
これらの効率が高いほど社会に還流する資財は本来の流暢さをとりもどす。同証拠のある全ての末孫まで指名手配され次第に私や公に処刑を可能にし、そのけがれた蛮民の血筋を完全に絶たねばならない。海外逃亡分は拘留後DNA検査の末同罪とする。

又天皇とその一家は腐敗しきった警察の総元締め及び暴力団長として悪業の中核なので、同処分法の該当死刑種に傍系全体をも指名手配されるべき。また東西京都人は証拠なき限り全員をこの殺処分対象にして問題はない。

穢土倭奴はひっつきまわり
大学とほざき交尾しかできないサル
穢土でなにをするかと思えば
底しれぬ悪業で汚猥に満ちた就職

穢奴は天皇という
近畿のサルをおっかけまわし
あちこちから暴力と売春で占めた税金を
鼻高々でばらまきまくる

その石詰めの都市に
山ほどうよつくゴキブリの一種
宮家は源氏物語の読みすぎで
税収繁殖しかできない

関西と西海と秋田と北陸からきた
キタナイ売春奴
きみの目の前でひっつきまわり
醜い野蛮文化を謳歌中

大きなかみなりが
こいつらチンチラ虫どもを焼き尽くすとき
業が何世代にもわたり
何一つきえさらないのを知る

虹の出た橋

底しれぬ大土は
よをなでる風をとかし
まきもどる間に
涙をかくしてしまう
誰かが呼んだ
かも分からない雨が
とおりすぎてみたら
虹の出た橋をくぐる
大袈裟に振る舞う
雲のお布施を囲う
旅人らは日暮れ前
あの海峡をこえる
ちびいぬが走り回る
田ん圃のふちに咲く
野菊は姫紫苑と名づけられ
なくなりゆく空き地を逐われる
東京に住んでる
どうでもいい人がもつ
駐車場は昔
殿様ばったを住まわせていた

緑茶

關縺嫩鄲歩迅事
讙巛攸靄瑤儿珥
啗喊殀麼从踉訛
彬彬悠然納訓珂
吾呑緑茶乃萍麼
軍薇罍剞潯麓襾
旻旻鳴琴漾什麼
掀漸鷆踟彌備前
琿遲欖儺邀邂个
箜葵撕夛囹屬蒭
丱太逶對八廴汰
空綵韆俔潦曇耶
丐丗與邇兎艾罘
孱盡爻巵喇苡于
濱也濟千冰彡沱

経済学

生産量指標を流通指標と誤解してきたこれまでの経済指標は第一次指標とよべる。比べ単に取引量のうち設備投資にかけられた分量を第二次指標、流通や奉仕のみな生産物を介さないそれを第三次指標と置ける。

 これらのうち唯一蓄えられるのは第二次指標の経済指標に関わる優位。特に生産物が、著作物の永久風価値をさしひいてさえ消費期限を大分もつのは第一次指標が必ずしも将来の生産性と合わない証。特に第三次指標は偶有的貿易勘定や景気で左右され、経済力というより勢いか出来高の計測に利用されればいい。又第三次指標は極めて変動しやすく国際収支の計算等の際には除くと、中長期的精確さへ漸近しやすい。

2010年8月17日

趣味の効用

自然征服型か牧場型の理性は結果というより方法論や適応の仕方。荒々しさや不可逆変化の現象比率が少ない適所で理性はこの行いを択び易い。ゆえ共生志向の季節風型や反抗志向の砂漠型、或いは放任志向の荒野型などはみな適所の趣味。知覚をたくませる他の多様さの因果は、その無限らしさが適応過程をも小分けにしつづける訳。倫理抽象化や形而上認識など世界観一般化の工夫は総合技術観を得る為丈。生態化したこの知覚的抽出は適所をこえた理解を及ぼし易い。
 複数主観、つまり間柄が理解の一般化に至ると趣味認識が生じる。もし望ましい世界観がたくまれるならその場は趣味の一般化に成功している。実証学識に比べこの理念自体の交易は理解を問う面で異なる地域間生態での行いにも似ているか同じ規則をあみださせ易い。乃ち感覚基盤と認知の漸近を避ける効用がある。生態な多彩は実にそれらの系列を秩序化させる誘因。原則で生態秩序は知覚基盤内順位制度が彼らの論証に示す複合観念か理想度による。秩序づけられた生態はその理想度を反映していて、究極ではそれらの間淘汰か選抜経過は趣味観の完成な知覚機能を導く。人類間淘汰は理想度を頼みに上位生態での認識を一般趣味にあわせる。つまり世界適応度を倫理の上で普くし易い。

