2024年12月19日
2024年12月6日
2024年12月2日
人
その事実は人類にとって最後の希望の明かり
だがその情緒は貶められ
遂には消されてしまう凍える息吹の様に
つぎつぎ心無い人々から中傷にあうだろう
心の死んだ科学者の様に
知らずに悪魔どもの手の内で踊る成金たちは
むなしく消えてしまう点数稼ぎで
独裁者の様におごりたかぶっている
だが億万の富も一幕の夢
やがては消せない真理だけが残るだろう
この世界に愛すべき人がいた
その事実が人類にとって最後の希望の明かり
2024年11月29日
2024年11月25日
2024年11月22日
2024年11月18日
陰険な国民性の間で
劣った人々の間で、優れた人が好評されることは決してないだろう。
このため、日本では有為の人材が陰湿な衆愚からつぶされてしまい、立派な人格はそうと評価されることは永遠にありえない。なぜなら、日本人一般の性質が極めて相対的に陰険だからである。
日本では他国民より明らかに意地悪行動が多いのは、その集団性が皆の安寧や公徳より、単なる悪意からきた悪平等を最もさきに求めるほど、邪悪だからである。そこでは正義ではなくぬれぎぬ・冤罪が常識化されているため、善良な心の持ち主は一人たりとも生き残れない。つまり、日本は人類史にとって最たる悪例としてあるのだ。
逆に、日本人一般、こと時に中華思想に由来した自己中心的な傾向の激しくある関西地方や、あるいはその大きな影響下にある上に系統的共通性が高い西日本の連中が喜んで持ち上げる類の人々は明らかに劣悪な心情の持ち主で、世界の反面教師となる様な、根っからあしき人物が甚だ多い――例えば内乱、侵略、外患誘致罪人であるところの坂本龍馬や吉田松陰、西郷隆盛など。或いは姦淫小説家であるところの紫式部や、差別主義者であるところの自称天皇一味や清少納言などだ――。それは、彼らの心から共感する本質がイケズ、こと、性悪さだからにほかならない。
この種の悪性を自覚してよい心を持とうと努力するのではなく、「もののあわれ(もののあはれ)」と呼ぶ不良自慢の自民族中心主義で糊塗し、自己正当化した本居宣長、小林秀雄、茂木健一郎ら(いわゆる日本文学批評の三大悪人)は、彼ら自身の悪魔的性質と共鳴する邪悪の弁護に心を寄せた点で、同時代でその弁舌に影響を受けた人々ならびに後世に大きな公害をなした人々だった、といえるのである。
2024年11月17日
2024年11月16日
2024年11月13日
2024年11月12日
2024年11月11日
2024年11月10日
2024年11月7日
2024年11月6日
2024年10月27日
2024年10月22日
2024年10月16日
2024年10月11日
ねこの冒険
一 ねこ
なぜ、僕がこのものがたりを語ろうと思ったのかは、わからない。けれど、なにかを語ろうとおもっている。というのも、他ねこになにかを語る、という経験をそこまで沢山するわけではないから、僕がこの話をすること自体はかなりめずらしいことだ。ものがたりというよりはねこがたり。どっちでもおなじだろう、とおもわれるかもしれにゃいが、実際はだいぶちがう。しかし、そのこと自体は気にしないでほしい。いうならば、僕は『ルドルフとイッパイアッテナ』という児童文学を、かなり大昔に読んだ。それは北茨城市立図書館のむかしのたてものの2階の児童文学コーナーにあったのだから、よくおぼえている。そこから手にとって、自分はたしかにその話を読んだ。つづきもあった。なんてタイトルだったか。でも、とにかく僕はそれらを読んだし、ほかには、『吾輩は猫である』も読んだ。これらのことが意味しているのはなんだろうか。僕は、とにかくねこである。吾輩は、ねこである。ねこなのである。それはいいだろう。別にだれに迷惑かけてるでもないだろうし。
みんな、僕がなにをいっているのかわからにゃいかもしれない。人なのにねことか。うそだろうとおもうだろう。そうなのだろうか? もしかしたらそうなのかもね。
これが小説じゃなかったとしたら、なんなのだろう。もしこれが小説だったとしたら、僕はどういうわけだか、小説をかきだした。
それというのもね、僕はこないだね、マック・ミニというやつを買ってみたのね。中古で。最新のやつ。将来ふるくなるかもしれないけど敢えてモデル名まで書いておくとね、最新のM2というやつを。買ったの。それがね、大変なんだわ。おぼえるまで。だからなにといわれてもね。それだけなんだけど。最初ね、3日もかかったのよ。なんであえてそれをいってるかというとね、このしくみは、本当に僕には最初あわないかなぁとおもったのね。でもなんとか慣れようとして頑張りまくったの。みっかも。そのせいで疲れた。
疲れたからなに? っていわれるかもしれない。そんなもんだ。人生。ねこ生。ねこ以外の生もそうなのかもね。でもまぁいいんじゃねーか。そんなもんで。まぁまぁ。おこんなよ。おこってねーって? おこんなYO。というね、ラップぶった文体も試してみたりなんかしたりしなかったり。ご機嫌よう。
てなもんで。
で、あなたはなに? なんでもないって? そんなもんなのかもね。そうでもないのかもね。すべてが。
そうだったとしても、そうでなかったとしても、それでいい。
きみの人生そんなもん。
ひらひら。
なにかがはじまり、またなにかがおわっていくとすれば、それでいいのかもしれないし、よくはないのかもしれないね。そもそも、よかろうがよくなかろうが、別にどちらでもいいのかもしれない。
なぜそんな社会にうまれて、そのことを気に病んでいるのかすら、どうでもいいことにおもえる。
ねこにとっての生があるなら、死もあるだろう。それらのどちらも、たしかにどうでもいいことなのかもしれない。あなたがたの人生のすべてがそうであるように。
われわれの命が失われていくどこかには、われわれの人生のおわりがくるだろう。それで、もしかしたら人生は完成なのかもしれない。
とにかく、僕にとってこの小説は記念碑的だ。なぜなのかもよくわからないけど。ここから伝説がはじまる。というのも、僕はここではなにか新しい試みをしているから。してもしなくてもどちらでもいいようなことなのかもしれないけど、その試みがおわった頃には、なにかしらあたらしいできごとがはじまっている気がする。いや、はじまってすらいないのかもしれない。
ところで、僕はいまから過去をふりかえってみよう。
でも、ふりかえった過去のどこにも、真っ当なものごとはありそうにない。うらをかえせばすべては真っ当なのかもしれない。
最近あったことを書くか。
とにかくね、ここ十年間くらいというもの、僕はツイッターで、Xで、いいかえるの面倒くさいわけだけど、茂木健一郎ことモギケンの面倒さ。どうしようもなかった。そのことについておもいだしたくもないのだけど。なんかね、いろいろめんどくさかったの。いいのかな、それを説明しても。でも、誰にも伝わらないかもしれないね。でも、つたわらなかったとしても僕はそれを説明するだろう。
もぎけんの厄介さというのは、世間で全然しられていないかもしれない。でも僕は緻密に観察していて、ついにそれに気づいたのだ。
気づこうが気づくまいが、ひとびとは単にそのまま生きていって死んでいく。だからこのことは別にしらなくていいのかもしれない。けど僕はきづいてしまったからには、それを説明する義務があるような気もする。
けど、どうやって説明すればいいという?
