2019年6月16日

共食いの文明

「私はあなたより金持ちです、だから私はあなたより偉いのです」と新自由主義者がいう。「ですからあなたは死すべきです」
「もしそうなら、なぜあなたは常に金を追いかけているのですか?」と私は尋ねる。
「それは」と彼は答える。「あなたを貪る為です」
 大分ときがたってみると、その男はしじまの闇に融け、跡形も無くなっていた。代わりに無限の夜がきた。辺りに燃え広がっていたあらゆる業火が消え去ってみると、もはや全員が金を追いかけていた文明があったことさえ、全宇宙から忘れ去られてしまった。

世界線の抽象

世界線の抽象
2019年
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あいちトリエンナーレ2019の展示企画は男女比の配分的不公平かつ性差を誤った意味で用いている

結果を完全平等にしようとする考え方は、根本的に配分的正義を理解していない誤りだ。人は能力差があるが故に発展してきたのだから、そこで生じた不公平は或る程度の範囲で調整的正義によって矯正されるが、結果の完全平等は決して望ましいものではない。
 この観点から「あいちトリエンナーレ2019」の展示企画は配分・調整の両正義を正しく理解していない代物であり、男女比を意図的に1:1にすることは却って不公平でしかない。
 また同じく「性差」即ちgenderは社会学用語として社会的性差(男らしさ、女らしさといった或る文化からきた紋切り型等)の意味であり、これを性別の男女比1:1にするという文脈にあてはめて使うのは単なる無知もしくは誤導でしかない。

拝金道徳

商売人は金を儲けて偉いという
だからお前も真似ろという
実際そうした結果
お前は極貧におとされる

商売人のさが

金を儲けて支配者面
じゃあお前は王族気取りの成金で
奴隷制を再現したいだけじゃないか
寄付をしても偽善者

信者

お前はお前が優れた存在だと
お前はお前が偉大な労働者だと
お前はお前が普通で
誰からも非難されない曖昧な国民で
一般人であれば善悪などどうでもいいと
とかく周りに同調し
天皇陛下万歳といいつつ納税し
あるいは会社と学校に通わされていれば
全てうまくいくと洗脳された
そしてお前の考えに反する人を差別し
自分は邪教に染まっていないと
自分こそ当たり前だと思い込もうとした
結果お前は社畜だか匿名のろくでなし
勿論成功など覚束ない三流の下衆になった

承認奴隷

承認欲求の奴隷、SNSユーザー。会社の利益の為に自己顕示。

語族が分かれる理由

なぜ人は異なる言語を話すのか。異なる集団に分かれた方が生き残る確率が上がったから。

2019年6月15日

日本国内の労働者一般が匿名なのは彼らが奴隷階級だから

日本国内の労働者は会社の奴隷で、しかも当人は不徳な下衆との自覚があるので、SNS上で迂闊に実名や顔を表せない。この自身の悪徳ぶりに無自覚なのがバイトテロと呼ばれる素の自分を表してしまう労働者である。これらは労働者一般がいわば下流階級で、当人達には社会的自由や尊厳がない、会社に自分を売り渡した存在と示している。

相対主義は自堕落のいいかえ

相対主義(道徳相対主義)は、善悪の判断を放棄した人が最初に縋る地獄への片道切符であり、本居宣長以来のもののあわれ論もこの類型でしかなかった。彼は本質的にソフィストと同じ詭弁をいいかえていただけだ。
 今日の一般大衆が多数派を根拠に善悪の判断を放棄し、相対主義に耽るのは単に、哲学を他人に任せ、前轍を踏む過ちでしかない。

フォロワー数は幸や徳と関係ない

卑しい人に評価されようとすると、人は人生そのものを間違えるものだ。だから多数のフォロワーがいるインフルエンサーと称するネット芸人なども、単に俗悪なだけで悪徳の塊というのが現実であり、賢者一般と同じく、少数者にしか評価されていない人の方が幸福だったり、その原因として高徳だったりする。勿論、単に不人気だから高徳とはいえないにせよ。
 それどころか影響力の面でも、理解者の数が少ない方が強く広い影響を伴うことは当然ありうる。影響力の質の方がその短期間の量より根本的に、普遍性を伴っているからだ。

日本愚民

群れながら疑わしきを罰す衆愚国
貴族なき中世未満の日本愚民
皇族に万歳しながらかね貪る
労働を正当化しつつゲームする
匿名でネットで悪行三昧す
群れながら集団虐めの日本愚民
会社員崇めすし詰め電車かな
学歴で人を差別の労働者
中国が強けりゃ土下座する愚民
弱い者虐め強者に媚びる愚民
商人を崇め貧しき愚民かな
忖度し悪政招来愚民かな
自民党崇め収奪される愚民
官僚を崇め収奪される愚民
都会崇め田舎差別の愚民かな
商人になって忙殺される愚民
ニート差別己は忙殺される愚民
金に弱く朝三暮四の愚民かな

啓蒙の不可能さ

啓蒙の不可能さはニック・ランドによる『暗黒啓蒙』という名のブログ記事に由来した当の新語の中にも、部分的に含まれる要素だ。だがそこでいわれるのは啓蒙自体が自由至上主義と違和するという、個人の知性への放任的態度であり、私の見る啓蒙の根本的不可能さとは部分的に重なりつつ全く同じ洞察ではない。

 啓蒙は実際には或る新たな思想への洗脳的態度である。これを一般に教育(英語でいうeducation)と呼んでいる。今日の教育は啓蒙主義の高踏的態度を前提に、或る知識をおしつける。だが生徒は無知の侭に留まりたいかもしれないし、そもそもこの有知の立場が多少あれ間違っていることが殆どである。つまり啓蒙主義とは中世フランスで新興市民が旧体制を知識面で圧倒する準備づけではあったが、それを超え教育として一般化されると大いに矛盾を含んだ作為である。
 さらに知のしくみを分析すると、或る有知は自らの分かる範囲でしかそうと認められない。つまり或る人の既成知識との類比でのみ、ある知識が正しいと判定される。だから自らの知識がいかに膨大で精確でも、そこから遠い有知さは、一般に正誤を判定できない。啓蒙とはいいかえれば小さな枠の中から別の枠の小ささを指摘する様なもので、元々この作為は知識という枠がもっている有限さを解消できない。啓蒙にはこの意味で、自分と違う知識体系をもつ人を自らのそれに近づける効果しか期待できない。

 以上の観点から、暗黒啓蒙の語が含む、曖昧な自由至上主義らしさはその本質に、
1.教育の洗脳性
2.啓蒙は自分と似た考えを伝えるだけ
という2つの論点を含んでいる。
 対して私のいう啓蒙の不可能さは、倫理学説(通俗的にいう「べき論」)の立場から幾つかの興味深い論点をもたらす。そのうち一つは自由との関係、もう一つは公教育の功罪である。さらに科学教育を行う正当性も疑義され、フランシス・フクヤマ流の自由民主主義イデオロギーの勝利宣言も否定される。もっと根本的には、脳が認知する賢愚はただの偏見の一つと分かるので、知的障害など精神障害の分類は単なる社会的差別と論証される。宗教戦争や、リチャード・ドーキンスの様な無神論者の遅れてきた啓蒙主義も、単なる一つの偏見を他におしつけたがっている認知的錯誤からきた、啓蒙の不可能さに悟らない態度である。この地平では科学主義も資本主義も各々一つの宗教に過ぎないし、当然それらを他人にしつけるべき根拠はない。

尊卑は癖の差から生まれる

卑しい人との関わりは僅かでも大きな損害をもたらす。逆に尊い人との関わりは僅かでも大きな福徳をもたらす。これらは両者がもつ諸々の徳が対極的だからで、常々人が親しんでいる人と、或る人の癖や習慣は無意識の模倣で似てくる。
 貴人が一般大衆と違うところは甚だ多く、両者は本質で混じり合わない。逆に卑人は進んで俗衆に慣れ親しみ、それを恥もしないばかりか誇りにさえ思っている。これらは彼らの徳に大差がある為だ。
 卑人は悪徳を自覚なしに身につけている。また貴人はこれと逆によい習慣を無意識にしつけている。普段から彼らの業は正反対だから、徐々に隔たりは大きくなり、やがて全く異なる生態になる。こうして世に貴賎とみなされる極端な人間性の違いが現れる。身分制度はフランス革命以後、ただの封建秩序に矮小化されがちだが、その世襲による名実の乖離が起きる以前、はじまりはおそらくただの個々人の癖の差だった。
 ゴータマは行いにより貴賎が現れるといった。生まれや身分は貴賎を分ける決定要因ではない。当然ながら、貧富と貴賎は異なる。また賢愚も貴賎そのものではない。人はより尊い徳に見習ってより優れた生き方に達するのであり、単に職業分化の最初の原因にも徳の差がある。一般に貴さは希少性を伴い、代えがきかない上に公益性が高い生業はより貴いものと見なされる。人権平等とは別の点で、或る文化圏でより貴い職業は名誉、地位、報酬などなんらかの点で厚遇される。すなわち或る人は職業選択に際し、自らの徳に応じた生業を好む。
 我々はより徳の高い生業に就くべく学ぶ。だから勉強とは自らの癖との闘いなのだ。最後に或る人は自分を知り、いずれかの職業を否応なしに選び取るが、それは以前に彼らの行ってきた学習成果でもある。
 卑しさにそうと気づける人は、既に尊さの一部を達している。

賎貨思想は政治の一般的徳

賎貨思想は金権政治(金と権力の癒着)による腐敗を防ぐので、善政の一般徳である。単独支配、少数支配、多数支配のどの場合でも、また商業化が進んだ集団でも事情は同じである。
 ある個人が商業を政治と混同している時その人は政商といわれ、彼らは政治の調整的機能(矯正的、調整的正義。所得再分配や法廷での被害者救済など)を無効化し、仮に公害でも自らの金儲けに有利な方へ権力を歪めて使いたがる。
 商業を生業にする人々が多数派を占める集団では、政治と商業はたやすく混同され、彼らは町人倫理や拝金主義といった商業活動を合理化する信仰のまま政界進出し少数派の公益を踏み躙ったりする。富者支配では時に、富者らが寡頭政治を伴って貧者へ自己責任論をおしつけ弱肉強食を正当化し始める。また単独支配者が金権政治の傾向を伴うと彼らは贅沢三昧に耽り、民衆の困窮を省みない。これらを原因とし、政治を教える文脈内で賎貨思想が私利を超えた公的判断に必要とされてきた。
 労働や蓄財の正当化は商人の本質的な純粋生産性のなさ、つまり農工業的な生産物をうみださない虚業の性質を自尊心その他で上書きする為のものだ。彼らはしばしばこれを自由主義(市場放任を原則とする経済思想)や資本主義(今日では主に株式市場を是とする考え)と混同する。いいかえると商人の信仰体系は政治的公徳とややもすると矛盾する。上述のよう公職にある者が商業道徳で行動すると公私混同を起こし、公害を必然に伴う。

 今日の日本で多数派を占める商人が政治に自らの金儲けを手伝わせようとする傾向は、商人一般の金権政治とみなせる。特に安倍晋三首相がアベノミクスと自称した経済政策は、日本株の株主らに好都合だが国民の過半に不都合な格差拡大政策を飲ませようという公的悪意によっていた。この考えが日銀や年金機構による企業国有化、量的緩和と称するゼロ以下金利政策で市中の円の総量を水増しする為替操作や、果ては内閣が直接賃上げ要求を各企業に行うなど市場介入の数々、公然たる公民混同につながり、いわゆる自民党安倍政権の国家社会主義政策全般をもたらした。実際彼は典型的な国社主義だった明治政府を理想視さえしている。
 既に述べたよう政治の役割は調整であり、市場の配分機能で必然に生じる格差拡大を強化することではない。この意味で安倍独裁は長期に渡った腐敗政治に他ならず、商人の一部が懐手を肥やしたがゆえ賞賛していたとしても、それは公金を私利に流用した悪徳政商の戯言にすぎない。
 一刻も早く安倍独裁を打破し、不利な立場の少数派や貧民を救うのに公金を振り向けることを善政というのだし、同時に国政の市場壊乱を自主規制し、大手電力会社による公害防止(外部不経済の内部化)であるところの原発再稼働禁止や廃炉の命を政府の責任で行うのが公共の義務だ。元々自民党員総勢や経産省の一部官僚が原発公害を推進しているのは彼らが金権政治を伴う腐敗政治勢力だからでしかない。彼らは大手電力会社共々、国民への公害と引き換えに、少数商人の金儲けを優先し原発を推進してきたのだが、同時に危機管理や将来予測を見誤り、事故後または廃炉後の大きな処理費用で負担を先送りし目先の小利に耽っていた三文政商でしかなかったのだ。

人づき合い

最高の幸も、最低の不幸も人がもたらすものなら、我々の人生で最重要な要素は、つきあう人を択ぶ修行だ。俗人を近づけながら幸など永遠に到達しえないし、聖人を退けながら不幸にならない筈もない。
 人は徳に応じて幸を得る。人づき合いにあっても同じである。

俗悪さ

俗悪なものは微量でも人を激しく汚染する。だからそういうものに近寄らないのが何より重要だ。この世で堕落しきった下品が存在するのは、彼らが無意識に、微量でも人を汚す俗悪なものをたっぷり染み込ませているからだ。
 我々はあまりに下品なものをみると吐き気を催すが、それは彼らのもっている悪徳をもし自分が有していたら、甚だ人生に不愉快だろうと想像がつくからだ。

悪人

悪人を救うべきではない。特に、根っからの悪人を救うのは自他に害がある。これは業を改竄しようとするのは因果の本質に逆らうからだ。

よしあし

よしあしをこえてむかでを庭に捨つ
我が愛す人に捧げる夜半

2019年6月14日

文化素の定義

文化素(ミーム)は環境と遺伝子の相互作用で生じる。

主に救貧を行う緊縮財政で国家社会主義の自公体制を脱却し、公民両部門を分離した資本主義経済を回復せよ

枝野幸男氏は「比例区で一本化は迷惑だ」発言して、野党の共闘を拒否して威張ってたのに、参院選は一本化するといっている。矛盾してない? まあ矛盾した方が国民全体に及ぼす結果は当然いいんだろうけど、迷惑発言は撤回してるの? もしもう迷惑だ発言は撤回したならしたで、枝野氏は「あれは間違いだった」とか「私の不徳のいたす所で国民の皆様に誤解を招いた」くらいいうべきじゃね。私も含めてものすごく迷惑こうむったんだが。立憲狂信者みたいな人達がどんどんよってたかってきて一本化は邪悪だダメ、とか誹謗されまくった。
 どう考えても 立憲>国民全体の総意 という政策判断はおかしいわけで、それは寡頭政治であって今の自民党がやってる少数意見無視の悪政と変わらないのだから、やっぱり一本化に合意するしかなかったわけだ、枝野氏は。小沢一郎氏がいっていた「枝野氏を信じて待つ」が完全に正しかったと。

 私が日本政界みてきたかぎり、やっぱり公徳の面で最も高い人物は、小沢氏だよ。今回もそうだった。枝野氏が第二党の党首になっているのはおかしいんだよ、その点で。宮内庁と都内マスコミの卑しい扇動で、小沢氏を悪党扱いしている衆愚が一番悪い。小沢氏より枝野氏の方が判断ミスがすごく多い。
 思うに、枝野氏は国民世論という名の差別的偏見に媚を売る様な観点から、政権交代文化の定着をめざす小沢氏を、自身の絶対権力への脅威とみていて、小沢氏が国民民主党員の座におさまったのを見計らって保身に問題がないと考え一本化にGOサインだしたのでしょ? すなわち枝野氏は彼という党首の利のため一本化合意に転向した。公のため韓信の股潜りを素で履行してる小沢氏に対して、枝野氏の小競り合い的発想の小ささというのはもうはっきりしていることだから、今後もことあるごとに彼らの鴻鵠ぶり、燕雀ぶりは対比される。が、衆愚側は寧ろ枝野氏の小市民ぶりに同調しようと、みみっちいことを言うに違いない。

 山本太郎氏は公約に「公務員の増員」というのを掲げている。そして彼は財政支出を拡大するつもりだと新聞に載っていた。財政赤字が累積しているのに国家社会主義化を更に推進するといっている男に1億6000万も個人で寄付する愚民の方も、まあ巨視経済が全然みえてないのではないか。愚民には期待できない。

 勿論、自公の悪政は語るに落ちるものだから今更私が指摘する必要は全くないと思うが、現時点の日本政府は財政赤字の解消と、物価高騰+賃金抑制でのスタフレに悩む状況を同時的課題に抱え、自公の愚鈍さでは一歩も前進できない。違憲立法や米国へ売国政策を連打中の安倍独裁打破は最低でも必須だ。
 が、この後に山本氏のいうケインズ政策的方向に進むと、巨視経済はますます泥沼にはまるのであって、いわゆるMMT論者と同轍を踏むわけだ。この点で国民民主、立憲の両党が然るべき議席数をとって緊縮財政路線(但し社民・共産と組んで社会保障は怠らない)に進まない限り、普通に財政破綻するでしょう。正確に言うと財政破綻の先延ばしによる、長期インフレまたは忍び寄るハイパーインフレで物価が高騰し続け、庶民は生活に苦しみ続けるが、政府は赤字国債の発行を拡大して日本円での経済が破滅的な状態になる。具体的には500円くらいの牛丼が2000円とか3000円になって全く売れないみたいな。
 政府が量的緩和するとは市中のかねの総量をふやすことで、日銀がゼロ・マイナス金利で各銀行が預金を自ら企業に投資する必要性を喚起したり、政府自身が国債による資金調達で国民の預金を財政支出に回すことをさしている。この結果、GDPは少し上向いた様に見えたが不正統計だらけでもう確かめえない。この路線の最終段階が、日銀が企業国有化を進めてしまうという現状で、名目共に国家社会主義の日本が完成した。だがアベノミクス扇動者らは「株での自分の浮利」ほしさにこの路線を思いっきり煽っていた。資本主義市場、つまり政府部門と民間部門の分離の旨からいえば完全に間違った路線だったのだが。
 現時点の日本経済は、約半分が国有化部門なので、業績がどれほど悪化しても主要大企業が潰れない。これを或る無学な労働者は「失業者が少ない」よい状態だといっていた。完全に国家社会主義国の発想だ。結果は、ジリ貧になっていくだけで、他国のより効率的企業に次々駆逐され、最後に過半の会社が潰れる。
 若い世代で安倍政権の支持率が高い理由は次の様なものだ。彼らはゆとり世代に該当し学問の水準が低い。国家社会主義と自由主義の違いなど到底理解が及ばない。そのうえ政治学にも疎く、公益より己の目先の損得を優先する動物的下民である。故に国家社会主義独裁が失業者を減らしているから肯定する。自国経済の全体が他国のそれに収益面で敗北し続け、各会社を含む自国全体が潰れればなんの意味もないのだが。
 中長期的にみるまでもなく、まあ数年後くらいに既にアベノミクス敗残は全世界の目に明らかとなるのであって、最後の徒花として東京賄賂五輪の打ち上げ花火をし地獄へ転落となるだろう。これは規定路線だ。「計画経済は不可能」とハイエクが言っていた理由を、安倍氏は何も学ばなかったのだ。

 維新の藤巻健史氏が唯一、緊縮財政路線で財政収支を整えるのが当然という点では正論を述べているが、超少数派で、議員連中は誰も巨視経済を理解していないのだ。ただ彼も金融関係者らしく、自己責任論で救貧をも削ろうとする。オバマケアより悪辣な生活保護・障害年金きりすての現状、この点は時代錯誤だ。

