2006年3月7日

舞台

宇宙環境は精神自身がつくりあげた舞台でしかないと考える他ない。それを知り得るのは精神だけ故。こういう考えは、創造主なる観念を物理学的に定義できないような超人間的人格神であると考える旧約聖書原典主義墨守の知識人の一部には理解され難いが、結局のところ、人間原理はそう教えているし、またそれは宇宙創造の理由であるしかない。いいかえれば、我々の精神の構想が宇宙という対象に揺らぎつまり物質運動を与えている。科学的追究は知識の再構成であって、ideaの創造ではないから。要するに知識は環境から自由な形而上的創造力ではありえない、受け取るものにすぎない。
 精神自身が宇宙を無、完全的な真空状態から創り、しかも数学的な手段で論理的に追究して再理解しようとしているのだ。よって我々は創造者であり、再創造者でもある。我々は宇宙という舞台を遊ぶ為に自ら創った主体にすぎない。