僕の説明力には限界があり、世間が僕と逆の感覚を持っている時、それをだれにどうやって伝えればいいのだろう? ここでいう厄介さという言葉の奥にあるものは、言語化するのが著しく難しい。僕はそれをラジオの哲学講義シリーズでいろいろ試してきた。そのほうが割とうまくいっているかもしれない。文字記録でそれをやる、ということに、著しい困難が伴う。だが、やるしかないのかもしれない。僕の中に、心のなかに、ひどく不快で、ひどく気分が悪くなるものを、もぎけんの厄介さとやらは帯びているのである。そしてそれは説明するのが難しい対象なのだが、説明するしかない様なものなのだ。
去る5月。
去る5月のことでした。
僕はとにかくそれが不満でした。それってなんだろうね。
まぁとにかくさ、意識の流れ的手法とかしかないとかね。どうにかならんもんか、今時の。今時のなんだろうね。今時の。
一体いつになったらね、この冒険はじまるの。それは自分にもわからない。もう冒頭でおわってたのかも。
さっきからさ、マックOSのね、操作が気になるから。どこだっけな、気になるの。ああ、これ縦書きで書いてるんだけど、その文字変換のときのバーが太くなっちゃってるのが気になる。それが文字にかぶるのね。それを調整しようとしていろいろしらべたんだけども、ろくにでてこないからなおってないの。
いろいろAIでしらべたんだけども、ちゃんと治せる方法はわかんなかったね。まだ調べはじめてちょっとだけど。我慢してこのまま入力し続けるしかないのかもしれない。でもまぁしょうがないのかもしれない。この程度は。気になるといえば気になるのだが。
でもね、とにかくもうつかれたわ、人生。人生なのか、それ以外なのか。ねこ生なのか。ねこせい。それなのか。もうどっちでもよくはなってはいるね。もはや。
じゃあもどるか。ねこの人生に。じゃねぇや。ねこ生の話題ににゃ。
ところで僕は放たれた様に、そこを歩いていた。歩いてはいた。
そことは、異次元空間を。それか、黒い穴の滝を。光速で。そして事象の地平線にたどりついた。おわり。一貫の終わり。そんなこともあるんだね、ないか。あってもなくてもどちらでもいいといえばそうだ。それが僕らの宿命なのだから。
気にしてもしょうがない。
みんなどっかに行ってしまった。そして消えてしまった。そんな日もある。なかった様な気もしなくもないことだけど。
どちらかといえば気にしているといえなくもないけれど。それらについて。
でも、まぁこれでおわりです。この小説は。小説でもなんでもないけどね、今や。
原稿用紙を無駄遣いするなと? さすがにムダではないとおもいたい。
もしこの世界におわりがあるならだけれど、僕はとりあえず、そこにいるだろう。過ぎ去りし日々はもどってこない。ねこにとってもそうだろう。完。
なんてね。おわりはしないわ。それも。
二 ねこならぬもの
もし、君が気にしているなら、それでいいけど、気にしないならそうしといてくれ。
現実と名のつくものは、どれも同じよ。くだらないという意味ではね。
三 ねこというべきもの
すぐれた人生というものがあるなら、それはねこの命の様なものだろう。
四 意味深な探求について
そういうことなんだね、と君はいう。なにについてかは、敢えて問わずに。そんなもんだろうね、ものごとというものは。知ってか知らずか、そんなもの。それでいいじゃないか、と君はいう。しらんしね。しってかしらずか、とか。いいんじゃないかな、じゃあ、それで。
息もつけない夏。息もつける夏。
どっちでもいいんじゃないか、そのあたりは。様式としての。スタイルとしての。夏のありかたとかさ。あなたが決めればいいじゃない、一番いいのを。
僕は、とにかくそんなわけで、つかれはててしまっていた。もし、つかれはてることになにか意味があるなら、それはもう十分すぎるほど僕には意味があったことだろう。
五 ねこの嘆き
なかなかはじまらないね、本編。はじめるつもりもなかったのかもしれないね。もしそうなら、それでいいのかもしれないし、どちらでもいいけどね。もはや。過去からいままで。なにもかもが。無だから。すべて。
それどころか、これをかいているひとが、ねこであってもそうでなくてもどうでもいいとすらいえる。そんなレベルだよ、もはや。次元が。異次元。
六 ねこの権利
いつになったら、ねこがねこであることがねこ権として認められることになるのだろう。それをだれかが教えてくれれば、われわれとしても少しは楽なのだがな、とねこの父は折に触れ、いわなくもなかった。
七 ねこの総括
そんでね、いつの日にか、忘れたんだってさ。そんなことがあったかどうかすら。
八 趣味としての
しゅらしゅしゅしゅ。しゅらしゅしゅ、しゅ。しゅしゅー。ぺっぺぺ。
九 九官鳥にすら聞こえない
そんなことがあってもね、なくても、どっちでもおなじだよ、とあなたがいった。僕もそんなもんかなとおもわなくはなかった。それで、その日は流れた。
十 路頭に迷った、惑いねこ
東を向けば猫。西を向けば犬。そんな世界だよ。
十一 国からの通達
そんなものは来ていない。ねこにとっての真実。ねこを自由でなくさせるものなら、国などいらないからだ。
十二 もしも再現できるなら
「この星はね、少しもおちつけないわ。だってどこにいっても、人がいるんだもの。だから私はあきれてしまって、もう地球になんてなんの希望も持っていないの」
その様なことばを吐いて、もういなくなってしまったあのねこ型ロボットは、永遠に星になってしまったのだ、というのだ。
「猫型ロボットといっても、いろいろだね」
「そんなもんだわさ。ぼちぼち」
十三 カテリーナ曲線
はい、カテナリーのまちがいね。
十四 フェイク
もうすこしだけ、時間がまきもどるなら、だれかが気づくだろう。万物は偽物だと。そう気づこうと気づくまいとどちらでもいい。われわれの人生がなくなってしまうのは明らかだからだ。日月。明らか。そんで?
十五 迷妄
大体ね、そんなもん気にしてる人おりませんってば。手羽先くらいには。そうなのかもしれない。僕は、気にするまでもないと思った。くだらない社会にはくだらない人々がはびこる。大体さ、ドイツではモギケンが売れるんだからどうしようもない。
欧米の代表でもないだろうが、EUの代表でもないだろうが、そんなもんなのかもしれない。ドイツ。僕はそのことにもひどく疲れてしまったのだ。あんぱんのぱくり。教えてあげたからってね、ぱくられたし。僕がツイッターで教えたんだもん。あんぱん誕生秘話。それをぱくられた。水戸人ネタとして。
もぎけんはそのままなごみの道とか意味不明なこといってる。そんなのを売れっ子あつかいのドイツもひどいわな。いろいろつっこみどころがあるよ。
考えてもみてご覧な。日本語でなにかをかんがえたとき、一々われわれはなごみがどうとかいってないしね。天皇とか侵略犯で、戦犯のS級のやつであって、逃げただけだしね。処刑から。そんなやつらになごみとかいわれても。戦乱の源だよ、あえていえば。ろくなやつらでも、ろくなものごとでもないしね。
そのこと自体。あえて言おうがいうまいが。わかっていようがいまいが。一体いつになったらそのことがわかるんだろうね。やつらに。わかってようがわかってまいが、どっちでもいい様な気もするけどね。
どうせわからないだろうよ。
十六 空白
自由と名づけられたいかなるものも、ことも、意味がなかったと知れば。んじゃ、いいんじゃないの、それで。あえていえば。蘇我入鹿とかどうでもいいしね、奈良県政ごときが世界の中央でもなし。
どうしようもない連中だったのだ。
関西の自己中心性の極み。どうでもいいことを世界の中心かのようにいう。そのまま今に至るのに、渡来系という。傲慢の極みというべきだろう。いづればれる。すべて。悪質さ自体。あろうとなかろうと、どうでもいいことで威張ってるんだってね。そんなもんだ。
僕はそのことを知らないではなかった。あえていえば、あえていえばあえていえば。そんなもんだろうとは思っていたが。いいじゃないのか? そんなもんかも。あえていうなら、そんなもんなのかもね。あえていえば。言わなくてもどっちでもいいが。あえていうとかいわないとか、どちらでもよかった。
まぁどっちにしてもね、僕はだいぶ疲れてしまったのだった。つかれはてたといってもいいくらいに。そのこと自体は事実なのだろうとおもうのだ。別に、だからどうということもないのだけれども。ありえないわ。それすら。
でもね、本日がおわってもね、あしたがくるのよ。だから意味なんて気にしないで。
はいはい。そんなもんだわさ。
十七 ジャンクなクジャク
もういいじゃん、それで。じゃあ。どうだっていいじゃん、そんなこと。そんなのだわさ。
くだらない人生。くだらないねこ。
説明のつくことだけで宇宙ができてたらいいね、とかおもってなさ。い。おもってようがおもってなかろうが、どっちだっていいわさ。へんへん。ぽっと出。そんなもんだろう、と僕は思う。それで終われば十分だ。
うつくしさなんてどこへやら。きえてしまってから慌ててても遅い。あわてててててても、遅い。なーんてね。なんてね。しゅしゅー。プシュケーの、気のせい!
十八 もはや、跡形も
僕の人生乃至猫生がなくなってしまったとて、誰かが困るだろうか? もし困られなかったとしても、僕としては、どうでもいいことにおもえる。だって、猫じゃないもん。
十九 もはや、猫生
にゃおーにゃ。にゃにゃぬーにゃ。はえりゅーにゃあ。にゃおーに。ぽっぴっぽ。はえにゃー。はにゃ。にゃーお。
二十 くりかえし
じゃあ、再現してみたわ。ねこの声。そんなもん聞こえてるだけだろう。そんなもん、きこえてるだけで、なにいってるかなんてだれにもわからないだろう。あなたはそう言う。そうなのかもしれないな。あえてかんがえればだけど。だからって、なにかが進んだわけでも、遅れたわけでもないからな。あえてかんがえてみれば、そんなもんだろうよ。宇宙のどこにいたって、あるいはいなくなって。
僕らに生命としての威厳があるならば。あえていうなら、AIのしわざかな? ちがうわな。どっちでもないわな。まぁそんなもんだわな。そんなもんだわな。だわさな。
僕らが死んでいく途中でみたものの経過だわな。そんなもん。いまからかんがえてみっか。何が問題で、なにがそうでないかを。あえて。まぁかんがえなくてもなんでもいいがな。どうせなら。
腹減ってきたわ。そんなもんだわ。人生。ねこせい。何回もいいかえてるけど。あえていうなら、ねこのせいだわ。そんなもんだわ、わがはいは。わがはいじゃねーわ。とにかくねこだわ。テーマは。テーマなのかなんなのかは。そんなもんだわ、この小説。小話。でもないのかもしれない。もしかしたら、大大長編のはじまりなのかも、だったりして。そんなことはまずないけどね。まず。ない。けどね。
二十一 ねこに左様なら
あえていうなら、そんなもんなのかもね。人生というものは。ねこ生というものは。そんじゃさいなら。
ねこだけに。さいなら。
意味をなしていないとしても。もしそんなもんが、嘘しかなかったとしても。もし、ももんがだとしても。ももんが。ももんが。あえて。いうなら。そうだね、ももんが!
ももんがぁ。しらばっくれないで!
いや、なにを。
なにもかもを!
二十二 ねこにももんがぁ
さびれてしまったなにかみたいに、あなたといえども同じだろう。だからといって、僕らがかなしむわけでもなかろうに。
だとしたらどうだってんだい。
もし自由さえなければね。自由すら。退屈すら、しのがれているからね。退屈しのぎすら、その場で消えてるからね。事情のすべてから。そうだったらどうなんだって話だけどね。もしそうであってもなくても、どちらでもいいことだけどね。あえていうなら。あえて。
二十三 どうってことなさ
どうってことない、どうってことない、とあなたはいうが、本当にそうなのかね?
