2019年6月6日

仁者無敵を曲解し金を貪る商人階級に脱資本主義の革命は起こしえない

西村博之氏が「無敵の人」という言葉で経済弱者を被差別階級の様にしたてあげ、その種の人達を社会全体が弱いもの虐めしながら、労働階級が自己責任論で自己正当化する。この構図は士農工商の下に「えた・ひにん」を置いていた構図の焼き直しに過ぎないわけだ。重要なのは、この被差別階級扱いされている経済弱者らが、十分な教養をもつ様に導くことで、その結果、革命の担い手になりうる。労働階級は自らの存立根拠が資本主義そのものにあるので、いかに不遇でも革命を起こす立場になれないのである。しかし資本主義から排除されている人なら可能だ。
 経済弱者が共産主義、社民主義を基本として、現代資本主義の諸理論をきちんと修めていけば、この体制が新たな奴隷制に過ぎないと悟ることになる。労働階級とは一言でいえば資本家の奴隷であり、政治階級の中では皇室財閥を最上位者として日本国民全体は労働奴隷として搾取されているだけなのである。
 嘗て明治維新の担い手になった日本人らは士(公務員)の中でも最も貧しい階級で、しかも教養階級だったと言って先ず間違いないであろう。彼らは現状分析から封建制を終わらせる必要性を感じ取り、部分的に資本主義導入や民主化を試み近代化につなげていった。同じことは現時点でもいえて、近代資本主義は日本の体制で最終段階に至っており、もはや国家社会主義段階になっているが、政治的調整が行われない。つまり自民党寡頭政が、皇室独裁政と衆愚政を兼ねる様な悪政が続いている。これで経済体制そのものもうまくいかなくなっている。格差が広がるだけと。
 この時点で必要な革命は、そもそも日本政府が赤字国債の総発行額・財政支出の方が税収より多い以上、財政破綻しているとみなして一度、政府を潰し、いわゆるデフォルトさせて新政府にきりかえることであろう。その際、円をおわらせ次の通貨にきりかえれば財政赤字そのものを帳消しにできるわけだ。大幅に既得権益であるところの経団連大企業と対立し、金持ち・大企業の内部留保対象の高税率にきりかえ、自民党・皇室・衆愚の連帯関係を破壊しなければいけないわけだから、激しい政治闘争が予想されるわけで、明治維新以来の大規模な革命を起こす必然性がある。この際、皇室民営化も実現する筈だ。
 一体、西郷隆盛がいう「カネも名誉もいらない」無私の士人、勿論彼らは清貧であってひたすら国家や公に殉じる者でなければならないが、そういう無敵の人以外の誰が、今日の革命の担い手になれるのか。私の見てきた限り、労働階級に革命を起こす知能も能力も勇気も意欲も全くない。ただの雑魚の商人だ。いいかえれば、ひろゆき的な弱肉強食的・中華思想的な下卑た差別の文脈とは全く別のものに、無敵の人が置かれている立場をきりかえていく必要があると私は思う。なぜ彼らが「引きこもり」など労働階級になり損ねたものとして扱われているかといえば、労働主義者の自文化中心的な偏見以外何物でもない。「無敵の人」が新たな政治の担い手、或いは維新志士のよう新たなメディアを使ってあちこちで既得権を潰していく社会的粛清の革命家らになっていけば、既に資本主義体制ではなくなっている(企業の過半が国有の)状態を、少なくともまっとうな社民主義的な調整が行われる高福祉政治に決着させていける。生存権を主張し、経団連と癒着しつつ暴利暴権を貪る全自民党員を征伐し、基礎所得(basic income)や一律貸与(universal credit)を実現させていく必要があるわけだが、資本主義の内部で労働者をやっている人達はより貧しい人を差別できなくなるのを嫌がりできない。この意味で労働階級は卑しいのだ。労働階級は自分より貧しい人達を被差別階級にしたてあげ、自分達を自己正当化する卑しい感慨に耽る、いってみれば下層階級、奴隷階級でしかなく、この人達には巨視経済で基礎所得や一律貸与やらが経済成長率をあげるどころか人権保障なのだという憲法的理解すらなにもないのだ。卑人に革命はできない。