 今後この国の政府がやるべきことは、民間部門と政府部門をできるだけ切り離していく、民間委託の方針であって、かつ必要十分な社会保障は行いつつも赤字国債の累積に傾きすぎた財政支出を切り詰めていくという当然の作業である。この方針を明白に打ち出している政党は1つもない。民度が低いのだ。
 日銀が量的緩和という抽象概念でやったことは、実質、企業国有化だといえるので、この日銀総裁の方針もMMT論者の甘言に知ってかしらずか同調的である。即ち日銀保有分の日経ETFは市場に放出しなければならない、しかもできるだけ早く。それが資本主義の市場効率性を信頼するということで、当然の話だ。
「悪夢」としての第二次安倍政権は、一刻も早く過ぎ去ることを希望する。なぜ彼が出現したかといえば、衆愚のせいである。衆愚は自らの不徳と無学の故に、自らに降りかかる災いの悪政を招いた。御用学者に堕してまで売名で金儲けするのを潔しとしなかった良識的知識人は最大限、啓蒙していた筈だ。だが衆愚の悪意の方が多数派として今日の没落を招いたのだ。

畳踏む足の感触も涼し

正道

正しい道を隈なく辿ることが重要で、志を異にする他人の戯言はこの為には全く役立たないばかりか災いを為す。親も兄弟姉妹も、教師も親友も恋人も、家族も親族も、全くこの点では信用に足らない。親身になってくれる人の方が信用が置ける、と考える限り、人は彼らが想像するのと似た行動になるだけだからだ。無論、第三者や他人だからといって信用できる筈もない。
 ただ道の正誤に照らし、己の良心に基づいて進路を自ら決断せねばならない。

関西の笑い

関西人のいう面白さとは下品さのことである。

卑しい人柄はつきあうほど不幸を持ってくる

卑しい人とつきあって幸せになろうとするのは、山でイルカを探すくらい難しい。愚かさは学習で少しは補えるが、人柄の卑しさは先ず直し様がない。しかも意図的に他人へ害を為すのは卑しさの方である。

愛知のあきんど

お前は商売はどれも等しいという
なぜならお前は石田梅岩に洗脳され
愛知で生まれ死ぬあきんどだから
金儲けならなんでもいい?
お前は金儲けが卑しいと知らない
無償で世の為働くのが当然なのに
お前は自分の金欲しさに行動する
資本主義を建前に下衆根性で
人を貪って平等だとほざく
貧しい他人を搾取しながら
労働者はみな平等とのたまい
結局貧富を広げて居直る
皇室や資本家に洗脳され
多数派ごっこで悪業している

労働主義は拝金主義を補う奴隷精神のいいかえ

町人倫理と労働主義は同じくらい卑しい考えだ。それらは拝金主義を別の言い方にかえ自己正当化するものでしかない。なぜなら資本主義自体に含まれる搾取罪や、取引時の情報の非対称性を使った付加価値の収奪、すなわち不等価交換、公害や格差拡大とその固定化などあらゆる負の側面になんの自己批判もしていないからだ。
 労働主義は他人を貪るつもりで貪られる自滅的思想だが、この信仰で政府と皇室に洗脳されきっている労働者が、日本国内でいかに多いことか。労働主義は内的に資本主義を正当化しているが、町人倫理を延長させた奴隷根性を再現し、資本主義の封建的体制を却って強化する。

労働罪

東京で毎日満員電車に詰め込まれ
インターネット上で差別をまきちらす
勿論匿名で悪意で
なるほど労働者のお前はなんなのだ
人間の屑それとも
お前はずっと自分が勝ち組だと
正社員になれれば生涯安泰だと
無職ニートだと賢者を侮辱していた
そして奴隷になり
社畜として自由を奪われた
楽しいか
苦しいか
今日も明日も起きたら仕事
勿論死ぬまでお前に与えられた罰だ

謙虚と驕慢

人は成長中は謙虚だが、衰退が始まると驕り高ぶる。或る都市住民も同じである。

日本礼賛者は没落の兆候

あれだけ大量に湧いていた日本すごい系の自画自賛キャラって、本当に薄気味悪かったにせよ最近殆どみなくなったが、結果からいうと没落期にわいてくる系統だったらしい。多分、現実でも彼らはそうしていて、現実逃避の為に嘘をつく種類の人達がいるということだ。今後、この経験則は人生で活かす。
 日本すごい系の人達をカテゴライズする概念は今思いつかないが、ネット右翼といわれていた人達の一部と重なってる。しかし彼らが湧いていた時期というのは、ソニーがアップルどころかサムスン、ファーウェイにもスマホ市場で負けまくった様な時期に該当し、はっきりいうと旧日本企業凋落の期間だった。戦中に「日帝大勝利」といって敗戦続きの現実から目を背けていた人達と、日本すごい系の人達は全く同じ種族で、戦後も相似行動をとった。確証バイアスの糊塗を科学的・批判的思考より優先した。この種の人達というのは遺伝か文化かは不明だが、仲間にしない方が賢明だ。大失敗の原因なのだから。
 高度成長期の世論は、恐らくだが「日本はまだまだ」みたいな逆に謙虚な自己批判的論調があったのかもしれない。誰かが戦後知識人は日本批判するほど偉い、という雰囲気があったと述べていた。がその雰囲気は、第二次安倍政権が成立後完全に失われ、知識人がほぼ死滅した。自称文化人の商人だけ残った。安倍以後の文化人と称する人達の実態はネット芸人で、ほぼ御用学者か、ネット商材とか一般人向けの心理学っぽい通俗科学本とか、講演で食う類のえせ知識人であって、ほぼ尊敬に値しない。ツイッター芸人の類も同じで、まあ金儲けしてるだけだ。
 知識人は社会世論に批判的で、当然、政府には外部から第三者として警告や長期的大局観により指導的役割を果たすと、福沢『文明論之概略』で定義されている。こういう人は、私の思いあがりでなければ日本で私しか知らない。ほかの人らはただひたすら高踏的商人だから、私は国内言論人で尊敬する人いない。
 東洋の学者の系譜でいうと、諸子百家あたりから読書人は政治哲学者を最高峰とする。日本もその伝統が多少あれ影響し、少なくとも古代の歌人くらいから始まって民主主義を再獲得しなおすものとかいってた丸山眞男くらいまで繋がってる。現時点で日本すごい批判がなかったのは、批評水準が低いのだ。
 日本すごい系テレビ番組が席巻したのは、自民党ネットサポーターズクラブのネット右翼醸成、2ch等でのネット工作が下敷きになり、安倍氏が直接、テレビ局や新聞社に圧力をかけ始めたくらいからめだってきた傾向だった。報道自由度も50位以下とかおちぶれていった。要は独裁者のファシズムだった。あの期間、御用学者と呼ばれる東大だの早慶だのの学歴をもつ中途半端なえせ文化人がどんどん政権に擦り寄って、忖度に継ぐ追従で金儲け三昧していた。私はそれを眺めながら、なんて卑しい連中だろうと心から軽蔑していたが、当人らは朝まで生テレビだのニコ生の正月放送だので威張り尽くしていた。
 日本株に投資しているという関西人のがきんちょが、自分に「またアベノミクスやってくださいよ」とか煽ってきたこともあった。要するに自分の金儲けの為だけに安倍氏をもちあげている、本当に見たこともない様な下衆が全力で調子に乗っていた時期だった。しょぼいバブル期で、弱肉強食を礼賛していた。

 日本すごい系の人達とはなんだったのか? 一言でいえば衆愚だが、どんな衆愚だったか。彼らは媚びてくる愚者といった類の人格で、奸臣であり、現実の日本はどんどん衰退していても自惚れに有利な証拠ばかりを、統計局の三文官僚に不正させながら集めていった。赤点を満点扱いしていた。
 一般論化すると、賢民と愚民がおり、日本すごい系の人達は愚民だった。そして愚民を味方につけた安倍政権は長期化したが、それは小沢一郎氏の言葉を借りれば「悪夢」の延長だった。衆愚政治の時期でもあった。
 偏りすぎれば揺り戻しがくる。それもより大きな反動が。
 延々と日本が衆愚化し、衰退し続けるといった流れには恐らくならないだろう。少なくとも私がみている範囲では、明らかに自分のかね欲しさだけのために株式市場にいまだに公金を注入してほしがっていた品性下劣な最下等の人間1人、2人くらいしか、安倍政権なる独裁政権を支持している人はいなかった。
 今後、安倍政権が倒れてからは知性の復権が興り、これまでテレビやネット芸人としてうまくやっていた連中はほぼ表舞台から姿を消し、忘れ去られるだろう。明らかに俗受け狙いで質の低いことばかりしていたのは誰もが見ていたのだから。一時的な退潮にすぎなかったのだ。本来の知性は畏敬の念を呼び起こす様な類のものであり、一般大衆には到底理解できないし、通俗科学の様に常に何らかの日用性を伴うものでもない。当然、人気とりの様な金儲け自体とも関係ないし、政治言論としては当為を示すに留まる。現実的解決策は政治家自身、議員自身がみいだすもので、住み分けがあるのだ。
 今いわれるべきことは、新自由主義を否定し、国民全てができるだけ幸福に生きられる様な、そして庶民の味方として弱きを助ける勧善懲悪に繋がる様な考え方の必要で、経済弱者中心主義といった法制だ。それが本来の社会正義であり、いわゆる調整的正義である。現自民党は全くこの役割を果たしえない。なぜなら配分的正義、つまり能力に応じた成果を配分することは市場経済が担っている部分なのに、安倍氏はこの商売の役割と、そこで生じた極端な不公平を政治が整え直すという役割の違いを少しも理解していないのだ。配分的正義と調整的正義は異なる。しかもどちらも必要だ。
 日本すごい系の人達は、単に政治学、経済学、その他に無教養であったばかりでなく、根本的に人でなしであって、弱いもの虐めを素で賞賛していた。しかも彼らは自分が勝ち組だと誇り、現実には世界で、或いは国内で負け続けていた。勝敗二元論が幼稚なのは無論、国家社会主義を本気で後押ししていた。
 これから我々が見られるのは、日本すごい系の人達の無残な没落経過と、安倍氏への猛烈な反感からきた自民党の解体だと思われる。隠し切れなくなった敗戦は、やがて真の憂国者によってみな暴かれる。最初から安倍独裁政に評価すべき点など殆どなにも見当たらなかったのだが。

2019年6月13日

嘘つき志望者

お前は自分が貴く偉大で天才だといっていた
だから私はお前に目をかけ手助けしていた
ところがお前は労働者におちぶれ
そこらの下種に発情しながら私を謗った
お前の一生などお前の望む通り自殺相当とて
一体私の側に残った失望はどこへいくのだ
いやお前だけではない
そもそも小説屋という連中はどれも卑陋だった
私は心から軽蔑する連中とお前が同じと認める
だから私はお前を認めてやったのだ
そもそもお前はなにも書けやしない
当然の如く無才
当然の如く凡愚
そしてお前はサイコパスなので
あたり中を傷つけまくり平気でいる
私の恋人も私もお前の犠牲者だ
お前は下種と擬似恋愛し凡人のふりをしたがる
それも到底不可能だ
お前ができるのは死にぞこないの下女として
一生うらみつらみの中で商うくらい
だから私はお前にもうなんの期待もしていない
辛うじて私にいえるのはお前の人格の低劣加減
しかしそれもお前にはなんの意味もないだろう
お前は無感動で腹の中は悪意と虚栄心
動物未満の下賎な性欲で動く細胞
つまりは生きながらえるにも卑小すぎる
お前はちっとも貴くなどない唯の会社員
どうでもいい存在が今日も代えが利く仕事で
はした金を溜め込み結婚がどうとかほざく
偏差値教育で遺伝子だか才だかを差別しつつ
通りもしない東京中華思想で贅沢品を買う
私から見ればお前は単なる愚物なのだが
それでもお前は生にしがみついている
お前の自死ごっこも嘘だったと知っていれば
良心のない下卑た馬の骨と知っていれば
浪費癖の刹那的快楽主義者と知っていれば
少しもお前に時間を割くことはなかったろうに

都会ごっこ

ろくでもない人間に囲まれ
そいつらはひたすら下衆に群れ
性欲を満たすためうろつく
名古屋駅を東奔西走
東京に媚を売り大阪で道頓堀に跳び込む
だからなんだというのだ
自分に一切関係ない
ごみの様な世界で金を貪るあきんどが
東海道新幹線で右へ左へ
だからなんだという
自分には俗物の金儲けにしか見えない
自称洗練
実質金儲け
俗受け狙いの都会ごっこ

国連革命論

人類としてとるべき道は、いかなる宗教を信じる人も、或いは無宗教の人も、全人類、全生物ができうる限り幸せに生きられる世界をつくることであり、特定の国、特定の宗教に立つ人を犠牲にしてはならない。この点から米英仏を主とした軍需産業が政府をけしかけ、戦争をやめようとしないのは外部不経済、公害の一種でしかない。イスラエルも含め、自由圏はその外にある何らかの国教を持つ宗教諸国を攻め立てるべきではないし、何らかの策謀を用いて相互に敵対させあうべきではない。
 同じく、共産主義や社会主義の体制をとる諸国民を、自由主義の建前をとる諸国民は侮辱したり、陥れたり、戦争等をしかけ平和を乱してはならない。
 これら全ての国々にあって正当防衛の範囲は、ただ自国を自衛するものに限定されねばならず、国連での集団自衛権は安全保障理事会の決定に待ち判断されねばならない。且つ、常任理事国制度は撤廃し、国連加入国全てが等しい議決権をもつ共和的地球秩序へ国連革命を起こさなければならない。

r/K選択の語源

内的自然増加率rはthe maximum growth rate(最大成長率)のrateの頭文字をとった略。環境収容力Kは、Kapazitätsgrenze (capacity limit、容量制限)を略してK。ドイツ語は名詞だと頭文字が大文字になるのでKは大きい。

慈善は善人に対してのみふさわしい徳目

下賎の徒を愛するのは、調度、自分に災い為す悪意で一杯の犯罪者と共同生活を願う様なものだ。下衆に慈愛をもつのは自分の首を絞めているだけだ。この世で同情に値するのは根っから善良な人間だけであり、その種の人を除けば業のままにして置くのが最善である。

無知、無知の知、有知の全体を辿る能力が賢さ

ある知識を知らないことを種に、他人を見下したり謗ったり、人格的に貶めたり、愚かだと「馬鹿」(日本語の馬鹿は、「無知」の意味のサンスクリット語mohaの漢訳)など罵る人というのは、文化圏を問わずかなり広く見受けられる。だがこれは誤りだ。愚かさ一般は無知によるのではない。それは既知を使う働きの方にあてはまる。無知への謗りそのものが愚であり、人は全知に到達し得ないのだから、博学さには程度がみられるだけで、いかに博学な人にも常に無知な領域が残る。
 博学さそのものを誇っている人は、同様の意味で愚を免れない。
 ソクラテスの無知の知は、無知を正定立とすると、根本的に無知への反定立である。合定立は無知と無知の知を止揚した有知といえるが、少なくとも反定立の段階なしに人が有知に至りはしない。つまり有知は無知を止揚した段階ではあるにせよ、それは別の無知の定立でしかない。無知の知とは無限に無知を否定する立場なので、有知に留まるより或る意味では優れた状態である。
 賢さ一般は、無知、無知の知、有知の全要素を含む、よりよく知ろうとする働き全体のことなので、ただある事柄に無知なだけで愚と見なす人は常に間違えている。それは強いていえば無知としか言い様がない。しかしこれを俗語化した「馬鹿」という愚かさとして一般化した表現で、或る事柄の無知さを指摘する人は、往々にして当人がより無知なだけで相手がより多くの有知を持っている故に(特に別分野の知識に関しては先ず確実にこれがあてはまる)、調度、崖の下(無知)から崖の上の人(有知)を罵る様な場面がよく見られる。なぜならその人は現に崖を登りつつある人(無知の知)より後塵を拝しているばかりか、自分自身が一体なにについて無知なのか自覚していないからだ。

数学は内証的規則の集合

私が「数学はそれ自体の規則の集まりなので、その内部での詳しさは外部的にはプラモデルを組むのと本質的に違いはない(不完全性定理でいう内証性)」と説明したところ、或る物理関係の教師らしき人物が馬鹿だと罵ってきた事があった。この人は物理にとって数学という道具が内部的な機能しかないと知らず、真理と同等のものだと思っているのかもしれない。或いは数学自体の応用範囲はプラモデルより広いと思い上がっていて、それ自体の内証性の意味を把握できなかったのかもしれないが、どちらにしても、数学それ自体は真理ではない。唯の規則である。

慈善に値するのは聖人であり俗人ではない

卑しい人と親しめば人はその人に似る。そしてこの世で最も難しいのは、卑しい人とのつきあいを避けて生きることだ。どう控え目にみてもこの世は卑人(不道徳な人)で溢れているし、人は孤独に耐え難い。だからゴータマは「修行の全て」が良い友を得ることだといったのだ。
 孤独が耐え難く、忍び難いと彼も認めているが、やはり人の憂いは卑人の持ちくる悪業の災いを置いて他にない。彼が出家や脱俗を勧めたのは全く同じ理由からきた徳で、凡夫の考える類の世俗的幸は、実際にはなんの幸福でもない。それはただ同調的安心といった類の偽りの幸で、実際世人は大いにその内にあって悩み苦しんでいる。
 この世で期待できる幸福は世俗の憂いがないことで全てであり、それ以上の栄華を望んでいる人達は蜃気楼を追いかけているのだ。
 善友は脱俗的な志を持ち、悪友はこの逆に世俗化を求める。善友は得難く、悪友は得易い。否、悪友は世の殆どを占め溢れ返っている。恋人や愛人も異性の友連れと考えれば、事情は同じである。
 悪友への同情は災いの種に他ならない。慈善を向ける対象が悪徳に満ちた人かをよく観察せよ。この世には悪意を持ち他人に害を為し恥じぬ俗人がいる一方で、善徳の故そこで集団虐待され苦しむ聖人もいる。慈善に値するのは実際には後者だけだ。

政府は基礎所得を非リスク資産で保障すべき

日銀や年金機構を通じ、政府側が株の運用をするのは、いわば民間人の利益を収奪しているのと変わらない。

 年金機構に限っては、少子化の中、賦課方式で将来の年金を賄うにその方法をとる他なかったとして、個人年金(iDeCo)の枠で積み立てさせるのは、実質的に政府の公的役割りを放棄しているに過ぎない。それは低所得者により不利な二重制度、そして政治的調整の機能不全だからだ。
 また日銀の投資収益は民間全体の富を、いわば政府が自社株買いしているのと変わらないので、日本株の投資家に有利に一見見えるが、実質的には公金を使って日本の上場企業の全体を過剰評価させているのだ。いいかえれば市場価格を実態よりうわぶれさせているだけ、本来より安値で買えた、または市場の実勢をより反映し将来の価格の見通しが立てられた投資家の一般利益を損なっている。そして日銀の収益分は、市場全体に還元されず、同社の株をもっていた一部の株主の利益になっている。

 年金機構が国際分散投資で運用を続けるのは、将来の年金額を日本単独の税収で賄いきれない以上必然としても、個人年金に責任を丸投げせず、年金額を上乗せした、最低限度生活保障を政府が行う事こそ憲法に定める生存権である。したがって株によるリスク資産を除いた分で、政府は最低でもこの基礎所得の分を国債と税収で賄うべきである。
 日銀の保有する日経平均ETF分は、適宜市場放出すべきだが、これはできるだけ早い方が、企業の実態価格が市価に反映されるだけ望ましい。

無知は悪意ではない

賢愚は知識の有無ではない。尊卑は知識の有無ではない。それらは働きである。ある時点でその人が持っている知識量には常に限界があるが、働きは各々、少量の知識でも優れたものがある。
 卑しさと無知は別。無知による他害は動機的に悪でない場合があるが、卑しさによる他害は動機が悪意に基づいている。「無知で説明できるなら証拠なく悪意のせいにしてはいけない」
 人を見て法を説け、だとしても、他人の知性を過度に高く見積もり過ぎる方が、低くそうするより優れている。なぜなら相手を尊重していることになるし、少なくとも何かを学ぶ機会を与えた結果になるからだ。しかし他人の知性を低く見積もり過ぎていると単に相手を馬鹿にしていることになるし、何より、自他が新たな知識を得る機会を失ってしまう。

