2006年3月25日

前後分限

後進俗国へ無償でcharityする程に奴らの心根は腐るだろう。
 搾取とは知能格差に準じた労働分業だと仮定すれば、富貧両国が地球に共存するのは自然な状態と云える。
なぜなら均質平均化した知能群がcreativeであられよう筈もあるまい。

だから恵与は──少なくとも漸次的に──頭脳に秀でた先進国民の趣味でしかないし、そう「でなければならない」。
さもないと国際社会は奴隷国奴を遠慮しつつ容認するに等しい。
つまり国際法上で慈善を義務づけた瞬間、地球には再び主人と奴隷の差別が正当化される。

 さて勤倹でない国風が人類に於いて劣等民族を意味すると主張するのは非人道ではあるが、
文明にadaptativeでない以上、そういう人間種族は社会淘汰の犠牲になるであろう。
若しも人類に神民と獣民の違いが生まれるとすれば、彼らは──種のdiversity保存という命令以上に──幸運にも相利共生し得るだろうか。

甚だ疑問ではあるが、然も生活levelの愕然たるdifferenceは我々の対環境的適応力を高める工夫ではある。
だからglobalism worldはタテマエとしての献身を、ホンネとしての超然を、先進民族へ要求する。