 いうまでもないことだが、我々の世界にピラミッドの様な構図などない。資本主義者らは所得が多い金持ちの上に皇室を戴く封建制度を脳内に描き、その戯画の下の方に自分を位置づけ、上に逆らうのは権力闘争になるからと負けを恐れて卑屈になり、更に貧しいと見なした人を差別し虐げて済ませている。資本主義者の脳内にある資産ピラミッドは、ただの妄想だ。現実には全人類にかねをもっているかどうかで地位の上下などない。逆にその様な封建秩序を再建しようとしている愚物は、徹底的に潰す方がいい。東京都民の一部とかがそういう考えで、雑誌プレジデントとかで学歴差別などを広めるのも同じだ。
 人はどの様な条件でどんな資産の親から生まれても等しく尊重されねばならず、当然、そこに生まれつきの格差など許しておくべきではない。もし政府がその様な差別を放置しているならその政府は腐っているのだからすぐにでも破棄し、新体制に移行させねばならない。
 因みにだ、博之という男は2ch・5chという日本のネット文化を完全に退廃させた匿名犯罪の巣窟、諸悪の根源にエロ広告をのせて金を貪った挙句、フランスに帰化だか移民だかして難を逃れながら、適当なことをほざいている商人でしかない。これも一々指摘するまでもない話だが、仁者無敵が本来の字義だ。『孟子』がいう仁者無敵とは、博愛の念をもつ仁者は、そもそも誰のことをも敵にはしない、全ての人々と仲良くしようとするものだ、という意味で、これが無敵の本来の字義なのである。それを「資本主義封建制の元で貧乏人は失う物がないから犯罪者予備軍」みたいにいってるのは馬鹿でしかない。
 第一に、資本主義が封建制に堕してきた時点で、これは悪しき体制なのだから政治的調整なり資本家自身が寄付によって社会の極端な結果不平等を減らしていこうというのが本来の良識であり、悪名高いアメリカ人ですらそうしているわけだ。では博之はどうなのか。日本の金持ちとやらはどうか。柳井は孫は。これでわかるであろう。「無敵の人」というひろゆき語は、いってみれば経済弱者を被差別階級にしたてあげようという単なる日本人商人の悪意に過ぎないのだと。新たな差別用語なわけで、孟子の字義を完全に歪めた極悪的表現であるばかりか、巨視経済的良心も全くない、とんでもない愚物の戯言である。
 商売人は原罪がある。他人を搾取するという罪だ。だから新渡戸『武士道』の中では政治的調整の階級、徴税階級が金儲けを卑しんでいた。そしてこの原則は古代ギリシアから何も変わりがない。イエスもブッダも孔子も、聖人らはほぼ共通して商売を蔑んでいる。搾取罪は寄付によってしか償えないからだ。経済弱者という言葉は、商人の原罪を自覚させる為に私が使った言葉だが、この言葉は日本人商人の心魂の卑しさからいえば、自分達は強者だ、だから弱者を虐げるのは当然だという大変歪んだ意味に悪解釈される恐れがある、と或る10代の女の言動で私は悟った。弱肉強食を恥じないほど堕落しているのだ。
 元々、金儲けをしない、他人を搾取しない、全行動を無償で行う、勿論、善行しかしないというのが聖人にとって最低限度の用件だ。聖人の前座が君子紳士とすれば、当然、商人になりよう筈もない。アメリカ植民地の移民らが商売を幾ら正当化しようが、ユダヤ人と組んで洗脳しようと同じことだ。即ち聖人君子は清貧でなければならない。それは他人を貪っていない証拠だからだ。我々は金儲けとか利益追求から最も遠いところで生きる必要がある。勿論、私も聖人になるのは最低限の必要だと思って生きてきたし、一部の下衆が商売を持ちかけてきてその商人らの実態を調査したのも同じ内部調査目的である。商売人は卑しい、なぜなら他人を貪って生きているからだ。もし尊い人ならなぜ無償で奉仕していないのか。なぜ尊い人が他人より金を儲けてその状態に耐えられるのか。どう考えても清貧道徳、賎貨思想の方が聖人以上の世界観にとってふさわしい。だから労働者に何も期待はできないのだ。
 我々は全く金を持たないばかりか金儲けにも関心がない人、いわゆる無敵の仁者の一員でなければならないし、我々を労働階級だか資本階級だかが差別してきたとしても、それは差別する方が卑しいだけだ。10兆円を貯めこんでもその人間の卑しさしか証明しない。これがこの世の真理だ。資本主義封建制を覆す革命に際し、我々が知識人として一体どう振舞うべきかだが、私は聖人君子の一人なので暴力を使わずに革命を起こせよと命じる。ただひたすら道理を説くがいい。勿論、目先の利を追いその日暮らしの労働階級如きに我々のいうことが理解できる筈もないから、人を見て法を説くべきだ。