2019年6月12日

シンギュラリティは幻想

コンピューターの得意さと、人間の得意さにはズレがあるので、シンギュラリティは幻想である。

繰り返しの効果

繰り返しをやたら嫌う人は、最小語彙でより多くを説明可能と知らない。また反復は韻律を作る効果を持ち、全く等間隔で長ければ退屈感を、短く無作為なら高揚感をあらわすなど、相似の環境情報との類推で無意識に感情を呼び起こす。

SNSでの人づき合いについて

無用の人づき合いは煩わしさを増し、習慣や語彙などで親しむ人と似る副作用を持ってくる。不特定多数と交流するSNSでは通俗化が結末である。
 卑しさを学ぶのは矛盾だろう。確かに不慣れという意味で、よい育ちをもつ人は未知の世界である下衆根性を理解するのが難しい。だがもしそれを見知った所で、一般には反例でしかない。

カタカナ英語の意味

カタカナ英語は、明治以後に流入した和製漢語と別に、主に戦後入ってきた英語その他の欧米語彙をそれ以外と見分けるのには役立つ。
 勿論、カタカナ英語は表意性を消失している。しかしカタカナは日本語音だが、英語は日本語音で訛ってしか発音できない。脳は最小要素、最短経路で経済的に物を理解したがるので、日本語が母語の人にはカタカナで記述された方が英語で記述されるより認知的負荷が少なくなる。したがって英単語その他のローマ字などを使う外来語の表意性を直接記すにあたって、恐らく読みづらくば日本語発音での振り仮名つきで記述した方がよいのだろう。
 また一般にこの種のカタカナ英語を、既に日本語化された語彙、又は同等の典型的語彙があるのに無用な場面で使う傾向は、衒学か気取りの一種と受け取られるが、同時に演劇的文脈では出羽の守的な欧米かぶれの学者や起業家といった風を現せる利点がある。

道徳的無知が卑しさの原因

卑しい人と少しも親しむ勿れ。彼ら自身の道徳的無知は余りに多すぎ、それら全ての改善は先ず不可能だからだ。同趣旨で自分以上に尊い人とのみ付き合えとしたゴータマの忠告は全く正しい。人格的向上心なしに生きている人が進んで道徳性を学ぶ事はないのだ。これが経験によってしか学び得ない愚者がいる理由である。

賢愚の差

人の賢愚は数語で知れる。十を説いて一も知る事がない人は、純粋に愚である。
 知識を誇る人に賢者はいない。知識自体は無限に過ぎず、学習量にほぼ比例するだけで、重要なのは思慮の方だからだ。

政治道徳の哲学が全生活の中で最も神的な活動

アリストテレスが理論的生活(観想的生活、theoriaの暮らし)を理想視していたのは、この立場が最も世俗的煩いから離れているという意味で全く正しい。実践はいうまでもなく忙殺に終わるし、制作に関しては理論にとって必要十分以上のそれは実践と同じ轍に填る。
 また一般に、愚者であればあるほど実践に近い活動を好む傾向が見受けられる。当然といえば当然だが、理論は言語知能を生かした活動で、記号の再配列という人のなしうる最も抽象的な活動である。しかし実践はこれに比べあらゆる不確定要素を含み、非主体的な影響、或いは偶然の変動を受け易い具体的活動である。今日知られている最も原始的な生物であるところの原核細胞も、実践のみの活動を営んでいる。
 結局、アリストテレスのいう神に限りなく近い生涯とは、理論的生活の延長性だといえるだろう。彼自身が哲学者だった為、自己正当化の為にこれを理想視したとしても、少なくとも全理論の中で最も抽象性の高い倫理哲学、特に最も広範に影響する政治道徳の哲学が、最も神的な分野といっていい。清談を好んだ東洋の政治哲学者らは、この意味で我が指摘を待つまでもなく同趣の伝統を持っていた。

集団間の相互作用としての道徳的淘汰

より退廃した公害度の高い文化集団が滅び去るのは、文明にとって必然的作用であり、結局、ある道徳が導出されるのはある時代の置かれた文化素の環境で、最も利他にふさわしい行動系列が選り抜かれていく経過によっている。不道徳を礼賛している人達は、当人がその不徳に自覚があるか否かに関わらず、置かれた状況下で適応的ではない。

下衆は文明を正しく生かせていない失敗例

下衆は聖人を侮辱している。それは彼らが真善美の諸価値をろくに認識していないばかりか、自らの悪徳生活を正当化する為だ。当然彼らには全知の理想も想像外にあるので、ただ下賎な衆愚に群れ生涯を過ごし死に絶える。
 我々は過去の聖人より遥かに恵まれた文明環境にあるのだから、少なくとも聖人以上の存在でなければ単なる努力不足といってまず間違いない。ところが下衆は更に堕落を極めようと同類以下と群れつつ悪業を恣にしている。

啓発と教育の原義

下衆に尊さについて教えるべきではない。中人以上には以て上を語るべしとは、下衆は永遠に高度な徳目、高尚な事柄に理解が及ばないという意味だ。孔子は啓発をこの意味で生徒自身の向学心に応じ教える意味で使っていた。確かに彼のいうとおり下衆に高度な内容を教えても理解できないばかりか誤解を重ね、寧ろ反発するという場面を私は見た。孟子が教育を英才教育の意味で使っていたのともこの事実は照合する。
 愚者や卑人は自らの徳に応じた結末を経る。そして彼らの存在理由は世に反例を示すことだ。

2019年6月11日

合法的転勤を命じた会社を私刑し株価を下落させたのは何らかの法制化以前の罪

正社員は資本主義の位階制では奴隷階級に違いないのに、普段から非正規社員だの無職だの無業だの、その他かねにならない名誉職だのを物凄く差別して、しかも不当な搾取を正当化しているのに、いざ会社から転勤命じられたらブウブウ文句をいう。どれだけ自分が特権階級の勝ち組だと勘違いしているのか。
 ある会社と法的契約を結んで所属してるなら、その社則に従うべきなのが当然の話で、これは私に不都合だから「ツイッターで」その会社を悪者仕立てに匿名で晒し衆愚的非難を加え、株価を失墜させたというのは、完全に市場壊乱の反社会的行為では? 単なる無法な私利で公益を損なっているからだ。
 確かに転勤のタイミングが家庭事情から見たら無理があった、だから辞めましたというのもこれは常識の範囲でしかない。日本は雇用の流動性が低い。正社員辞めたら非正規の口しかなくなるかもしれない。でも、そういう構造に乗っかって正社員に滑り込めば一生安泰とか弱者を踏みにじっていたのは彼らだ。もしその正社員に擁護できる点があるなら、彼・彼女が事前に「正社員と非正規の区分は明らかに社会的差別だから私はこれに不賛成だ」と表明し、公に意見を述べ、そういう体制をとっていない会社なり組織に所属していた場合だけと思う。普段は自分が差別する側だからOK、いざ法的に不利になったらテロ。
 特に大問題なのは、このツイッター暴徒の風評テロ被害にあった会社側(そもそも違う会社かもしれないのだ)が、社員と合法的に労使契約を結んでいたのに、単なる正社員の妻のわがままで株式市場で致命的な損害を受けた事であり、風説の流布とは違う、新たな何らかの罪に該当している様に見えるのだが。何が大問題なのかというと、簡単に言えばこの会社は法務的に問題のない労使契約をしていただろうし、場合によっては全く当の人事と無関係の会社だろうけど、株主らは或る会社を辞めた社員の妻のツイッターでの風説流布のせいで、普通に資産価値が下落させられている。とばっちりでしかない。
 ネット世論が衆愚化し、法務と実情のずれを冷静に評せず、とかく2chねらー式に或る会社を私刑的に特定し、事実の有無に関わらず、結果として株式市場を壊乱した。これは会社員の法律上の立場を弁えていない或る個人のわがままが原因である。もし労働者の地位を向上したくば法でそうするしかないのだ。或る会社員自身が社内で組織し、社則を変えるなり、議員に依頼するか自身が議員として労使契約の条件をより有利な物に変更する法律を通すなり、いずれかの手段がその妻らがとるべき公正な手段であり、株式市場の壊乱で無関係の疑いが濃厚な一般株主の資産に、多大な損害をなすことではないでしょう。
 そして非正規雇用法自体を非難・撤廃せず、自分は正社員の立場から、いつでも首きられ転勤だの異動させられまくりの非正規社員を見下し見下し不当な給与を食んでいたのに、いざ自分の家が不利になったらネットの衆愚世論に訴えるというのは、端的にいって卑怯極まりない。だから私は少しも同情できぬ。

先生との敬称は心からの敬意を伴っていなければ唯の虚礼

なぜかは知らないけど、なんかで博士号もってる人を「先生」と呼ぶ慣習嫌い。その人が他の分野とか、倫理とかでは赤点レベルでも、普段から先生扱いするのはかなりおかしい。嫌味の意味で使うとしても、博士号もってない人を相対的に差別的に扱っている事になるし。普段は同列に扱えばいいと思う。同じ事は政治家とか建築士とかを先生といってる人にも感じた。まだはっきりと嫌悪感の原因が言い表せないが、恐らく何らかの非人道的要素がそこに含まれていると思う。「先生」は日本語では小ばかにする意味が含まれる場合があると漱石が書いてた気がするが、それとは違う文脈で身分差別の名残と思う。
 天賦人権論に反する観念が、学位、資格その他の地位に対する「先生」扱いなのではないか? もしその種の敬称が、第三者の目から見ても共感できるなら、相手を心から敬っている場合で、それは属性に対する上辺だけのものであってはならない筈だ。私もこの意味で先生と呼びたい人は、実際にいる。

尊卑を見分けられない人は単に卑しい側に属している

尊卑を見分けられない人は、つきあうに値しないだけ卑しい為そうなのだ。彼らの目には全てが自らへの利害、損得勘定でしか見えていない。道徳的相対主義者はひたすらこの種の卑しさ、利己性を正当化するべく、無判断を是認している。この意味で彼らは利己主義者でしかない。

芸術価値は経済価値と異なる

芸術価値を経済価値に還元しようとする考え方を「商業主義、commercialism」といえるが、今日のアートを根本まで毒しているのは完璧にこのイデオロギーだ。大衆迎合やキッチュさも同じ根から生じる。バンクシーが初期に持っていた前衛性の部分にあったのも、反商業主義性だった。
 私はSNSで知り合ったある2人の人達に、絵を売ってみたらどうかといわれた。私はそれまで、ある種の貴族主義を持っていて、そもそも純粋美術が非商業的なのはそれが高貴な証拠だと考えていたのだが、自分の考えを反証する為にウェブ画廊などを通じ、作品販売を数年の間、試みていた。だがこれにあわせ美術市場をとりまく全事情を探っていくと、上に挙げた「商業主義」が俗物根性の世界として歪められながら欧米美術全体に広がっていて、しかも日本美術市場ではサブカルチャーにほぼ全域が侵食されているといった構図が浮かび上がってきた。私はそのどちらにも呆れた。
 芸術価値を経済価値で評価しようとするのは、そもそも間違っている。建築や音楽の分野を考えればわかるよう、単なる高価な物件、商業音楽と、名建築や音楽史における傑作は一致していない。しかし美術や文芸の分野では、商業化がより一層進んでいて、サブカルチャーと境界をなくす傾向が流行している。美術分野では村上隆氏のスーパーフラット理論、文芸分野では村上春樹氏の中間小説(純文学と通俗小説の越境例)が、それらの分野の中で商業主義を正当化している。彼ら商業主義の唱道者は、はっきりいえばスケープゴートなのではないかと私は思う。長い目でみれば両義的存在者は排除される結果になる。

 純粋美術とはなんだったのか。それは近代の画家が注文主の為の装飾職人から離れ、自らの前衛的な美術思想の表現媒体として、制作を再定義した所からはじまっている。同時に独創性が唯一の評価軸になった。
 我々はネットという道具を手に入れ、絵を単なる自己表現の為、他人に伝えられる環境にある。これは以前からアーティストらが手に入れたくとも手に入らなかった大変恵まれた環境だ。展示空間そのものが制限されていたのが公募展(西洋で言うサロン)だったし、日本画も私的空間に留まっていたからだ。
 しかし平成の美術家一般は、ピクシブを通じ、セミプロまたはアマチュアで漫画様式を使っていた人を除けば、少なくともこの環境を殆ど生かそうとしなかった。それどころか絵を箔付けして高く売るため相変わらず公募展に応募したり、欧米美術界へ輸出にいって競売市場で高値をつけさせようとしていた。

 多分、私がこれから書くことが岡本太郎以来の日本美術、もしくは世界美術の歴史の中で決定的な潮流の転換点になる重要な見地になると思うが、純粋美術は商業主義から決別しなければならない。そして誰でも自由に好きな絵を描いて、好きな作品をネットを含む自由な場に、無料で展示しなければならない。
 村上隆氏は著書『芸術闘争論』の中で自由教として近現代の日本美術の教育が囚われているイデオロギーと、この考え方を非難していた。なぜなら彼は商業主義に毒された、欧米と日本の両義的存在者だからだ。サブカルチャーにもファインアートにも振り切れない中途半端さだから、自由が肯定できないのだ。
 純粋美術、即ちファインアートは貴族的分野である。それは商業的営利を軽蔑し、自らの利害を全く離れ、ただひたすら自己実現を追求すべき世界であり、そこではどんな表現でも可能だ。大衆受けするか、市場で評価されるか、歴史に残るか(文脈主義)さえ、作家には実際にはどうでもいいことでしかない。
「私はこう思う、ゆえにそれをいう」。これが純粋美術の持っている最高の美質であり、企業の意向だの、株主の利害だの、消費者の反応だの、批評家の立場だの、学芸員の思想だの、政府の権勢だの、大学の人間関係だの、これらは先ず全く自己表現と関係ない。1人も理解者がいなくても自己表現はできる。美術家はこの様な純粋な目的で表現追求する結果、確かに極貧になり世間から狂人扱いされ若死にすることもある。だがそれがなんだというのか。世俗的な商業作家をみるがよい。彼らが模範といえようか? 我々は彼らを見ても、やはり軽蔑の念しか感じないのではないか。金儲けなら商売人の方が巧いのだ。
 美術家、アーティストがどうあるべきかについてはこれで説明できたと思うが、我々の社会的意義とは何か。それは経済価値(つまりカネ)、政治価値(政治思想からの判断)、場合によっては科学的・哲学的な学問的価値(真偽や善悪)、その他の非芸術的価値から全く離れた意見を表明可能な事だ。世界中の思想家だか大統領だか皇族だか、或いは全人類の一般大衆がこれをこう言えといっていても、我々はそれを完全に無視できる。なぜなら純粋美術は自由な領域だからだ。金にならないから大衆迎合する。実に馬鹿げた事でしかない。なぜ自ら、金で買えない最高の価値の1つである自由を放棄するのか?
 私は並のアーティスト志望者らが次々挫折していくのを横目で見ながら身をかわしていた。それというのも彼らが自由を自ら放擲したのは、ほぼ全ての場合に金欲しさにみえたからだ。生活の為と偽って才能のなさを言い訳するべく、凡愚な商人に堕していく連中は、商売人としても二流の存在にしかなれない。
 人は初志を貫徹すべきであり、この為には如何なる妨害も知恵と勇気で退け、進んで困難と立ち向かいあらゆる事態を打開しなければならない。そして商業主義という罠が、我々を今日最も苛んでいる最大の悪意だが、これは商人が芸術家を買収しようとしているだけの事だ。表現の主導権を取り戻すべきだ。芸術家は商人ではなく商人を兼ねられもしない。否、寧ろ兼ねるべきでない。芸術家には固有の職能があり、それは今日、ただひたすら純粋に芸術価値、有体にいえば美の追求を果たす事でしかない。全世界の人が或る芸術家を狂人扱いし、又は完全無視していても、自分が見うる最高の美を表現して死ぬべきだ。
 我々の作品が一生涯売れなかったとする。自らの全人生を懸けた全技術の結晶体が、全人類からごみ扱いされていたとする。しかしあなたは本当にそれを嘆くだろうか。本心では、自らそれを表現できた時点で、してやったりと思うのではないだろうか? だがこれが本来の意味での芸術の意義なのである。本心にもとる俗受けを狙うのは一切やめよう。その結果、ばたばたと芸術家が餓死したとしても、私は寧ろその一員になる方がよほど幸福だと断言しておく。実際に下らない商業作品を作って売ってみるがいい。そこらの俗悪な商人の方が遥かに金を儲けていく目の前でただひたすら惨めになるばかりだから。
 経済価値で芸術価値を評価するのは、芸術価値で経済価値を評価するのと同じくらい愚かだ。ユニクロやマクドナルドが、ルイヴィトンやディオールがいかに利益をあげていても、醜いだけ、下らないだけの製品サービスなど無数に見つかるので無価値だ、と言う人は、商人からしたら意味不明に見える。同じく、金にならないからこの作品は意味がないといっている商人は、端的に馬鹿なのである。大衆受けしてるからこの映画が最高の作品だといっている人間はただの俗物である。芸術と経済(商売)は全く別の分野であり、双方は住み分けによってよりよく、世界に価値を提供できる。美と利益は別のものだ。

日本政府は計画経済をやめ緊縮財政で収支を改善せよ

携帯違約金を政府が操作する計画経済は、明らかに自由主義の本旨にもとり、市場壊乱により新興企業(格安SIM系)の芽を摘む結果になる。大手と格安の住み分けを意図的に外すと、規模で優る大手の方がより有利になってしまう。
 なぜ日本人大衆がこれへ迎合するか。国家社会主義的思考なのだろう。
 安倍政権は数多の国家社会主義政策(賃上げ要求やら量的緩和と称する日銀・年金機構を通じた日経ETFの寡占やら暗号資産統制やら)で俗受けを狙い、朝三暮四で赤字国債を積み上げたわけなんだろうけど、彼の退陣後の日本を破滅させつつ己の長期政権による名誉だけ追う姿勢は権力俗物というしかない。より深刻な問題はそういう首相を忖度だかお追従だかして愛国を自称する衆愚の方で、なぜ以前にも増して衆愚政治がはっきりしてきたかといえば、自分のみていたところ2ch以来の匿名ネット世論が大いに関係していると思う。これまで発言権のなかった愚民が大挙し、世論をより暗愚に群れさせているのだ。
 日本のネットを匿名衆愚の巣窟にさせた文化的影響の根本原因は、明らかに2chだった。西村博之氏は、実名SNSを世界に定着させたザッカーバーグ氏と対極的に、匿名BBSを国内限定で大いに流行させ、日本のネット空間を犯罪者が跋扈する闇の世界とした。これで今の衆愚政治に繋がる大きな流れができた。「悪化が良貨を駆逐する」のが日本の匿名ネット世界で、そこでは悪意ある犯罪行為の方が常に、善意ある実名の行動に優越する。理由は多数派が「和」という日本独特の慣行で、少数派を排除する同調圧力が働き、より低俗で暗愚な方へと世論全体が流されていくからだ。犯人は逃げ、正義が袋叩きにあう。
 安倍政権が執る類の国家社会主義政策は、匿名ネット衆愚と極めて相性がいい。孤独な群集は他人本位の不安な大衆で、多数派への迎合を唯一の目的とした狂信的集団であり、いわゆるファシズム的同調行動を常に求めている。ネット右翼というのが出現してから、この点で戦前退行が決定的になった。自民党憲法草案をみればわかるとおり、安倍晋三氏の改憲目的は、彼の出身地である山口県が長州閥を通じ寡頭政治を行いえた明治時代への懐古的退行である。個人主義を後退させ、人権を制限し、松陰の一君万民論を原理とした天皇制ファシズムを再現しようというのだ。国家社会主義的経済政策もその一環。
 アベノミクスと自称する彼の計画経済は、後世からみれば日本経済に長期に渡り癒えない致命傷を与えた大失策と評される筈だが、現実にその最中にいた者として私が伝えられるのは、目先の利益で、利己の為だけに安倍氏を礼賛していた連中は、口先では愛国と称していたが、現実にはただの人でなしだった。彼ら安倍信者ともいえる人々は、東日本大震災の混乱も覚めやらない中、安倍氏を妄執的に礼賛しながら株式市場へ公金を注入させ懐手を肥やし、移民を導入しながら社会保障をきりすて、格差拡大の中で、己の日本株プチバブルでの金儲けしか頭にない悪徳商人が音頭をとって、政治経済に無知な一般民衆を完全に騙していた。その「ええじゃないか」的な馬鹿踊りの果てにあるのが令和初期の計画経済の行き過ぎであり、内閣が法と無関係に携帯電話会社を命令操作するという、自由圏では最も意味不明なまでの典型的社会主義経済を導出しているわけである。ゆとり世代の出現も重なって、一般民衆は市場放任を理解できないのだ。
 一言でいうと、政治経済の観点から日本人一般の知性の劣化は明らかだが、これはマンガアニメ、ユーチューバーの流行など学術世界の大衆化・商業化傾向と同時並行的に起きてきた現象にもみえた。ある時期、多分、第二次安倍政権が始まった頃から、テレビ内容も目に見えて愚劣になっていった。もう相当、情報に遅れている人を除けば、或いは高齢者を除けばほぼ誰もテレビは見ていないと思うが、代わりに出てきたユーチューブというネットテレビ的市場も、喜劇的な娯楽芸人が人気を独占し、対象年齢は小学生という内容にほぼ寡占されていった。なぜ知識人の質が異常に劣化したか、分析すべきだ。
 ローマ帝国末期、パンとサーカスと呼ばれる大衆娯楽環境を政府が与え、異民族の傭兵が傾国の兆候となって、滅亡した云々と教科書に書いてある。福田康夫元首相がどこかの新聞で似た様な事を言っていたらしいが、亡国の決定打を安倍政権が現に次々打ちまくってきたのは、政治知があればもう十分知っている。

