2006年3月31日

数理

数理哲学が文明を生む源泉であるのは疑う余地がない。故に頭脳ある人間ほど惜しまずこの追求に人生を注ぎ込むべき。

教養水準

衆愚をagitateして乗り切れたのは封建時代の一風にすぎない。Socialismが啓蒙思想を排除する以上、そこに文明化の余地はない。民度の向上こそ文明の主眼。それには教養水準を高めるのが方法だった。

米国の暴力主義

アメリカの覇権は内実暴力主義で、亡命ユダヤ人こそ彼らの文明を造りし大本なるか。独立自由の国風は今や文明日本に移りたり。我々は平和主義の民主国家であるから。万一そうした国家へ敵対したら未来世界史は彼ら敵対者を最悪の野蛮国として永遠にその汚名を記載するだろう。

文士の処世仕方

文士の道に立身出世は頼むべからず。
官に媚びれば世論操作の方便から必ずや自由言論を失うが故に。

 富豪の望みも喜捨して構わず。
余計な金があればtheoriaの為には煩わしいcharity義務が生じるから。


 清貧に甘んじるのは文民福祉の為にまったく良くないが、
かと言って富貴に染まって独裁支配さながら踊り狂うのは大いに考えものだ。
 文士の道は必要にして充分なpositionと所得を中庸維持しながら一命を学術理想に捧げる事にある。

国家論

聖貴富を一身に集めた完全な人間の増殖が現代文明の結論だと述べたてる者は彼ら神民が他国民および異民族を猿同然に見下すのは自然の成りゆき。それが人類普遍の原理だろうか。
 反対に聖貴富それぞれの独立倫理の生育と互恵的向上はやがて国家の解消へ人類史を指導していくだろう。なぜなら独占体制が知的格差に基づく不平等への不満を爆発させ、武威暴力による人間軋轢をもたらすものこそ歴史だった。
 学術家、政治家、経済家の各々が互いの独立と均衡を相尊重する文明の倫理の創生が如何に急務か分かるだろう。でなければどうして民主資本主義の搾取体系極地における人間性の急激な堕落に由来する権威の悪用を防げるか。

文士

富と権力を手に入れ、学問と芸術をも最高度に修めた人に対して、無力で、且つ力も金もない人間がたちむかう。

2006年3月30日

恐るべき相続税の薬害

《相続税》の悪習が日本国力を減退させる根源因であるのは間違いない。
それはそもそも既に末代払って来た所得税に対する二重課税であるばかりか、家族制度を崩壊させ社会風紀の軽薄化と少子高齢化を招いていく。

およそ《相続税》により得を独り占めするのは学閥高級官僚ただ一人だけである。
それは日本名門大学への無知なる狂信の裏に隠された恣意的搾取の体系なのだ。
戦後の急に応じる民度啓発に際して学閥神話は適当だったかも知れないが、
今や大多数のために働くと信頼されていた無能なる官僚こそが悪代官さながらに国民からカネと権力を巻き上げて代々つらつらと満足する国情を嘆くべし。
憂国の文士よ、国賊を討ち日本の明日を拓け。

 『相続税の全廃』を決することは日本人一般の未来の繁栄の為にまず専らの課題だと気づくべし。
なぜならそうして再び培う家族意識の向こうには、地球最高の知性を持つ日本民族の永世に誇る団結共和があるから。
それこそ日本文明が史上はじめて成長するときである。

日本経営

年功序列が組織秩序を保つに有益な制度であったのは事実だが、IT産業への急速な脱皮を身に迫られても未だ旧習に拘るのは愚かと言うしかない。
新成事業に対する学習速度に基づく能力格差を公認し、優秀な若者を可能な限り即刻上任しなければ日本社会が世界経済の落ち零れに堕すのは目に見える。
なぜならボーダレスな市場取引の移動は容易で、日本から財務管理能力が逃げていっても日本人の他、誰も困らないからだ。

儒教の悪弊を断ち切れ。
この大任を託されているのは株主諸氏である。
老廃学閥官僚型経営者の首を新進気鋭の実力派若殿へと即断据え代えるにはあなた方の忠国の義志が必要なのだ。

平成維新

『中流最多の原則』を破らぬ限り、所得格差はどんどん促進されるべきだろう。
なぜなら文明民度の発展は多様性の揺藍中からのみ産まれるのが史実であるから。

税制による調整と能力に応じた分配を公正中庸を保って行わねばならぬ。
 「累進課税を緩和する代わりに消費税率を上げる」のは現代資本民主的政策にとって必然である。
なぜなら富裕の希望を抱かぬ民衆が必死の勤勉を諦めて白けるのは当然であるから。

 東大法学部卒の日本型高級官僚による権益独占が──学閥構造に依存し──そのまま経済体制の左傾に繋がる事態は、明治維新以来の憂国の危機と言わねばならぬ。
平成幕府が民衆からの無条件の信頼を失ったとき再び、ファシストによる軍国化が懸念されるのは自然。
 在野独立文士の使命の重さ思い知るべし。
彼ら報忠志士以外の一体誰が傾国日本の実情を支えられるものか。
マスコミは扇動善用の価値しかない。奴らはまず愚衆のカネを巻き上げるため事態を通俗的に煽るだけが商売であるから。

野望と理想

ヒューマンレースの進化目的がAI付加改良人類の独自の進化方向に対して神民族を生み出すことであるのは否定できない。人類は必然に彼ら神民と万民という迄、極端に差異化していくかも知れない。だが文明とは常に大勢の啓発状態である限り、神民は人類史の先導役として立つに過ぎない。
 未来の吉日、我々は全人間が理想の生活を送れる事を疑わない。

民族

ローマ教皇の権威が幅を効かせたヨーロッパでの永きに渉る迫害史からユダヤ民族は、定住なき生き残りの智恵を否応なしに発達させた。彼らの存在が寛容な気風を有する超大国アメリカの根幹であるのは確かだ。

習慣

悪友断絶と良友親交とは成長の為の最良の習慣である。

血統

血を守る事は単に国家の一時的進退より遥かに大事である。我々の生き身の中には脈々と先祖の遺伝子が息づいている。人類にも混沌度増大則に従って雑種が過半数化していくのは必然。故に地球人たる個性を堅持できる頼みは血統の同一性だけだ。

2006年3月28日

猿まがいの動物の数ならば余るほど増大してきたし、人間なる種もその狭間から立ち上がった進化形にすぎない。

姿

DNAの微差はそのまま人間格差から国間差まで影響を及ぼし、互いを凌ぎ合う。それは、より高等な種を産み出すためであり、より高尚な文明を築き上げるためである。
 なにゆえ? 生き残ろうとする意志の故に。工夫を重ねて雌雄の別を作り上げ、羽を伸ばし、体毛を捨てた。より複雑な細胞配列を目指して次々にめまぐるしく進化していく組織的運動体。有機物をどんどん取り込んでは消化し、己の体系の環境相互作用効率を快苦の理により鍛え上げる。生きては死ぬものたち。
 宇宙が多様化を指揮するなかで人間もまたその手助けをする実在にすぎないのか。競合は所詮、形の多彩に貢献する方法でしかないとすれば。

夜明けのひたち

月あかり夜明けのひたち春待ちぬ

宇宙から観じれば、人も微生物に過ぎない。だがそれはミトコンドリアから見れば巨大な化け物である。ビッグバン以来、太陽の命じるままに生活して来た地球星の一味が、どうしてただ生きているだけで偉大になり得るものか。
 考えれば偉大であり得る、というのも随分簡単な話だ。いや、頭のある生物として、我々にとって考えるほど容易な物事は無いとすら言える。人が考えるのは自然だから。驚くべきは考えるともなく生きている人間であって、そういうものどもはどれだけ苦労をしていると主張してもやはり、どこまでも猿の一種であることを免れない。
 社会状況が許す許さぬがあるにせよ、人が人である最低条件は十分に考えるゆとりがある事だろう。でなければ、歩き始めた幼形成熟の猿に宇宙で、どんな威厳を全うし得ようか。回る地球にへばりつき、太陽に吸い込まれるのを待つ天の川銀河の破片にどんな威信があるというのだろう。

光陰

かなしみ。沢山の人々が産まれ育ち、働いて子どもを育て、また消えていく。まるで海岸に打ちつける波のようにむなしい。泡を帯びて弾け飛び、次々に押し寄せては引き去っていく。どうして君はその戯れに参加して、浮き世のよろこびを味わうあそびをしないのか。なぜ真理を求める。そんなものは何の役にも立ちはしないのに。

作品

生きる人は皆いつか死ぬ。ならば生活とは、時代を確かに歩いた証拠である。

若さ

老いぼれが希望ではなく、諦念に行き着くときは常に、自業自得と呼ばれる。

商い

どうして人は大人になりたがるのか。働けば働く程、己の自由は切り売りされるのに。すべては遊びに過ぎない。難しいのと易しいのと、需要があるのと時に従って要求されるのと、様々ある。
 そして最も手広く売買される人気ある遊び、即ち仕事を求めて狂奔する。