すべてをかんがみても? ちがうかもね。おなじかもね。あえてきくまでもなく、魔法かもね! なーんてね、しゃしゃしゃ。
それ自体の魔法がかかっているとか。
僕自体に魔法がかかっている、ということはないとか。
僕は人間を極度に嫌っている。だってねこだもん。
ももんがだもん。
どっちだもん。どっちでもないもん。森の奥の生き物、でもないもん。まちなかだもん、住んでるところ。あえてあえて。いいもしなければ。すでに意味もなくなってるもん、そんな定義自体。だからきえたらいいもん、それらの定義自体が。消えてるもん、すでに。ありえないもん。きえなさが。どっちにしてもね。あえてね。説明しなければの話だもん。僕は、そんな日々をすごしていた。
二十四 定義自体
すべからく昔のことでした。あえて説明するまでもなくね。そんなもんでしょう。
僕は、それでもつかれてしまったのだった。
あえて説明するまでもなくね。
そこで歌いました。
もうとっくにおわってしまった休日みたいなものだ、と僕は考えた。それならそれでいいとおもうけど。もはや、だれもそんな日々が続くとは信じられないのだった。あえていうならだけど。だからいいんじゃないか、それで。もし、それだけで終了の合図がおわるなら。
冒頭の文言について、説明できるかい?
そんなもんじゃねーわい。
ばらけていった、ばらけ具合。
二十五 天竺模様
むかしみた気がするんです。なんか、広いところを。
二十六 嘘
うそからでたまこと。そんなもんもありましたわ。
二十七 手加減
もし、手加減次第で、事物が進んだり進まなかったりするとすれば、ですが、あなたもそれでいいとお考えでしょうか? いいえ、そうは考えません。なぜかって? そんなことは考えません。タイミングよくかんがえたもんだ。手加減次第でね。
二十八 真実味
もしそれが真実だってんならね、いいじゃないですか。真実味のあるできごとみたいにかんがえていなさったら。
二十九 犬猫の会話
突然、光が放たれた。それで僕は大変おどろいたものだ。あえていうなら、ということだけれど、大地を駆け巡る具合といってもいいくらいで、僕はおどろかされていた。君子は器ならず、とはいうけれど、孔子のことばとしては。宇宙自体がひとりでにめぐってたらいいじゃないですか。タータン・チェックのタイタンでもみてたらいいじゃないですか? あえていうなら。あえていわんとしていても。過ぎたるは及ばざるがごとしで。不思議なことですなぁ。そうでしょうそうでしょう。あえてかんがえれば。僕にとっては、だけれど。そうなのかもしれなかったな。そんなもんじゃなかったんかいな? そんなもんだったのかもしれにゃいな。ね。ありえないわ。あえて僕は言った。
ねこ「あえてとか敢えてじゃないとか、別に考えてませんもん。にゃー」
いぬ「あえてといわれてましても」
ねこ「そしてですよ。あなたはいいました。われわれにとって、動物界のすぐれた美質がそこにあらわれているではないかって」
いぬ「複雑な話だのぅ」
ねこ「いぬほどじゃねーわ」
いぬ「そんなことはない。んなこたない」
ねこ「あえてもうしあげれば、冒頭にもどりなさい」
いぬ「そうだね。そうしようね」
やっぱりモギケンはおかしいわ。おかしな人物とかどうしようもねーわ。つかれきったわ。あえて。あえて。
いぬ「もし、そういうおつもりなら」
わおーん、と犬は吠えた。いぬだけにね。
それからずいぶん時はたったのだけれど、いまだにあのときなぜ犬が鳴いたのかについての詳細はしらないのだという。そんなもんだよ、三四郎。五四郎。宮藤官九郎。あえてあえて。和え物で。まじで昔のできごとで。宇宙全体の飽和で。そんなもんだよ、もじもじ君。なーんてね。しらばっくれないで!
僕としても、それで納得しておきますわ。あえて!
三十 救い、あるいは
僕らの人生に何かしら救いのようなものがあったろうか? なかったとすれば、それはそれで。
三十一 ねこの時代
時代はうつりかわる。そして二度ともとにもどらないだろう。そんなもんだよ、官九郎。だれだてめー。だれってこたぁねぇよ。ただのカンクロウさ、そんなもんさね、さぁさっさと大地をふみしめて歩くのだ。しゃらくせぇ、やってらんねぇぜ。そのことを、誰かに知られたくはなかった。だから僕らは、あえて道を。道を。道をぅ。なーんてね。なんてなんて。ねこごとき! ねこごとき!
三十二 天命
モイスチャー・ミルク。湿潤な乳。まぁいいですわ。そんな考えでいれば。
そんな商品展開でいれば。だれにとっても期待外れの。天命です。天命だったろうがそうでなかろうが、しったことじゃなかろうに。あえて説明すると致すと、そうなりますがな。でも、嘘とは違うのですぞ。
三十三 シギ
しみったれた四十肩の、シギ。もし、おちぶれてきえていくのだとすれば。もしもし、もしも。ぼりぼりと、あえて柿の種を食べ尽くすなら。尽くされるなら。ぼったくりの企てみたいに感じられてしかたがありませんな。
しかたなさしか。しかたしか。日々がすごされていくこと、またそれがおわりをつげることの意味について、くわしくかんがえてみたらいいですよ。もしそんなことができるならね。
あえていうなら、だけれどね。そんなもんでしょう。ほとんどありえないことだとはいえ、そんなもんで。勿論、あたりまえのことなのだけれど。論なく、あたりまえのことなのだけれど。僕はそれでも、ねことしての命をつきつめていくつもりだ。ねこだもん。
はいー。
うそでしかないね。小説なんて。うその話を書いて何が楽しいんだか。何も楽しくなんてないよね。だれにとっても、くだらない逸話なんて今すぐ捨てちまえ。わかったわかった。わがったわがった。捨てはしない。すてられもしない。あえていうならだけれどね。うん。もし大宇宙に限界というものがあったなら、それがこれだろう、というくらいのもんだわ。あえていうならね。信じがたい昔からの話だわ、そうなってくると。恐ろしい昔からだわ。
あえていうなら?
そうだろうか。僕はそうはおもわなかったのだけれど。うそにも思える。うそでなくも、おもえる。どちらともいえないともおもえる。でも、僕は、あえて考えているのだ。そんなもんだってね。なににつけ、ありえないからね。そんなもんだってことは万物が超常現象みたいに生まれては消えていくそのどこにあっても、やっぱりそうだったんだってね。おもわなくもないからね。あえて。
うそとかつかないでほしいわな。
ねこ自体。ねこであること自体のうそを。そんなもんあるんかね?
でも、まだ少しもできあがっていない。すこしも、つくられていない。僕らの魂のゆくえですらも。あえて考えるんなら、そんなもんなのかもしれないな、と僕はいう。時代、というなら、そんななのかもしれないな。そんな時代だったのかもしれない。すべてができあがり、また消えていく時代。
徐々にできあがって、また消え去っていく時代。あるいは壊れていく時代。
信じられないよね、そんなことは。でも、そうなんだってさ。ふじゃーぬ、ぐじゃーぬ、ウジェーヌ。みーんみんみん、蝉がなく。だからってなんだってこともないんだってさ。あえていうならだけれど。ぽいぽい。ふー。ちゅかれて、もない。
すげーおおむかしからの話なんだからな、あえていえば。それで、僕はすべてのできごとを過去に置いてきたんだ、と思った。もうあえて説明の手間も必要ないくらい、おおむかしに。
まさか関西ねこにあんなにたくさん差別主義者が残ってるなんて、想像もしてなかった。だから自称京都なんて口だけであって、もしそこが京都なら、完全にうそだろう。天子こと最高徳の持ち主が、天命をおびてくらしてるところをいうのである。中国思想で。そんな様子からあまりに遠すぎるのだから、ありえないということなのだ。自称京都とやらが、中華都市だとかいうのも完全にうそで、まちがっているのである。それで僕はおもう。そうならそうで、もうおわったらいいのにってね。この世のあらゆるできごとの一部にあるくだらない現象だけれども、なくなればいいのに。
ぶーぶー。
三十四 タル・ルート
信じられないほど昔の話だった。そういうできごとなんて、信じられないとおもうのだった。それで。あえて昔のできごとに比べればだけれど、僕らの宇宙のどこかに眠っているできごとだとして、それがなんだというのだろう?
もし信じられなければ信じなくて良い。そうおもうのだ。うんうん。だね。
僕はとても疲れてしまった。つかれきってしまった。だからそれ以外のことについては特に考えている、というわけではなかった。そのまま消えていく物事だとおもっていた。
でも、もし我々の世界に終点があったら?