 藤巻健史議員は計画経済を批判している点で、安倍政権・麻生財務相の経済政策の誤りを少なくとも現に指摘できているし、国民一般の知性がまだまともであったら財政収支を正そうとしたろうけど、もはや自民党狂信者となっている衆愚に何も期待できない。MMT実験台の国が破綻しても被害者は国民自身だ。安倍氏が退陣後、次の首相は彼の失政の過半の実際的責任を負わされる役割になる。だから誰もなりたがらない。だが安倍氏が独裁者のまま居直ればもっと悪政が続く。衆愚自身は表面的な長期政権さえみていれば、虚偽統計も確証バイアスで無視するので、政治経済的に成功していると考え、破滅へ突進する。
 小泉劇場は、今から見直せば、非正規雇用法を最大の悪手として中流没落と格差拡大による日本凋落のはっきりとしたはじまりだったわけだけど、当時は彼の人気とり政治で民衆は大満足していた。安倍劇場はそれよりもっと酷い。秘密法、共謀罪、戦争法など悪法量産で、遂に天皇へ違憲退位までさせている。安倍氏は大いに勘違いしていると思う。この世で権力亡者がどれほど長期政権や絶対政治を司っても、結果が悪ければそれは悪政と評される。長州閥も同じだ。薩長藩閥の明治政府は英語で「明治寡頭政治」と評され、少数派による悪政の代名詞なのだ。歴史家は小説家ではない。現実の事件を冷徹に記述する。
 吉田松陰は宇都宮黙霖の説をとって、覇道・王道という儒家の理論を援用しつつ、徳川幕府を覇府と定義し、尊攘論から倒幕論に転向した。ところが現実に薩長両藩は、冤罪や偽勅で政権簒奪を図った。松陰をいまだに唱道者としている安倍氏の長州閥的考えも実際にはマキャベリズムに過ぎない。覇道なのだ。リテラというサイトは、水戸学風の尊王論の枠組みで、天皇と安倍政権を仮想敵として対立させ、政権批判を繰り返している。これは王道、即ち徳を持つ君主を天皇と仮定する立場に基づくが、現実の水戸学は君主無答責なので、天皇が不徳でも政権の方が王道政治を行わねばならないという考え方だ。
 即ち、安倍政権の悪政を打破するに、天皇を担ぎ上げるのは正しい方法論ではない。国民主権以後、王道政治は国民自身の中で最も公徳の高い者を政権に就ける選挙によるのであり、単なる象徴で実権を持たない天皇親政を復活させる事によるのではないのである。

 計画経済を辞めさせる事、数多の悪法を正す事、自由市場と矛盾しないやり方で格差逓減策を打つ事(租税回避防止法を伴う累進課税と最低限度社会保障の拡充になるだろう)、公害施設である原発の停止をはかり東電等大手電力会社の外部不経済にも然るべき制裁を与える事、東アジア外交を好転させる事は最低必要な方針転換だ。東京で生じている大企業の一極集中については、集積の利益と自由市場の合理性を鑑みれば政府が統御すべき案件ではないと思われる。経済面で考えるべきなのは中流の最多性をいかに復活させるかだ。私は非正規雇用法を撤廃すべきだと思う。それがなかった時代の方が全体として日本経済はよくやっていた。
 そもそも雇用市場に政府がなんらかの区分を設ける事そのものが計画経済の一種で、それが失敗したのが小泉政権以後のわが国の巨視経済だったのではないか? 格差拡大とは池田内閣以来の一億総中流的枠組みを新自由主義で蹂躙した結果、内需7割のわが国の没落が始まった悪手だったのである。徳川幕府は総じてインフレ・デフレの両方に際し、インフレ(通貨膨張、物価高騰、景気向上)にあっては緊縮財政、デフレ(通貨収縮、物価下落、景気悪化)にあっては財政出動を相互に繰り返して対応していた。それが江戸、今日の東京という実質的に世界一の大都市を作り上げた基本的な知恵だった。対して安倍政権がどうか。財政収支が破綻しかけているのになぜ緊縮財政を行わないのか。亡国したいのか?
 日本国民が、もし世界で有数の賢明さなら、MMT論者の戯言に耳を貸さず、早期に暗君安倍氏を放伐し、政府が皇室ともども質素倹約に励み、財政収支を今日模範のドイツのそれにできるだけ近づけようとする筈だ。同時に救貧策や公害防止など最低限度の経済政策だけを行い、民間市場に介入しないべきだ。
 もし私が首相に今なったら、政府主導でのリニア建設を中止する。これは民間がやるべき仕事であって、政府が計画経済的に行うべき代物ではない。技術革新は民間主導でしか結局は推進できない。政府は営利企業ではないので需給の観測を常に誤るからだ。同じく公共事業をできるだけ民間委託し支出を削る。
 また私は先ず最初に北朝鮮へ直接訪問する。できたら韓国の大統領、中国の国家主席らとも臨席して。金正恩氏と直接会談し、そこで拉致問題の解決を願い出ながら、相互経済振興を含んだ恒久的な軍事的不可侵の平和条約を結ぶだろう。実現できれば、少なくとも無駄な軍事費を米国に貢ぐ必要はなくなる。わが国にとって専らの脅威となっている北朝鮮の威嚇射撃は、金氏にとっては仮想敵を北朝鮮国民に周知させる専制パフォーマンスになっているといえると思うが、その劇場は彼にとっても必須ではなく、寧ろ北朝鮮の軍事的安全を確保しながら経済発展を図れればもっと株が上がるわけだ。北朝鮮の市場開放が極東に与える振興効果は波及的で、特に周辺国にあたる日中韓への恩恵は大きい筈だ。当然ながらどの国の為政者も権勢欲は別に、自国民の幸福と安寧を願っている訳だ。私なら米国の利害(在外米軍費を削り米国経済を有利にしながら極東支配の主導権は維持したい)と矛盾しない様に、北朝鮮と相互不可侵を協約する。
 他に無数の善い政策は持っているけど、救い様がない暗君なのは明白な安倍政権をとりあえず打破しない事には余り政府へ知恵を与えるわけにも行かない。だからさっさと衆愚が自民党信者を離れるなり、自民党員が内部クーデターで派閥を組みかえるなり、小沢氏を中心として野合勢力を最大化なりすべきだ。

愛知文化について

愛知の人々は東京と大阪の暗面へも共にほぼ無批判に追随し易い。彼らは徳川宗春の支配以来、商業化を肯定する傾向にあると同時に、権力追従を是とし、東京文化、大阪文化の双方に模範としての地位を認めているからだ。例えば東京中華思想を全く妄信的にまねていたり、都内で見逃されている犯罪(性売買罪など)を単なる商業文化の観点から模範にしていたりする。
 同時に彼らは東京文化を大阪文化より程あれ優れていると考え勝ちで、その理由は東京の方が経済規模が大きく、今のところ日本政府が存在する為である。
 総じて愛知文化は、金権(金と権力)に追従し易い性質を持つといっていい。

文化素(ミーム)と文化の定義

ある人をつくりあげているのは究極のところ遺伝子と文化素(ミーム)だけとすると(ある人の肉体は自然的にはある遺伝子が展開させたものなので、遺伝子がその原因と還元できる)、それらの相互作用からくる影響を有形無形に受け、ある人は行動する。文化とは癖が発展した個人的習慣、及びそれらが群れた社会的慣行の集積であり、遺伝子と文化素の相互作用が一定のまとまりを伴い体系立った状態である。

中華思想や都鄙差別は皇室による民衆奴隷化の洗脳手法

中華思想からくる都鄙差別は、主に都会の増大する負の側面を都外の人間から覆い隠す虚構の一種であり、見栄っ張りの厚化粧が目立つほど却って醜悪さを証明してしまう様なものだ。だが一部の世間知らずは本気でこの嘘を信じ込み、理想郷が都内で、都外は地獄と妄信し、彼らを操る詐欺師(この詐欺の中心にいるのが皇帝、皇室)の思うがままになる。いいかえれば中華思想や都鄙差別は皇室にとっての民衆奴隷化の洗脳手法である。

無知と不案内の違い

或る人が「人は人間であるべき、故に悪意を持っていてよい」と私にいった。私が「できるだけ神に近づくべき、故に善意のみに生きるのが正しい」といったのに反論して。アリストテレスは私と同意見だった。いわゆる幸福主義。中庸は善行の中で追求されるべきで、悪意を持ってよいわけではない。
 ここでいう神とは比喩であり、全知全能の存在といった意味をもっている。全知全能には広義で全徳性など美質の全要素が含まれている。我々が日々学ぶのは、自分より優れた存在に少しでも見習う為であり、知恵を身につけよりよく人生を生きる為だ。人はそれにも関わらず神自体には到達しない。アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でいうよう、人はできるだけ神的存在に近づき、人の機能の中でも最も神に近い理性を働かせて生きるべき、という考えは、人間特有の不完全さを損なう事はない。つまり最初に述べた人はこの点を見落としているのだ。学ばぬ愚者より学んだ愚者の方がより賢明である。
 我々が悪意を持つべきでないのは自明の前提だと思っていたが、冒頭の人は悪意を過失の意味で定義していると後に言い換えたが、恐らく当人は、本気で悪意を程度こそあれ持っている邪悪なる人々に周りを囲まれていて、人というものは誰でも他人に害意を有する筈だという人生観を最初持っていたのだと思う。悪意は僅かなものでも、悪意そのものが悪い故にこの世で最悪の部類のものだから、調度、あればあるほど悪いものをより多く持つかに違いがあるだけで、単に悪意があるだけで自他に害なのである。しかしこの点を厳密に考えていたカントの様な倫理学者と違い、その人の様、安易に悪徳に耽る人が俗人な訳だ。

 その他にも最初に述べた人は、上述の事を説明した私に「あなたの考えを述べよ。他者の意見を聞いていない」といった。これは学んだ事がない人の意見として私としては大変驚いた。孔子が「述べて作らず」といったせりふの対極にある考えで、「巨人の肩」に一度も乗った事がない人もいるのだと分かった。

 最近、私は愚かさを再定義し直し、自分の持つ語彙の位階制内で下位に位置する何らかの言行を指すものを除けば、自分の語彙系から一定より遠い理解不能な言行にもしばしば愚かさと誤認し易い点があると考えた。例えばこの定義では娯楽ユーチューバーは大衆に人気だが学者の目に愚者にしか見えない訳だ。ここでいう自分の語彙系の下位の愚かさと、自分の語彙系から遠すぎるが故に愚かさと誤認されがちな愚かさを別の言葉で定義し直すと、前者が「無知」、後者が「不案内」となる。そして専門家は不案内な事については極めて誤解し易いから、他の分野で最高位の知者をも安直に愚者といいがちである。
 私はSNS上で次の様な種類の人達を無数にみた。それは或る分野で権威とみなされる程度の人でも、又は一定の学位をもつ人でも、当人が不案内な分野の天才級の人とか、極めて正しい意見をみても、「馬鹿だ」「失礼」などとブロックしてしまい、異分野の理解からますます遠ざかる人達だ。この種の誤解が生じる頻度は、或る人の受けた教育とか、彼らの辿ってきた経験や知識が一定の枠に限られていればいるほど高い。専門馬鹿、世間知らずというやつだ。不案内さが極度だと誤解が昂じた差別を平気で使っていて当人が気づいていない。特に理系馬鹿といった部類の人がとても酷かった。少なくとも日本の理科の大学以上の専門教育では、倫理を含む人文学を完全に軽視させている形跡があって、その種の人達は人間なるものを根本的に侮蔑している場合が頻繁にみられた。他人を道具視していて、自分の理科の分野に詳しくなければ即座に愚者とみなし、どんな知者をも平気で馬鹿扱いしている。
 教育分野の論点として専門分化、分野の相互交流がない細分化の弊害は恐らくある程度議論されていると思うが、学際的な自由教養が本来の哲学、本来の後自然学の前提であればこそ、各科はただの分野でしかない、という最低限度の学問の捉え方は、全学生に教えておくべきではないだろうか?
 なぜこれを記述したかというと、冒頭の人以外に、別の人に、私が科学主義の弊害(自然科学の方法論を他分野に無理やり当てはめる事で生じる数多の過ち)を説いていた所、数学だか物理だかの専門家らしき人が平気な顔をして私に「馬鹿だ」といったからである。疾うの昔に、アリストテレスは複雑な社会に関する後自然学で、数学や物理といった単純な対象を扱う時と同じ程度の厳密性を求めるのは無知の一種だと述べていたのに、この人は異分野に大いに不案内なのである。専門家としていかに優れていても全体として愚劣である状態は自らの不案内さで生じる。
 一方、この世で無知が存在する理由は、無知の知とは全く違う文脈になるが、反例の為だと思う。特に道徳的無知の場合、悪例になって、世の中へ与える反面教師性がはっきりする。ミルが『自由論』で自由の意義の一つに挙げていたくらいで、或る学問上の無知も同じ効果を持つはずだ。
 SNS上で異なる意見にブロックをくり返す人々は、荒らしへの対処(サイコパスやダークトライアドへの無視の効果)とは別の意味でだが、専門分化と同じ罠にはまって自らの不案内さを増し易い。科学とは総じて仮説の反証過程なので、よりよい真実へ気づく可能性も自ら閉ざし無知を強化するかもしれない。勿論、知性を使用するから脳本来の単純思考とは逆の作業になるが、反証的証拠を集めていく癖は、チャールズ・マンガーが学際性と共に講演内でダーウィンから学んだ事として勧めていたけど、確かに異分野を援用し、或る専門の進歩に帰する経過になる筈だ。専門馬鹿は別の種類の愚かさを伴うのである。

2019年6月10日

データ上の愛

データ上の愛
2019年
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衒学と気取りの違い

物事をより複雑にし、賢さと誤認させようとする俗物根性を衒学といい、競争入試などでの入学歴、学位、賞など何らかの権威での箔づけ、又は有力者との人脈等の間接的要素を利用して他人を威圧しようとする俗物根性を気取りとする。
 俗物根性の中でもこの2つの要素は重なる場合もあるが異なるもので、何れも人間での馬乗り、mountingの手段になっている。
 学が衒学になっている時、その本質は意味を成していないし、単なる気取りに使われている時、それはただの身分差別の道具である。

経済学での生産性を再定義し直す必要

経済学用語での「生産性」は多義的な上に正確な生産を指していないので、所得性と、付加価値を分解した販売性と加工性に再定義できる。そしてこれまでの生産性を、所得性、販売性、加工性などを含まない純粋生産性と定義する事で、農工業などの生産物そのものを商業的側面抜きに取り出して考えられる。

事件説について

動機説と結果説の間には事件説が想定できる。事件説は動機と結果の間に因果をみいだし、その詳細に渡って事態を分析し人の功罪を問う考え方で、単に動機、単に結果だけでは導出できない観点を裁判その他の人事に適用するものだ。

善意と悪意の動機説に基づく定義

動機説と結果説を省みると、それ自体が悪いといえるのは動機における悪意であり、結果の悪さ(他者への害)ではない。なぜなら善意による過失は行為者に操作できない偶然的要素による結果悪をもたらし得る一方で、悪意による結果の善も同様だが、悪意それ単体には悪い部分しかないからだ。また善意はそれ単体でよいといえる唯一のものでもある。
 即ち悪意は全てのものの中で最悪のもの、善意は全てのものの中で最善のものといえ、それらは各々、全要素が悪さ、善さで占められているからだ。この為、単なる動機説に基づいて善悪を定義する時、僅かな悪意も甚大な悪意と同じく最悪のものの部分と評されねばならず、これは僅かな善意が甚大な善意と同じく最善のものの部分と評されるべきなのと同様に判定されねばならない。

ピグ上でのちーちゃんとおのりちゃんの決裂によるさと事件の顛末とその周辺

きのう私がなにをしていたか。正確にはおとといから。
 私はアメーバピグというSNS(Social Networking Service)を開いた。一昨日の夜だったと思う。
 なぜ開いたか。私はそのサイトの中でミューデと命という人達に絵を売れといわれたので、その通りにしてみたが、数年試して、結局ろくに売れない上に、嫌悪を感じてやめた。
 それで命という人はこれまでも頻繁にイベントを開いていたので、ピグの中にいたら経過を話してみたらなんと言うのか試してみようとしたのだと思う。またミューデという人も、哲学部という私のアバターが作っているコミュニティにまだほぼ毎日ほど出入りしている風なので、この人にも同じ事を試そうとした。純粋美術のミームは商業と一致も、ほぼ調和もしないのだろうと私は感じたのだ。