宇宙

さみしさに耐える習練を積むほどに人はますます孤独になる。はるかなる宇宙のどこかに抱かれ揺られて、神の戯れをたのしむ者が。

2006年3月27日

牡丹餅

現代文明は地球的なもの。その基礎は、数学にある。人間の手足の指の総数から考じられたであろう十進法が人間原理に基づくのは疑い難い。生物学的進化の結果として、地球重力の物質環境に適応した手足の指の本数が、宇宙における普遍性の基礎となり得るかは疑問だ。故に、現代文明が真に普遍的で且つ不変の活動であるかは未だ知れない。
 十進法に基づく代数学を只の記号と考え公理として見なさなければ、幾何学に含まれる論理、数学的論理こそ普遍文明への鍵であると分かるだろう。故に、数学を通して科学の全体へと進入し、そこから宇宙の全体系を理解しようとする知的姿勢が人類という生命体にとっては死活の命題だと知れるだろう。
 我々の文明を潤すあらゆる生活の利便は、そのような学者の必死の努力の棚からこぼれ落ちた牡丹餅に過ぎない。かつて科学なきところに生活の安心も理想の幸福もなかった。あらゆる役者が登場し派手に演技をしては消えたが、実質の社会進展は常に、学者の先覚知能が悟った学習成果の伝承に従って来たしこれからもそうだろう。

出来

人の出来が本当に良ければ己の道を見いだすだろう。

人間活動

価値の先進を果たす為に無償の奉仕へ邁進するのを学術と呼ぶ。経済的労働とは金銭利潤を得るための最適化だが、それが搾取と恵与の福祉体系構築の手段模索でしかない限り、本来的に価値を売買する仲介者としてのみ経済は定義され得るだろう。
 果たして政治とは前二者の自由自在の活動を保護養生する為の役である。
 彼らのうちどの役目に就くか、或いは兼任するか、どれもを辞すかは各個人の特性差に応じて適当に調整される。生得習得の体質知能によって色々な人間個性が生まれてくるのはこうした理由がある。
 少なくとも、現代文明における人間活動はこうして定義された。

遊び

学ぶ程に人は、難しい遊びを覚える。勤労とはその言い換え。

愚公

愚かな人間。どうして生きるかも知らず、死を目指して歩く孤独な。国という囲いを設けて同類を差別し、自らの権益を潜在顕在的に伸長させんと欲す。そしてぼりぼりとあれこれ構わず生き物を貪り、自分の肉体と頭脳を満足させる為の活動に東奔西走して過ごす。
 本当にお前たちに生き残る価値があるのか、己の胸に聞くがいい。田畑を耕し工場を造り、事務所に働き機械を弄る。それが君たちの威厳なのならば、人もまた闇雲な生存欲に駆られる哀れな一塊でしかないだろうに。
 海から上がり山を下った。平野に建築し、いつしか都市という自分たちの為の住処を造成した。そこに暮らして日々暇つぶしをする悲しい存在。自ら尊べ。どうして他のどこかに、人間を賤しむ奴がおられようか。お前たちに考えられる以外の理由はないのだから。

形式

自由の至高の形式とは、公共福祉の徳目である。

出世

身代を稼ぐ為に出世に狂奔するのが、蟻の勤勉より優れた行動だとは見なせない。それでも蟻や猿よりは人や神のほうが楽しいものだ。

趣味

己を励ますだけで慰める術を知らない者は、生活という困窮の道を終点まで無事に行き着き得まい。ならば、趣味の予備は肝要。人間、一事に凝るべからず。万事を嗜むこそ長寿の秘訣。真剣を専門のみに費やしてはならぬ。それが人の老衰退歩のはじまりであるから。

桜花

桜花風散り舞って咲き誇る

救済

学べ、されば救われん。

2006年3月25日

女権

女権論者たちは文化的な基礎を早急に無視しようとしているが、高々数十年の運動で原始時代からの習慣を展開出来様筈はない。男女の性差は能力分別にあるのだし、そこにこそ互いに異性を感じて恋愛や異系配偶の生じ得る根拠はあるらしい。
 男女同権が旧弊な平等思想を脱し、進取の等価思想へ至るまで地球人の文化的荒廃はつづく。

この狭い地球船のどこで共存しようという。協和という名目を利用した国際的搾取を推進するのが民族共生理念の専ら。同じ構図は国家間格差として実現していく。人類間相利共生という理想は地球なる宇宙船の中で己の役割を自覚し、それによく勤める意志の先にある。

生物学的には種内競争が自己目的遊戯として昇華されたものなる勉強は、この様にして次第に我々を神格へ導くのである。産業の高度を極めて漸次、最適化分業を装った間接搾取に留めておけ。

自分の小さなことを知らない人は宇宙の偉大さを知れない。繁殖していく生命体に紛れて、己の精神を見失うな。

数学論

数学が普遍的科学の基礎となるのは、それが限界まで不可分な原理的体系だからだ。科学の基礎は数理にある。

勇気

古人の無知と同様に、今人の無知もまた恐ろしいものだ。しかし、それは未来人にとっても例外ではない。

孤高

孤独であるのを恐れる人は、己が地球に所属する生命であるのを知らない。孤高であるのを怖がる人は、自らが宇宙をさすらう旅人であるのを知らない。

科学論

ギリシャ思想の流れを汲む科学が人類史上の最も地球環境適応的な活動である事は最早、地球市民には疑い得ないだろう。少なくとも、科学的哲学は数学的比例に従って最も普遍的な仕事。
 精鋭の文民文士はそれを中心として飽くまで求道すべきであり、成果を福祉哲学の元に普く世界へ敷衍しなければならない。

前後分限

後進俗国へ無償でcharityする程に奴らの心根は腐るだろう。
 搾取とは知能格差に準じた労働分業だと仮定すれば、富貧両国が地球に共存するのは自然な状態と云える。
なぜなら均質平均化した知能群がcreativeであられよう筈もあるまい。

だから恵与は──少なくとも漸次的に──頭脳に秀でた先進国民の趣味でしかないし、そう「でなければならない」。
さもないと国際社会は奴隷国奴を遠慮しつつ容認するに等しい。
つまり国際法上で慈善を義務づけた瞬間、地球には再び主人と奴隷の差別が正当化される。

 さて勤倹でない国風が人類に於いて劣等民族を意味すると主張するのは非人道ではあるが、
文明にadaptativeでない以上、そういう人間種族は社会淘汰の犠牲になるであろう。
若しも人類に神民と獣民の違いが生まれるとすれば、彼らは──種のdiversity保存という命令以上に──幸運にも相利共生し得るだろうか。

甚だ疑問ではあるが、然も生活levelの愕然たるdifferenceは我々の対環境的適応力を高める工夫ではある。
だからglobalism worldはタテマエとしての献身を、ホンネとしての超然を、先進民族へ要求する。

苦難

人生は道を極める事のみ。ただ独りで行け。

智恵

獣へ堕ちるならば、君が人まで上り詰めた苦労は水の泡に同じ。智愚は相対的であるゆえ智者は常に生じる。

2006年3月24日

うらみの代償物

どの兵器も防衛以外が目的なら怨みを買う賤貨に過ぎない。

英雄

彼らが亡くなるのも約束。

2006年3月23日

運動学

相対運動量を基準として物理学的公理にしなければ地動説も天動説も誤りだ。凡そ絶対の静止という事実は理想内にしか無い。

2006年3月22日

主義

浮き世を客観せよ。それには本気の覚悟において戯れから独り離れ、仲間の動向を正道へ指南できる立場にあるべき。

万世の士風を維持するには一命を軽んじる覚悟を自ずから日々養生しなければならない。

2006年3月21日

勤勉

現代文明人の仕事は、宇宙時代の英雄が正義の巧名を挙げる一助となる事。身体を養生しながら勉強努力を積み重ねて社会改良を究め、地球人類の栄光を顕す人物を育む環境の建設を懸命に行わなければならない。

地球と呼ばれる球に包まれて育った。宇宙に浮かんだ青い塊。いつか太陽へ呑み込まれる球体に生じた、不思議なもの。

Kalokagathia

倫理と思慮の判断は常に、実践、経験から学び取る事で成長していく。この点で、アリストテレス的幸福、理論のみの目的追求は、完全に立派な人間を造るには足らない。
 理論・実践・技術の三面を等価的に高めることが、人を神性へと導き高める。
 従って、文明形態もまたそう。理論文明、学術。実践文明、政治。技術文明、経済。これらを社会人として等価視し、共に高める努力こそ文明人の求道と向上に相応しい。

2006年3月18日

文芸論

文学、学ばれる側に立った文芸固有の使命は、概念構成の工夫によって、社会風紀を美化するにある。無数の俗醜文芸を侮蔑してよい。微妙を語る手法こそ様式と呼ばれる。究極の様式を表現する文体を鍛える事こそ文芸たれ。

