2010年8月16日

理想差

個々の感覚基盤やその系統に生じる違いは環境と遺伝、つまり文化か由来の差により、このため幸福基準が交配できる種族間でもかなり異なりつく。我々が知るアリストテレス的幸福主義は実に職業倫理観らしい。結局自らを奴隷としたがる人種も暫しみつけられる。単に由来差の為にさえ。理想的人種は彼らの文化、学問の適所をたのみにした一つの類型。比べて機能を司る各種の分業人は彼らが総合理論へ奉仕するのを恃みにしている。哲学を蔑む作業種は彼らが部分作業を合理化する為にそうなのだ。哲学は教育できず自らの理性の足場から絶えず築き直す建物なのは、このきざはしが実証界に類比できる対象をもたない謂わばクウのありかだから。哲学者は教育や指導から生まれるのではないし、敢えて育てることもできない。実証界の知識にちかしい何らかの由来なき以上、形而上学識は個々人の世界解釈観をこえない。とびぬけた哲学は向学の気質が種族系統へ叶った由来差にありえる。
 考えや理解に偏りがある訳は彼らの由来が形而上学識へどれ程の適応を科したか、乃ち適応すべき認識界の多元な解釈余地やその表象による。浅さは当面した適応課題の系統が爾来、単一や一通りだったので。未知への対策は経験則に関する限り想像できる最善さを形而上認識へ返す。実証界の最大の利点な具体策は趣味を含む理念に叶う時のみ成功し、単に自然状態を乱すわざとしては悪意やその因果応報を免れない筈。