 しかし私が実際にピグに行くと、広場民に囲まれ、どちらかといえば歓迎された。これはピグ民はサイコパス的に悪解釈すれば玩具を欲しがっているとも解釈できるが、私はアバターにおいても善意の行動をするので、匿名の果てしない悪意の巣窟にあってはありがたい存在なのだろう。また以前からそこで下衆なナンパ師達とたわけているある女アバターがいて、私はこの人がしばしば娼婦じみた状態におちぶれている様子を見て同情していたのだが、この人にまたも声をかけている或る男に君は本意でつきあおうというのかと問い詰めると、その男は逃げてしまった。いつものことだ。
 ところがその女アバターによると、彼女は下衆なナンパ師達を下衆だと思ってはいないのだという。寧ろ彼女はその私の目には最下等の男達(ほぼ性行為の道具としてしか女に対する価値を認めておらず、すぐに捨てるばかりか人格的価値を認めていない)が「楽しい」「いいところもある」人達だという。
 彼女は単に下衆な男達(最近の20代広場男アバター連、通称としま(玉井)一派)だけでなく、その他の知能の面では対人的に不躾といわざるをえない類の、あるいはもっといえば育ちの宜しくない風にしかみえない、誹謗が趣味の人達にも同じく感じているのだという。まあ端的にいえばSNSの中で下衆と戯れているだけだ。彼女は「自分を誹謗しないので」その悪友らが私から嫌悪されるのは解せないのだという。一言でいうと、彼女は共感的知能が足りないので、他人の立場で、もしくはメタ認知的に、或る人が別の人達にどう振舞っているかを客体視できず、人格的評価を見誤っているわけだ。これも多分よくある話なのだろう。世の中には暴力団員の男に惚れている様な女がいて、この女からすると自分には優しい人なのだと思っているに違いない。ピグの上記の女(ここではLとしよう)も、これと似た思考回路を辿って他人を扱っているので、自分に都合がよければその人が犯罪者であっても「いい人」だと解釈するかもしれない。
 私は仮初にもこのLに同情していた。だから彼女を上述の点で、或る人格を客観的に評価するのが処世術において重要だと教えるのに苦労した。彼女は広場で周りに戯れてくる匿名の悪意ある、もしくは愚鈍な他人のちょっかいを間に受け、「(私に)騙されない」「誰でも悪意をもっている筈(だから少々の悪意を持つ人々は普通だ)」などというのである。
 それで私が以前からつきあっていてピグの事情にもかなり通じている別の人に、これはどうすべきかと相談してみたが、無論「放っておけばいい」「Lの自業自得」との返答だった。確かに、同類相憐れむといった風に、Lの中では下衆が仲間に見えているのだろうし、自由の範囲でそれでいいのかもしれない。

 また別のピグ内での話だが、そこにちーちゃんという女性アバターがいる(一説によればゲイ説がある男性が中身だが、当人は否定している)。
 彼女は喧嘩イベントという誹謗をゲームにしていた規約違反の不良集団の場が出身ではあるが、政治広場にきてからは論戦の才を生かし治安回復に活躍してきた。勿論、2chを使いながらの誹謗だの個人情報さらしだの、現実に女性を連れ出しての淫行を目的にしたピグの規約違反者らからするとちーちゃんの存在は邪魔なので、政治広場民の一部は彼女の方を荒らし扱いしているけど、それはまあ彼らからすればそう考えるだろうなというだけで、彼女は善意なのである。
 ちーちゃんは政治広場を、僕のアバターらと、かなりの数の人達とのピグ内での複雑な協調行動で治め、荒らし達がろくに規約違反の行動をできなくした。このため我々はピグ内でやることがなくなった。でアラフォー広場という当時、ROSAなる荒らしがシステムに異常負荷をかけ誰も近づけなくする行為で、大荒れしていた場所に、ちーちゃんはきた。
 僕も同時期に似た様な意図でアラフォーの様子をまず調べ、既にROSAらの行動を抑える為に先駆けていたので、ちーちゃんは少し後からやってきて、「あれお前もいたの」みたいな感じで、また僕と協調して行動する事になった。それから4年ほど、彼女は一生懸命、荒らしに虐められた人らを助けていた。
 そしてきのうの話。
 この1年くらい、ちーちゃんがアラフォー広場民に虐められまくって排除されていたおのりちゃんという女性アバターを助けていた戦いがあったのだが(通称さと事件)、なんとそのおのりちゃんが鬼月という男になびいて、助けてくれたちーちゃんを裏切る形で決着していたのであった。
 恋が友情を切り裂き、善意が裏切られた結末なので、これは悲惨な話だなと思っていたら、ちーちゃんが僕に「女の友情なんてそんなものだよ」という。周りの女性アバターらもほぼ全員(黙っていた人をカウントしなければ多分、全員)が同意していた。これは社会学というか文学、心理学、脳かもしれないが、恐らく主に人文学の領域でちゃんと研究すべき課題だ。
1.一般に男の友情に比べ女の友情は浅いのか?
2.一般に女の恋情は友情へ常にまさるのか?
3.上記の事実があるならその原因は何か?
4.男女に限らず友情より恋情を択ぶ人がいるだけ?
5.脳はどういう経過を辿って恋情を友情より優先しうるのか?
 アメーバピグというサイトは、はっきりいって内部での犯罪をほぼ取り締まっていなかった。アメーバ利用規約というのはあるのだが、それをちっとも守らせようとはしていなくて、空理空文と化していた。のみならず僕もちーちゃんもピグ内で無数の違法行為を見たと思うが、それさえ通報が無視された。ばかりか、ピグ内にも多かれ少なかれ善意を持つ人達はいたので、我々はみるにみかねて違法行為をする逮捕以前の被疑者だとか、規約違反者らから我々自身を守りあって相互に自衛行為をしていたのだが、サイバーエージェント社側は、寧ろそっちの方をBANする事さえあった。まあ法務が破滅的なのだ。
 具体的にいうと、りおしというアバターがいて、彼は上述のROSAというこれは明らかに意図的にシステムに異常負荷をかけ全員を固める、個人情報連呼で集団虐めしまくるなど完全に荒らしの人なんだけど、このROSAと正面きって戦っていたら、なんとアメーバ運営側はりおしの方をBAN(禁止や破門などの意の英語で、ここでは利用者のアカウントを運営が強制削除し、サイトから排除する事)してしまったのである。まあこれは裁判でいったら先ず完全に誤判定で、冤罪事件となる事例であったから、広場民は僕も含めほぼ全員が驚愕した。だけど運営側ははっきりいって、広場を完全に放置していて内部の事情なんて何にも知らないまま、荒らし側の悪意ある虚偽通報とかを真に受けて適当にBANするレベルだったのです。
 アメーバ利用規約というアメーバ全体の規約には日本法に準じると書いてあって、我々は(少なくとも私は)法律とこの規約に照らし、ピグを自らに信じられる限り公正に利用していた。だから日本法か規約に触れている行動で、他人に意図的に害をなしているピガーの災いが甚だしい時、通報するのだが、こっちは法に触れていても見逃された。
 サイバーエージェント社は上場企業である。だから皆さん、この会社を信用している筈だ。けれどもアメーバピグに関しては、運営が潰して本当によかったと私は思っている。彼らがもし内部がどんな状態だったかきちんと調べていたら、幾ら営利とはいえ良心のある人ならとっくに潰していた筈で、正当防衛の自衛行為すら不可能な地獄でした。
 ちーちゃんという人、またりおしという人も、端的にいってその様な場で、非常に賢明な利用者の各々一人であって、悪意ある匿名利用者らの犯罪行為の山の中で、僕も色々と彼らとやりとりはしたけれど、実質、自主的に被害者救済の為に物凄く努力していたのは事実である。日本も少数なら善人がいるのだ。りおしは別件でBANされた説(規約の範囲内で合法的な自動ツールを使っていた)も取れるし、まあ真相は分からないのだけど、私以外の誰も彼の英雄的行為の数々を擁護というか賞賛する機会はないだろうから(そもそもピグ論客やら史家が殆どいない)、私は彼の栄誉は後世に残されるべきだと信じる。
 ちーちゃんも、上述のさと事件がアラフォー広場における数々の事件や劇の中で、最も悲劇的なものの一つになるとは思うけど、そこでも実に気丈に頑張っていたのは某広場に詳しい人なら大概誰でもわかる話だ。寧ろ敵の方が同情していた風で、さとちゃんというおのりちゃんと敵対していた方がよくわかっているのだ(ちーちゃんの上述の独白の時、普通に周りにさとちゃんらがいたけど、鬼月と共有したアバターでちーちゃんを蔑ろに責めまくるおのりちゃんらしきアバターの一方で、さとちゃんは寧ろちーちゃんの独白に頷いてる様な感じだった)。
 ちーちゃんは、政治広場で最初の厄介事の中心であったホメという人とも深刻に対立してきたのだけど、ある時、僕らと議論してこのホメという人を十分に排除可能な機会がきたとき、ちーちゃんはホメを助けようと言い出した。この考え方は憐れみみたいなので、公の敵に武士の情けをかけるべしというのだ。この一件をとっても、ちーちゃんという人物もまた、ピグとかいう匿名偽名SNSの中では最も良識的な魂というかミームを持っていた人だと評せる筈だ。彼女の基本的なピグ利用法は、特にアラフォー広場にやってきてからは、政治広場における政治広場新聞というピガーのやり方に幾らか似たもので、自らのアメーバブログで広場等で公に話された内容を記録開示しつつやりとりしていくといった形になっていった。当人からすれば喧嘩イベント流儀で身につけた、公の議論での証拠を自らのアメーバブログで提示しているつもりなのだろうけど、副作用的にピグ内の些細なゴシップをばら撒く面もあったので、安易に広場で噂の種にされたくない人から反感を買いがちで賛否両論あるのだが。

 で、私はこのピグというSNSは恐らくほぼ完全に理解し尽したし、その内部で起きるだろう現象にもあまり知的好奇心やら向学心面での期待値が高くなくなったので、最近殆ど行っていない。一般的にいえば呆れたのである。そして上述のL氏を助けようみたいな啓蒙的意図も、もう凡そ無用だなと思い始めた。
 ここからは一般論になるが、SNSとは何か。人々を社会的比較の欲求(社交的欲求)で縛り、何らかの課金の場を与えつつ、或いは広告で囲い込み、運営が金儲けする電子的社交場の事。心理的に顕示的消費だの羨望に基づく嫉妬を種にした場で、不幸を触媒しているに過ぎないのではないかと仮説づけられる、近年のネット上の流行。不幸を触媒にするとは、もっといえば「痛快(シャーデンフロイデを私が和訳したもの)」を目的に、自分より不幸だろう人を探す、下卑た快楽の場なので、SNSの全要素はこれではないが、実際にはこれが主眼になってしまう。人は社会的動物としてコミュニケーションに飢えているせいで、釣られてしまう。
 SNS上で恋愛し、人の個性を見分け現実に配偶するという世界がもう現実のものとなっているが、一方でフェイスブックを筆頭に、人類全体に脳内線条体の嫉妬機能を援用した社交場を与え、そこでの中毒的苦痛もまた甚大になっている。私はもうその種の媒介にも呆れているのだ。肯定的側面が少ないから。
 上述のLの話題にもどるが、彼女は「悪意」という概念を、倫理学での動機説、法学上の事実を知っているという意味と違う文脈で使っていた。より詳しく話を聞き質していくと、法的に「過失」という意味(意図しない他害)であった。だがこれを私が知るまで、彼女は私の人格を謗ったり、周りの衆愚と群れ尊厳を辱めるなどしてきたのだ。この一例だけ取っても、私は多大な苦痛を強いられ、しかも私側の払った費用は道徳性と遵法性の違いとか、動機説と結果説の違いとか、カント倫理学と法学の基盤みたいな話まで含め、半日以上かけて大変な労力であった上に、周りの衆愚の方は面白がって私を誹謗しまくるといった風で、まあ馬鹿げている。
 即ちSNS時代に啓蒙主義は実際性を伴っていない。彼女の方は仮に過失の法的定義を少し認知した所で、他に彼女の気づかない自己中心性と客観性の違いとか、幾つも認知的障壁の様なものがあり、それらを乗り越え私とコミュニケーションの共通基盤を得るまで甚大な労力がかかるだろう事は目に見えている。
 或る脳科学者が昨今、誰もが知る人気は失われ、各々の最先端は房化(クラスター化)しているといっていた。恐らくSNSの流行による情報環境の変化と、この現象にも密接な関連がある。啓蒙主義は素朴な考えで、文化的多様性を包含するものではなかったわけだ。寧ろ学問的愚の方が適応的な場面すらある。サイバーカスケード現象と、流行の房化は、ポスト真実、科学主義の後退等とも同時代的に起きていて、要は人は各々の情報場を脳内語彙として持ち、その体系から遠い物と無関係に生きている。文化的多様性とは学問的愚を含め、全ミームらを含むもので、我々は自分に似た人とつきあう様に導かれている。
 私はといえば全知に到達したいという大望をもっていた。二十歳から10年間くらいの事で、今も当為としてある。だから海千山千と、愚人俗人の思考原理まで、あらゆる学的正解と別体系として理解しようとしていた。結局これは不可能で、博学の領域拡張になるだけな上に、無秩序な俗界の方が理解は難しい。SNSへ予め期待できるのは、はっきりいうと俗界の分析に留まる。学的知者は少数派だから彼ら単独を追えばよいが、個性に対し無作為な遭遇率の場になればなるほど、俗悪な多数派に遭いがちだからだ。孔子が「君子は上達し、小人は下達する」といった理由を我々はよく考慮し直すべきだと思う。

2019年6月8日

差別とはこけおどし

差別によって他人に畏怖を与え支配しようとする悪意は、その差別を認めない人にはなんの効果も持っていない。つまり差別とは根本的にこけおどしであり、同調圧力により或る人の人格的尊厳を陥れようとする策略に他ならない。

ゆたぼんは自由教育への水先案内人

ゆたぼんはただの天才少年で、叩いてる人らは嫉妬と、義務教育が「義務」であるという文字面の既成観念をホームスクーリングだか家庭教育でぶっ壊されて、発狂してる凡愚の大人だろう。例外的個性に弱いのは地頭が悪いから、自分の価値観をぶっ壊されて認知的不協和に堪えられない。
 明治以後の公教育は国民国家を作る為の政府都合の制度だから、もともと教育って家庭教師つける貴族の嗜みなのであって、集団教育を貧民にも押し付けるということそのものが大いに矛盾してる。寺子屋行きたくないといってる子供に無理やり行かせて自殺させる意味が全く分からないんだから。
 ゆたぼんは天才なので一瞬で本質を見抜いて「ロボットみたい」と看破してしまっただけで、少なくとも科学教育はAIだか機械でもできる論理的作業をひたすら詰め込んでる面が殆どなので正に暗記ロボを作っている。で、労働者にしたてあげようという学部までの教育体制も、極論すれば政府による奴隷化が目的だ。ユーチューブにせよネットは情報産業時代で生産設備を家庭向けに卸したから、そこに最適化したければ子供の頃から型にはまらない創造力を伸ばすのがベストで、まさにゆたぼんみたいに人と違うこと、差異化をつきつめるのが正解。そこに興味が集まったらページビューだか広告収益がつくという仕組みで。
 なんでゆたぼんのテーゼ「自殺するくらいなら学校行くな。命が大事」に発狂してしまう大人が大量に日本限定でいるかというと、この人達は日本政府の文科省に完璧に洗脳されたロボット人間、ロボット労働者階級だから。彼らは『1984』みたいに政府の管理人間として生きるのを是とするから。
 なぜ日本政府がロボット労働者を量産する体制かというと、公教育を全国規模ではじめてやった明治政府は工業化時代に最適化しようとしたからで、工場労働者や製造業会社員は型にはまった作業をくり返すのが効率的だったからだ。トヨタも含めもう日本の製造業は落ち目だから、ゆたぼんが時代を読んでる。ゆたぼんは猛烈なJP同調圧力袋叩きで学校行きました投稿とかしてしまってこのままあきらめるかしらないが、イケハヤ氏らをみたらわかるようページビューにほぼ比例して収益があがる以上、炎上案件って寧ろ差異化された情報を生産できてるわけだから、それこそ高い労働生産性の一種です。ゆたぼんは情報産業に最適化する筋道を極めて早熟に辿っているだけだが、他のユーチューバーになりたいといっている子供からしたら先を越されていることになるわけで、嫉妬からの中傷を受け易い。しかしそれも彼の収益を上げる結果になるので、最適化の一部といえるだろう。
 虐めとか同調圧力地獄とかを理由に、不登校扱いの子供を無理やり学校に通わせようとする愚かな親を持っている家庭では、ゆたぼんは認知的不協和をもたらす(工業化時代の価値観を破壊する)と同時に、子供にとっては羨ましい家庭の恵まれた子となる。だから猛烈なコメントでの衆愚的バッシングになる。
 更に悪趣味なことに、コメント欄で狂乱し、子供相手に誹謗や非難で荒らしまくる集団教育匿名暴徒を観察すると称し、集団虐めを第三者としてニヤニヤ眺めている下衆も群れてくるといった具合で、ゆたぼん自身の純真さ(不登校の子の為に頑張る)とは全く違った意味で炎上ユーチューバーと化しているわけだ。

 もう一ついえるのは、ゆたぼんが袋叩きにあう理由は、彼自身の義務教育批判の革命行為と全く別の点で、彼の性格が日本の謙遜の美徳と対極にあることだ。目立ちたがり屋で、人前で堂々と喋る。大人顔負けに、何も見ずに。こういう個性を単に忌み嫌うのみならず同調圧力で潰すのがいわゆる和なわけだ。
 本来、もぎけん(ゆたぼんと協働した動画を自身のユーチューブにアップした、脳科学者の茂木健一郎氏)がいうべきことは、脳科学の観点から無二の個性を育むのが教育本来の目的だとかそういう自由教養的な文脈と思うのだけど、彼単独のユーチューブでの批評ではその様な中身にしていなかった。どっちかなら不登校を賞賛してるのではなく、ユーチューブクリエイトを自由研究扱いしている。つまり教育論者としてもぎけんはここでなぜか半ば保守化しているのであって、「学校なんていらないよ」「もう全部、多様性の時代で基礎だけ政府がネットにのっけとけばいい」「あとは全部単位制で」「きてもこなくても生徒の自由」ってどんどん自由教育論につなげていけばいいのに、そうしないのだ。教育は洗脳だが、洋の東西を問わず自由教養はこの逆で寧ろ貴族となるべき人が自ら考えられること、主権者としての基礎を与えるのが目的なのであり、多数政治を仕組みにしているわが国でも、勿論、自由教養の方が元々あるべき教育の姿なわけだ。義務教育は当然、これに反する。政府のおしつけなので。
 例えばバフェットがいってたが彼の住むネブラスカ州オマハの公教育はぶっ壊れているから格差が固定化してしまう。公教育に費用を惜しまないのが大事との話だが、義務教育は元々こういう貧困層への最低限度以上の教育を与える文脈で出てきたものなのに、現時点で横浜給食費とるとか東京ブランド服とかいう。要するに南関東(東京圏)のよう格差拡大が極端になった地域では、公教育はやはり壊れていて、私立と公立で住み分け公立は貧民向けの三流教育みたいな破滅的状況になっている。私は南関東の問題は或る意味で自分の地域ではないし(普段から中華思想なのが南関だ)、ダニクル効果か知らないが常々都会は最先端と称する南関人自身に解決して欲しいので深入りしないが。
 なにがいいたいかというと、自由教育を推進すると、ゆたぼんみたいに基礎的教育をなおざりにする人間が、完全に得意分野に特化して成長していく多様化が進むが、同時に落ちこぼれは徹底して学ばないという二極化にも繋がり易い。都会の公教育で相対的に質が低下するのもこの前段階ということ。

 もう一つ、日本には学歴主義者といった部類の人達がいる。この人達は偏差値教育の信奉者で、文科省が指定した大学入試までの履修課程を18歳時点でいかに最短で詰め込むかに人生を懸けていて、それ以外の成人教育とか再教育とか、それどころか留年とか、学外学習とか独学なども全部無視している。おそらくゆたぼん叩きの人達の一部にも、この種の学歴主義信者がいて、脳や知識の多様化を拒否しているわけだ。そもそも学歴主義が出てくる理由は人間を型にはめ、科挙式にペーパーテストで有能さをはかろうという些か単純化しすぎた極東的全体主義統制の意図からくるわけだが、勿論理論破綻している。
 そもそも現時点の科学研究の水準だの研究者・教授の好待遇で最上位に位置する欧米圏で世界大学ランクの上位校には私立大が複数含まれ、それらの学校群は親のコネ入学を公式に認めていたり、AO入試的な面接が基本なので日本流の受験勉強なるものはないわけだ。つまり偏差値教育自体がガラパゴスである。学歴主義者一般は、端的にいうと日本の文科省が東大卒官僚で占められていて、彼らの人生を再生産させようとするガラパゴス化の後遺症から、偏差値教育の犠牲者といっていい。彼らはペーパーテストしかできない受験馬鹿で商業では平凡な成績しかあげられないかもしれないが、確証偏見で人事差別する。即ち人事差別における学歴主義者の跋扈は、いわば大企業病や官僚主義の兆候でしかなく、或る人物の商才と無関係に、シグナリングに基づく人事を行ってより無能な高学歴者を採用する結果、硬直化した非効率組織を保守する役割におちつく。一部又は一般の日本企業や日本政府が優秀な他国の組織より相対的に無能ならこの様な病弊もしばしば関係している筈である。
 ゆたぼんは中卒で終わるか、その後、彼のいう大検だか高卒認定試験だかを経てハーバードの哲学博士を持つかは知らないが、どっちにしてもユーチューバーとして天才的神童なのは間違いない。その様な実力主義的人事が、組織を営利や公益のため運営するに必要だが、学歴主義者の脳には複雑すぎるのだ。

