生まれつき頭が悪い人に大学院までの教育を与えても、生まれつき頭がよい人の思考水準には全く到達しない事例を私は経験的に沢山みた。教育はこの意味で元の知能そのものを変ええず、後天的に多少の変化を与える程度で、生まれつきの頭のよしあしの方が遥かに結果差をもたらしていると知った。だから学歴差別の類をしている人は、他人の思考水準を推し量れていないばかりか、基本的に人間性を見誤ってさえいる。
IQは6~7割が遺伝(『遺伝子の不都合な真実』)、生後の教育で思春期頃にIQは20程度変化する(Cathy Price etc. 2004 "Nature" 2011年10月19日号)といった見解は、後天教育が変えられる範囲を説明している。最大で4割程度、IQの数値では20前後が変化するが、それ以上の脳の働きの大部分は遺伝子に由来しているかもしれないというわけだ。学歴馬鹿、もしくは理系馬鹿といった部類の人達を観察すると、典型的教育課程を経ていながらそれ以外の領域では非常に愚かなままということがわかる。そういう人達は学内の専門課程で教わった知識以外については基本的に勉強や学習を怠っているからだ。
つまり生まれつき頭がよい人は学外学習も甚だ巧みで、広範にわたる知識を得、その中には世知の類も大いに含まれているので、典型的教育歴以外の部分、それは人生の大部分にあたるが、そこでも十分有能な判断ができる。孔子の「君子は器ならず」とは、後天的学習を全否定しないにせよ、個別の分野でなく究極のところ自由教養が最重要な知恵であり、人格形成の基だと示している警句である。
生まれつきIQその他の知能が高い人々が、さらに後天学習を行って結果差をつけることを鑑みると、典型的教育歴はごく限られた知識を分野として身につけさせるのに役立つにせよ、それを超えた意味をもたないといえる。