より至高の価値ある情報を創造することは最も生産的な行為。しかし、それは必ずしも人気を保証しない。故に、人は市場を利用して漸時の浮利を追う。しかし、経済家は搾取と恵与の功利体系を構築する仕事人でしかあり得ない限り、情報生産者より低い位置と思われなければならぬ。つまり、経済家は従者。彼らは主人の為に利便を工夫する職人なのであって、統括者では無い。
溢れる現金は彼らの職人技の程度を示す指標だが、それが即ち総合的人間としての優秀さを現す唯一の成績表だと考えるのは実用主義の誤謬。
彼らは生物学的に子孫繁栄に向くと言われることがある。なぜなら資産は豊富な生活と教育費に充てられるから。だが我々は次のことも知っている。経済的思考能力は即、一般的知性ではない。人間が生涯型習得動物である限り、高等教育の一時的経験が即、人間としての充実では無い。世知に聡いことは必ずしも人間の中で最高の知性を保証しない。以上から、経済家の生活は、どんなに華やかに観じられたにせよ実質上、文明における従者の生活でしかない。だからそういう生活を好む子らまた、従者たらざるをえない。