僕は段々と不安になってきた。
それで信じられないくらい昔から、あえてひっぱってきた発想がある。それをここで開陳してみよう。ふぬぅー。
でもね、いますぐおわるでもないからさ。
そういう幻想とやらが。まぼろしの宇宙が今すぐなくなるならそれでいいがな。
僕は戦い続けるだろう。ひどい人間たちの争いだらけの宇宙だろうが、全部駆逐するだろう。別に必要ない、と僕は思う。そんな世界は。全てが壊れきってしまったとしても、あえて、どうでもいいのだ。あえてもなくとも。あえてでもなくても、あえて。
でもね、でもってね。うーんと。
ひたすら僕らは考えている。何が真実かについて。
おきな「それで、みいだせたのかい?」
そんなことはないわな。
いきなりおきなとやらが、尋ねてきたわな。そんなことがあるなんて想像もしてなかったわな。想像してなかったからといって、決してないということではない。それで今起きたわな。あえて。
でもまぁどうでもいいことだ、それもこれも。僕らにとって、この星の上で起きているなべてのことは。なくともどうでもいいのだ。無であって。だったら猫の宇宙だってあってもなくともいいかもしれなかったにゃー。
ひーふーひーひー。
地球全体のかなしみを僕が手にしたとすれば、だれかが納得するだろう。この世のあらゆる現象はくだらないのだと。別にいきのびようがそうでなかろうが、どうでもいいのだと。そうなのだろうか?
樽「よく考えたまえ」
ええっ? たるが話しかけてきた?
樽「んだよ」
で。なんで。
樽「なんでもかんでもねーべさ。あえて話しかけただよ。こっちの都合だべ。ちなみにこれドラクエの堀井雄二死にかけころの、関東や東北の地の言葉をバカにしてるえせいなか風差別表現への痛烈なディスね。どれだけ人を傷つければ気が済むんだろうね、スクエニとかいう憲法違反・人権侵害ダメ会社」
で。
樽「もう終わりだよ、この章」
三十五 にせもの
みんなー。あえていうなら、東京ねこは一般に偽物がおおいぞ。そんなだから。あいてするな。
反復横跳びしているうさぎ「実際、つかれちゃったからね。この星のどこかでいきるのも、くらすのも。それなら、いっそのことこんな星ごと爆破してやればいいわ」
なんたることだろう。反復横跳びしているうさぎがなんと、星の爆破を語るとは。元気玉きどりか?
反復横跳びしていないうさぎ「ああ、その子はね、あえて言ってるだけよ。反復横跳びが好きなので」
そんなかね。
反復横跳びしているうさぎ「しゅしゅしゅ」
はや。
三十六 無の向こう
地平線まで埋め尽くす。夢のできごと。星がきらきらおちているわ。それらのどれもこれも、あえていうなら、いきものたちのかなしみの残骸。
だったらどうなんだ。なくなってしまう星空。それもこれも、あえてね。
三十七 罠
もう、信じていないから、とこの世の限界まで埋め尽くしている四方八方の、できごとのかなしみ。
そんなのもこんなのも、なくなってしまってからの再考だからね。
女「うん、運命だとはいえそうね」
ねこ「ついに登場。ここでね。わたしがこの物語の主人公さ」
女「そうだったわな」
ねこ「そうだったわな、ってことはない。そうだったわね、って打とうとしてミスってそのままにしてるだろう?」
女「はい」
ねこ「そうだったわなぁ」
女「駄洒落のつもり?」
ねこ「そうだったわな」
あえていうなら、そんな猫ですら、単なる幻想上の産物なのかもしれなかった。ここがどこかから説明し直さなければならない。ここは、もはや電子空間ですらなかった。なにか、不思議さを伴う文字の上の、ビブラートかかってるオブラートがかってる、むかし大津だったか、勿来だわ。の、小児科医のところにおかあさんといって、そこの前の店、というか、薬剤師がいるところ。薬局のなかで売っていたわな。オブラートだったか。それで甘い薬のんでたわな。それか、甘露が売ってたわ。甘露ドロップ。のんでましたわ。正確には、まれになんか買ってもらったかなんかで舐めていた気がしなくもない。
すべておぼえている。
その小児科の様子とか匂いとか。もう、多分ないのではないか。そんな風に消えてしまうんだったわな。この世のありさまは。
でも、あえていえば、関西ねこ一般ごときにはそんなことはわかるまい。東京ねこ一般ごときにそんなことはわかるまい。かれらはねこというよりは、別のなにかで、とかく差別をまき散らしながら生きているものだ。そんなやつらになにもわかるまい。だからいえるのだ、そんなやつらには、ろくな人間性が
ないのだと。あることといえば、やつらがくだらない連中で、くだらない一生を送り、しにつづけていくということだけだ。いやなやつらには、嫌なねこ生しか残っていない。だからあえて近寄るな。かかわるな。
ルパート・ウィングフィールド・ヘイズねことかいうBBCねこもまじで意味がわからなかったわな。日本語すら読めないのに知ったかぶってJ-POP全否定。やることなすこと野卑。それで必死にねこ文明ぶられても。むしろモギケンとかいうねこもどきも同罪だし。むしろそんなありさまが、いぬイングランドのいぬ社会たるゆえんかもしれない。ねこの心の塊であるところの音楽、それもあえて歌詞世界の豊かさで世界に傑出しているといえなくもない社会を差別とか。無知のおそろしさ、恥知らずたちのまぬけさが極まっているのが、茂木の周囲だった。すこしでも絡んでいると、悪人としか言いようがない最悪級の連中からつぎつぎ絡まれる。ねこやくざ。そんなのばかり経験した。だから最悪のねこもどきなんだな、とわかった。まわりにいるのが最悪のねこねこばかりなんだから。本当の話だ。何度も被害にあった。嫌なねこには嫌なねこがつくものだ。そのまましんでいくものだ。
僕はあえて考えてみたい。そんなどうしようもない連中の末路を。ドイツねこ界は滅ぶね、確実に。だって茂木なんて褒めてる様子だからだよ。本当にひどい猫だったよ。周りの連中もそうだけれど。当ねこも、心理病質じみた言動が本当に多く、ろくなことしてなかったよ。そんなのを褒めちぎるんだってさ。ドイツとかいう猫地帯。どうしようもない猫の国だね。なにいったところで変わるでもないと思うけど。
だからもう僕はできたら、永遠にドイツの猫界に関わり合いにならずに済まそうとおもう。そういえば、サンドラ・ヘフェリンというねこではなさそうな何かも本当にひどかった。ツイッターでいきなり絡んでくるや、口汚く誹謗してきたんだ。なんで彼がそうするかといえば、三浦春馬の母親だか三浦春馬当人だかを、不孝文脈というか子を思わない親文脈にしたてあげたいみたいだった。色々意味わからないが、これについてもおもうふしがある。サンドラ自身が親不孝系なのでそれを三浦春馬氏に投影してたのではないか。それだけでも明らかに三浦氏への名誉毀損だとおもうのだが、三浦氏の母親にすらそうしていたのだ。『孝経』がないドイツねこ界。『孝経』どころか、孝行の観念がないのかも。本当に意味がわからなかった。そして、サンドラというねこは、ドイツのミュンヘンだったか、旧ナチ本部があったところから出てきたみたいだった。本当におそろしい国だと思うし、野蛮さは凄まじいと感じた。茂木もあえてそんな国に翻訳本が適応しているんだから同類なのかもしれない。どっちにしても、一事が万事どころか二事が万事なんで。反証可能で、統計があってもなくてもだが、科学的批判的ねこ思考のレベルにかかわらず、そんな罠に僕はかからない。だって僕はいやなねこねこに近づくほどおろかではないからだ。なんで嫌な奴らだと感じるかなら、そこに不徳さがあるせいだ。しかも文化多様性の文脈を超えて。人類を含む哺乳類の本質という文脈で。
僕はその意味で、イングランドもドイツも、まず決して行かないだろう。そこからでてきたねこねこの様子をみていたら、明らかに僕より野蛮だった。無文化といってもいいそれらの態度は、欧米のなかにも完全に失敗した国や文化がある証だった。
ねこ「そうなんだね」
うん。
ねこ「それはそれは。遠い国だから、どうでもいいじゃないの、あえてかかわりあいにおならりになられなければにゃ」
うん。
もういいんだ、とおもう。一度みれば十分だ。人間はどこでもおなじではないし、どこでもいい人だらけで埋まっているわけではない。ろくでもない人々だって現にいる。そして、そういう人々にあえてかかわらなければいい。それで、僕は猫と会話するのだった。
ねこ「会話っていうか、あえていうなら、通信だわな。一種の」
二種の。53万1995種の。なんの数字? 知りもすまいに。
三十八 おあつらえむきの放送
そんなこんなで、僕は放送をやめるのだった。やめたければやめれば。うん。やめるわ。大いにやめたいもんね。
信じられないわな。このよのありさま。ろくな社会じゃないわな。すべて、どこもかしこも。陸でもない人間はみんなしぬべきだわな。あえていえば。でも、なかなかしなないわな。どうせ性欲があるから勝手にすぐふえるわな。だからこの世なんてなにも心配いらないんだわな。人類が絶滅しようがどうでもいいからね。あえていえば。
そんなもんだわな。無って。ふざけてるわな、そのありさまたるや。いらないしね。すべて。なんのためにヒトとか威張ってるのかも不明だしね。すべてについて。もう、必要ないってことで完了しておけばいいじゃないか、と僕はおもう。
ねこ「そろそろ、わかってきたかいな?」
うん、あえていえばね。
ねこ「敢えてはやりすぎでしょ」
うん、なんかしらんけど、書いてる途中で出てきたからね。あえて。
ねこ「まぁいいけど」
そのとき、大雨がふってきた。どうしてなのだろうか? 信じられないほどおおむかしから、ここでは、そう信じられていたんだよ。信じられてきたんだよ。
ねこ「太陽光のもとで、太陽信仰かにゃ?」
こねこ「うにゃー」
そんなもんだろうかにゃ?