文の効果

文章表現としての文学がどの様な価値を持ち得るか。言葉が形づくる概念を組み重ね合わせて、何らかの興味ある面白い展望に到達しようとする、永く儚い試み。各国語という枠組みを利用する限り存在する文化的構造を内に秘めて、より普遍へと近づこうとする限りない挑み。それは我々の価値観や観点を多彩にし、思想を豊富に、想像を慎重にする。文物は私達を一体どこへ連れて行くのか。
 広い宇宙の一形として、その文章は何を我らへ問い掛けているのだろう。文芸は積み木あそびと似ている。文豪たらん者は、知らないことはない言の葉を色どり生やす立派な大木であれ。そして世の中の雰囲気を美風へ絶えず導いてゆけ。

2006年3月17日

啓蒙

獣からやって来たその道を、どうして振り返ることがあるものか。

地球の文民度

文明とは国家の民度に在る。これを星間規模で観れば地球の民度に因る。

公用語の併呑

Englishの日本語への導入は将来、世界公用語を呑み込むに至るべし。

国土論

永続して無数の聖を産出する国土こそ不変であるべき。

教育改革案

学歴があっても学力がなければ健全な文明をつくる事はできない。アメリカは知的階級による先制支配構造を合理化するプラグマティズムによって、世界に類のない巨大格差社会をも作り上げてしまった。配分はするが調整は進んでしない正義とは、即ち不平等加速の悪戯でしかない。日本はその様な例に則ることなく、所得および学歴も飽くまで指標の1つに過ぎないというゆとりある価値観を展開すべきだ。そして真の学力は外的権威に依存しない、個人の独立した努力によるという成功者の気風を養生し続けなければならない。独学の大成者が少なからず出るのを期待する。後世への勇気感化力の故に天才にはこの道を勧める。勿論、独創性の為の独学のみを学術研究の要点だと見なすのは社会全体の水準の維持から考えて危険なので、学閥・学歴・学力の三種の指標が共存する教養体系を国民が納得することは必要である。そして次第に政治や経済の分野と学究の意義が離立して成長する様に、専門教育という枠組みを発展させ教育改造していくべきだろう。専門教育・一般教育・研究教育はそれぞれ全く目的が異なる。専門学校で為すべき専門教育は政治あるいは経済または特定の専門的職業について活躍し得る人材を育成するもの。大学で為すべき一般教育は教養をつけるもの。大学院で為すべき研究教育は研究者として独立させるもの。
 寛大な入学体制。面接なしに入学動機を知ることはできない。全入時代以後は、現時的知識を試験し学生をふるい落とす為ではなく、よく勉強する学生を招き入れる為の面接による動機づけの確認こそが重視されるべきである。それは在学年次をどれだけ認めても卒業へ厳しい目を向けることで、功利的な学校収入と生徒の頑張りを引き出し、しかも社会からの卒業生への信頼度を高める。

2006年3月16日

神民

神民としての先導使命を終えた人類共生の太平時代の為に、密やかに伝統の協和の姿勢をも育んでおけ。

数学論

数学を勉強しない限り、神の文明は築けない。

2006年3月15日

孝と実徳

年上だから無条件に敬えと言った孔孟両氏は、仏陀の「ただ年をとっただけならば「ばかになって老いぼれた人」と言われる」に対して加齢自体を価値化している幣がある。
 実徳第一の習慣を身に着けない限り、社会的抑圧による文明損失の穴は防げない。

健康

国際間競技人口の能力差は、国の健康状態を測る一つの指標になる。

向上

どれだけ向上してもし過ぎるという事は有り得ない。君は生きる限り、その向こうへと歩み続けて行く。

勉強

寸暇を惜しんで勉強せよ。君が大学者と成るに依って、後世の進歩は測られるから。

2006年3月14日

貧乏より恐ろしいのは只、無学であるということだ。

神性及び精神性

宇宙はentropyを増大させて一体何をしたいのか。事実を観測する我々は遅かれ早かれそれらを理論化して宇宙の未来図を見知るだろう。しかし、宇宙自体は方法を教えるが、理由、なぜ作ったかを教えてはくれない。哲学が為すべき使命はこの理由を考え出すことだ。それは科学では不可能な仕事であり、だからこそ哲学という営みは言語の用法についての熟慮以上に未だ意義がある。
 実践理性の転回。乃ち自ら理由を生み出す主体としての理性。そして君は、少なくとも人間にとっての宇宙の理由は文明にある、と思う。最大多数の最高幸福を目指す福祉行為は人生の普遍目的故。しかし、なぜ宇宙はこうして我々を何の理由もない世界へ放り出したのだろう。精神だけが自由を知る。そして思考は理由を探して思考し続けて行く。宇宙の理由は思考。けれどその理由がどうしてこんなにも理性中心主義に至らなければならないのだろう。どこ迄も広がる宇宙において、どうして理性だけが完全であり得るだろう。精神はどうしてそこまで自尊するのか。彼自身が神である様に。
 哲学的に内省することは自身を神らしさへと高めて行く。それは我々の道徳性を鍛え上げる方法だった。

反面教師

悪人や愚者に怨まれるようでは足らない。そういう者に呆れられ無視されるべきだ。

天性

独創的天才ある若者が、この前近代的社会に適応する方法。じっと雌伏の時に甘んじ、確かに圧倒的な実力を密かに蓄えておけ。いざ既得権益層が死に絶えたならば一気に権勢を握って、社会体制をひっくり返せ。それまで決して目立ってはならない。世間の表から絶対に姿を隠せ。なぜなら馬鹿の社会で才知らしく振る舞おうものならば、異分子として由なく排除されるだけだ。

2006年3月13日

物理学

光子の性質。質量とEnergieの媒介として、なぜ2という値が出るか。及び電磁気力のゲージ粒子としての性質を調和させる思考。どうして光速が最速と定義されなければならないのか、その人間原理的考察を数式化して考えよ。
 斥力子について。宇宙項の正体としてのentropy増大則との関係。引力子との相互関係。場との相互作用。
 素粒子が最小の物質単位だとする確実な根拠の有無を確認する事。宇宙の淵の実際的運動の観測方法。

文明

文明は人という種を効率よく繁栄させる為の環境改造だと言える。そして更には地球型の生命の、生存の存続に依る形の多様化という宇宙の目的にも適う改造である。

有性生物の中庸

凡そ人間にし得る最も愚かしい第一事は、淫乱に耽ること、言い換えれば浮気だろう。それは浪費的かつ非生産的な上、獣より下等な戯れに依りて頭をますます悪くするだけだ。しかもそういう知恵無き個体がますます手に余る数の子を、大量かつ低質に造るのも社会全体の不幸を増大させる以上、功利悪と見なさないわけにはいかない。とは言え性に全く興味が無い、つまり機械的無感動というものも哺乳類として考え物。そういう個体は大抵、別の領域で不健全を増大させるか或いは不健康に陥って早死にするだろう。
 アリストテレス式に中庸を取って、放縦と鈍感の間にある羞恥とか節制とかの洗練された習慣を身に着けるべきだろう。

学者

如何なる困難に遭おうとも学び続ける姿勢。

2006年3月11日

赤子

闇の向こうに見える一筋の光明に手を伸ばしている。君はどんな夢を探しているのか。無数の命が様々に活動しているその一部として、暗黒の夜空の果てに何を創造しているのか。美しいものは唯、君を含めた宇宙だけだ。そして君は、そのつぶらな瞳でいったい、何を見つめているのか。
 産まれたばかりの赤ん坊。君が限りない成長を遂げることを私は心から願っている。そしていつか幸福の何たるかを知り、理想の生活を送ってくれることを。

運命

愚かな運命。君が選ぶ道は全て空ろな虚栄心を満たす為の方便なのではないか。
 巷を見渡したまえ。幾らでも溢れる生き物の一人に過ぎない君が、どうして全知全能の神様と等しい聖者であり得るものか。