消費系統と世界史実

地球文明には社会内系列の重ね他わけがない。世界史の運びはこの系列を忠実に実行しつける習い。運命選択的な人為は絶えず目あてに叶う生態とその種族丈をいきのこらせる、が世界史自体には運びの重ね以外にのがれる訳がない。つまり地球風生態は世界史な動きを種族間協調か共存状態のため重ね理由づける已。
 宇宙選択さは文明間淘汰を当たり前とする。選れた種、個りでありつつ他に優るかさなりを示す系列の果は文明毎に淘げる最大の消費密度による。縁起体と経済系統が共に正当化できるならこの僅かな確かさ故。

救いの大雨

蝉のなくミーンミンという夏の朝
いずれなきこともしりゐる盂蘭盆会
雀の子ちゅん/\なきいるなつの朝
真夜中に響くかわずの喉笛よ
麗らかに薙ぎるつとめて海の歌は
きらびやか過ぎしトラック熱々し
笹舟の乗せた霧雨けぶるまち
月の出る影々しき海まちの闇
ねこの子が待つ朝やけはのびゐたり
すぎさりし日々よりあかき夕やけよ
鳶きゆる峰のはて染む朝霞
潮騒に聴きいるかもめ渚たつ
ふりしきる雨足遠く稲光
シッカショ節うたうオザケン聴け真夏
さみだれの啼く間もしれず晴れ間来し
涼しき夜ただ雨垂れのさむさかな
七夕の飾りをまくる風ぬる
しずかな夜サイレンに哭く犬のはるかさ
いつのまにいなくなりきはほとゝぎす
漆喰の前に佇む土耳古桔梗トルコキキョウ

かえるまもなくかえりつくありの人
消え去れば跡形もなき通り雨
涼しさをめぐむ救いの大雨よ

2010年8月16日

国際対話

おいジャップ、なぜお前はあの愛すべき賢い鯨をくいまくるくらい残酷なんだ。心ない奴ら。イギリス植民地奴隷の代わりに哺乳類の王者を殺ってやるのさ。

 やあジャップ、お前らどうしてあんなに卑猥な下らないマンガばかり描く、気が狂ったか。俗悪東京労働者の手慰み物だ。

 お前ジャップか。なぜ姦淫罪の連中を罰しない、理性がないのか。お前らバカ外人がファンなよごれ京都人とけがれ天皇家は、昔からそうだ。

広告裁き

各地の新聞に下卑た公害広告を載せて醜い身代を稼ぐ穢奴である東京のマカ王の販売店は「猥褻物陳列罪」に該当する。
それらは興味のない人々には不快なばかりか醜悪な嫌悪感を催す表現で過剰か異様な生理的偏向を煽っており、成人以外も閲覧できる朝刊紙面を占める意義は皆無なだけでなく、悪影響しかない。
 なおこれらの下賎公害の広告費をうけとった新聞社も同罪とされるべき。

「公共広告の清浄規律」は全てその社会場の美観に最低限度化されねばならず、自治体の都市計画課では通告と観察を一定の水準で精査し即座に警察による告訴へ結ぶ必然性がある。
又公害広告の観光旅行(国境や地域差を無視した広告の越権)へは現時点で全て自治法、つぎに国内法を自らの公共景観の自律のため優先させるを得る。