三十九 猫の忠告
ありとあらゆる不都合の向こうに、こたえがある。それで僕はおもったんだ。もしこの星が消えてしまっても、僕にとってはなんのかなしみもないのだと。実際そうだ。別に必要もない。この星のありかたなんて、僕にとって、意味をなさない。だから僕はあえて考えていた。こんな星はきえてしまえばいいのだと。もしこんな星がきえればどれほど気分がいいだろう。ろくでもない人たちのあいだで、ろくでもないくらしをするくらいの苦痛がどこにあるだろう。もしそんな経験さえしなければ、我々はもっとしあわせでいられたはずだ。そんなこんなで、僕はこんな星を踏み潰すことにした。
星「うじゃー」
猫2「しかし、やたら意味わかんない文章だわにゃ」
意味が通る文章なら、そのとおりにかけばいいじゃないか。そうでなければ文章じゃない、という理屈がおかしい。
猫2「そうかにゃ」
四十 星の声
もし、宇宙になにもなかったら? そのほうが望ましい気がする。なにもかもが。
宇宙ってもともとなにもいらないよね。いらないところに、いらないものをつくっているよね。そんなもんだよね。じゃあ、なぜそんなことをしているのだろう? 僕らに答えがだせるってのかい?
星「大体、星屑だって星だもん」
そうだわな。草木に聞くか。
草木「大体、草木だって星だもん」
だわな。そんなもんだわな。
水「大体、水だって星だもん」
そんなもんだわな。本当だわな。そんなだから、空気だってなんかいうわな。
空気「大体、空気だって星だもん」
ほら。言ったわな。いうと思ったわな。しらばっくれても、ムダだわな。水も空気もいうわな、そりゃ。星だもん。もんだもん。ずんだもん。モンダミンだもん。だもだもん。
四十一 文豪ねこ
もう文豪ねこだな、こりゃ。ぼくといえば。ぶんごうねこ以外のよみかたもないな、こりゃ。呼び方も。ないな。こりゃ。
四十二 自称文豪ねこ
もう自称文豪ねこといわれてしまうな。これじゃ。ほとんど。大部分が。そんなもんだな、こりゃ。不思議だな、こりゃ。
悪人への期待
世界一巨大な墓穴
悪徳賛美の宴
人種や地域、家柄差別で心の貴賤を取り違え、美徳を罵り、悪徳を褒めちぎっては怪しい奈良の新興宗教祖・自称天皇の暴虐やありもしない権威、あるいは彼らに諂う世襲の政治屋に媚び諂う人々は、あたかも自らの不摂生が祟った虫歯で苦しむ様に、当然の結末を経る。
衆愚の必然
善人を遠ざけ悪人を近づけた人々は類を友を呼んでしまい、自動で不幸を連鎖させた挙句、落ちぶれ散りぢりになる。
愚か者同士でつどっても、出てくるのは結局お互いを愚行で貶める考えだけである。
下品な自称京都・東京文化大公害と自称天皇の中華思想独裁政治
かなしみの距離
あなただけが生きていたとして
そこは限りなく広い海に落ちた
一滴の目薬みたいに潤っている
実際僕にとっては
あなた以外は生きているとしても死んでいる
もし世界が果てしなく
あなただけが孤立していたとして
そこは信じられないほど大きな湖に沈んだ
ひとかけらのルビーの様に輝いているだろう
本当に大切なことが既になくなってしまい
真理がだれからも忘れ去られた2つの文明で
われらは遠く離れて呼吸する
もし本当のかなしみを知っている人がいて
その涙の価値に気づきさえすれば
2024年10月10日
衆愚政治の実態及び西日本の常態的悪政の本質について
衆愚には善政が分からない。悪政を崇め暗君に喜び躍り、徳政を行う賢君を必死で辱め恥じない。衆愚の上には信じ難い悪政が行われるものの、その状態をもたらした愚人や極悪人を偉人と信じ死んでいく。京阪神奈の人々の上に日々行われる悪政、或いは西日本の人々一般が恐怖主義の暴虐、外観誘致罪、内乱罪や侵略罪の悪業に満ちた自称元勲らを偉人視しているのはその動かぬ証拠である。結果、西日本とかかわっていて、どんな善政も行われえないだろう。なぜなら悪しき仲間うちで、善政はそれを行ったものと共に無理解のあまり貶められ、彼らに理解でき共感できる悪政のぬしだけが最高の名誉を得るからだ。さらに輪をかけてひどいのは、西日本では現実には政治能力が致命的にない虚構の自称天皇の邪教が千年以上の期間にわたって衆愚を完全に洗脳しきってしまい、いかなる政治上の偉業も西日本の人々の浅ましい差別心が信じ切っている種族主義、身分・地域・門地(家柄)・性差別教義によって、自称天皇一味から横取り或いは絶対的に否定されてしまうからだ。
2024年10月4日
崩壊国の原因
この様な事態が生じるのは、高位者の悪性か、民衆の愚劣さ、または程あれ、両方の為である。
2024年10月2日
ご都合主義の花札メーカーによる弱小インディー会社への弱い者いじめにして独占禁止法違反の卑怯極まるビンタ訴訟
日帝・明治政府及び山所政権残骸の最低打倒条件
2024年10月1日
旧ツイッター日本社員とネオナチ共謀体のその後
ホロコースト揶揄ギャグを肯定する茂木健一郎一派に媚び諂って
人権侵害 人道犯罪を正当化していた刀エッジ一味
奴らネオナチを庇い 冤罪バンをしていたツイッター日本社員は
イーロン・マスクの手になり もろとも首にされた
だが当の人道犯罪集団はいまだX上にのさばり続けている
ネオナチが崇めていた安倍晋三はすでに暗殺された
だが奴を担ぎ上げてきた真の悪党どもはSNSの闇にひそみ
次の大悪事を日々連発しながら善の破滅を常々求め続けている
鬼が島
関西人や東京人、九州人などが悪意や匿名でいきり立って、ただの善良な自国民を何の実態もない空虚なおごりから「田舎者」とののしり侮辱し、差別する為だけの鬼が島の邪悪な生態は、衆愚洗脳で国事を乗っ取る種族主義邪教・神道一味ごと、完膚なきまでに自壊自滅し、人類史の失敗作として永久に捨て去られければならない道徳法廷での約束があるだろう。さもなくば、彼らの作り上げている令和の世は、道義ある人間界に決して存在してはいけない最悪級の自堕落のはずだ。もともと傲慢の悪徳に他ならない自文化中心主義の一種、中華思想を関西地方から中途半端にまねた愚かな人々は、斯くの如く悉く、ちりぢりになって消えていく。
2024年9月29日
立民党連敗主因だった政治不能議員の総裁選敗北
嘘が嘘でも
あなたはこの世の女神のごとく美しい
嘘が嘘でも
雪の精は融けて消えてしまう
だからあなたの本当の姿が知られる前に
この世のすべてを破壊し尽くそうではないか
永遠と呼ぶにはあまりに短い人生のどこかで
あなたは嘘の上に自分をつくり
われらの心を虜にしたのだ
嘘が嘘でも
あなたの存在の根底にあるのは
生きている者の尊さだ
因果はめぐる
教養の定義
教養とは人として大切な事、つまり人の道を知っている事を指す。他方、単に些末な雑学を知っているにすぎないこと、すなわち年頭月尾を誇ることは、俗物根性と呼ぶべきものである。
この意味では、皇居の馬屋の火事で皇族やほかの公務員らとともに庶民を差別して済ませ、香炉峰の雪にまつわる漢詩の一知識をその主著『枕草子』で自慢していた清少納言は、当時の一般教養の範囲にあった漢学に於ける俗物であり、決して後世に誇れる教養人なるものではなかったのだ。よしんば彼女が、同書の中で紹介されている当時の上流女性に要求されていた一般的学問の一部であった、和歌についての歌学の範囲では何らかの学習をしていたかもしれなかった上に、随筆家として傑出した感覚論や文才の持ち主だったとしても。
2024年9月24日
性悪集団の必然的自滅
2024年9月20日
スラリン レベル99
2024年9月17日
品性下劣な東京チンピラマスコミ社会のナンバー縄張り意識あおりによる被害者たたきルサンチマン全開報道
2024年9月16日
2024年9月10日
2024年9月9日
魂のほかに
さも万物の真上に輝くあの星の様に
もし宇宙全体が崩れ落ち
今や何も残らなかったとして
さもなべてを受け止める闇の大穴の様に
この世には君を措いてほかに美しいものはない
もし時という時が止まり
永遠と呼ぶにはあまりに短いあいだ
君の存在が地上に記録されているとして
自由はその意義を失い
自分を釘づけにしてしまう
さも捕らえられた蝶が逃げ場もなく
この小宇宙の内に産まれ生き死ぬかの如く
すべては君の魂を措いてほかにないのだから
2024年9月7日
2024年9月5日
2024年9月4日
2024年9月2日
2024年9月1日
2024年8月30日
偽天子による世襲天皇制の因果応報
2024年8月28日
2024年8月27日
内心と表現の自由権を鑑みた、AI生成の国際共通法秩序論
ディープフェイク(深偽、深度偽造)の表現は、それが名誉毀損に該当する悪意ある(すなわち害意または事情通での)流布や売買をされていないかぎり、すなわち個人の私的領域にとどまって想像力の具現化あるいは芸術表現として行われている限り、内心の自由、表現の自由の領域に属するため、合法であるべきだ。
また、風刺画その他の公人または社会的影響力を持つ有名人に関する批評表現についても、当該深偽が与える公益性を顧み、明らかな名誉毀損に該当しないものについては合法であるべきだろう。
同じ様に、同性愛含むLGBT(レズビアン、ゲイなどの同性愛、バイセクシャルすなわち両性愛者、トランスジェンダーすなわち跨性別)、児童性愛その他の性的多様性に関する表現についても、悪意ある流布か売買を通じて実在被害者が存在しないものについては、内心と表現の自由の領域に属し、同じく合法であるべきだ。すなわち非実在(架空)の表現については、東京都の法制(『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案』)に倣って閲覧時の年齢制限を前提に、合法であるべきだ。
こと同性愛については、嘗てイギリスでアラン・チューリングがこの種の性指向をもっていた廉で有罪になった負の歴史を踏まえ、単なる性指向に基づく人権の侵害及び、差別的扱いは法秩序に於いて、厳に慎まねばならない。
このことは国際的に情報のやりとりが行われる今日、国連側でも採用されるべきであり、各国共通の規範とならねばならない。
2024年8月24日
2024年8月21日
2024年8月20日
悪女の戒め