勉強

野生人も文明人も等しく人間として多かれ少なかれの意識を伴って生まれる。暗黒古代の奴隷文化、原子爆弾の投下悲劇、大量虐殺とテロリズム。死刑や暗殺。事故や夭逝。我々には震え上がるほど恐ろしい聞くも無惨な過去しか見つからない様ではある。更に遡れば海の底での激しい食い合い、大海での追っかけっこ、やっと逃れた地上での食分支配闘争、突如としての震える寒さの到来、巨大隕石の衝突による悲劇、地震と噴火に伴う大陸移動、魚類は両生類や爬虫類から昆虫や鳥やほ乳類に進化して尚且つ闘争から逃れんとし、オランウータンの野蛮世界を嫌悪して自由の草原を目指して平野に出た類人猿は二足歩行を工夫して権力を伸ばし、今や君は社会制度に組み込まれた人間として多少なりとも知的な筈の種内競争に日々駆られる。
 しかし、それらの生存競争の地獄は、野蛮人を文明人が知力で啓蒙するに従って次第に楽園へ向かっているのは疑い難い事実だろう。これは功利主義によって合理化された。君はそうして天国の建設作業員として明日も自由という仕事に従事するのであり、それは野生の性質を少しずつ除去し、代わりに文化的で精神的な生活を手に入れようとする人類という生命体による共生体系創造の試みなのだ。
 だから君よ、己は幸福だと思うと良い。少なくとも壮絶な生存競争の真っ只中から次第に抜け出して来れた幸運を祝して。
 尤も、我々地球型生物が諸銀河の中でどれだけの生態系地位に就き得る潜在能力を秘めているかは疑問だが。しばしば我々の一部は自信過剰のあまり「考える葦は宇宙より偉大だ」と信念して来たが、そう開き直った生命体を宇宙そのものが産み落としてくれた事実を省みれば親への冒涜に等しいとしか言えまい。また更には大した根拠もなく大道とか神の被造物とか適当な文句を並べて、己の置かれたいつ自然宇宙の不確定かつ必然な要素によって絶滅するとも知れない身の上を安心させようと自己暗示に掛けて来たが、少なくとも人類の大半を看る限り猿と大して変わらない程度の知性で毎日喧嘩や下らない利益の分け前漁りに必死なのである。挙げ句には神とか造物主とか適当な形而上学的観念に適当な理念を据え付けて殺し合う。馬鹿な奴らだ。そして何事も知らぬままで何れ来るかわからない死の恐怖に怯えおののきながら交情紛いの戯れに逃げ込むや否や、少なくとも生存の可能性を高める為にそうありたいと努力する知的な人々を心理学的に反動形成あるいは合理化せんと恥ずかしげも反省の善もなく蔑み、風の前の塵と変わらぬ浮き身を費やす。汚らわしくも哀れな死骸共め。
 どれだけ知能を高めても高め過ぎるということは無いし、凡そ地球型生物の最初の対外権義を主張し得る根拠はそこにだけなのに。それともライオンにすらいたく劣る我々の肉体の趣味たる競技で、それを果たし得ると主張する人類には愚者と呼ばれて相応しい基礎があると考えられねばならぬ筈。或いは人類は地球の生物界で最長の時間走り続けると反論する猿には太平洋を超えて渡る鳥達の筋肉でも食わせて慰めにせよ。
 もしも人間が彼ら偉大な種類を消化しても罪にならないとすればそれは貴様の知能を少しでも養う為なのだ。とは言え、菜食主義者にとってはそれも当たらぬ以上、やはり貴様達は仮想の地球の支配者であると言うしかない。ならば、君達自身の進化の道程は己の知的探求の先にしかないだろう。

社交

交際好きな人の気が知れない。猿と会話しなくても良い日々がどんなに気楽か知れるのなら。

子ども

泉の様に湧き出してやまない限りない好奇心と永遠の子ども。

自然科学

太陽系から観測予想できるだけでも、宇宙の構造は極めて緻密かつ多彩でその巧みさは芸術家の力を遥かに超えている。だからそれを創った工匠を、創作者とひいき目に見て別格扱いしたのは古人の知恵と呼ぶべきだろう。その知的設計論の想像が果たして真理かどうかは別に、宇宙はエネルギーによってかくも複雑にばら撒かれる。どうしてそうなのだろうか。永遠にこう問い続ける驚きの遊びが、自然科学である。

威厳

人類悠久の歴史の最初期に属して地球型生物の威信を全うするが為に尽くされた命。

Essay

まつり
 真に聖者たらんと欲すれば、同時代人の戯れからできるだけ身を退けるが良い。
彼らの大半はつまらない問題に一喜一憂し、お祭り騒ぎが大好きな阿呆だと思うと良い。

独立の威厳が生物の統率にある、と君が幸運にも覚めるなら尚更。

科学論

君の同時代人を信じる可らず。先祖の必死の思考の蓄積だけが信じるに足る確実。

物理学

秩序と混沌の関係を普遍理論で説明せよ。自己相似形の化学的運動の原理と、散逸構造の飽和創生がどの様に宇宙のprocessを形成しているのか。それは人間自身の思考や論理方法にも適合し、post構造主義哲学を洛中し得る理論にまとめられる。
 秩序と混沌の物理学的定義を行え。及びその関係について説明する用語を造る。

怨むべきもの

怨むべきは人間の愚かさだけだ。

数学

数学自体を体系づける事。どの様な展開を経て今日の論理的思考様式の根幹に成ったかを論証する手順を考えよ。その発展の理論を数学的に論証する事。
 数学の始源と未来、その生物学的および人類史的意味。

生物学

ヒトという猿が盛んに繁殖するのはなぜか。種が多様化するのはentropy増大則に従う有機体式物理。
 世に言う恋愛がpheromon質の四次元的交易であること、及びその法則がヒト型生物では如何に体系づけられるか証明せよ。亦そこから社会体制としてどんなものを作り上げておくのがふさわしいか。知能の発達が幼形成熟や心理的抑圧と如何に併行して来たか、及びその社会学的意義と未来像を研究し論文にまとめる日時を決定せよ。誰の手をどの程度いかなる互恵で借りるに足るか。

物理学

あらゆる永久機関が論理的に不可能であることを数学で論証せよ。それから工夫の可能性としては、automation装置へ限りなく漸近させ得る事と熱効率を限りなく100%へ近づけ得る事を数学および歴史的実例で説明せよ。
 それから実際に作る事。最初に残り人生時間と人類の知的可能性を見通して最適な計画。方法論と実例を鑑みて考え、どうすればその時代の技術力範囲で可能かを見極め、己の事業力および法治力の限り知的生命間に豊かなEnergieの泉を建設したまえ。先ず安全化、そして小型化、簡易化、利便化を市場機構を利用して推進する筋道と具体的方策。
 抑止力の先の絶対的情報公開の法規的原則の適度な時期に基づけ。

2006年3月10日

整理されない本棚

好奇心を伴わない勉強はおしなべて意味を為さない。それは惰眠や飽食および淫乱に似て、健康を害するばかりではなく、そうして無理に詰め込まれた知識はみんな時と共に零れ落ちてしまう。なぜなら整理されない本棚は使用法が無いのだから。

手順

小さな成功を積み重ねると同時に虚栄を捨て去って行くことが大成の手順。

科学論

数学および体系的学習を怠らなければ、独りで学んでも大勢でそうしても同じようなものだ。哲学的精神の無い者は沢山に紛れないと学ばない。また集団の中では頻繁な情報交換や切磋琢磨の関係が出来上がる分だけ有利かもしれない。しかし、独創は独学から生まれる。

神様

麗しい若者よ、君はなぜそんなに苦学するのか。世の中を診たまえ。大勢は常に愚かしい。猿と変わらぬ戯れ事にどうして君も混ざらないのか。奴らは余程満足している。馬鹿げたお喋りと青春の浪費にね。どうしてそれを一緒になって謳歌しないものか。
 君は一体何と戦っているんだ。賢者が教える通り、老いた後の悠々閑寂たる生活での自尊自足の為に、その若い有り余るエネルギーを投資しようとしている。そして死して聖者の列に加わって、君は満足するのか。
 生きる意味を追い求める者、若い者。低級な充足の為に社会へ順応していく同級生に別れを告げよ。君が歩く道は険しいが、楽しく、高らかな道だろう。そして終点に着いたとき、君は白髪の老人になって宇宙の体系を何もかも悟り、地上の数々の遊びの群れを天から見下ろす。君はそのまま努力を続ければ間違いなく、神様になれるだろう。だが神様が何だというのか。君は新しい哺乳類に過ぎない。どれだけ成熟しても、君は進化した猿の一種でしかない。たとえ神様のような猿だとしても、君はやはり、獣じみた習性、呼吸や食や睡眠や性や排泄や運動や休息からは逃れられない。そんな神にどの程度の意義があるか、高が知れたものではないか。

虚栄

人生が如何に延長されようともその全体は常に、永久に湧き出る野心よりはずっと短いであろう。しかし人は人生を可能な限り適切な計画で処し、日々をその実現へと仕向けて何事かを成し遂げなければならない。でなければ虚栄から免れない。

幸福について

本当の幸福とは何か。その一身が宇宙の目的に役立つことだろう。では、宇宙の目的とは何か。宇宙は我々を揺藍し、自由に甘えさせる。目的さえも自由に考えさせる。宇宙の目的は自由。ならば、自由の役に立つことが君の一番の幸福ではないのか。
 どうやればよく自由に益するか案じよ。各自が分を守って、幸福の追求をできることが自由の最高の形だろう。世界を自由主義化することはこうして幸福の福祉。近代という世界観はそこでひとつの区切りをもたらす。自由主義への信念が、幸福なるものの究極の形だから。

2006年3月9日

知的猿

孤独な旅人、君は何を探して歩いていくんだ。数え切れない人波のどこかに潜んで、その一対の目は何を見つめているのか。産まれた理由を探し、天を遊ぶ自由者。君は世界に居合わせて、やがて老いて死ぬ。
 宇宙は広がっているし、広がっていく。そんな舞台に浴して文明を築く、知的猿。君がどうやって生きるべきなのか問い続けたまえ。なぜ君が産まれたのか考えなければならない。

