2006年3月1日

科学論

現代までに地球の西洋人は造物主の意志と呼ぶ超自然的権威と人間理性とを対立させて色々と考えて来たが、これは科学的に定理すれば強い人間原理と呼び慣らされてはいるが、要するに我々の精神作用が宇宙の創造を働かせる中心であって、物質とされる環境は皆どれも、そこに含まれる仮想現象に過ぎない。実在すると我々が思うのは、我思う故。いいかえれば、我々が思わなければ何も無い。
 Energieとは物質が持つ運動の性質に過ぎないが、この性質こそ我々の思想を形作った理由。つまり科学的に神とはEnergieに過ぎない。ならば、人はEnergieがどうして精神をまたそれを通した理解されるべき舞台を造ったのかと問うだろうが、そもそも運動因としてのEnergieは一次元の定義という思想そのものに過ぎないし、それが造ったという考えそのものがユダヤ教の旧約聖書物語の思想に過ぎない。
 そういう意味で、科学という真理探求の体系的思想をも含めてあらゆるものごとは思想より出でると言わなければならない。