下卑たことを言ったりやったりする悪女、あるいは愚女と、つきあってもいけないし、かかわってもいけないし、会話さえしてはいけない。その者は、わずか少しかかわっただけでも必ず、なんらかの致命的危害を加えてくるものだからだ。
下卑た言動をする悪女からは即座に離れ、二度とかかわったり、見聞きするな。
また下卑た悪女に少しも同情するな。その様な誤った宋襄の仁は必ず、その者の命取りとなるだろう。
2024年8月18日
2024年8月17日
2024年8月14日
親族と遺伝
賢明な人々は冷静になって、自身の家族の品位に劣る者と交際してはならない。よしんば、そこにいかなる同情があっても、宿命は必然の姿をとるものだからだ。
2024年8月12日
2024年8月11日
2024年8月10日
2024年8月8日
2024年8月7日
2024年8月6日
2024年8月4日
2024年8月2日
2024年7月30日
不良と優等生
不良に見習う自称天皇一味の末路は、確実に破滅だ。全て自業自得。
不良の国柄
性悪ということほど救いようのない特徴はおよそどこにもないだろう。知識や知恵を持っているほど彼らは益々、公害をもたらす。悪知恵は自他に災いをなす。では、その様な集団に未来がないのも当然というべきだ。
心の修理
それを直す道具が足りなかった
機械じかけの悪人達が次々現れ
あなたをさらに傷つけ続けたから
もしこの星を取り巻くすべてが悲劇で
僕らに期待できるのが更なる悲しみだとしても
僕はあなたに手を伸ばし
少なくとも心の慰めを語りかけた
もし心を直すすべがどこにもなくとも
もしこの国を取り巻くすべてが架空で
大都会に送り続けている電気は有害で
人間と名のつくものがみな作り物だとしても
2024年7月28日
純粋美術の絵のレベル上げ
自分は潜在的に、たしかにある種の芸術家気質の人物で実際、世界史的にそれなりにというか、ちゃんと記録されるアーティストなんだろうとおもう。それというのも、僕はもうあまり感心するアーティストがいないんである。毎日探してはいるんだけど。ということは僕自身がレベル99なんじゃねーかなとおもえてくる。ありそうな話でなくはないのかもしれない。
無論これらがおごりである可能性しかないから、これらはレベル上げを以後しなくなることを全く意味しないんだけど。
40年のうち15歳くらいから、25年間もずっと、修行というかレベルあげし続けまくり、しかも全力でやり続けたら、潜在的にある種の天才なら、レベル99にいったということもしばしばありうるかもしれぬ。しかし。くりかえすが、なんら、あるいはまったく油断ならないから毎日レベルあげはしようとして、実際できるだけそうはしているのだけど。絵にもしレベルの様なものがあればだが。
みんな絵のレベルあげなんてやってない気がする。僕ほどというか僕と同じ方針では。なんでかというと、まずそんな根気がないのと、もともと目的がちがうのではないか。
純粋美術目的の画家自体がまずみられない。
女太宰
本当に筆舌に尽くし難いほど酷い人々だらけだったなぁとおもう。
というか、総じて自分を傷つけてくるひとしかでてこないのだ。自分以外の人は似た経験をしているのだろうか? 少なくとも自分は、大体において程度こそあれ、そんな経験で埋まっている。特に最近でひどかったのはミキさんの母親だ。
僕が10年以上みきさんの世話したのは本当に大変だった。あまりに大変すぎて、もはや言葉で説明しきれないほどだ。いわばひとりでピラミッドを片づけてと言われて、毎日毎日その作業をしながらひたすら全人類に嫌がらせを受け続けたみたいな大変さだ。誰もそんなことしたくない。しかし、ミキが女太宰だとしるまえは、青森のシンデレラみたいなもんかと僕は大変勘違いしていたのだ。事実は全くといえるほど違いすぎた。女太宰になんらかの誠意の様なものはあってなきがごとしである、のかもしれないだろう。そして、当然ながらその親も、女太宰の親にふさわしい親だった。
すでに30年間もミキさんはあの両親から大虐待を受け続けてきており、青森地獄はその人を少しもぬけださせない。それは確かにこの世の地獄である。女太宰も生まれるわけだ。
女太宰ミキは突如発狂し、平田事件を起こした。このために自分がどれほど傷ついたかわからない。その周囲にいたひとびとの不誠実さも大いに自分を傷つけた。特にピグ女勢。確実に地獄に行く連中だ。
ミキの世話の異常な大変さを経験した上に、ミキの尋常ならぬ不誠実さによって何重にも裏切られた自分は、ミキ母というこれまた不実の極みといえる狂人物から、いきなり電話がかけられてきて、侮辱罪をされた。もともとただの自閉といえるだろうミキの人生は、この無理解にして精神を病んでいる母親から完全にといえるほど駄目にされてしまっていた。シャワーヘッドでいきなり殴られるとか、しかもいきなりシャワーに母親が入ってきて。ミキいわく「ぼこぼこりんぴ」。あるいはミキ父もミキへの暴力が日常茶飯事とか。本当に意味がわからない。ベルトで首を絞められたこともあったらしい。とっとこハム太郎だかなんだかの、ビニールの。ミキが狂わないはずがない。つまるところ、あの女太宰の出現には必然性があり、具体的にはミキ家の産物なのだった。おそらく、高確率で、ミキ母は統合失調症なのだろう。そのもとで、あの異様な不安定な心身の人物がはぐくまれた。それに加えて、ミキのみならずミキの父母も、言動の端々から境界知能だろうことが疑われる。その条件下にいて、自閉だと気づかれないでいて、学校でも職場でもいじめられまくり、家でも親からひたすら無理解で暴力や精神的虐待や経済的虐待を続けられてきて、自傷やら薬の過剰摂取やらで逃亡しても不可能なので、自殺未遂をはかっても遂げられないので、心中をはかろうとしたものの、これも僕に救われて失敗した、という人がミキだった。
命からがら、大変な苦労をしてミキを自分は救った。以前、ミキがいきなり家出した時もずっと自分が連絡さきになって家に帰らせた。あの時もしぬほど大変だった。
先ほども触れたけれどもミキはずっと家で継続的に自傷していた。いくらやめてといってもやめなかった。またしばしば薬の過剰摂取をしたりしてとち狂うこともあった。
結局、ミキの親の遺伝と家庭環境づくりとが、女太宰を作り上げた原因なのだ。恩知らずの親にはなんの美徳も期待できない。そしてあの家はきっとそのまま滅びゆくのだろう。借金もあるらしい。
そもそも娘の人権をまったくといえるほど認めていない親というのがいた場合、その人の親権に正当性はあるのだろうか? 娘の結婚、というか事実婚の約束に干渉しまくり、娘が相手(つまり以前の自分だったのだが)の家の親の介護をしようとすると大変だからやめろなどと言って妨害し、そのために、ミキが平田被疑者による性加害後の薬物過剰摂取による糞便まきちらしの世話をしている最中にミキ母がミキにメールをし、「いま掃除」とミキが返信した。この一連の事態は、ミキの親がわには、まともな親権がないことの証拠であり、青森では憲法が守られておらず、障害者にいまだに人権がないことのあかしではなかろうか。
婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立するという憲法の文言は、青森ではほとんど理解も記憶もされていないのではないだろうか。尤も、もう手遅れといおうか、そもそもミキ親の借金だかローンだかが潜在的要因として、自分がミキさんと婚姻は無理と判断していたのだし。ミキ親の過去の行いが第一にわるいのである。平田事件後は完全に無理ではなかろうか。あれ以後にすらミキと結婚を無理にでもする人がいたらその者も狂人といえるだろうと思う。事実婚的な状態だって恐怖ばかりある。またいきなり心中をはかるのではないか、とかだ。半分不貞と認識される疑いも濃厚にある。デパスとかいう薬の過剰摂取による暴走だったとしても。そもそも何度とめても、ミキには自傷だの過剰服用だのが止まらないので、そんな狂人を家に招き入れるのはダメという常識的判定をしていた僕の両親も、さすがに世間を知っていたとみるべきだろう。僕がいくら自分の親を10年くらいかけて説得しようとも、もともとの慈悲と混じった福祉的博愛に無理があったといっていい。聖人の人格の苦労とはこの様なものなのだ。
僕は、ピグでたまたま、女太宰の原型をみた。しかし、はじめてみたとき、といってもネット上のアバターでだけれども、当時その様な人物だという感じはなく、なにかおしん的なものにみえた。おしんどころかその超強烈版だったのだろうけど、遂にその人物が本性を現した時には既に手遅れで、行動は女太宰そのものだった。女太宰を救うなど無謀なことを試みた者として書いておくが、著しく難しい仕事であり、ほとんど不可能に近いので、そういう人物だとはじめから分かっている場合は、手遅れだとみた方がましなのではないかというのが経験者の談だ。リアル太宰治だって決して救えなかった様に見える。そして、そういう人物をうみだす社会背景がわかっていたら、それは業なのだ、という風に悟れるのではなかったのか。
2024年7月24日
2024年7月22日
海賊の世界侵略
いまだに何も反省がない
平和な海岸をごみだらけにして荒らしていく
何度浅ましくも原爆を一般市民の上に落としても
何度星中の平和に暮らす人々を奴隷にしても
何度侍達に斬り捨てられてもひたすら逆上し
少しも人の心を持たない連中だ
勝手に他国にあがりこんでは
次々不躾にもユニオン・ジャックを立て
麻薬や武器を売りつけて戦争を起こし
「お前の国は俺のものだ」という
あたりの善良な人々を一方的に野蛮人と侮辱し
無駄な暴力をふるってただただ金をよこせという
「お前の国の自然も茶葉も会社も我が物だ」
「いいから我々外人にただで売り飛ばせ」と
海賊の国からきた頭の悪すぎる商人はいう
「奴隷制をやっていたのはお前の国だ」などと
海賊の国でやっていた罪を逆に着せてくると
いつもの手のひら返しで話にならない嘘を広め
東洋主義の風説で世界をだまし金を儲ける
関西の山奥のやくざにすぎない自称天皇は
イギリス海賊団の手先を買って出て
国民の税に寄生して贅沢三昧
英語を話し国民代表の国葬に出ず
海賊のまねごとをし威張り散らす
無能は無能 治らない
人種差別の邪教祖はろくな人間ではない
余りに誠実な水戸の徳川家は