物理学

君が生活している世界は、4次元として運動している。宇宙は君の想像力の中で「事実」として始まり、対称性をどんどん崩しながら延長していく。精神しか理由を問えないのだから、宇宙は精神によって創られていると言うことができる。けれども、人は地球という天の川銀河の太陽系の1惑星に発生した有機体の過程に過ぎないのだし、精神は何も超越的な形而上観念ではなくて、そういう人の頭脳が有するようになった思考のsystemでしかない。言い換えれば考えるということも四次元時空間の運動に還元できる宇宙の形である。
 そこで思うのだが、宇宙がなぜ始まったのかと問うことは精神独自の抽象思考作用であり、必ずや科学では答えられない。どうしてかと云えば事実を追ってもEnergieがどの様に世界を造り上げているかしか分からないからだ。要するになぜという理由に解答するのは人間精神の仕事なのだ。だから私は、人間こそがCreaterだと主張したい。
 宇宙に終わりがあるか否か、もしあるとすればどんな風になって行くのかを我々はよく調べていく必要がある。そこにも新しいhintがあるかもしれないから。
 第一に、最初の対称性の乱れを引き起こした原因(それがEnergieの証拠なのだが)を究明しなければならない。そうすればどうしてentropyが増大するのか、その仕組みも分かるだろう。うまく行けば宇宙がどんな風に構成されていく運命にあるのかも理解されてくる。そして宇宙の未来像についても予見していくことができるだろう。
 カオスが永久に広がっていくのか、それともある時点で別の展開を取るのかを知るなら、それは地球から産まれた生命体がどの程度の先まで生存する見込みがあるかを明らかにすることができるかも知れない。
 仮説。宇宙は精神自身が創り上げるgame programであり、それを遊ぶ為に精神は思考作用として実在する。しかしこれは独我論的超越一元論とでもいうべき思想の一種に過ぎないし、科学へ半永久的に随伴できるようなideaだとも思われないから、精神一元論としての哲学的仮説に留めておくしかない。
 相対宇宙観とでもいうべき複数の宇宙が存在する、という考えがある。Inflation理論の延長上にあるものだ。それは精神の実在、我思う故に我ありを相対化する可能性がある。即ち精神が偶然の産物である、と証明し得るかも知れない。だとすれば上記の精神一元論は浅考でしかなくなる。なぜなら偶然の産物が宇宙を想像で創り上げたというのはつくりあげに過ぎないだろうから。
 最初のEnergieが発生した経緯を厳密に証明する方法。4つの力の創造的過程を数学的に論証せよ。ホーキングの宇宙modelが後に収縮に転じて潰れる、という観点で完結していなければならない根拠。それは宇宙が寿命あるという意味で、生命の絶滅をも必然づけるが故に、アインシュタイン的定常宇宙modelより人間原理的ではない。なぜEnergie不変則が成立するか、理屈と原因。それは全現象は対称性の揺らぎにすぎないから。しかし、なぜ最初の「対称性自体」が存在するのか。この問いは間違っている。なぜなら対称性の完全な均衡は無限に等しい対生滅であり、言い換えれば無自体だから存在しないと定義するのが正しい。
 宇宙modelを形成する理由を中正的人間原理に置くことが科学的であるか否か。人間原理を導入することがそもそも科学的か否かが問われなければならない。永久の生存と文明的繁栄という地球の知的生命にとって本来固有の希望を含めたmodelを中正人間原理的に選択する行為が科学的であるかどうか考え答えよ。
 虚時間の導入で特異点を解消し、あらゆる存在を普通化し得たとして、どうしてホーキングは最終的に再びあらゆる時空が終わるようなmodelに至ったかの論理的processとそう考えた根拠。
 Entropyの増大が具体的にどんなmicro物理、量子力学を辿って成立するのか。それが将来的に無際限かどうかを調べよ。Macro levelではどうなるのか。相対論の歴史的敷衍及び両者の関係。引力の理屈と光速度不変の由縁。もしもあらゆる存在が対称性を物質の運動に変換しただけに過ぎないとすれば、宇宙斥力は必要に駆られた突飛な無根拠定数では無く、万有斥力と呼ぶべき反引力の新種の力なのではないのか。
 ならば、その観測上の証拠から帰納して、十分な天文学的説明をし得る体系に繋げよ。
 なぜblack holeは造られたのか。その道徳的理由。どうしてなら、そのお陰で宇宙飛行士は常に万が一の多大な恐怖を感じていなければならない。物理学的に幸福とはどんな作用なのか。思考とは何の意義を持つのか、未知の万有理論から演繹せよ。
 人間存在あるいは精神作用の物理学的根拠と、その意義を答えよ。文明とは物理学的にどんな行為なのか。

2006年3月8日

宗教論

日本の神道という自然崇拝から、神仏儒および密かなキリスト教などの等価的多神教への移行、そして天皇に対する一神教の段階を経て、現代の形而上学的法治制へと転換した経過には、殆どの時代で信教への寛容があったことは生来の母なる自然への甘えの生き方がもたらしたのかもしれない。多岐に渉る信教の養生は日本人の中に無意識的pragmatismを芽生えさせてきたから。いわば日本人の殆どは、時勢に合わせて信念を取捨選択し、ある場合にはそれに料理を加えて自然に道を造り上げる。神道、武士道はその典型であり、恐らく日本人の大勢は、気づかぬまま根本的には老荘的道教に確信的基礎を置いている。しかしその非実用的な方法論の部分に対する懐疑から、飽くまでも方便として時代に応じた道徳的主人公=模範的人格者の志す道を用意する工夫があるのだ。

競技論

頭脳的な創造力を全面に推し出すスタイルについて。組織連携の巧み、忠義の再生。

過去の学習

未来型の急激な進歩に着いて来れず、挫折し老衰したがる人々の為に、古風の引用を未来式現代人は習慣づけなければならない。その為にこそ進歩人により過去は趣味的に博く学ばれるべきなのだろう。

改良

文明化は分業の能率化という方法論に則って専門という観念を合理化した。それは限りなければならない人生時間に対して、生来の能力差について職業の可能な限りの趣味的配属により、業績選択の自由を各自が時間割できるようにした歴史的な構造のアイデアではあった。しかし我々は産業の自動化の結果ゆとりを得るに従って、それを脱構築するだろう。
 専門は死語として葬られ、現業とかもっと後には夢中が代わりの用語として普通化しなければならなくなるだろう。個々人における知性および知的更新の速度を高めることは自体、生活の改良と進歩を促すから。

2006年3月7日

講義

道徳哲学はその実現の為の最良の方法を考える仕組みとして、我々の知的営為を超現象的かつ漸進的に導く。哲学的探求の成果は、文学的仮想性の想起的敷衍力を手段として人間社会へ講義されていく。

自由郷

精神にとって入用なのは、地球人類および諸生命にとっての自由郷をもたらす為の道徳哲学であり、先進国にとっての搾取合理化の思考様式ではない。だからそのideaはより普通でなければならず、また分かり易く、しかも再創造的でなければならない。

実用主義の脱構築

全てのismは文化的土壌を背景に持つ構造的知的産物に過ぎないが、pragmatismはその究極的な自己中心性すなわちヘーゲル的我を要請する前提にある限りにおいて普遍哲学でありえない。我々は諸法無我の先に非我の超越的立場から世界を論究する必要がある。でなければ実用主義に内在するAmericanismを脱構築する事はできない。

まつりごと

異質な言語間および民主政治国家間に、無際限な目的言説空間が公開される環境の要求を一般化する事は、今日の政治哲学の永久の主題である、と思われなければならない。故に、趣味主義はこの為の超越的中正者の立場を提供する。一個体に属するあらゆる政治的活動をも再創造と見なす限りにおいて、それは遊戯的まつりごとの絶えざる自己更新に過ぎないから。

脱構築と趣味主義

脱構築哲学の主要命題は、異言語間に存するnuanceの差異を究明するという言語学的使命でしかないだろう。趣味主義はそれを他のあらゆる問題との格闘と同じように、暇つぶしの一種と見なすだろう。そして言語が哲学にとって道具でしかない限り、到達すべき目的は概念という方法による善の理でしかない。乃ち我々が実存する限り、哲学という論究は、論理学の実践的応用として続けられる再創造。

人間原理の論究

文明とは整然とした秩序を再創造すること。宇宙とは雑然とした無秩序を創造すること。
精神⊇無限⊇宇宙⊇文明
 思うに、世界は仮想であり、真に現実であるものとは精神という反省的想像力でしかない。それは言語概念の認識力が創造主自体であることに等しい。つまり我々は考えることを通して世界を理想通りに創り、またそれを己の才力向上の臨界が到達し得る限りにおいて遊ぶ。