 ゆたぼんの存在は、既に述べたよう日本のガラパゴス偏差値教育への強烈なアンチテーゼでもある。しかも義務教育批判を通じ、貧民の為の最低限度教育という明治の文脈そのものをぶっ壊し、自由教育時代へ一般民衆の視野を拓く役割を果たしている。都会での公私教育格差の問題へも一石を投じている。
 私の立場は、国内のありとあらゆる事物の多様性を最大化するのが日本人一般の偏狭さを改善するには唯一の手立てというものなので、ゆたぼんの存在と彼の教育革命的活動は基本的に全く肯定しかしない。彼の両親もこの意味では思想的革命家といっていいのではないか? いずれにしても賞賛に値すると思う。

網戸なおし

網戸なおし緑の庭にわれ降りる

差別する人

差別する人は愚かな人、又は卑しい人。差別する人を避けるのが正しい。愚かで卑しい人と共にくらし幸を得るのは難しい。
 差別される側は幸いなり。その人は差別する人より高徳で賢いのだから。

2019年6月7日

ペテンの国

社会「いいですか、あなたは金儲けをするのです。そうです、金儲けです。生活費の為に身売りをすること。労働者としてどこかの会社に被雇用者となるべく履歴書を書き応募して、そこで言われた通りに動く。機械の様に。毎日通うんですよ。それが金儲け。金儲けをしたくないですって? そんなことは許されない。死に至るまで、絶対に駄目。死ぬまで労働者として働く以外の選択肢は、あなたに一つたりとも用意されていない。あるじゃないですかって? 実質ない様なもんですよ。それ以外の選択肢は全力で我々が差別しますので。他人から金を貪る卑しい商売なんてしたくないですって? あらあら、それじゃ死に至るまで餓死したらいいじゃないですか。何しろ我々としては、あなたが奴隷階級として死ぬまで働き、その労働価値を搾取するのが務め。勤労納税の奴隷の義務を果たしてもらえないと、天皇制は維持できない」
商人A「そうやで。世の為人の為に働くんや。それがあきんどの努め!」
商人B「この無能が」
商人C「自己責任で死んだらいいのでは」
公務員A「とりあえず、生活保護は絶対に与えない」
商人D「うんうん。まあ労働者以外の人生などお前には無いのだよ。無能めが」
日本国民一般「天皇陛下万歳! 上皇陛下万歳!」
天皇「よきに計らえ! では、そちらは朕に納税の義務を果たすのじゃな?」
日本国民一般「仰せの通りに! 万歳万歳!」
商人E「どうか、わかったか? お前みたいな奴隷階級に残されている道はただ一つ。身売りしろ。企業に身売りして労働しろ!」
商人F「自営業もあるんやで。ネットで儲けるアフィリエイト、ユーチューブコンサルどや」
商人G「ではこの教材を買ってね」
僕「この教材は高すぎて買えません」
商人G「はあ? 失せろごみ」
商人F「けっ。貧乏人は土下座でわびろや。下らん。次いくでほな」
日本国民一般「ギャハハ、自己責任やろ」
首相A「オホホホ。金儲けして貴様らが納税すればするほど、企業からは日銀ETF経由の株で儲かって円が濃縮する、国家社会主義日本は素晴らしいのう。円が濃縮すればするほど、物価があがるほど、貧乏人搾取したがる金持ちどもがわしに支持票をくれるのじゃわ。楽チン楽チン。アメリカ様様やね」
僕「(苦笑いしながら)へえ、いいっすね」
副総理A「今までなにしてたんだ? 金儲けはまだか。納税して国家に貢献してくれなきゃ困るよ。かねや、かねかね。とにかく世の中かねだから」
僕「(苦笑いしながら)へえ、そうっすか」
商人一同「東京に嫉妬してんだろ(大爆笑)。田舎もんが!」
えせ文化人A「日本でどうしてGAFA(ガファ)やBAT(バット)がでないんだろー。あ。そっか。老人が悪いんだー。じゃあ高齢者の延命治療やめればもっと世の中よくなるね(大爆笑)。ほら~、テレビもネットも僕らを学歴差別でどんどんかねくれるっすよ」
えせ文化人B「あっはっは。勝ち組とは俺らの事」
僕「うん。馬鹿にしか見えない」
えせ文化人C「はいブロック」
フリージャーナリストA「緑川君に宜しくいっといてください。間もなくブロックです」
えせ文化人A「褒めてくれないと。ほら。金儲けだから、知識って」
えせ文化人B「金儲けごっこなの、全部。だから学歴差別で金儲かりゃいいだろうが」
僕「リチャードドーキンスっているでしょう? 彼は無神論を正当化してるけど、科学教のミームを新たな信仰にしてるだけじゃない?」
えせ文化人A「ちっ」
えせ文化人B「なにいってるんだこの馬鹿は(笑)、金と関係あるけ? それ」
えせ文化人C「いいからブロックしとけよ。大衆と関係ないだろ」
僕「資本主義教で洗脳されきってんの?」
商人H「なにを申しますか。資本主義が最高の教義。かねで操作できる簡単な奴隷宗教。至高至善の究極真理を疑うなど想像だにできぬ。うぬは不埒な輩じゃわ。というか貧民がなにいっても無駄だからとりあえず働けやごみ屑が」
僕「天皇制の奴隷っすか?」
商人I「お前さんは時代を先にいきすぎてるからー。共産主義者? 中核派? コンビニで働けば? 株買お。ラブホでバイトして深夜手当てもらって蓄財しよ。そんで貧乏人共を見下してくらそ。ウッホッホ」
首相A「いいから、労働して貧民は奴隷階級のままでいればいいじゃないですか」
天皇「そうだよ」
商人J「わっちは、けものフレンズ2に夢中でげす、おのれらがなにいってるか全然わかりません」
商人K「ポルノ、マンガ、アニメ、性売買にお笑いバラエティ、ゲーム中毒カジノにスマホ、下衆な娯楽で現実逃避、最高すぎる」
商人L「金儲かってるんだからお前が間違ってるんだよ。ここは末期ローマさ」
商人M「起業しろ(笑)。金儲けは楽しいぞお」
商人N「寄付の代わりにお年玉ばら撒くわ。真の貧民なぞ自己責任だからね。フォロワー買えて一石二鳥どす」
商人O「ハハハ。搾取搾取。搾取でその日暮らし、頭を馬鹿にしろ。馬鹿になって酒飲んで寝てろ。上皇から浮浪者まで全部馬鹿になれ!」
政治家A「こんな世の中は変えねばならぬ! 私に票をくれ」
日本国民一般「ふざけんな。首相は馬鹿でなければ務まらない。首相はゲスでなければ務まらない。なぜなら、我々愚民に理解できてついていけるのは愚図だけだからだ!」
政治家B「潰れるぞ」
日本国民一般「金儲け金儲け、移民奴隷で金儲け」
東京都民A「原発は田舎におしつけて、金を貪ってりゃ全国から若い女が寄ってきて身売りしてくるんだよな~(げすな嗤い)、ウゲヒャハヤ」
東京都民B「ほんとちょろいよな、JPサンたちは」
東京都民C「ほんじゃ、ちょっくら金ばらまいてくるわ。五輪でぼろもうけしたから」
京都市民A「ええおすなあ」
福島県民A「辛いよ~苦しいよ~」
青森県民A「もうわーら老いぼれたちに原発おしつけるのやめておくれ」
新潟県民A「知事まで潰された」
茨城県民A「だから言ったでしょ、東京が悪いんだって」
南関東&北海道&西日本&中部人全体「東京最高! 田舎は潰せ! 金や女や酒や、騒げ騒げウゲヒャハ」
上皇「朕の分はまだか」
宮内庁職員A「ははあ~仰せの通りに」
神道神主A「こちらが国民奴隷どもの血税から練り上げた、真っ赤な団子でございます」
上皇「それでは朕の、中国から侵略してきた神たる先祖を祭る儀式をはじめる。よいか、国民どもには朕を崇めさせるように」
国家公務員全体「ははあ~」
アメリカ人A「正直、こいつら馬鹿じゃね?」
イギリス人A「うん。精神年齢15歳から更に下がってるかも」
フランス人A「こいつら人権も分かってない」
東京地検特捜部「おいこら! 上級国民様に逆らうのか!」
ドイツ人A「笑えてきた」
中国人A「笑えない」
北朝鮮人A「優柔不断かサイコパスだね」
ネット右翼A「またサヨが反日行為か! ごきぶりは叩き潰せ!」
左翼A「だから~。貧しいのはあなたでしょ? あなたを助けたいといってるの」
自称普通の人A「まだやってる。政治語る奴ってなんで頭おかしいの」
自民党員A「しめしめ。また票がふえるわい」
皇族A「皆私を支持でしょ? 借金返せよ」
商人P「わかったかい? 金儲けしかないと」
僕「私は金儲けが嫌いなんですよ。どうやってもできないし、卑しい様な感じがして気持ち悪いんですよ」
商人P「じゃあ餓死しろよ(冷笑)」
僕「資本主義だか天皇制だか知らないけど、下らない社会を作ってる原理じゃないですか? どっちも信じられない」
商人P「いいかね。あのアメリカの金持ちをみなさい。あのお方は子供の頃は新聞配達、大人になったら株式投資、蓄財してコーラを飲んでいらっしゃる。それだけではない。ハンバーガーの会社に投資し、その肉牛を毎日殺して食べていらっしゃいます。尊いお方。神ながらのお方。なぜ崇めない?」
僕「僕の町は昔、田んぼだったんですよ。とても涼しい田んぼ道で、学校までの道も緑一色だったんですよ。そこに突然、MだかWだか書いてある看板がたちました。そしてそこで僕の親が牛さんを殺して食べる。僕は悲しいのです」
商人P「は? なにが」
僕「僕は子供が商人になるのも悲しいし町が壊れる」
商人P「牛さんが殺されるのが悲しいのではないのかよ」
僕「そうですよ。牛さんは殺されるべきでもなかった。何しろ、僕らは米を作って食べていたのですからね。そこにはかえるも住んでいた」
都会人A「ウゲヒャー。かえるですって、野蛮ね!」
僕「いいや、人差し指の先っぽより小さい黄緑のかえる。僕はその田んぼ道を幼稚園の頃かよっていた。そしてあぜ道を歩くと、小さなかえるさんが跳びます。まるであまつぶみたいにね」
都会人B「で? 今更ファーストフードが来てなんだって? (嘲笑しながら)」
都会人C「いこいこ、クラブいこ。クラブでナンパしてお持ち帰りしよ」
僕「(沈黙)」
商人Q「うんうん。がきんちょのざれごとはよくわかったよ。では宜しく。時給は500円です」
アメリカ人投資家A「グッドジョブ!」
東京都民D「支店の店員ども、上納しろ」
支店長A「ひいい」
アメリカ人経営者A「支店の経営者ども、上納しろ」
東京都民D「ひいい」
僕「馬鹿じゃね」
アメリカ人投資家A「馬鹿? 何がさ? 確かにこの馬鹿げた世界を統治しながら貪るために、最善の考え方が資本主義、我々がこの世で見つけたアダムスミス流の大嘘の教義かもしれないが、それでももっとましなものは? 無かったら君の負けさ(高笑い)」
僕「納得できない」
商人達「イスラエル様~」
イスラエル人A「だからいったじゃないか? パレスチナ問題などないと」
パレスチナ人A「まだ気づかないのか? 資本主義者の嘘に」
国連職員A「気づいてはいないよな。だからかねを出してくれます?」
シリア人A「もう気づいてるんだろう。金儲けのまがまがしさに」
僕「本当に強迫観念でしかないね」
経済学者A「市場放任すりゃ皆、一番得意なことで一番、需給が満ちるじゃあないですか」
経済学者B「それで不景気が生じたら政府が一時拠出で完璧」
経済学者C「資本家が貪るから政府が再配分すべき」
経済学者D「ノーノー。寧ろ政府は無限に拠出しても潰れない」
僕「しかし私に一円も来ません」
経済学者達「君が無能なだけじゃないか(笑)。残念ながら、我々に無能を救う方法などない!」
僕「じゃあ資本主義は僕には邪教じゃん」
経済学者E「はいブロック」
経済学者F「とりあえず労働してくれないと。社会主義国、日本もそうだが、失敗したんじゃね」
僕「北欧は?」
経済学者F「ブロック」
ノルウェー人A「私達はアメリカが馬鹿だと思ってるのよ」
イギリス人B「僕も」
フランス人B「私も」
アメリカ人B「植民地を馬鹿にする王冠ども(笑)」
日本人A「アメリカ様は神だと思ってます」
南アメリカ人A「日本って馬鹿なの?」
中国人A「当然だけど、日本よりは賢いよ」
韓国人A「同意」
釈迦「乞食しなさい」
僕「日本だと民法で違法化されてしまっている」
釈迦「何も求めるな」
僕「はい」
釈迦「無欲でいるのだぞ」
僕「はい」
ユーチューバーA「ウッヒャッヒャ。経費で落ちるからまたマック最新モデルを性能マックスで注文動画とった、アイフォン最高機種沈めた動画でまた儲かった」
商人R「お前無職だろ(嘲笑)」
僕「画家です」
商人R「定職ついてない、この雑魚め、犯罪者予備軍め」
僕「(沈黙)」
商人R「私は他のメーカー勤務の商人に発情して温泉で交尾するから。お前はしんどけよごみ屑」
僕「(沈黙)」
商人R「はい子育てもできない雑魚はブロックした」
僕「(沈黙)」
漫画家A「画家? は? エロマンガ描いてる私を馬鹿にしてるの?」
僕「特に」
漫画家A「マンガが絵だろ(笑)、なんだよ文脈って」
僕「別に」
アニメーターA「子供が見てわかる?」
僕「知らない」
アニメーターA「外人に受けてんの?」
僕「いいや」
漫画家A&アニメーターA「儲かった?(嘲笑)」
社会「引きこもりは病理。理由は私達商人と違うから。商人は出づっぱりでなければならない。外で労働していなければならない。これは絶対の信仰である。誰も疑ってはならない。働かぬ者死すべし」
引きこもりA「他人を傷つけたくないから、競争なんてできません」
母親A「おお可哀想に、これをお食べ」
社会「甘えさせるな! 奴隷に仕立てろ! 奴隷でなければ人にあらず!」
引きこもりA「なんで産んだの」
母親A「ごめんね、ごめんね」
社会「いいから叩き出せ、さもなければ抹殺だ!」
商人S「クエークエッケッケ」
商人T「さーて、そろそろ搾取しますか」
母親A「ごめんね」
社会「感謝しろ、下種」
引きこもりB「おい、あの首吊り動画みた?」
引きこもりC「やばかった」
引きこもりD「母親の慟哭が心を切り裂く配信だった」
母親A「ごめんね、ごめんねAちゃん」
社会「ざまあみろ、これが労働奴隷の真実だ! 働かねば死す。労働者となり天皇陛下に貢ぐ、資本主義の下で富国強兵し神道を崇めよ!」
商人U「満員電車にすし詰めにされ、痴漢で暮らすのは楽しすぎる。田舎を差別しながら、深夜に帰ってきてまた通勤ラッシュ。何もかもが不自由だ。盆と正月には帰省ラッシュ、ストレス好きの俺たちにはたまらねーぜ」
商人V「やっぱ暮らすなら東京しかないよな」
商人U「おう!」
商人V「無職はごみさ」
商人W「そんで? お前は? 儲かりまっか」
僕「いいえ」
商人X「はあ? 生きてる意味あんの?」
商人Y「お笑い芸人ですら儲けてるのに? 娼婦様より価値がないんやで、お前という存在は」
商人Z「分かったら労働奴隷なるか、自殺かだな」
僕「釈迦が言った、無業にとどまれと」
商人達「狂人か?」
皇族B「生活保護で暮らすつもりか? この貧民」
僕「どうせくれないじゃないですか」
皇族B「ご名答。この馬鹿国民どもは私らの婚約者の借金なら喜んで払うが」
皇族C「とかく、洗脳すれば楽に何もかも運んでくるのだからな、こいつらときたら」
皇族D「で、お前はまだ皇室廃止などといっているのか」
皇族E「無駄なことを」
皇族F「愚民の上に辛き政治ありというではないか。私達はこれでも楽させてやっているほうだ。実際、愚民自身がそういっているではないか?」
皇族G「このワインをかえてくれ」
皇族H「そうね、赤がいいわ。愚民どもの血のようで」
皇族J「おほほ、面白いわね。しらふかしら」
皇族I「その目がなにをいおうとしているか、あててあげましょうか。あなたも私も無業なら同じといいたいのでしょう?」
皇族K「これはまた乙なことを」
皇族L「私は働いていますわ。勿論、民の血税をむさぼりとるという伝統的な神道の神職、じゃなかった、皇族のお仕事をさせていただいていますのよ」
皇族M「愚民はあなたには一円もやらない。それも永遠にね。洗脳されるほど愚かなのだよ? 神道の信者、政府の奴隷。だから私たちには無限の富を貢ぐ」
皇族N「我々の先祖が中華皇帝を模した時から始まったゲームだよ」
皇族O「奴隷には奴隷の仕事がおありではなくて?」
皇族P「奴隷語は難しいわね」
皇族Q「わかったら、奴隷しなよ。朕は将来の天皇だよ。なにかあったらただじゃおかないから、ここから出て行け。ドレイ!」
僕「ここは私の国ですよ? 主権者は国民なので」
皇族A「建前はね」
皇族B「まだお分かりにならないのかしら、労働奴隷になって、私に貢ぐのがあなたの仕事なの」
アメリカ人C「なんて愚かなことをやってるんだ、この極東アジアンは」
フランス人C「まだ人権すら分かってないっていったじゃない?」
カナダ人A「共和国なんて早すぎる民衆なのでは」
ニュージーランド人A「忠誠を本気で信じてるわけ?」
オーストラリア人A「ただの形式じゃないのか」
日本国民A「労働者して暮らしてればいいじゃん。負け組は差別して、勝ち組ぶればいいじゃん。新卒一括採用でカラスみたいな服きて嘘ついて会社に入り込んで、一生何も考えずスマホで荒野行動やって死んでいけばいいじゃん。未来など考えず周りに合わせて発情し、妊娠して女ぶればいいじゃん」
日本国民B「有名になりたい。地上波に出たい。だからおじさん向け猥褻ティクって人気とろうっと」
日本国民C「かねがもうかりゃオッケーよ」
日本国民D「天皇陛下万歳、資本主義万歳」
日本国民E「自民党批判する奴って左翼なん? 左翼って屑?」
日本国民F「東京いきたーい。東京であばずれしたい」
僕「私は、この愚民の国が一度も好きになれた試しがないんだが」
日本国民G「出て行けよ(怒)」
僕「出て行くかねは?」
日本国民H「働け!」
僕「なんで愚民の為に働くの?」
日本国民I「じゃあしんどけよ」
僕「しぬはずないだろ」
日本国民J「嫌いなら出て行けよ!」
僕「話ループしてますよ」
日本国民K「まあいいわ、ブロック」
日本国民L「ブロック」
日本国民M「ブロック」
僕「寧ろ馬鹿が勝手にブロックしてくれる仕組みだけがツイッターの功績だよね」
日本国民N「ブロック」
日本国民O「フェイクニュース楽すいい」
日本国民P「ポスト真実くれ」
日本国民Q「中華思想の差別情報くれ」
僕「私は社民主義がよりましな仕組みだとは思うけど、実際にそうなりえないほど愚民の日本で、しかも金儲け自体が馬鹿げているといっているんですよ。勿論、天皇なんて下種中の下種でしかない、差別に乗っかってる馬鹿でしかないんだから。なぜ金儲けが馬鹿げてるといえば他人を搾取だの貪るからだ」
商人全員「で? だから? 商売やめて生きていけんの?」
僕「あんたらの一生涯を見てても軽蔑の念しか感じない」
商人全員「こっちはお前を軽蔑しているが」
僕「全部寄付しろ」
商人全員「やなこった。金儲けしまくったら半分くらいならやってもいいが、それもお前らがうるさいからやるのだ。寄付しろ? なめてるの? 金儲けして何が悪いの? 無能な他人を貪って騙してかねとって何が悪いの? こっちが付加価値っつって儲け分をのせて料金請求してることくらいわかるだろう? それが詐欺だって言いすぎなんじゃ?」
僕「そういうずる賢くて卑しい考えが嫌いなの、僕はね」
商人全員「騙したもんがちやろ。途上国で10円で労働させ、先進国で10万円で売る。喜んで買うで。どっちの労働者どもも喜んでるやん。それで株主もウハウハ、皇族はまあごみかもしれんが、どっちにしても誰も困らんやろ」
僕「その仕組みが邪悪だから、どんどん格差広がるわけでしょ?」
商人全員「あんたさんはグローバリズムに反対どすか? グローバル経済は巨視的には善やで。ホリエモンがいうとるやん。実際には途上国を徐々に豊かにしていくだけなんや。先進国内で格差が広がるのはしゃーない。だからベーシックインカムにせえゆうとるのに、阿呆な政治屋がしやがらんのやわ」
僕「ベーシックインカムを先進国で実施すると、労働生産性が下がるので途上国の経済成長率の前で、後塵を拝したくないからやらないわけでしょ? ユニバーサルクレジットとかいうイギリスの制度も、就労促進を前提にしか福祉給付をしないとOECDの勧めでやっている。結局、ローマも無償給付で潰れた」
商人全員「ほんで? だから? 結局、あんたさんはなにがいいたいんや? ベーカムも駄目いうとるやん。そんなら乞食いうても生活保護くれゆうても、やらんだけの話やろ。奴隷勤労でもしとけいう話やで。途上国と同じ100万で暮らせユニクロ柳井がいうたやろ。それがリアルグローバル経済やで」
政治家C「国民どもにはいかりを磨かせろ。船員に暇を与えてはならぬ」
自民党員B「移民と競合させ、物価あげたら、景気回復するとか日銀が言ってるからそうしろ」
僕「物価だけ上がって、実質賃金上がらないので、景気悪化しますよ。だって企業は移民労働者つかえばいいだけじゃん」
日銀「ぐぬぬ。いってはならぬことを」
首相A「なぜ物価を上げたいかですって? アメリカ様がそういうのでね」
米政府「なぜ日本を潰したいか? そりゃ属国なんて吸い取れるだけ吸い取るよ」
商人全員「ほんまアホな政府やけど、まあ企業が賃金抑制しても移民と貧民が苦しむだけやで。ええやんか」
僕「格差が広がるだけですよね?」
商人全員&米政府&首相A&日銀「ええ」
僕「資産格差。所得格差ですよね?」
商人全員&米政府&首相A&日銀「そう」
僕「なぜ縮めようとしないの?」
商人全員&米政府&首相A&日銀「私達は上級国民ですから、金持ちから見たら貧民を差別したいものですよ(笑)」
アリストテレス「最もよい国は、資産が中くらいにある良識的な国民が、多数政治を行う」
僕「先生、中流を破壊し、二極化させている日米の末路は?」
アリストテレス「衆愚政治か独裁政治じゃないですか? 愚かな多数派か、それを統制する独裁者か」
僕「どうすればいいと?」
アリストテレス「君自身が王になって統治するか、君が貴族として良識的な少数派を率いるか、導けば?」
僕「しかし私は絵描きですよ」
アリストテレス「啓蒙ですかね」
僕「やってはみます」
商人全員「で、お前はどうするの?」
僕「政治家を清貧にすればいいのでは。金儲けを軽蔑すればいいのでは」
自民党員全員「ギャッハッハ。今更、武士道もちだしてきてるよこの阿呆は。薩長藩閥が全否定してやったじゃねえかよ。勝てば官軍なんだよこちとら外様大名出身なんだから」
徳川宗家「え?」
僕「政治家は金儲けじゃなく公益に奉仕する、公僕じゃないか? なぜ金儲けなんて卑しい仕事してるんだよ」
商人全員「職業に貴賎なしだぎゃあ。かね儲けて何が悪いか、トヨタなしに一日も芸者呼べない貧困自民党如きが偉そうに」
自民党員全員「ははあ、そちもワルよのお。おお、そちは東電、東芝、日産。ワルよのお、ワルよのお」
僕「ほーら言った」
中央官僚A「かねにならない東北は最初から滅んでいる!」
僕「結局お前ら政治屋どもが金に汚いからこうなった」
首相A「金を儲けて何が悪い」
副総理A「銭勘定で国家運営してるんや」
僕「その国家が破綻してる」
官僚全員「ぐぬぬ」
皇族全員「だまらっしゃい、この貧困層! 朕の命令に従え、キイーッ」
僕「お前ら東京都民が贅沢三昧で国が傾く」
東京都民全員「田舎もんから搾取して贅沢自慢するんや。たとえ浮浪者を見なかったことにしていても、そこらのドヤ街を隠し通していても、都会を美化して地方人をだまくらかしておけば、次々洗脳された女が売春にくるんや。それが東京の伝統なんや。江戸時代からの花街なんやああ」
僕「ソドムだった」
商人全員「うんうん、くそがきといおうかくそおっさんといおうか、ようわからんが、この男がいうことは一理あるで。つまりは政治家がかねに汚いせいで、わしら商売人の取り分が減っているというんやな。それならわかる。んじゃ減税せい」
僕「格差広がるから累進で増税せよ」
商人全員「しんどけや!」
首相A「増税していいの? それなら賛成。貧民どもから貪りとろうぜ」
僕「金持ちと大企業からとりなさい」
首相A「それはできない相談だ。自民党は企業献金で食ってるんだぜ」
僕「自民党を潰せ」
首相A「馬鹿か。それなら私の立場はどうなる」
僕「お前以外にも公僕は幾らでもいるのだぞ」
副総理A「金持ちに増税したら海外に逃げる」
僕「じゃあ格差が広がり続けるじゃん」
副総理A「お前も金持ち側に入ればいい」
僕「無理なら?」
副総理A「しったこっちゃねえよ」
僕「金持ちが逃げたらなんだというんだ?」
副総理A「税収が減る」
僕「中流が安定した税収を上げるんだろうに」
自民党員C「いいか、お前の理屈は分かった。だが大企業だの金持ちだのがあげてくる税収が一番多い」
僕「じゃあ租税回避をなぜ防止しない?」
自民党員D「それはそれじゃないか(笑)」
自民党員E「結局、金持ちだけ優遇しとけば貧民だかB層だかは騙されて自民党支持してくるのは見てのとおりだ」
自民党員F「金持ちのほうが教育レベルが高い。平均してだが、それで家計も貧民はろくに判断できない。じゃあ騙しておいたら簡単に税収があがるだろ?」
自民党員G「中流ふやしたら自民党の地位がまた覆りはしないかね」
中央官僚B「その通り」
僕「お前らは党利に耽って全体を不幸にしているのだ」
商人全員「格差減らしたら儲かりまっか」
僕「儲かる」
自民党員H「保証は?」
僕「高度成長」
自民党員I「にわかに信じがたい。そもそもアメリカは格差社会じゃないか」
自民党員J「なんでもアメリカをまねとけば地位は保全されるじゃないか」
自民党員K「岸信介、安倍晋三、アメリカの奴隷は安泰だ」
僕「税は、もともと金持ちが取りすぎている分を貧民に回すための装置でしかないんだよ」
自民党員L「またご大層な理屈だが、それなら皇室はどうなる?」
僕「ごみだ」
商人全員「賛成」
自民党員M「愚民を洗脳するには都合がいい存在だ」
僕「副作用が税の浪費じゃないか」
日本国民全員「陛下万歳!」
僕「アメリカであれ中国であれ、中流が大量消費したら普通に、もっと成長するに決まってるじゃないか?」
自民党員N「結局、竹中平蔵がいる限り無理じゃね?」
自民党員O「年功序列ですので我が党は」
僕「やっぱり自民党は潰すしかない」
自民党員P「そんな革命家いねえよ(笑)。がきんちょも雑魚」
日本の若者「就職させてけろ。かねが足りず死ぬのが怖いでゲス。貧乏人にだけはなりたくないでゲス。かねが全てでゲス」
自民党員Q「ほらな」
自民党員R「こんな下衆どもなんだから、竹中のいうとおりにしたらいいじゃん」
僕「馬鹿に合わせてたらいつまでも進歩しないだろ」
MMT論者「格差拡大万歳。政府が赤字で問題なし。とにかく格差を無限に拡大すればよろし。理由はない」
僕「ほらね、馬鹿に合わせてたら無限に社会は悪化するんだよ」
MMT論者「財政支出を無限にしても法定通貨が希薄化するだけ」
僕「要は自滅しろというのだ」
MMT論者「法定通貨が弱くなっても無問題。理由はない」
古典経済学者A「こいつら馬鹿を唆せば、日本を実験台に潰せるじゃん」
古典経済学者B「面白い、もっとやらせろ」
MMT論者「自国通貨が弱くなったら為替市場が勝手に調整してくれるから問題なし。ゼロ金利のままなら悪性インフレで物価高騰など起きない。庶民は無限の社会保障でハッピー!」
自民党員S「何が言いたい? 安倍は阿呆だぞ?」
自民党員T「頭がパーを御輿にしてるのが誰か知りたいか? 勿論我々党員であり、中央官僚であり、何しろアメリカ政府なんだよ」
自民党員U「MMT論者のいうとおりになるに違いないぞ。安倍はアメリカ政府のでくだ」
僕「それをとめるのが仕事だろ?」
自民党員V「待てまて。実際にMMT通りにやって成功したらどうする?」
古典経済学者達「(大爆笑)」
MMT論者「いうねえ。その通りでがんすよ。どんどん日本政府は赤字拡大してくんさい! わが国アメリカの先鞭をつけてくださいでやんす」
僕「なぜ?」
MMT論者「勿論、私のロビー活動の為でがんすよ」
僕「君が御用学者の地位を占めたいからいってんだろ?」
MMT論者「御意」
自民党員W「結局どうしろと?」
自民党員X「首相Aも副総理Aもそんな高級な議論わかるわけねえじゃん」
自民党員Y「とりあえず結論を手短にどうぞ」
僕「竹中とMMT論者は政商ですね。排除しなければならない」
自民党員Z「さっきいったでしょう? 我が党は年功序列でしてね。小泉親子の手前、そうはいかないんですよ。まあ安倍麻生が退陣後にまた来てください」
僕「遅すぎるでしょ?」
自民党員A~Z「長期政権の間違いでは?」
右翼「安倍万歳」
僕「まあ自民党は潰すしかないのは変わらない」
右翼「自民党潰すとか小泉父かお前は」
僕「本気で潰すしかないだろ」
右翼「できるもんならやってみろ」
僕「わが国の元凶が自民党の金権政治と皇室とかいう邪教一家なんだから、このどちらも永久追放です」
右翼「どうやって?」
僕「それをするのが君らでしょ?」
右翼「左翼はよくわからん。天皇陛下万歳、自民党安倍様、愛国者達よ永遠たれ!」
僕「だから君らが国の害なの」
右翼「お前だろ」
商人全員「金儲けしろ」
僕「金儲けしてる限り進歩はない」
政治家D「中流を増やそうというのは分かった。だが右傾化した愚民が動かないよ。アメリカかぶれだし」
僕「最終的にいえるのは、金儲けを軽蔑するのが最も有効」
日本の若者「拝金主義最高。成金ユーチューバーになりたい」
僕「若者は馬鹿だ」
孔子「不義にして富かつ貴きは我において浮雲の如し」
政治家E「金持ちへのルサンチマンとして矮小化されそう」
僕「俺に任せろ」