理想差

個々の感覚基盤やその系統に生じる違いは環境と遺伝、つまり文化か由来の差により、このため幸福基準が交配できる種族間でもかなり異なりつく。我々が知るアリストテレス的幸福主義は実に職業倫理観らしい。結局自らを奴隷としたがる人種も暫しみつけられる。単に由来差の為にさえ。理想的人種は彼らの文化、学問の適所をたのみにした一つの類型。比べて機能を司る各種の分業人は彼らが総合理論へ奉仕するのを恃みにしている。哲学を蔑む作業種は彼らが部分作業を合理化する為にそうなのだ。哲学は教育できず自らの理性の足場から絶えず築き直す建物なのは、このきざはしが実証界に類比できる対象をもたない謂わばクウのありかだから。哲学者は教育や指導から生まれるのではないし、敢えて育てることもできない。実証界の知識にちかしい何らかの由来なき以上、形而上学識は個々人の世界解釈観をこえない。とびぬけた哲学は向学の気質が種族系統へ叶った由来差にありえる。
 考えや理解に偏りがある訳は彼らの由来が形而上学識へどれ程の適応を科したか、乃ち適応すべき認識界の多元な解釈余地やその表象による。浅さは当面した適応課題の系統が爾来、単一や一通りだったので。未知への対策は経験則に関する限り想像できる最善さを形而上認識へ返す。実証界の最大の利点な具体策は趣味を含む理念に叶う時のみ成功し、単に自然状態を乱すわざとしては悪意やその因果応報を免れない筈。

さとり

神に私無く、王侯に私有り。
偶像崇拝は真理を歪める。
信教に格差あり。

2010年8月15日

財政破綻の回避原則

必ずくる財政破綻への道のり、少なくとも中国やインドとの労働力格差を鑑みたそれを見通していえば、「国民年金の漸近的廃止」政策をとらざるをえない。
もし高齢者福祉を社民政策風につづければ個々の成員が二人以上の高齢者扶養を行わねばならなくなり、しかも子供手当て等の二重苦の返済負担は当然、国内から優秀な人材はみな流出しきる結末をもちいる。

その場合、日本国本土は老廃化し、大多数の人口扶養の担い手はアジア・アメリカ・ヨーロッパ等のどこかへ税負担の少ない新天地を求め流出し尽す。代わりに本国は途上国から荒稼ぎ目あてに渡航してきた各種の金利生活者や土地文化を顧慮しない肉体労働者群で占められる。

 この結末が望ましい未来像でなく、先進文明たる面目を保ちたくば高度成長期に慣習化してきた様々な高負担行政の型を脱却しつけねばならない。
談合や地元票ねらいの有効需要と結ばない無益なばかりか自然破壊と環境汚染な土建型財投はこの最たるもの。
又日本だけの特殊事象な卑しい京都穢多土民か脂ぎった中年向け風俗産業種群は徹底した超過税収源と化され、絶滅へ導けるほど将来世代の健全に益する。
この産業種は当然、漫画・アニメ・ゲーム・猥談小咄(芥川賞系の低俗な京文物。無論あしき偶像である天皇発の中古発情物を含む)・映画・テレビ(製作会社や個人や集団、放送局も含む)・ドラマ・映像(単体のメディアで発売されたもの)など公認されない全ての亜種に当たる。 

自動車環境税率案

排ガス規制を兼ね電気自動車への乗り換えを促すべく「ガソリン車通行税」を各地の関所、たとえばインターチェンジやガソリンスタンドへ設けるといい。

電気自動車への乗り換え費用が通年でガソリン車に掛る税金より低い点を環境均衡点とよべる。この税率は国内保有量の過半数が電気自動車となるまで維持されるを得。

2010年8月14日

経済成長のなかみ

社会系は地に根付くとは限らない。発祥がどうあれ、各社会系間に働く力学はそれらの経済関係のみ。社会構図にみえる上部と下部の重なりは実に当経済体制を押し上げるか支える生産か分解の関係。一般に学術活動は生産さ、政治活動は分解さ。経済活動とは消費界とよべる。生産さが当文明の取引しつく物象を資源づける。
 本質から経済界は国際かつ非土着、故高い経済さは常に文化社交への非参加や否みから。結局、経済さはその場の需給率が非平衡さを周りうって高まった証。経済成長思想のなかみは之丈、故経済成長する社会系は不安定な適所な許りか中継地域さの自ずの表れ。

