2006年3月11日

勉強

野生人も文明人も等しく人間として多かれ少なかれの意識を伴って生まれる。暗黒古代の奴隷文化、原子爆弾の投下悲劇、大量虐殺とテロリズム。死刑や暗殺。事故や夭逝。我々には震え上がるほど恐ろしい聞くも無惨な過去しか見つからない様ではある。更に遡れば海の底での激しい食い合い、大海での追っかけっこ、やっと逃れた地上での食分支配闘争、突如としての震える寒さの到来、巨大隕石の衝突による悲劇、地震と噴火に伴う大陸移動、魚類は両生類や爬虫類から昆虫や鳥やほ乳類に進化して尚且つ闘争から逃れんとし、オランウータンの野蛮世界を嫌悪して自由の草原を目指して平野に出た類人猿は二足歩行を工夫して権力を伸ばし、今や君は社会制度に組み込まれた人間として多少なりとも知的な筈の種内競争に日々駆られる。
 しかし、それらの生存競争の地獄は、野蛮人を文明人が知力で啓蒙するに従って次第に楽園へ向かっているのは疑い難い事実だろう。これは功利主義によって合理化された。君はそうして天国の建設作業員として明日も自由という仕事に従事するのであり、それは野生の性質を少しずつ除去し、代わりに文化的で精神的な生活を手に入れようとする人類という生命体による共生体系創造の試みなのだ。
 だから君よ、己は幸福だと思うと良い。少なくとも壮絶な生存競争の真っ只中から次第に抜け出して来れた幸運を祝して。
 尤も、我々地球型生物が諸銀河の中でどれだけの生態系地位に就き得る潜在能力を秘めているかは疑問だが。しばしば我々の一部は自信過剰のあまり「考える葦は宇宙より偉大だ」と信念して来たが、そう開き直った生命体を宇宙そのものが産み落としてくれた事実を省みれば親への冒涜に等しいとしか言えまい。また更には大した根拠もなく大道とか神の被造物とか適当な文句を並べて、己の置かれたいつ自然宇宙の不確定かつ必然な要素によって絶滅するとも知れない身の上を安心させようと自己暗示に掛けて来たが、少なくとも人類の大半を看る限り猿と大して変わらない程度の知性で毎日喧嘩や下らない利益の分け前漁りに必死なのである。挙げ句には神とか造物主とか適当な形而上学的観念に適当な理念を据え付けて殺し合う。馬鹿な奴らだ。そして何事も知らぬままで何れ来るかわからない死の恐怖に怯えおののきながら交情紛いの戯れに逃げ込むや否や、少なくとも生存の可能性を高める為にそうありたいと努力する知的な人々を心理学的に反動形成あるいは合理化せんと恥ずかしげも反省の善もなく蔑み、風の前の塵と変わらぬ浮き身を費やす。汚らわしくも哀れな死骸共め。
 どれだけ知能を高めても高め過ぎるということは無いし、凡そ地球型生物の最初の対外権義を主張し得る根拠はそこにだけなのに。それともライオンにすらいたく劣る我々の肉体の趣味たる競技で、それを果たし得ると主張する人類には愚者と呼ばれて相応しい基礎があると考えられねばならぬ筈。或いは人類は地球の生物界で最長の時間走り続けると反論する猿には太平洋を超えて渡る鳥達の筋肉でも食わせて慰めにせよ。
 もしも人間が彼ら偉大な種類を消化しても罪にならないとすればそれは貴様の知能を少しでも養う為なのだ。とは言え、菜食主義者にとってはそれも当たらぬ以上、やはり貴様達は仮想の地球の支配者であると言うしかない。ならば、君達自身の進化の道程は己の知的探求の先にしかないだろう。