2006年3月3日

経済情報学

山より高く海より深く、際限なく再生産される情報の素子達。そこに価値を見いだせる場合、資本的な貨幣搾取の道具にされる。どんな価値も見いだせない場合、それは宇宙の迷い子となる。そして価値観とは個人のものであり、資本主義が市場機構を主に置く限り、大衆の知能水準が情報という商品に値札を貼る。それは猿には人の出来の良し悪しが分からない様に、仕方ない程度の配分の不公平を呈しながら社会人を導く現代的な仕組みである。
 知的能力の差異に基づいた最適な資産配分は飽くまでも、資本主義によって見いだし得る。自由参加可能な市場機構は経済的思考能力を自ずから鍛える方便であり、真の目的は資産配分の最適性を確保することにある。蓋し、市場機構は世知に依拠する以上、最も敷衍的な決議だろうから。ともあれそれですら経済的思考能力に準じた所得階層性を構造するに過ぎないのであって、内情は厳密な人間的能力に対する資産配分とは必ずしも言えない。
 経済的思考能力の養成は自体、現代経済が達成し得た目的だ。実用的搾取は又、民間共感原理に従って最大多数の最高幸福を目指す福利的恵与の発達を促す反面を持つ。その大事業には利に聡い知的経済家が絶対に必然であるから、而して資本主義の追求は自体、共産主義への自然で穏健な道筋に過ぎない。また情報産業は経済的思考能力を抽象化してしまうだろう。この先には遊びになった市場波乗りの極めて知的な生産様式が発生する。それは情報という新たな遺伝形態を多様化する生物学的手段であり、更に我々の社会全体を文明化していく為の社会学的方法である。