自治考

堀江門殿を地方知事までにさせておく用心は既に万人持つべきだ。
我々は二度とfascismへと軌道を逸らすべきではないから。

国家

国家はその母集合の為にも尽くさねばならない。

長い旅路だ。月明かりが君の足元を照らす。闇の奥に何か、本当に大切なものを探し求めている。
 完全無欠な孤独の先に、君はどんな道を求めているのか。誰もそれを知らない、知れない。君にしか見つけ出せない自由がある。天から地から笑い声が聞こえる。愚かしい奴だ。お前の為の約束された場所など存在しない。まるで神様気取りだ。馬鹿馬鹿しい、我々はサルの子孫に過ぎないのにね。けれど、君は歩き続ける。まだ知らないことを知りたい。誰も行ったことのない場所へ行きたい。宇宙の果てに何があるのか。それは君にしか見つけられないだろう。

舞台

宇宙環境は精神自身がつくりあげた舞台でしかないと考える他ない。それを知り得るのは精神だけ故。こういう考えは、創造主なる観念を物理学的に定義できないような超人間的人格神であると考える旧約聖書原典主義墨守の知識人の一部には理解され難いが、結局のところ、人間原理はそう教えているし、またそれは宇宙創造の理由であるしかない。いいかえれば、我々の精神の構想が宇宙という対象に揺らぎつまり物質運動を与えている。科学的追究は知識の再構成であって、ideaの創造ではないから。要するに知識は環境から自由な形而上的創造力ではありえない、受け取るものにすぎない。
 精神自身が宇宙を無、完全的な真空状態から創り、しかも数学的な手段で論理的に追究して再理解しようとしているのだ。よって我々は創造者であり、再創造者でもある。我々は宇宙という舞台を遊ぶ為に自ら創った主体にすぎない。

宇宙の目的

Entropyはなぜ増大するか、対称性の乱れすなわち揺らぎによる。しかし、理論(純粋)理性には、唯数学的な必然としてしか揺らぎの原因を説明できない。ここで、実践理性的な無形観念に過ぎないとしても仮に人間原理を持ち出せば、我々がいるから宇宙はこう有るというのが恐らくは宇宙論の終局をいいあてている。そして哲学は漸次的entropyの増大に対して人間生命が如何に処遇すべきかを問うだろう。以下その理由の説明。なぜ宇宙が多様化するか、という命題に対する科学的論証は次の通り。対称性は人間原理に従って乱れ出した。宇宙はそれ以来、延長を続けていく。即ちentropyは増大する。
 今後宇宙物理学の探求すべき課題は、普遍的な万有理論へと揺らぎの基本運動を論証づけ、更に実証的に確認し、そして正確な宇宙の未来を予想する為に宇宙の展望を見つけ出す論究。故に、我々はその様な環境に自ら在るもの、デカルト的精神として生活するので、宇宙の目的を知る様に努めねばならない。ならば我々の考えるべき命題とは、宇宙の目的を悟り知り科学すなわち純粋理性に因って、精神の目的を自覚し哲学すなわち実践理性に因って、そして文明として宇宙の人間的形態を再創造すること芸術すなわち技術理性に因って。
 所で宇宙の目的とは一体何だろうか。多様化自体が目的でしかないだろう。そして精神の目的は、その様な整理された環境を悟りえることだ。
 さて人間生命とは、物質宇宙と精神作用を調和させた動く形として固有の目的を持つ。それは彼らにしか為しえない形であり、つまり一様な法則によって多様な表現を取る様な文明。文明は人間の目的として秩序ある宇宙形態を作り上げ、生命にとっては幸福の永久繁栄を、環境にとっては点景として映えさせる。

極東論

古代中国文明、四書五経は勿論、儒学と漢語文化圏の精華はミュージアム化され保存されるべきだ。

2006年3月6日

魂の精華

人間性は獣性から遠ざかり、神性へ近づく程に崇高な価値を有する。そして我々の進化の自然な道理から云って、どれだけ神化してもし過ぎることは無い。しかし人は又、どれだけの聖者ですら単に頭の抜群に良い二足歩行型ホ乳類でしかないという運命から免れ得ないことを知っている。故に、人生普通の意義とは聖化という作用そのものにしか見いだし得ないだろう。

謙虚の風

無償の慈善事業を幾ら行おうとも羨望や嫉妬の前に、謙遜のし過ぎはない。卑屈にも傲慢にも陥らず、時と場合の中庸を択んだ謙虚が国風に習性化されるべきだ。

せりふ

私は宇宙の指揮者になりたい。

美の理、芸術性は、宇宙の精神的形のこと。それは理論と実践とを止揚して創出された技術によって我々に感銘をもたらす。

芸術論

芸術とは宇宙に内在する美の理を形相へと外在させる技術。それは純粋抽象造形に至って、人類における究極の普遍性を獲得する。美の理想は純粋抽象造形で具体的に実現される。そして我々にとって、芸術は文明の理想郷という暮らすべき環境を作る為の方法にすぎない。それは創造的適応活動であり、宇宙形態の、自由行為という人間原理的事実による能動的改造。

人生

己の欠点を補い続ける遊びとして。

芸術

人間のつくり得る最美たる芸術、文明という未完の作品のみ。

天啓

人間よ、
君が暮らす世界をより良くし給え。

その為に最もよい方法は、自らの余剰の分の時間を学究に使うことだ。
なぜなら君達の知能こそが我々の社会を文明天興へ導き得るのだから。

内省

哲学はその批判精神に由縁して、方法的懐疑という人類にとって最も普遍的な信仰である。

科学論

宇宙の目的を知ることは人類の最も高級な求道であり、それは科学によって可能である。

適応的思念

あらゆる宗教的信仰は、適応的思念を生み出す為の習慣づけだろう。しかし、真に普遍的な信仰は科学理論への方法的懐疑の中にのみ見いだしうる。なぜならそれは疑い得ない事実の証明体系への絶え間ない自主確認作業であり、現代までの人類に可能な限り最も普遍的にして地球環境適応的な活動。我々はその反省的創造力を哲学と名づけている。つまり最高の道徳者にとって普通に信じるに足るものは哲学だけ。

最美

最美とは、未完なるもの。

強さ

己の命を、初めから無いものと見なすこと、宇宙至崇の価値と悟ること。

孤高

もし君が人類史上最高の英雄だったとして、それが何だと言うのだろう。いつもの小人と同じく、多少の子孫を残し、多少の偉業を刻んで死ぬだけだ。
 それでも君は自分を鍛えた。ただ、生きる為に道を求めて。

現代経済主導

現代経営の主眼は、途上地域の為に『無償の学校』を恵与することにあると知るべきだ。
なぜなら知的格差だけが人類に悲劇をもたらす原因だから。
 この為の形は問わない。ITを利用しても、原始的な口頭教授でも良い。生徒の自主勉強を生かす為に組織しなければならぬ。

善理に聡い現代経済人はそれを目的として資本主義の頂上へ生涯君臨し続ける気概を持たねばならぬ。

2006年3月5日

理想郷建設業の見極め

現代経済の最高の形式は、資本家自らによる社会福祉の実践にある。

故に、理想の福祉施設は何よりも「民営」でなければならぬ。
これは経済人民自身の自己啓発次第だ。

つまり富の最も価値ある使用法とは、『公的利便の工夫』でしかない。
資本主義がマルクス式共産主義より文明善に適うとすれば、以上の如き仕事に対する知能最適差に応じた職種配分の原理に基づく。

 そして資本主義市場生産の追求は自然に、理想郷建設の為の最も正確なrouteだと悟る可だ。

経済学

資本主義の目的。純粋な個人的贅沢には上限がある以上、資本主義の目的は常に、社会福祉の効率化にある。故に社会機構内部で所得格差は当然ながら是認されるべきであり、政府の経済的役割は中流最多の調整に限定されなければならない。

天国

地球人はおもちゃ箱の中に放り出された人形に似ている。宇宙になぜ実存するかも知らず、今も広がり続ける創造的想像力の上に遊ぶ自由者。
 文明を天国と為し、それから君達は何ものに成るのか。地球が太陽に引き寄せられ地上は熱帯となり、南北極は溶解して地表が埋められ、海水は蒸発してサウナの如き差ほど遠くはない将来のために考え通しておけ。

学校

学校は勉強の習慣をつける為だけに利用される可。

冒険者

時空間の冒険者たる精神は何を探しているのか。

知的

知的選良自身がその知的独占体制を瓦解するには、大衆向け表現での超単純化の実践しかない。そしてその様な倫理観を持たない知的支配の継続は必ずや独裁者としての腐敗へ堕ちるだろう。