未来は予想できない

希望も絶望も捨てるのだ。希望通りにも絶望通りにも世の中は変わっていかないのだから、これらは脳内妄想に他ならない。

2019年6月6日

仁者無敵を曲解し金を貪る商人階級に脱資本主義の革命は起こしえない

西村博之氏が「無敵の人」という言葉で経済弱者を被差別階級の様にしたてあげ、その種の人達を社会全体が弱いもの虐めしながら、労働階級が自己責任論で自己正当化する。この構図は士農工商の下に「えた・ひにん」を置いていた構図の焼き直しに過ぎないわけだ。重要なのは、この被差別階級扱いされている経済弱者らが、十分な教養をもつ様に導くことで、その結果、革命の担い手になりうる。労働階級は自らの存立根拠が資本主義そのものにあるので、いかに不遇でも革命を起こす立場になれないのである。しかし資本主義から排除されている人なら可能だ。
 経済弱者が共産主義、社民主義を基本として、現代資本主義の諸理論をきちんと修めていけば、この体制が新たな奴隷制に過ぎないと悟ることになる。労働階級とは一言でいえば資本家の奴隷であり、政治階級の中では皇室財閥を最上位者として日本国民全体は労働奴隷として搾取されているだけなのである。
 嘗て明治維新の担い手になった日本人らは士(公務員)の中でも最も貧しい階級で、しかも教養階級だったと言って先ず間違いないであろう。彼らは現状分析から封建制を終わらせる必要性を感じ取り、部分的に資本主義導入や民主化を試み近代化につなげていった。同じことは現時点でもいえて、近代資本主義は日本の体制で最終段階に至っており、もはや国家社会主義段階になっているが、政治的調整が行われない。つまり自民党寡頭政が、皇室独裁政と衆愚政を兼ねる様な悪政が続いている。これで経済体制そのものもうまくいかなくなっている。格差が広がるだけと。
 この時点で必要な革命は、そもそも日本政府が赤字国債の総発行額・財政支出の方が税収より多い以上、財政破綻しているとみなして一度、政府を潰し、いわゆるデフォルトさせて新政府にきりかえることであろう。その際、円をおわらせ次の通貨にきりかえれば財政赤字そのものを帳消しにできるわけだ。大幅に既得権益であるところの経団連大企業と対立し、金持ち・大企業の内部留保対象の高税率にきりかえ、自民党・皇室・衆愚の連帯関係を破壊しなければいけないわけだから、激しい政治闘争が予想されるわけで、明治維新以来の大規模な革命を起こす必然性がある。この際、皇室民営化も実現する筈だ。
 一体、西郷隆盛がいう「カネも名誉もいらない」無私の士人、勿論彼らは清貧であってひたすら国家や公に殉じる者でなければならないが、そういう無敵の人以外の誰が、今日の革命の担い手になれるのか。私の見てきた限り、労働階級に革命を起こす知能も能力も勇気も意欲も全くない。ただの雑魚の商人だ。いいかえれば、ひろゆき的な弱肉強食的・中華思想的な下卑た差別の文脈とは全く別のものに、無敵の人が置かれている立場をきりかえていく必要があると私は思う。なぜ彼らが「引きこもり」など労働階級になり損ねたものとして扱われているかといえば、労働主義者の自文化中心的な偏見以外何物でもない。「無敵の人」が新たな政治の担い手、或いは維新志士のよう新たなメディアを使ってあちこちで既得権を潰していく社会的粛清の革命家らになっていけば、既に資本主義体制ではなくなっている(企業の過半が国有の)状態を、少なくともまっとうな社民主義的な調整が行われる高福祉政治に決着させていける。生存権を主張し、経団連と癒着しつつ暴利暴権を貪る全自民党員を征伐し、基礎所得(basic income)や一律貸与(universal credit)を実現させていく必要があるわけだが、資本主義の内部で労働者をやっている人達はより貧しい人を差別できなくなるのを嫌がりできない。この意味で労働階級は卑しいのだ。労働階級は自分より貧しい人達を被差別階級にしたてあげ、自分達を自己正当化する卑しい感慨に耽る、いってみれば下層階級、奴隷階級でしかなく、この人達には巨視経済で基礎所得や一律貸与やらが経済成長率をあげるどころか人権保障なのだという憲法的理解すらなにもないのだ。卑人に革命はできない。
 いうまでもないことだが、我々の世界にピラミッドの様な構図などない。資本主義者らは所得が多い金持ちの上に皇室を戴く封建制度を脳内に描き、その戯画の下の方に自分を位置づけ、上に逆らうのは権力闘争になるからと負けを恐れて卑屈になり、更に貧しいと見なした人を差別し虐げて済ませている。資本主義者の脳内にある資産ピラミッドは、ただの妄想だ。現実には全人類にかねをもっているかどうかで地位の上下などない。逆にその様な封建秩序を再建しようとしている愚物は、徹底的に潰す方がいい。東京都民の一部とかがそういう考えで、雑誌プレジデントとかで学歴差別などを広めるのも同じだ。
 人はどの様な条件でどんな資産の親から生まれても等しく尊重されねばならず、当然、そこに生まれつきの格差など許しておくべきではない。もし政府がその様な差別を放置しているならその政府は腐っているのだからすぐにでも破棄し、新体制に移行させねばならない。
 因みにだ、博之という男は2ch・5chという日本のネット文化を完全に退廃させた匿名犯罪の巣窟、諸悪の根源にエロ広告をのせて金を貪った挙句、フランスに帰化だか移民だかして難を逃れながら、適当なことをほざいている商人でしかない。これも一々指摘するまでもない話だが、仁者無敵が本来の字義だ。『孟子』がいう仁者無敵とは、博愛の念をもつ仁者は、そもそも誰のことをも敵にはしない、全ての人々と仲良くしようとするものだ、という意味で、これが無敵の本来の字義なのである。それを「資本主義封建制の元で貧乏人は失う物がないから犯罪者予備軍」みたいにいってるのは馬鹿でしかない。
 第一に、資本主義が封建制に堕してきた時点で、これは悪しき体制なのだから政治的調整なり資本家自身が寄付によって社会の極端な結果不平等を減らしていこうというのが本来の良識であり、悪名高いアメリカ人ですらそうしているわけだ。では博之はどうなのか。日本の金持ちとやらはどうか。柳井は孫は。これでわかるであろう。「無敵の人」というひろゆき語は、いってみれば経済弱者を被差別階級にしたてあげようという単なる日本人商人の悪意に過ぎないのだと。新たな差別用語なわけで、孟子の字義を完全に歪めた極悪的表現であるばかりか、巨視経済的良心も全くない、とんでもない愚物の戯言である。
 商売人は原罪がある。他人を搾取するという罪だ。だから新渡戸『武士道』の中では政治的調整の階級、徴税階級が金儲けを卑しんでいた。そしてこの原則は古代ギリシアから何も変わりがない。イエスもブッダも孔子も、聖人らはほぼ共通して商売を蔑んでいる。搾取罪は寄付によってしか償えないからだ。経済弱者という言葉は、商人の原罪を自覚させる為に私が使った言葉だが、この言葉は日本人商人の心魂の卑しさからいえば、自分達は強者だ、だから弱者を虐げるのは当然だという大変歪んだ意味に悪解釈される恐れがある、と或る10代の女の言動で私は悟った。弱肉強食を恥じないほど堕落しているのだ。
 元々、金儲けをしない、他人を搾取しない、全行動を無償で行う、勿論、善行しかしないというのが聖人にとって最低限度の用件だ。聖人の前座が君子紳士とすれば、当然、商人になりよう筈もない。アメリカ植民地の移民らが商売を幾ら正当化しようが、ユダヤ人と組んで洗脳しようと同じことだ。即ち聖人君子は清貧でなければならない。それは他人を貪っていない証拠だからだ。我々は金儲けとか利益追求から最も遠いところで生きる必要がある。勿論、私も聖人になるのは最低限の必要だと思って生きてきたし、一部の下衆が商売を持ちかけてきてその商人らの実態を調査したのも同じ内部調査目的である。商売人は卑しい、なぜなら他人を貪って生きているからだ。もし尊い人ならなぜ無償で奉仕していないのか。なぜ尊い人が他人より金を儲けてその状態に耐えられるのか。どう考えても清貧道徳、賎貨思想の方が聖人以上の世界観にとってふさわしい。だから労働者に何も期待はできないのだ。
 我々は全く金を持たないばかりか金儲けにも関心がない人、いわゆる無敵の仁者の一員でなければならないし、我々を労働階級だか資本階級だかが差別してきたとしても、それは差別する方が卑しいだけだ。10兆円を貯めこんでもその人間の卑しさしか証明しない。これがこの世の真理だ。資本主義封建制を覆す革命に際し、我々が知識人として一体どう振舞うべきかだが、私は聖人君子の一人なので暴力を使わずに革命を起こせよと命じる。ただひたすら道理を説くがいい。勿論、目先の利を追いその日暮らしの労働階級如きに我々のいうことが理解できる筈もないから、人を見て法を説くべきだ。