昔からいるというだけで天皇家を信じすぎた
最初から腐りはてた関西やくざの実態は
イギリス海賊団の長と何の違いもなかったのだ
尊王攘夷の掛け声は遠く
イギリス海賊団は星中を傲慢に荒らしていく
爆音の汚い音楽と薬物中毒をまき散らす
町中の壁に落書きしながら
店から強盗をしながら
動物の死骸展示を美術だと言いつくろいながら
2024年7月18日
入国税案
2024年7月15日
2024年7月12日
2024年7月10日
2024年7月6日
2024年7月5日
七夕の夜
もしもこの星が崩れ落ちてしまっても
あなただけがいれば
もはや宇宙全体が幻で
われらを飲み込んで消えていく宿命だとしても
あなたのあのことばが
自分を現世に引きとめている
いつかこの果てしない天の川を超え
あなたに会うことができれば
自分の体が激しい重力に引き裂かれ
恐るべき闇に落ちてしまったとしても構わない
いつかわれらを取り囲む悲劇が終わり
この宿命にも解決がみられるなら
自分はあなたと同じ世界にもう一度生まれ
あなたを離さないこともできる
まるで二つの惑星の衝突の様に
われらは無限の世界に置かれた孤独な魂
もしも奇跡があるとすれば
あなたと話したあの日の夜だった
2024年6月30日
2024年6月24日
拷問の設定
永遠に続く拷問はない
少なくとも一生で終わるのだから
幾ら現世の人間どもが邪悪でも
死後は奴らと永久に別れられる
だから焦るな
邪悪な人間どもとの戦いは必ず終わる設定だ
生きている間
邪悪な連中には最大のダメージを与え
できるかぎり善人を救い
勧善懲悪を実現することだ
継続の力
僕は最近というか、うちに帰ってきてからというもの、コーヒーなるものを父のまねをして飲みだした。これについてなのだが、遂に毎日飲むに至って、どうせのむのだからと、自分の特有の癖といおうか、極めようとしだした。それで最近までに工夫したものがあって、それは色々ある。一々書いてると面倒臭いのでそのうち書くかもしれないし大したものではないかもしれない。しかし、今のんでるのだけども。遂に相当のレベルまで達した気がする。はっきりいっておいしい。そういうレベルまでもっていけるということがわかる。毎日工夫していけば。
これが人生の蘊奥なのではなかろうか。
絵もそうだったけど、ほぼ全員が途中でやめてしまうので、だれも極められないだけなのではないか。
2024年6月20日
2024年6月17日
星に願いを
もしも心が自由なら
そこにはなんの問題もないだろう
もしも世界が平和なら
われらはみながしあわせだろう
もしも宇宙が果てしなく
梅の実ひとつ落ちたなら
夜中にねこちゃんが鳴いている
この星のどこかでまた会えるだろう
2024年6月11日
心の印
それはまるで偶然の様だった
あなたの言葉の一つずつに
永遠に続くかなしみの色をみてとる時
我々にはこの瞬間が
まるで宇宙にこぼれてきた雨粒の様に
消えていってしまう我々の存在すら
無限に続く筈のこの戯れごとのどこかに
眠っているかの様に感じられた
そして宇宙がもうあとかたもなく
最後に残るのが我々の吐息だけだとして
死んだ方がいい人々のあとには
我々が交わした心の印だけが残る
2024年6月10日
茂木健一郎がいない世界へ
暫く前まで僕は天衣無縫の人みたいに、すらすらと淀みなく詩が書ける人だった。だけれども、毎日書いていると特にツイッターにアップするのが面倒くさくてやっていなかった。しかし、この数週間から一か月くらいだろうか? 僕は詩がなかなか書けなくなってしまった。余りに傷つきすぎているからかな? とおもったが、それだけではないのかもしれない。
特に僕を傷つけたのは、J-POPを口汚く全否定している茂木健一郎という人と、似た言動をしたBBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズという2人の人物の発言だったが、それに次いで、「大吉原展」をめぐって、無関係の僕へいきなり最大限の侮辱発言をしてきたひよこと称するX民も自分を傷つけた原因だった。ツイッターでもXでもいいけどね。とにかくXは呼びづらい。しかしツイッターについている悪い印象を払拭するにあたっては仕方なかった名前がえだったのかもしれない。でもまぁとにかく、僕はひどく傷ついた。
想像しうるかぎり、僕ともぎけんの相性は最悪なんだろう。あの人物をツイッターでウォッチさえしなければ、ここまでひどい目にあわずに済んだと思えば、人間をよくみることは非常に、極めて重要におもう。僕が慎重であったこともよい結果になっているとはおもうが、もぎけんはあるとき、僕にダイレクト・メール(ことDM)というツイッターのしくみで、鎌倉での彼だかがやっている小林秀雄の勉強会みたいなのに呼んでくれたことがあったのだが僕は行かなかった。なんか直感的に行きたくなかったのもあるし、そもそも僕自身側に行くだけのカネもないし、そのころ金つかいたくなかった。当時僕はみきさん(と)の独立費用をなんとかお金貯めてつくっていたみたいなものだったから、当然といえば当然におもう。その予定はみき氏の大暴走でおわったみたいなものなので、結局、僕があまりもぎけんを信用できなかったんだとおもう。要するに、そのときももぎ氏に言ったのだけども、DMで。古市憲寿なんて庇う必要はまるでなかったのだが、自動的に古市氏の性的指向ぽいものをあおるみたいなことをいったもぎ氏に説教するみたいな形になってなぜか、DMでもぎ氏に謝られた。とうの昔のことなのだが。
で。もぎ氏はとにかく詩というものがわからない。そう当人が言っていた。動画で。実際にそうなのではないだろうか。詩心から最も遠い人らのなかの第一人者におもわれる。端的にいえば無神経で、精神が粗雑なんだとおもうのである。長らく観察してて、その点、色々破綻していたから間違いない事に思う。そもそも外向的な性格のひとにそういう傾向がある気がするがまさに、彼がそれであった。そういう意味で僕と性格があわないし、真逆とまではいえないかもしれないが、正反対といえる面が確かにはっきりあった。
しかし、赤の他人の性格なんて或る意味どうでもいいだろう。問題はそこにはない。
彼とルパートという人は、隠れて人種差別的言動をしてるみたいなもんだろう、とおもうのだ。J-POPというジャンルは、割と多様性が高い方なのは間違いない。実に色々な曲があり、色々な民衆の心がうたわれている。しかし、彼らは日本人の民衆の心を全否定に回るのである。
むかし紀貫之が『古今和歌集』の仮名序でうたは人の心だといった。
このことを彼らはまるで知らないのだ。本当の意味で。
あるジャンルの歌を全否定するとは、その奥にうたわれている人々の心を全否定することに間違いなく等しい。つまり、彼らは日本人一般を、特にその精神を間接的に差別的に見下して扱っている。これは間違いない。そこには自明に甚だ強い悪意がある。この点についてはこの上なく強調しておきたい。その上で、彼らには反省の見込みがまったくないのである。そして彼らをとりまく色々なものごとは、救いようがなく傲慢なイングランド文化帝国主義によって、特に軍事力とか国際政治力といった明らかな暴力によって正当化されており、あかたも彼らの粗暴さが正義かの様に国際的に語られてしまっている。ただの政治権力で文化的自由度が迫害されている。これが僕には決定的に最悪だなと感じられているのかもしれない。(似たような事は国内では自称京都勢とか東京勢とかが天皇一派と群れて、古代飛鳥時代頃から日常的にやっている気がするが、国内的な事に触れていると論考が長引くので次の機会にしよう。)
確かに大衆歌、特に商業的流行歌は、どこの国でも必ずしも質の保証の様なものではない。しかし僕がその後も観察していたところ、ルパートというひとはイギリスのその種の大衆歌を全力で持ち上げていた様子だった。うるせー感じのロックを。まぁロックもいいけどさ。古い感じでしたよ。プログレではない。はず。これで僕は本当に驚いてしまい、この人物の心の出来の悪さ、粗雑さに呆れかえってしまい、というのかな。音楽的感性の低さ? にかな。大変絶望感をおぼえた。だって僕の思春期にはやってたのはレディヘの『キッドA』とかなのだ。最初に『アムニージアック』をきいたときも怖かった。そんなのをまったく評価できないひと、いうならば音楽的世界が狭いひとが世界中を見下す様な記事を恥知らずにも堂々と書いて、あの狭い極西の島国からうようよでてきて、茂木と共犯的にわれわれのおざけんとかスピッツとかミスチルとかYUKIとか、バンプとかセカオワとかを大馬鹿にして、大威張りしているのだ。スーパーカーやアマザラシすら馬鹿にされているとおもうと、黙っておくべきではないようにおもうのだ。まじで。本気でだ。
ひよこというおばさんらしきツイッター民は、それに輪をかけて酷かった。このひとは展覧会弾圧が当然だという顔をしていて、欧米ではの守、もしくは米国ではの守を気取っているのだが、一体欧米諸国のどこで浮世絵の展示会を弾圧したことがあったのか? 当然そう疑問におもうのできいてみたら、というか絡まれたのだったとおもうのだが、それで、真っ当に美術史評論的な返答してみたら、ひよこがわは要を得ない答えだった。美術素人がなにもしらないで表現自由権を弾圧している。
この種の信じられない粗雑さを、米英、あるいは連合国勢、あるいは国連勢の粗野な暴力と自文化中心主義で補完しながら、彼女は僕へ押しつけようとしているのだ。わけがわからなかった。最悪だなと感じた。それなのに、その最悪の言論弾圧犯ひよこは、「恥を知ってください」とか、わけのわからないことにさらに輪をかけまくっていた。それは当人のことだろうよ。本当に最悪の経験ばかりする。ツイッター。おわればいいのに。イーロン時代も変わってなかった。そりゃそうだよね。やってるひとらが日本人で同じ層なんだからさ。近づかないに越したことはないね。
茂木は彼らのボスみたいなものだ。コンニチかれほど明白な人類全般への文化的敵性を示している人物もなかなか見当たらないのではないのか。だって、日本人が自分達の心を表現する機会を弾圧して。あまつさえ。昔の、その種の心のありようすら大弾圧しているのだ。現に。
なぜその様な蛮行がゆるされるものかは?