科学信仰の定義

学は情報のうち実証、実験で検証、つまり経験からくり返し確かめる事ができる系列への呼び名。単に学への権威づけの最大誘因は近代化まぎわ急いで工業な技をとりこめたから。学問、特に科学への信仰はこの工業技術へ託した進歩信念が訳。高い科学はくらしな技を詳しくできる、が他に科学はなにも達さない。自然知識やその数理図解は人知を広げるが、世界認識を現代化しつけるのみ。未来の科学はやはり科学たりつける丈だろう。
 科学にはそれ自体の文法な科学界の完成と実証系列による世界認識を清める他どんな命題もない。

生存の文法

社会系間の文法は何を成功行動とみなすか、乃ち集められた情報の系列が特定の由来と因果を先行きづけるかによる。場所倫理はこの並びが各々違う的をもつ故。もし場所間に経済関係がうまれるならそれらの需給に恒さありき。
 経済関係だけが全場所観なのではない。が文明系列の定常観か有り様にはこの為の理由しかない。合目的さか審美な象徴はみな当系列を表徴化する。生存価や格は表徴さにみれば単に系列の複合か重複さにより、且つそれらは上述の需給恒さを訳とする。もし尊さが等級づけられる誘因あれば又。
 高い生存格はのりとしてそれ自体に希な系統が普し。社会系自体の目あては彼らが久しさをさぐる限り必ず生存格。でないと協調には意味がなくなる。

2010年8月13日

冬のまち
扉はあいた侭
夜のとばりはおちる
擦りきれた夜風
力学が語る
黄泉よみとの境
昔ながらそこは
沢蟹の遊び場
飛び交う蛍がいな庭を
見る/\みたすうちには
真っ白な青空のくも
物語る風と土の響きよ
かわりゆくことを恐れるな
もしまちにくらすつもりなら
山奥のしわざをなにもかも
卸してくるわけにいかない
誰だって生まれきて死ぬ
そんな時をすごしていた
わずかな死刑囚の呟きは
神の前に洗われた

人類の学び

学習すべき容量がふえつける訳は、彼らが機能化や定例化する証。人類自らはこの学びゆきを失えない。遺伝がそれ自体で最大の審美さを伴う古代式な社会域は何れ逐われる。
 社会経験が趣味化していくとやがて人が精神文化を得なおす手間はわざと省かれる。伝統芸能はこの趣味化が完了した為特に省みられなくなった業を昔ながらに温存させた奇風。

2010年8月12日

竹林

もしそれが真なら、全く安穏としたいまだったにちがいない。ゆっくりと万物がうつりかわるさなかに、ゆりうごかされるおもいが。そう思うとおりになったじゃなかったか? たしかに。全てが益々わるくなる、とあの予め。
 罪深さは報いられゆく! あのひどさは下がるうちにあらためられてきた次第だったのだ。救いのいかづちはよなかを浸すわずかな海風に紛れこんだ。きけ、だれもが時の雫であり、砂の藻屑。
 立ちすくむ竹林は遠い昔をなにもかも憶えていて、憶えている為に語る、言葉はない。杞憂だった。天罰が下ります様! 

2010年8月11日

狐の子

そうかもしれない
ひらいてとじた
そうともしなかった
通りになった
渡してしまった
てがみがひら/\と
そらにまうさなか
昔は昔話に入り込んで
私達はもう
なにが過去だったのかさえ
すぎゆく今へ焼き付ける
切っ掛けを失くした
夕暮れがふかく
暫く振りに降りた
狐の子らは
満月をみあげてた

2010年8月10日

財政健全化策

法人所得が雇用の回復につながる、といった短絡的経路を付加価値化(原材料費圧迫による儲け)競争は必ずしもとらない→不健全雇用の資本家らによる利用→亀井氏など官営法人の保守派組織表を我田引水化したがる税負担大
∴法人税の分野か対象の際設置→雇用は政府責任から離れる→国民生活は低物価市場のため若干改善

宗教法人税を最小化=慈善事業への誘引

地域差のとりいれ

地域間の法秩序をできるだけ趣違えるべきで、それには「地方自律の原則」を全ての国法の前置きにすべし。努力規定な憲法解釈は各行政従事者らが日本国名を借りる限り有効。

天皇をなのる偶像

僕とって一番のぞましいのは、東京人とそれに便乗している南蛮奴が全滅してくれること、一体難しい事だろうか? もし願いがかなうなら。奴らが悪業のため跡形もなくなる所までしりたい。なにもかもきえさる。その前ではどんな祈りも望みもムイミになる、「血の澱み」をみなくては。