科学論

知識は人間の救いである。

無知

無知に構う暇があれば勉強しなければならない。

学ぶもの

大脳新皮質の働きを鍛え上げる為。種内競合の結果。人間性を聖性へと高める為。社会を理想郷へ近づける為。なぜ人は学ぶのか。

神性

芸術とは神性を追求すること。

芸術論

君にとって作品をつくるということはただ、神性の建設でしかない。

2006年3月3日

文芸論

文芸・詩作とは創建であり、それはあらゆる造形を普遍概念へ先導する使命を負っている。

天寿

芸術家は天寿が許す限り長生きはしなければならない。何故なら美的技術とは、気の遠くなる長い修練の末にのみ完成されるものだから。

社会学

マルクスは、国富論から読み直すべきだ。

従者

より至高の価値ある情報を創造することは最も生産的な行為。しかし、それは必ずしも人気を保証しない。故に、人は市場を利用して漸時の浮利を追う。しかし、経済家は搾取と恵与の功利体系を構築する仕事人でしかあり得ない限り、情報生産者より低い位置と思われなければならぬ。つまり、経済家は従者。彼らは主人の為に利便を工夫する職人なのであって、統括者では無い。
 溢れる現金は彼らの職人技の程度を示す指標だが、それが即ち総合的人間としての優秀さを現す唯一の成績表だと考えるのは実用主義の誤謬。
 彼らは生物学的に子孫繁栄に向くと言われることがある。なぜなら資産は豊富な生活と教育費に充てられるから。だが我々は次のことも知っている。経済的思考能力は即、一般的知性ではない。人間が生涯型習得動物である限り、高等教育の一時的経験が即、人間としての充実では無い。世知に聡いことは必ずしも人間の中で最高の知性を保証しない。以上から、経済家の生活は、どんなに華やかに観じられたにせよ実質上、文明における従者の生活でしかない。だからそういう生活を好む子らまた、従者たらざるをえない。

経済情報学

山より高く海より深く、際限なく再生産される情報の素子達。そこに価値を見いだせる場合、資本的な貨幣搾取の道具にされる。どんな価値も見いだせない場合、それは宇宙の迷い子となる。そして価値観とは個人のものであり、資本主義が市場機構を主に置く限り、大衆の知能水準が情報という商品に値札を貼る。それは猿には人の出来の良し悪しが分からない様に、仕方ない程度の配分の不公平を呈しながら社会人を導く現代的な仕組みである。
 知的能力の差異に基づいた最適な資産配分は飽くまでも、資本主義によって見いだし得る。自由参加可能な市場機構は経済的思考能力を自ずから鍛える方便であり、真の目的は資産配分の最適性を確保することにある。蓋し、市場機構は世知に依拠する以上、最も敷衍的な決議だろうから。ともあれそれですら経済的思考能力に準じた所得階層性を構造するに過ぎないのであって、内情は厳密な人間的能力に対する資産配分とは必ずしも言えない。
 経済的思考能力の養成は自体、現代経済が達成し得た目的だ。実用的搾取は又、民間共感原理に従って最大多数の最高幸福を目指す福利的恵与の発達を促す反面を持つ。その大事業には利に聡い知的経済家が絶対に必然であるから、而して資本主義の追求は自体、共産主義への自然で穏健な道筋に過ぎない。また情報産業は経済的思考能力を抽象化してしまうだろう。この先には遊びになった市場波乗りの極めて知的な生産様式が発生する。それは情報という新たな遺伝形態を多様化する生物学的手段であり、更に我々の社会全体を文明化していく為の社会学的方法である。

2006年3月2日

最良

教育の最良の結果とは、自助の習慣を植え付けることだ。この為に最もよい方法は基本的に放任しておくことである。人間の知能はこうして、自動的に自己鍛錬される様になる。世に唱われる前近代教育機関は全て、教育の目的の一点に到達していない限り不完全なものだ。則ち真の学習とは自己教育でしかない。

子供

人は偉人の生涯に憧れを観るだろう。子供の精神訓練には、それだけで充分だとさえ言える。そして彼らから幾人かの新しい偉人が成長し、人類を先導する。

自由論

究極の自由とは市民としての分限でしかない。それは各自の精神活動を守ること。乃ち個人へあらゆる発想を許すことだ。
 尤も、肉体的にこれを実行する者の中には社会的制裁を受ける場合もある。それは自由は他由との中庸である原則を破り、極端な行動に出たから。分限は精神においてしか解放されない。つまり真の完全無欠な自由は己の思想の中にのみ、ある。思想解放こそ自由の終点。

聖略

神性は暴力では無く、聖略にある。

天才

天才は人生間中の猶予を持て。

英略論

アメリカ人の使命感を日本人は逆用せよ。即ち彼らは暴力を奮う悪者をやっつける暴力を奮う悪者でしかないのだから、すっかり善人になった国家としての平和主義を断固貫くことで、日本は地球一の模範文明に必ず成り地球人を導け。

民主性

聖戦思想や国粋主義を脱構築する為には地球の民主化しか手はない。

分業

学術は主人の仕事。経済は従者の仕事。政治は使者の仕事。

祖先崇拝の否定

現代人の愚かしさ、卑しさ、馬鹿馬鹿しさというものは
未来人にとっては闇の奥の身の毛もよだつ蠢きにしか見えまい。
こんな場所を後世歴史家が重視するとは到底思えないから、あらゆる記録は省略抹消されても仕方ないとすら言える。

則ちここ現代は歴史の大局から観じれば最悪の暗黒時代でしかない。
戯れる無数の蛮族を文明人と呼び信じている弱脳の群れをあわれめ。

何事をも予知するヒマ無く、目の前の生業にあくせくしなければならないかわいそうな野蛮人。
 己達の前世たる先祖が如何に獣欲にだらしなく、節制勉強と子孫啓発を怠ったか身を以て悟れ。

神とは運動し続けるimagenationでしかない。宇宙が出来た理由など我々の精神作用にしかないから。我々が思う故に万物有り。

信仰というもの

信仰とは知性の溜め息に過ぎない。けれども、人間が知的であらん限りこれは続けられる癖だろうが。何故なら知的であればあるだけ、無知を慰める方便が必要だから。

超人なるもの

究極の神聖、全知全徳全能は我々人間の永遠の理想ではある。専ら彼を目指す過程が我々の全体なのだ。文明社会は環境整備と配偶実験によって、彼を生み出そうとする試験に過ぎぬ。
 遺伝子操作と厳重な環境管理によって育った超人間ですら、彼の様な究極の神聖に到達できるとは到底思えない。尤も超人間を支配し得ない人間精神ならば、元々そんな大仰な命題は解けない。

熟語

勉強目的。意味、人間の気高さ。

小泉氏の靖国参拝について

小泉氏個人の靖国神社参拝を批判する人達は、公務とは歴たる「仕事」であることを理解していない。だからもしもprivateの「趣味」において政治と宗教と教育と哲学がくっついていようと自由である。

本棚

この本棚を見つける人は世界体系を知るだろう。

幸運

志す道、我欲を棄てる程、幸運が与えられる。

大成

小成を退けよ。

隠遁

衆愚の汚猥から遠ざかり得るより幸運なことは無い。悪徳と無学無能の支配する猿山に参加して面白がっている姿をあわれめ。そこでは醜名の伝達だけが伝統である。奴らの喜びは惨めな慰めだけ。
 もし君がそういう凡俗世界に嫌気が差したら、己の精神宇宙に逃げ込むしかない。そこにのみ理想郷はあった。君は自分の精神世界を絶えず覗き込むことに因りこの愚かしい現世から救われるだろう。
 そして君の偉大なる名誉は歴史における聖に数え上げられる。

孝行

『論語』で孔子が父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり(子曰、父母在、子不遠遊、遊必有方。)とは、命の尊重を悟る為だろう。

2006年3月1日

人類

人類の先頭を切って勝利を目指す英雄よ。君が持つ姿勢だけが、とわなる栄光の証だろう。

貴族

天才よ。君が子どもを残さずとも、人類は永久に発展していくことを悟れ。最下等の精神は殆ど猿人と変わらないものだし、どれだけ文明が進展してもそういうけだものどもは先んじて醜行を犯し、君の間接系の遺伝子を余儀なく生き延びさせていく。愚か者に訓育は聞こえない。故にそういう者に繁殖計画は任せておくが良い。
 尤も、君を誘惑する無数の雌を怨むな。それらは君に似た肉体を持った動物なのだ。彼女らを専ら楽しませ、暫し怯えさせ、仕事の邪魔にならぬ程度にあしらっておけ。

異性

理想の異性は君自身の中にしか存在しない。目覚めた者よ、終生神々しさを追いたまえ。獣のお遊戯に混ざるべきではないだろう。

筋書き

人生という夢、こちらが現実だ、と夢の世界の住民が曰ったにせよ、をどう見るか、は自身によってimageされる。宇宙を夢見る人たちだけが精神と呼ばれ、崇められる。世界はその人によって再創造されるから。

労働

最も下等な動物も人のそうある者と同じくある種の性欲によって生き残り、種々の雑用に適し、それを至上の幸福と信じて死ぬ。
 そういう者どもに家と服と娯楽を提供すれば、連日毎夜の猛烈な繁殖欲は労働力へ利用できる。マルクスがあわれだ。彼らの非階級絶対性を考慮すべきではなかったから。

