2010年8月26日

知覚基盤理論

時代に関わらない地球神意は常に普遍神意と等しいとは限らないので、普遍神学か知覚基盤外の学問を通してしか認識が普遍理論を得るのは難しい。つまり信仰の立場はその主観を生み出した系統毎に異なる。唯一の科学がありえないのは知覚基盤間の違和から導ける未来。
 彼らが定義したり興味をもつ対象の知覚基盤すら絶対精神でありえない。なぜその理由や知覚が違うだろう。要は絶対知覚による唯一神学はそれが世界内の主観という操られた自由に入る限り必ず構想の限度をもつ点で、比較精神的か客観式でしかない。もし宇宙神話が語られるなら必ずや知覚基盤間の互譲か譲り合いの立場に返る。だから世界哲学か現象論的系統たる事象の知覚は皆自らの依って立つ基盤らしさの探索。
 どの環境認識も現象哲学の場面や部分集合。その為に最も安定した理解は常に知覚基盤間の考えに繋がる総合科学か知恵による。合知識間の論理展開に知覚基盤上の注解や注釈が与えられる程それらの知識系統に為せる文化的敷衍やひきのばしは効き目ある。