2010年8月21日

論証界

実証認識は論証認識の道具。論証、つまり論理の検証には歴史的実践しかありえない。正しい道義は弁証法自身の中にというより、実践者の史的足取りにしかみつけられない。
 実証認識の級はそれらの系列を正当づける基礎。但し論理展開のあわいには略無際限の可能性や選択肢があるので、論証界での勝率か精確さは情報系列の冗長さに比例する。正しさは彼らが認める到達した理念を冗長さにかけて繰り返し検証した結果でしかなく、歴史観では階になる。最終理念は、理想の働きをこえては世界史観に返る。故論証淘汰、つまり趣味のとがれは最高の理想度を用いる。神格的世界観の程度は彼らが担う社会秩序を環境構成要素で果たす。世界観の完成は必ずや史的生存と神意に等しい。