旅行

旅行は心を深め、命を豊かにしてくれる。

養生

向上したい者よ、もし君が偉大な人物に死して尚参列したいと願うなら、肉体的欲望は中庸に、精神的欲望は極端に持ちたまえ。健康はそこにある。常により良い習慣を身につけ、下らぬ習慣を脱ぎ捨てるようにしなさい。健全はそこにある。

名誉

聖者よ、現世で有名になることは死後の名声を殺す愚行だと知れ。君の世間への匿名的埋没は寧ろ君自身の個性の極みである。何故なら個性の終極とは普遍性だから。もし君が本当に普遍自由人に達したなら、名前を棄てよ。

離脱

この宇宙船から適当な時期に脱出する計画を優先させなければならない。人類の下らぬ喧嘩はその後で充分だ。

建築論

あわれ失われる作品を求めてはならない。
そんなものは戯れに過ぎず、永久に繋がっていく本当に為すべき仕事は立派な思想の建築だけだ。

開拓

最前線の知的進歩から挫折する実用主義者が世に炙れていても我々は問題も心配も無い。何故なら彼らへの救済措置もまた教育制度として完備されるだろうから。最前線に立っての先導こそ命題だと信じよ。君の残した足跡は必ずや文化へ還元されるから。

世紀

我々の脳が大脳旧皮質の末葉に新皮質を延ばす構造として出来上がったので、先ず通常の歴史観で想えば数万年の暫く後にしか大きな進化は起こり得まい。彼らが類人猿であることが地球のあらゆる社会にはどこでも観察できるだろう。我々が宇宙人として想像する姿は一応今日までの生物学社会学に則って論理的ではあるが、現代人にとっては飽くまでも虚構的なおとぎ話に過ぎない。
 つまり専ら我々の進化の矛先は精神活動の発達なのであり、普遍人へ例え1人でも先んじて近づくことだけが文明の若芽なのだ。文明は一世紀で造れる。我々の新世紀は輝かしい希望と普遍愛の満ち溢れた楽園になっていることは疑いようがない。だが、それも新しい宇宙時代世界への旅立ちの徴なだけ。

情報理論の文明観

情報生産は我々人類の生物学的な最終手段かもしれない。Seminarの一方法として。それはまた受動的には頭脳の食品であり、どんな食生活を送るかに依って千差万別以上の無限大の頭脳の出来映えが揃う。我々は我々自身と相利共生を図る為に情報社会を構築する。そこでは無際限な遊戯の数々が生活の中心であるだろう。文明の究極の理想は、その様な遊園地を造ることだったのか。
 あらゆる構造的方法はこの為に工夫されたものでしかない。

音階

人が定められる一生涯に可能とする業務はあまりに少ないというのに、学校や会社やその他の何らかの施設にせっせと通って何故どの様に学び、またそれを生かして死ぬか分からないままの人々があわれだ。水槽に閉じられたありたちの如く、必死に仕事や問題をこなして何らかの社会制度を作るのを手伝う。どうしてそうするかも知らずに、社会貢献という理想を抱いて消えて逝く。火葬されて灰になり、土に還って或いは骨壷の中に半永久的に留まって微生物をまた、育てる。ピタゴラスが言う様に、宇宙は音楽を奏でていると解釈すると楽しい気持ちになり慰められるだろう。我々の精神はどんなことでも許すと云うから。

主権者たる文民

政のplatonism。哲人政治は主権者たる文民によって実現した。理想の政治制度は既に機能し始めている。後は改良し続けるだけ。

功利性

人生には最大多数の最高幸福以上の目的があるか。

純粋理性教

科学ですら近代の純粋理性宗教に過ぎない。我々はそれを絶対的な真理の道だと信じてはならないだろう。もしも彼らが迷ったら、類の全体が滅亡するといった事態は避けるべきだから。

哲学、宗教、教育、科学の思想性

哲学は思想づくりの遊び。そして科学という営為もまた、論証思想や実証思想の一部分。さらに沢山の信念を動かす思想を宗教と呼ぶ。教育とは、沢山の思想があることを示して、各自に考える行為を勧める制度でなければならない。科学思想の詰め込みやそこへの追い込みは産業革命以降の一時代における傾向に過ぎないのだから。

哲学という観念

人は各々の思想を持っており、各々の思想に従って生きることしか許されていない。精神作用、思考が目的とする思想はその本質自体が自由だからだ。例えば数学に基づく実証科学も自由の創造力を解釈する一方法だろう。只その体系が普遍的信頼に足ると近代文明に住む多くの人々から思われているだけだから。
 哲学と我々が考えて来た観念は、思想の目的性を語る言葉だ。

科学論

現代までに地球の西洋人は造物主の意志と呼ぶ超自然的権威と人間理性とを対立させて色々と考えて来たが、これは科学的に定理すれば強い人間原理と呼び慣らされてはいるが、要するに我々の精神作用が宇宙の創造を働かせる中心であって、物質とされる環境は皆どれも、そこに含まれる仮想現象に過ぎない。実在すると我々が思うのは、我思う故。いいかえれば、我々が思わなければ何も無い。
 Energieとは物質が持つ運動の性質に過ぎないが、この性質こそ我々の思想を形作った理由。つまり科学的に神とはEnergieに過ぎない。ならば、人はEnergieがどうして精神をまたそれを通した理解されるべき舞台を造ったのかと問うだろうが、そもそも運動因としてのEnergieは一次元の定義という思想そのものに過ぎないし、それが造ったという考えそのものがユダヤ教の旧約聖書物語の思想に過ぎない。
 そういう意味で、科学という真理探求の体系的思想をも含めてあらゆるものごとは思想より出でると言わなければならない。

学術の研究はしばしば無知な人類によって神聖な目的を有する何事かである、と偶像化させられて来たが、実際にはその副産物が社会生活の根本的変革を伴うとしても単なる、人間の知的遊戯という以上の営為では無いだろう。しかし、それは人間に可能なうちで最も高級な活動であるのもまた確かだ。理論は政治と経済を動かし、人々に文明を知らせる。我々は宇宙の乳飲み子に過ぎないし、その精神が自らを全世界の王者だと悟る至高の見地に登ったとしても、依然として遊戯人は環境という与えられたおもちゃであれこれ思惟を楽しむくらいしかやることが無い。尤も、それが人間を人間たらしめている根源因ではあるが。

人間

愚かしい人間。なぜ君たちは生まれたのだ。

脳科学仮説

偉大な精神ほど質量として重い筈。そういう真空近似点が莫大な程、量子力学的素粒子単位での出来事だが光子の集中度は高ければならないとすれば。
 尤も、精神点或いは頭脳の組織を直接造る大脳部分はますます必要となるから体重に比べると脳の体積は僅かに軽くなるだろう。

Future Economy転回仮説

現代人の未来は機械の開発による労働(works)からの解放にある。
私的財産が充分なら、工業的従事のもとに働くことは趣味になる──かつての仕事であった農業が今や家庭菜園などでそうなったように。
そして未来経済は知的gameに過ぎなくなる。

この次元に先んじて到達できるのは情報化社会の上流知識人だろう。
なぜなら彼らにはそのeconomic ideaへ高飛びするゆとりがあるからだ。

 専ら今日迄の社会階層意識が有する上昇指向[pragmatism]は、要するに《工業の原理》から脱出する為の悪あがきである。
それは〈歯車〉へ適応する為の専心であったし、学歴社会というのはこの社会level──工業制経済──における脱農業化ideologyに過ぎなかった。
彼らは機械の代わりを承ってせっせと良妻賢母を探し、子どもを産み育てるマイホーム主義者なのである。
「社会貢献」という用語は彼らを慰めてピラミッド建設人生の不条理を諦めさせる為に、巧妙にプロパガンダされた。

 だが情報化は『創意工夫』を生産する社会様式である。
こうしてゆとりある階層のbusinessに優秀な一部から、開放的労働形態を伴った新たな支配階級が発生するだろう。
彼らは創造的知性において至高であるが故に世界中の富を極めて非工業社会的な速さで集中させる。
しかし我々はそれを憂うべきでも羨むべきでも無いのだ。なぜならそれは避けられない唯物史的止揚の結果に過ぎないし、
寧ろそのますますの促進によってしか「超資本主義的社会福祉の循環体系」即ち共産的資民制は決して達成されない。

[蛇足。現代日本は知的及び国流的な国際位置からこの様な見えざる社会革命について最も先進する。
韓国においては儒教の尾を引く《長幼の序》の足枷によって充分に成長できない。
 言い換えれば、21世紀日本の社会風紀は民情と共に一新し、若者と老人の経済的威厳は逆転するだろう。
この現象を平成維新と名づけよう。ここでは上任下(じょうにんげ)──客観的立場の上のものが、自ら役職をより社会階層下の優秀な若者に譲り渡す気運──が発生する。
それが一度世論に感知された途端、民情は新進気鋭の若者を最高の志士として称えるに違いない。
IT社会に至って日本人倫は変容し、年齢や役職、学歴や立場ではなく「人物信頼」の独眼判断に、新たな社会道徳は委ねられる]