動機説と結果説を省みると、それ自体が悪いといえるのは動機における悪意であり、結果の悪さ(他者への害)ではない。なぜなら善意による過失は行為者に操作できない偶然的要素による結果悪をもたらし得る一方で、悪意による結果の善も同様だが、悪意それ単体には悪い部分しかないからだ。また善意はそれ単体でよいといえる唯一のものでもある。
即ち悪意は全てのものの中で最悪のもの、善意は全てのものの中で最善のものといえ、それらは各々、全要素が悪さ、善さで占められているからだ。この為、単なる動機説に基づいて善悪を定義する時、僅かな悪意も甚大な悪意と同じく最悪のものの部分と評されねばならず、これは僅かな善意が甚大な善意と同じく最善のものの部分と評されるべきなのと同様に判定されねばならない。