 彼らは君を散々痛めつけてきた。どうしてカコをごまかせるという? ありえないのは、目の前の荒れ地をみれば分る。もうあの空き地はない! そこで僕らは仲良く遊んでいたのに、残されたのは邪悪なコンクリート詰めの建物ばかり。熱帯夜と満員電車は、もうまっぴらだ。ひがしのキョート人はいつもの如くよってたかってゲイシャ稼業、これだから天皇をなのる偶像中最悪の下種は救い様がない!
 絶望の原因はそいつにあった。あづま下りとほざき、この土地を貴様ら汚れの奇形ゲイシャどもと南蛮虫だらけにしやがった畜生は、西日本一体に巣くったサイアクのヤクザそのものだった。
 光? もう扉は閉じられた。お前ら極悪東京奴は悪業を背負う者として「死」を買うべきなのだ。

2010年8月9日

2010年8月8日

土のおもみ

われさきにいそぐ旅人さきしれずいずれもくずときえる海の名
ことばなくきえゆくたがやしびとの前ただおしだまる土のおもみよ
あさひるのすぐいのちの轟きをきくまもしれず夏は過ぎ行く

海の声

音もなくきえていくすべてが
海の声をきくうちには

2010年8月7日

衝動

誰にとっても夜の帳と共に時間はへてしまう
誰かのなかにさえ落ちる夕陽のさなかで
つまらない提案かと望まれた途端に
それはのぞみないしか
のぞみえないので
だまったとかだった
まるでね
平凡な人生しかのぞみえないので
と述べくるでくが寛大な
世にであうからそれは
颯爽と去るのだ
衝動は
既にないのに

2010年8月6日

変化

とても大昔だから誰も憶えてない
沢山の花びらが散りゆく丘のうえ
人はなんの意味もない風として
ただ同じく散りゆくものだった
人を留めようとした最初の子は
それを壁に打ち付けてみた
絵になった今が留め置かれてのち
人はこの世に飽き足りなくなった
もう誰の記憶にもない昔話
少年がみる世界の内側には
絵になってしまった多くの大人
彼らには昔風だった思い出もない
少年は風になり
この大地を駆け巡るだろう
何にもならないことを厭う
その大人集団には嘘がはびこってる
少しでもみちから逸れたら負け
何にもならない人生などありえない
砂浜に生えてきた濱菊と
それを洗い流す大海原
台風が通り過ぎてみたら
鴎の亡きがらが残されている
もし風の声がきこえるのなら
大地を駆け巡るあの声がする
このおおぞらの上の世界が分かる
全ては一瞬も留まらない
何にもならない今というものは
果たしてどこにもないのだが
神の眼差しに見抜けない
今というものはない
もし全てに因果があるとして
それは業の域にある
七色の虹だっていつかは
数えきれない数の色味に見えていた
神の与える奇跡をおもいみて
少年はこの世が広がり続けるのを知る
だが想像力のかぎり
面白味のない
平坦な道を歩む気分といって
他の予言通り
何もかも変わる
夏の香りでさえ

2010年8月5日

漁業愚民政策の失態

漁業全体の福祉国家式の保護政策はみな過ち。それらはどれも運に左右され「出来高」を確実に達しきれない漁の特質を見逃した愚説にすぎない。農耕と魚漁とでは努力と成果の比例度がまったく異なることは、勤勉な農民気質と射幸的な漁民気質で既に理解できる。

つまり全体主義政策で全員が負担した税金を大量に漁業民へ費やした結果、海洋の荒れ方のため収穫量が皆無の場合はそれらの投資は全て無益なばかりか漁民らの放蕩生活へ蕩尽されるに終わる。
常識からいっても漁民気質というものは普段から乱暴で荒々しいばかりか、もとから骨々とした勉強を好まず、わずかな気候の変動でも転業が激しい不安定な職業体質へ適応している。こういう人種へ無駄金を渡すとろくなことにならない。

