2010年8月29日

資本主義財政の基礎

基礎収入による労働貧民かそれに類した非消費生態の、貨幣経済への無理なまきこみはあまり有効でないし、倫理的でもない。働かざるもの食うべからずの諺は、勤労の習慣をいざなう為には必須で、もし勤労が害になる社会場でなければこの習慣化の条件付けは全て有用ゆえ。

 極論すれば社会主義政策でしかない。その末路は必ず、社会革命を駆使した諸国同様、経済的没落に終るのが誤りない。だからこの実験を試みたいクニはその単位で悪例として自らの進路を行くべきであり、大多数に迷惑をかけるのは資本主義経済の本旨ではない。
おもにこの議論が起こってきた東京都(つまり人口比率から貧困層も集積した弊害の地)でのみこの基礎収入を与えることにすればいいし、もし全国規模で行いたがる革命思想家風の行政人が現われれば世論や報道での批判や国民選挙へいざなう事で、大部分の国民は危機を回避できる。

 寧ろ大部分の自治体では、かなりの累進課税によって福祉の充実という姿で最低限度の文化的生活保障をひきあげていくのが正道(そもそも財政均衡としてのくりこみ振り子はこの累進税制が担保なのを省みよ)。結局想定できる税収の源が確保されない限りどのばら撒き型政策も現状と同じ赤字財政の連鎖に終る。財政破綻で周辺国家に救済される場合はこの傾向が極端にまで進んでしまったのだろう。
もし福祉国家系列の社会状態が良好にみえたとしても、長い目で見れば一時的に将来世代への借り入れ分を含めた財政投資額が反映されたものでしかなく、財政のみでない国際収支が黒字化のつよい性向をもたねば必ず破綻や国際格差らしい相対した貧困に至る。特に教育以外への過福祉(よって将来世代への過借り入れ)はいずれ回収費の方が高くつく可能性が十分かんがえられるので大いにあやうい。