2019年6月5日

弥生系の移民主義的差別観は唯の野蛮

嘗て大阪の自衛隊員が沖縄県民へ土人と発言したことは、彼ら大阪人一般、関西人一般、西日本人一般の先祖が移民であること、中国・朝鮮半島からの渡来人、弥生人であることの自覚に基づく自民族中心主義が示されている。彼らの差別観の中では中韓移民が上位者であり、先住日本人が下位者のままなのである。
 薩長藩閥が日本国内へ行った侵略罪のさなか、彼らが主張していた現地人差別も全く同じ解釈で理解できる。彼らの潜在意識は自民族中心主義の中華思想によっていて、その根拠は単なる文化的無知と傲慢でしかない。だから薩長土肥と呼ばれる西国の諸国民は、日本国内の他の文化を後進視し侮蔑しているのだが、それ自体が自己中心性と、単文化主義に基づく野蛮の証拠なのである。
 皇室も全く同じ意味で、単なる野蛮人でしかない。弥生人の移民主義的差別観を中華思想として古代奈良から延々と続けている宗教権力者だからだ。

中華思想の右翼は唯の利己

同国の別地域を差別し、貶めながら、愛国と称する右翼は、単に利己主義者なだけである。

無能や悪徳がある意味

我々は自分が最も社会貢献できる分野に全能力を投資すべきでそれは必ずしも人と同じではない。だから人と違う結果が出る生業が当然で、成果も一様ではない。悪徳や無能にも全体でみれば反例を示す効果がある。

都塵を避け隠棲すること

幸福に生きるには自分より卑しい人と接さずくらすという唯一つの方法しかない。そしてこれが最も難しい。人は社会的動物だからだ。人とやりとりせず他人を避けてくらすのは本性に逆らうのであり、できるのは人間関係をできるだけ狭め、都塵を避け隠棲することくらいだ。しかも当然ながら俗物はこの真逆の行動類型を持ち、都心で中華思想に耽りつつ愚か者を洗脳している。

2019年6月4日

SNSは知的な人にとって基本的に有害

私はSNSを相当試したが、社交界一般と同じ結論、即ち有害という結論に辿り着いただけだった。ミル『自伝』での忠告は多少なりとも知的な人にとって今日、SNSにも完全に当てはまると書いておく。
 ただ下衆の様子をみても、品性を堕落させるのでなければ世知の一種として人類の悪意をまざまざと見るだけだ。小人は下達するの一種になる範囲が余りに多すぎるのだから、SNSを避けるに越したことはない。だが海千山千としてサイコパスやダークトライアドの類が現実にいて、彼らは日常生活にまぎれ世間体を演じ人々を騙していると知るのは重要かもしれない。また性悪が現実にいるのを見るのは世間知らずと対極にある認知である。個別の例外が多すぎ、統計的差別が役立たないのも社交によって得られる重要な理解だ。
 結局、これら下衆の生態を見聞きするのは、直接体験でなく抽象的にそうした方がましである。SNS自体が標本抽出的なものだが、更に抽象度の高い形で学べるならそれがより優れている。具体的にはこの文章もそうだが、他人が書いたできるだけ上位分析を含む体験談でも十分すぎる。

悪徳に満ちた俗衆と縁を切るべし

嫌な人、悪徳に満ちた人達とはなるだけ短い時間しか関わらない様にし、できたら一切関わらない方がよい。俗衆は悪徳を移し合っているから最低級の不幸に陥り、それを喜んでさえいる。朱に交われば赤くなる、という様、癖はミラーニューロンを通じ互いに影響を与え合っているからだ。
 都塵を好む人はそれ自体が悪徳に満ちていると知るべきだ。

虚構の人生

美しい嘘でできた世の中を
順繰りに過ごし
次第に倒れていく
労働者として蓄財し
自由を捨てながら威張る東京都民
田舎を差別しながら緑のない地獄で
今日も満員電車に吐き気を催しつつ
かねを貪る
楽しい現世
脳内は優劣感で一杯なので
常に他人を見下しながらびくびくし
心にもない詭弁で就業
だから君の人生全体が罪でまみれていて
遂には虚構になった

先憂後楽と大衆迎合は対立概念

俗人は流行に乗り、多数派と共に最も損害をこうむる選択を行う。
 賢者は先憂後楽に則り、重要な点に逆張りして生きている。愚者は幼稚さを高い価値だと妄想し、成熟した判断を小馬鹿にしている。結果、賢者は最も望ましい成果を得ながらしばしば少数派のまま、大衆には啓蒙的に振舞う。

寛容度は複眼性による

人は自分の興味で世界を価値づけるので、ある人にとって最重要な点は他人にはどうでもいいことがある。しかしこの自己中心性という偏見から免れて世を見るには、全く別の価値観を多数理解し、且つ、それを自分の信念として採用しない必要がある。

引きこもりバッシングは労働者の反動形成を含む陰謀論

労働階級を再生産し、現状維持と搾取の資本主義体制を強化しようとする陰謀が引きこもりバッシングであり、出づっぱりの会社員らが自らの生態を合理化するべく嫉妬まじりに無業者を差別対象にしたてあげようとしているのだ。が労働者が理想の生態と思い込んでいるのは彼らだけである。

栄華は長く続かない

驕れる者は廃れ、都会は衰退し、貪っていた者は跡形もない。田舎をわけもなく蔑み群れて悪業三昧していた都人の末路を見よ。皇族と名乗り、民衆を搾取し、贅沢に耽っていた一門がおちぶれない筈もなく、栄華は長く続かない。

2019年6月3日

新自由主義者一般は単に自己評価が過大で愚昧な集団

新自由主義で成功したという金持ちの意見を聞き、それを社民主義国の意見の中央値と比較している人々は全く大きな間違いを犯しているものだ。後知恵偏見の中でも自らの期待できる幸福さを比較の影響を無視し過大評価している集団、即ち自由主義集団のそれは最も愚劣な成果の一つである。

真の成功は利他的功利性の程度

真の成功とは他人に与えた質的な功利性に還元されるものであり、道徳以外の面で他人を優越した証ではない。

商人は一般に公害

有限の資源を寡占しようとする人は単に公害である。この為、商人全般は一般に他人にとって有害であり、仮に彼らが好まれる場合があるとしても自分に得がある時だけだ。

統計は事実ではない

統計は標本に対する抽出にすぎず、個別の事実とは異なっている。だから個別の事例へ統計から演繹した差別をあてはめている人は単純に愚かなのだ。殊更、個別の事例が標本自体ですらない場合によくこれがいえる。抽出過程そのものが、有意差や信頼区間の要素などを含め、元々不完全で曖昧だからだ。

心の卑しい人とつきあわない方がよい訳

心の卑しい人を尊くするのは、無能を有能にするのと同じだけ難しい。卑しさとは道徳知能の劣位を意味し、脳の状態が常々より利己的な行動原理を取り易いことを示している。だからゴータマは卑しい人を遠ざけていたのだし、それは合理的行動だった。
 一方、心の尊い人は腐っても鯛といった風に堕落しても道徳的利他性から離れづらい。この為、心の尊卑を見分けるのが人づき合いで最重要な心構えの一つだ。賢愚一般に対し卑しい知恵者は自分に有害な影響を与えるからだ。

経済的不可知論

確実に金持ちになれると吹聴している人は確実に破滅するべくしてそうしている。経済の将来は常に不可知だから、運の要素なしに成功などできないからだ。

2019年6月2日

驕れる人々

蓄財し人の不幸を喜べるアベノミクスに驕れる京都人
西国人口から出るのは差別にて学歴たねにかねを貪る
侵略し覇道を主張しながらに薩長土肥は今日も驕れる
原発を田舎におしつけ金儲け中華思想に驕れる東京
米国に媚売り地位にしがみつく自称右翼は今日も売国
天皇に洗脳されける衆愚らが崇めつ違憲退位に万歳

後天的教育は遺伝的要素より結果に大差をもたらさない

生まれつき頭が悪い人に大学院までの教育を与えても、生まれつき頭がよい人の思考水準には全く到達しない事例を私は経験的に沢山みた。教育はこの意味で元の知能そのものを変ええず、後天的に多少の変化を与える程度で、生まれつきの頭のよしあしの方が遥かに結果差をもたらしていると知った。だから学歴差別の類をしている人は、他人の思考水準を推し量れていないばかりか、基本的に人間性を見誤ってさえいる。
 IQは6~7割が遺伝(『遺伝子の不都合な真実』)、生後の教育で思春期頃にIQは20程度変化する(Cathy Price etc. 2004 "Nature" 2011年10月19日号)といった見解は、後天教育が変えられる範囲を説明している。最大で4割程度、IQの数値では20前後が変化するが、それ以上の脳の働きの大部分は遺伝子に由来しているかもしれないというわけだ。学歴馬鹿、もしくは理系馬鹿といった部類の人達を観察すると、典型的教育課程を経ていながらそれ以外の領域では非常に愚かなままということがわかる。そういう人達は学内の専門課程で教わった知識以外については基本的に勉強や学習を怠っているからだ。
 つまり生まれつき頭がよい人は学外学習も甚だ巧みで、広範にわたる知識を得、その中には世知の類も大いに含まれているので、典型的教育歴以外の部分、それは人生の大部分にあたるが、そこでも十分有能な判断ができる。孔子の「君子は器ならず」とは、後天的学習を全否定しないにせよ、個別の分野でなく究極のところ自由教養が最重要な知恵であり、人格形成の基だと示している警句である。
 生まれつきIQその他の知能が高い人々が、さらに後天学習を行って結果差をつけることを鑑みると、典型的教育歴はごく限られた知識を分野として身につけさせるのに役立つにせよ、それを超えた意味をもたないといえる。

自由の侵害者

自分の自由を侵害してくる人は、自由の領域を他人のものにまで拡張しているに過ぎず、いわば他人を自らに隷属させたがっているのだ。この意味でこの人は自由の圏域を勘違いしているのみならず、そもそも自他の違いが曖昧な幼児性の持ち主であるか、悪意をもつ他人である。当然、この種の人は当人の快楽に自分を利用するが自分の不快を省みない災厄の源だから、縁を遠ざけるしかない。

労働主義の分析

「働かざる者食うべからず」という労働信仰は、皇室の様な特権階級や、大資本家にとって好都合な洗脳の教義であり、これを正義と思い込んでいる労働者集団の中では労苦や努力といった肉体的苦痛を伴う仕事観が、奴隷らしさの証拠として相互におしつけあう義務にさえなっている。しかし当然だが資本家を中心とした資本主義的社会では、この真逆の類型、「働いたら負け」の号令を忠実に実行している人々が最も自由か、なおかつしばしば富裕に暮らす。
 労働者はマルクスがいうとおり労働力を切り売りしている人々だから、自ら自由を手放すのをよしとする。労働信仰は半ば反資本主義的なもの、いわば資本主義の中に非効率部門として含まれる労働主義だが、労働者一般はこの考え方が資本主義の中で家畜的なものなのが分からないからその状態を合理化している。つまり勤労所得と不労所得(投資収益を知的労働とみなせば金融所得)の比率は、その人の働きの抽象度に応じて生じるのだが、単純に理想化すると、実際の資本格差は経済的知性に比例している。
 資本家からみれば、所得格差が生じるのはこの知性に差がある限り当然となるのであり、共産主義者の理論的破綻がある点も同じである。無知又は無能な人々が起業したら、商才ある人と同じ結果にならない。資本主義の合理性の核心は、より商才のある人の元により大きな資本を集めれば利益追求の手順に従って、効率よくそれを生かすだろうという配分の利にある。労働者一般が労働信仰をもつのは、経営者や事業主、自由業者、資本家(投資家)といった職業的役割を果たす為には不十分すぎる商才しかない自らの無能さにとっての適応であり、彼らがほぼ同質の仲間にとどまりたがるのはこの労働主義の宗教が彼らの生態にとって好都合だからだ。たとえ彼らの境遇がいかに奴隷的でも彼らは労働信仰をほぼ絶対的教義と思い込むのが快適だからそうしているのであり、反対に不労所得とみなせるだけ効率のいいあらゆる仕事、並びに所得と関係のない仕事(趣味やボランティア、先駆的仕事、虚業、NPOなど)を軽蔑さえしている。
 我々が労働信仰の持ち主を愚劣に過ぎないとみなしたとしても、彼らはこの信仰を正義と混同しているのだから、被雇用者の立場で、できるだけ自由を自己放棄しながら一生を過ごすことが彼らの最大の幸せなのは変わらないであろう。

内部留保税と貯蓄税案

他人を不幸にする為に資本主義を使う人は、より大きな資産をもつほど他人から妬まれ、憎まれ、恨まれ終わる。より大きな資産をもつことを封建制の再現、奴隷制の顕現に使う者は、単に反社会的存在であり、本来そのかねがあれば生きられた人や、より世界の幸をませた人にとって公害でしかない。この意味で企業の内部留保や、個人の貯金に税をかけることが公益になるのは明らかである。その分の資本を、投資か消費に回す鼓舞になるからだ。

信仰と疑い

自分が信じたいものを信じている人は宗教的思考(信仰)をもっているといえるが、彼らは確証偏見にあうよう現実を歪め捉えるので、結果は往々にして予想外になる。しかし信仰が現実と不一致になるほど、信仰は確証偏見に近い部分に集中する。
 これに対し科学的思考(疑い)をもつ人は確証偏見を含むあらゆる偏見を排し、自分の思考を固定せず、絶えず変化しながら異なる面をみせる現実分析に使うので、様々な考え方から自由に思慮できる。疑いからみれば反証性や、信念に反する事実はいずれも好ましい成果なので、より思考を深めたり、真理を詳しく見直す結果になる。

愚かさで説明できることを悪意の一部とすべきではなく、賢さで説明できることを善意の一部とすべきではない

生まれながらのIQが低い傾向がある人々は他人の立場を多角的に慮る能力も低い可能性が高いので、利己性に耽り易く、それを巨視化した愛国・保守思想を信条にし易い。愛国心に耽る人々は国や利害を超えた広域にわたるやりとりを苦手とし、思想そのものも単純化・矮小化し易いので、生活の諸局面において差別的な考えを複数もち、また同種の観念に洗脳され易く、おおよそ利己的かつ他害的にしか生きられない。
 犯罪率の面で学歴による偏差が生じるのは、個々人の生まれながらのIQと進学可能性に一定の正相関があるからと思われるが、勿論、多数の例外を含んでいる。またIQ自体とEQその他の感情知能や、法の理解度、道徳知能などは異なっているから、これらにも厳密な相関性はない。この為、サイコパスやダークトライアドといった仮にIQ自体が高い状態でも道徳知能その他に例外がみいだせる状態があり、また理科系の教育(理系教育。自然科学を主とするもの)を受けた人々によくみられるよう、IQと無関係に感情的または倫理的思考そのものを苦手としている人々もいる。ほかサヴァン症候群の一部のようIQが極めて高い状態でも、他の知能と関係ない人々もいる。しかも典型的進学実績は典型的教育課程を経た一部の人にしかあてはまらないのであり、学歴あるいは教育歴で犯罪率が決まるとするのは完全な拙速で誤りである。
 要するに低IQに生まれついた人々の一部は、他人の気持ちを慮り、孔子「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」イエス「己のしてもらいたいようにせよ」といった利他的な行動をとることが、脳の遺伝的に難しい。そして他人からはそれがしばしば悪意に見える。第三者から愚かさが時に悪意と混同されるので、低IQの人々の一部は自分は悪人だ、性悪だと考える様になり、また他人もそうに違いないと思い込む様になっていく。この世界中の人々を性悪説で見なすある種の厭世観という悪徳の部分は、明らかに愚かさと悪意が混同されることから生じているのだ。ハンロンの剃刀と類似の意味で、「愚かさで説明できることを悪意の一部とすべきではない」
 この世になぜ利己主義者が生まれてくるかといえば、上述の経過を辿ってなのである。また裏を返せば利他主義者が生じてくるのは寧ろ高IQの人々の一部が、大いに他人を慮れる共感知能をもちあわせているので、利他的功利主義風に世界中の人々をより幸福に導けるとの信念をいだき易く、ある種の楽観が拡大したからだ。だが現実には上述の理由で公害をもたらす利己主義者が常に、比べて居るので性善説の世界観通りに人々が暮らしはしない。「賢さで説明できることを善意の一部とすべきではない」とは、知識に基づいて利己的に生きているに過ぎない人々が、生まれながら善人だと思い込むことがいかに有害かを示す警句だろう。高学歴の極悪人に搾取されるのが日常の一部の金融界(例えば市場平均に成果が劣るのが通常の投信の世界)では顧客は往々にして合法的詐欺の対象でしかない。同じ様に高IQを悪用している人達を善意と混同している限り、なぜ資本主義が本質的に貧民の為の仕組みでないのか分からないであろう。

遊び

遊ばぬ者は学びもしない。

統計を差別の道具にしている科学主義者について

愚者は統計を差別の手段と考えている。彼らは統計的なデータを多角的に分析したり、疑義することはなく、単に或る標本から抽出した事実として自らの既成観念である差別を裏づける証拠にしている。この意味で科学主義者の一部には、悪意ある差別をその曖昧さのうちに織り込む人がいる。

2019年6月1日

性悪がいる限り法が必要

利己的な人、性悪に知識や金銭などの道具を与えるのは殺人鬼に核兵器を渡すのと本質的になんの違いもない。実際彼らは知識を他人を搾取したり差別する目的で「学歴」と矮小化しているし、金銭に至っては他人を奴隷化する方法としか見ていない。資本主義は彼らにとって新たな奴隷制で、民主主義は衆愚に応じて悪徳を欲しい侭にする独裁の機構でしかない。
 我々は倫理より高いなんらかの社会的統制の原理をもっていないし、それは今後も未来永劫同じだろう。道具を悪用する人は倫理という肝心の目的が分かっていないのだから、この点で性悪が及ぼす諸々の公害を統制しなければならないのは絶対的な真実なのだ。
 この為の共通規範を法としたのが法家であり、倫理そのものに求めたのが儒家だった。法はそれ以下の悪行をすれば罰される最低限度規範でしかなく、倫理は模範に値する当為にまつわる最高限度規範である。つまり倫理の理解力がない性悪に向け必要なのは少なくとも法律だ。一方で性善的な人、利他的な人にとっては倫理が語られるべきことになる。

基準

自分より劣った人に基準を合わせている人々は、より劣った状態に落ち着く。