 最も賢明な政府は「必須栄養価十分量」を常時定価で買い上げる事、つまり漁業協同組合へ最低限度の業務自体を廃止しない程に安定供給用の定額を確保しておく事のみへその保守政策を留めるだろう。それならば漁民独特の生活体験への干渉で彼らの怠惰を煽るおそれはない。

環境多元原理

人間原理中心主義な環境破壊論は必ずしも真でない。現状の自然界の各分解者には消化できない素材等が他の生態にとりこまれ、いままでとは違う生物界を築く場合もある。富栄養化などはこの一事象。環境多元原理は文明界とその部分の形な文化界を除いては少しも適用できない。特定文明風の恒常観が他の地域にそうでない場合も多く、それらの移ろい許容度は理由差により、もつ自然対応性に基づく。
 各文明観の間の生態経済の関係は多数派思想の意向による。それらの縁起さは進化以外にも浮動で変わる。進化を見る主体は時間変化内に合理化を施したのみ。唯一進化はこの為、知覚基盤毎に異なるのでありえない。

宇宙系外生物学

軽物質の上に実在する生命体はそれらの時空間の表象を遊泳として利用している。遊泳は遠く宇宙系外を覆う。が宇宙そのものと関連づけられる軽物質生態は光海との両生化が行われた一部でしかみられない。

2010年8月4日

大昔ここには大きな柱があった
誰もそれをしらない
今では自動車が走るどこにでもある
つまらないくだらない路面
アスファルトの分厚いそこへ
大地の底から大宇宙の渕へのびゆく
一本の柱があった
誰のためにたてられた
ものなのかもしれずそれは
大雨に耐え大嵐に負けず
うてな風をいなし地響きをはねかえし
この大土の息吹と共に呼吸してきた
はるかな青空をみはるかす大柱
もうそこにはなにもない
あるのは人間どもの畏まった巣ばかり
アジアの住民はどこもかしこも汚し尽くし
挙げ句にはあの柱のありかさえ
忘れてしまったのだった
我々の天を貫きつづけているあの柱を

宇宙物理学

軽物質界の情報流率は光速よりはやいを得る。故光海の外側にある物体は仮想な光より低い見かけの軽さと摩擦なさをもつ。重物質界では引力子より重い単子を見つけられる。
 軽物質はどの情報束ジョウホウたばも光速度以下であり、よって最小質量以上でありえない。一般の軽物質は泳動をその基本運動とする。これは軽い物質が引力の影響を最も受けにくい適所にあることから。

2010年8月2日

文化学

文化段階は事実上、昇華された能力の高下により、一般のこの高さは「競争条件」による。じかには通過儀礼その他の段階は社会が残存させた成人後の必需才能への試験のみ。だから試験されない侭その場の昇華能力が定型化されはしない。様々な競争条件下では通過すべき儀礼自体が異なる。文明とよばれるばらつきは、個々の能力へみればこの多様化に親しい。
 文明の量とは単にこのばらつきの多さだと定義すると、文明の質はこれとは異なりばらつきの密度だといえる。一定方向への昇華能力の導きが、その場の伝承での得られた定型文化素の密度を高める。

口蹄疫と地域自律

口蹄疫の被害防止へ県庁の権限と省庁のそれとの行き違いがあったか、少なくともそういった偏向した感情的情緒的世論が近く発生したのは事実で、現宮崎県知事が第一例の発見直後に感染源の拡散防止へ具体策をとらず省庁の対応を待つ判断をしたことは、「緊急事態への具体策の地域主権」を受動態でだが実証した形になる。

現農水省の長が事件初期当時に国内の事件対応より海外での仕事を優先した様に見えるのは、それ自体で省庁の長の判断なので仮にそうしなければ宮崎県内での感染拡大への早期対策が可能だったにせよ行政権益の自律に帰せる。
結局この想定できる緊急事態への応急処置や逐次な対応は県政や地域政主導が原則となる。遠因がどこにあるにせよ家畜への被災への事前の備えは、各地方の対応する課にかなりの迅速な臨機制変が求められる。
その意味で、科学技術力に普段から不慮がおもわれる地域では民主的遠慮で『かかりつけの行政侍医』を近場の総合か単科大学へ、一定以上の連絡体制でとっておくのが賢明らしい。こうすれば想定の域内では危険への応急措置が十分なせる。
 又これらと同時に、単なる国法の間でその行政権力が地域主導で一時推進されても中央省庁は、(現総務省の自治行政局を基本として)善意思と結果に応じた寛容な理解を示すべき。危急時にいわゆる上位下達のみを盲従させるべきでないし、事後も司法での情状の旨に従順であるべき。

