2006年3月7日

脱構築と趣味主義

脱構築哲学の主要命題は、異言語間に存するnuanceの差異を究明するという言語学的使命でしかないだろう。趣味主義はそれを他のあらゆる問題との格闘と同じように、暇つぶしの一種と見なすだろう。そして言語が哲学にとって道具でしかない限り、到達すべき目的は概念という方法による善の理でしかない。乃ち我々が実存する限り、哲学という論究は、論理学の実践的応用として続けられる再創造。