2006年3月1日

学術の研究はしばしば無知な人類によって神聖な目的を有する何事かである、と偶像化させられて来たが、実際にはその副産物が社会生活の根本的変革を伴うとしても単なる、人間の知的遊戯という以上の営為では無いだろう。しかし、それは人間に可能なうちで最も高級な活動であるのもまた確かだ。理論は政治と経済を動かし、人々に文明を知らせる。我々は宇宙の乳飲み子に過ぎないし、その精神が自らを全世界の王者だと悟る至高の見地に登ったとしても、依然として遊戯人は環境という与えられたおもちゃであれこれ思惟を楽しむくらいしかやることが無い。尤も、それが人間を人間たらしめている根源因ではあるが。