因果応報

日本語は難しいとほざく漫画ジャップ
殺されて当然の邪悪な姦淫漫画で身代を稼ぐ
外国人労働者に次々駆逐されるほどよい
そいつらの眼には死が見えないのだ

頽廃きわまる下賎な淫蕩商売
デジタルカメラで永久に記録される発狂
その女から産まれる下種を養う
その汚れた東京奴隷社会には一銭の価値もない

倭奴は退治するほど平和になる
地球中の宗教に害毒しか用いらない
歪みきった偶像崇拝の悪業
こいつらジャップには未来がない

老人が金と権力をとりしきり
売春罪をあおりまくる地獄社会
きみは復讐のためにあしきジャップへ報復した
あの勇者が公判とやらで首を吊られるのを見た

その極悪関西人はこの東の遠い國へやってきて
下賎きわまる堕落のあおりを生業にした
僕は幼い頃からその醜態をみせられて
この世に絶望しかしなかった

悪徳天皇は「幸せをかみしめています」と言う
これだけ働いた国民の労働を搾取しつつ
「私は戦争には反対だった」とほざく
原子爆弾でやけただれた少女を奴隷慰安婦に

もし極悪倭奴が消え去るなら
それよりいつくしい世界はない
ところがその奴隷以下の倭人雌は
姦淫をまきちらしながら頽廃を尽くす極道

自殺では足りない
最高峰の悲劇が
この島を覆い尽くす事
因果応報が必要なのだ

2010年8月1日

光繊維ウォー

運動がはやる
つきせぬ外回りの雨が
つづく滞りをのべて
現状復帰をねがってるって
唐紅の怒号
たもたれたレモネード
とく輪転
ひばりの陽気
占いの名前なんて
暫くぶりのよっちゃん
金縛った
短歌にゃーむ
ドローイングがねっころがって
泳ぎをよろこばれれ
カジキマグロのよちよち游ぎ
蛹級の感動作
雨垂れた
くらくらなごとごと
はじけた罪
さばさばとふるえては
可ならず不可なれば
おわった
とべましたとさ
高がラーメンマン
トーンダウンな夕闇
すべってころぶマリオ
わた帽子にのった
大凶のおみくじありき
ふわりふうわりとんでく
わた毛にまぎれたビニール袋
だってってことじゃなく
電子網の光繊維ウォー
くぐってみてみたが
くぐつまわしのおふざけ程度
Jamiroなquaiったワナビー
てれてもレッテル
光線銃で順繰り
しらべた遺伝傾向ごと
奴らをディレートする
それだけがたのしみ
このだれひとりいない地上は
みな平和の太洋でごんす

電網警邏の旨

電網上の猥褻物の氾濫や取引をとりしまるには、まず象徴としてこれらを販売している企業法人を監獄に入れる必要があるといえる。第一これらはみな違法行為で看過ごされればされるほど悪くなる。

次にこれらを送信する業者、主にインターネットサーバーを運営している主体を発見次第次々とりしまるべきで、大部分は罰金刑で処する事で公益に類する税収源となる。これらの悪徳者へ還流する金銭は全て悪業だといってよい。

最後に個々人の購買と閲覧への注意および刑罰へ進む。なぜなら全て上述の火の元が断たれないかぎり、各個はほとんど増殖をやめないので火中の栗ひろいのごとく悪意者へのあまり有効な打撃になりづらい。

動物学

同音異義なので場合によっては便利でもあるかもだが、植物遷移での標徴種に対するその種集団で最も特徴たかい動物動向を「表徴種ヒョウチョウシュ」と定義するのは適当。これは潜性形質を含まないので表という文字をあてやすいから。
 又同様に植物群落でいう優占種(代表被度をもつ種)は優先種と呼びかえるといい。というのも動物群は植生より時政の変遷をうけやすいから。