ドイツという国は、というかイギリスもだが、その種の人物の言論を大いに称賛している様子がある。これも僕に大変な失望を呼んだ。前から両国そんな節はあったが、改めて絶望的な気持ちになった。まぁ英独なり欧米なりに過度に期待することそのものがおかしいんだけど。もし二流三流国家の集まりなんだったらもともと仕方がない。もぎ氏は歴史否定論とかいう、ネオナチとしかいいようがない言動をして、しかもそれは百田尚樹氏や竹田恒泰氏らの神話史観もしくは小説史観を賞美しつつ、司馬遼太郎の書いた偽物の坂本龍馬を史実と混同して無反省な時点でもそうだったんだけども、僕にとてもがっかりさせた。その点でもぎ氏はまたも日本に大迷惑をかけてきている人物だ。史実は物語ではないし、嘘ではない。あたりまえのはなしだ。ほかにもありすぎるので、彼の問題点をまとめる人がいないとダメな気がする。人として普段から悪いことし過ぎという事は、長らく観察してると本当によくわかる。賄賂五輪強行とかね。コロナ禍で。ノー・マスクをあおったりとか。それだけじゃないんだ、あまりにありすぎて、個々に列挙してると疲れきってしまう。
もぎ氏がNHKに出だした頃なんて、そこまで異常な人物だなんて、はじめは気づかなかった。現在進行形で人類に害をなしている人物だということは、歴史否定に加えた絵画展弾圧など、特に最近の言動では一層自明におもわれる。むしろ彼の脳の異常からくるさまざまな反社会的な行動と、日本人全般は適宜闘う必要があるんだとおもう。詩の弾圧というのも、類例のないほどわるいおこないだ。ことに詩は日本もしくはひたちのくにの単位だと、文献記録にあるかぎり嬥歌や万葉和歌からきわめて伝統の長い芸術の一つに該当する。縄文土器や洞窟壁画までさかのぼれば、最古なのはほかにもあるだろうが、文字記録にないだけでたしかに歌はうたっていたろう。詩はひとのこころだ。人の心をふみにじる、ふみつぶすおこないというのは、ある意味ではナチがやったような人種差別の、よりわるい版だとおもう。ルパートもこの点ではどれほど非難してもしすぎはないようにおもう。また、ひよこもおなじだとおもう。ひとのこころは他人にたとえ少しでも統制されるべきものではないとおもう。虚構の世界である絵のなかに、何かを表現するということは、いわば人間性の解放だ。それをみて意見をいえばいいにすぎず、絵をかいたり、あらわしたり、展示したりする権利をも弾圧してくる、というところに、茂木やひよこ、あと当時つるんでいた瀧波ユカリらの、非常な悪質さがある。
ツイッターはその様に、毎日毎日百鬼夜行のありさまで、つぎからつぎに悪役がでてきて、本当に疲れきる。しばらくみてない。でも、それだけのものだとおもう。僕は、僕の心を守る必要がある。そのためには茂木がいない世界に逃げなければならない。
2024年6月9日
両刀使い
マッキントッシュとかいうコンピューターに対応するのに、こんなに時間がかかるとはね。ありえないくらい使いづらい。でもまぁなんとかなってきたのかもしれないけど、なってないのかもしれない。どっちにしても、やっとなれてきたけども、どうしようもないものつくりやがったな、とおもう。先進とは言ってるけども、アップル社がそういいたいだけの様な面も一杯ある。両刀でつかってるひと、さほど多くない様な気もするが、そのひとだけにわかることとして、この2つはまるでちがうものだ。OSとして。おなじものではないのだから同列に並べて比べること自体がおかしいのかもしれない。
とにかく、僕はこの2つのコンピューターを同時に扱うことについて、ひどくつかれてしまった。どうしようもないのである。
なにがか?
どっちもつかってみたらわかるかもしれないけど多くの人々はそんなことしないだろう。僕は、もぎけんにだまされた。あえてだまされにいった。それで、どっちも試してみようとした。その結果、確かにつかえない。マックは。いろいろ。こんなにつかいづらいとはね。
完全にだまされた。
この2つはちがうもの。いま庭の梅おちた。どっすん。
でさ。本当に意味あるのかな? とおもう。こんなにね、2週間も僕におぼえるまで時間かけさせて。しごとにならないといえばそうだ。ここまで酷いとは。
マックのほうがすぐれているみたいな風説を茂木が広めてるのはどうかしている、と、完全におかしい意見だ、と、だれもいわないのだ。だから詐欺師のざれごとにだまされている。だってウィンドウズじゃなきゃ動かないソフトなりアプリなりがおおすぎるし、そもそもシングルタスクに向いている様な機械がマックなわけで、その2つはおなじではない。それで僕はひどくつかれてしまった。
いまとなっては、両者の特徴をわきまえた上で、両立できないかを考えているが、宮本武蔵化するかもしれにゃい。しかしそうなるとしても、つかいわけをするべきものともおもわれないので、本当に酷い目にあったな、という実感だけある。ぼけ防止にはいいかもしれないのだが、いらない負荷がかかるから、最初戸惑いまくる上に、ストレスが相当かかるのだけは確かだ。操作感が違うとかそういうレベルではなく。
まぁどっちにしても、とりあえず、やっと少しずつ操作できる様になってきたので、今後はなんらかの展開があるかもしれない。おわり。
世界中の職場がマックになったら途端に大混乱と、大幅な生産性の低下が起きることだけは確かであろう。特にOSのできがあまりに違う。世にいうアップル・シリコンとやらを試してみるつもりでつかってみたのだけど、最新のやつを。M2のマック・ミニを。意味は大分わかったし研究にもなったが、ある意味では、ユーザー側の利点としては、省電力パソコンだ、という意味しかおもにはないのかもしれない。アップル社側としてはそれで大儲けできるし、小さくできるし、いいことづくめなのかもしれないけど。CPUチップ上にメモリもGPUもNPUとやらも載っているということの革新性は、ジョブスの商売人としての性質を受け継いでいるんだろうなと思う。でも、それってあきんどとしての会社のつくりを感じさせるもので、外部の意匠の格好良さで、性能を犠牲にしてる面はたしかにあるので、秀才タイプのつくった秀才コンピューターのOSであるウィンドウズには、ある点では永遠に勝てないのかもしれないなと感じられた。
OSがその2つの会社、アップルとマイクロソフトに牛耳られている状況は、かえられなければならないとおもうけどね。おわり。
2024年6月6日
壊れた心
まるで僕の心は壊れてしまったみたいだった。そして、二度と復活しないかもしれない。しかし、それは偶然ではなく、まるで、すべては必然にできているみたいだった。
それで、僕は自分の心を点検することにした。もし、僕の気持ちがもとどおり残っていれば、きっと僕はまだ死んではいないのだろう。
しかし、どれほど待てど暮らせど、すでに僕の心は傷つき、壊れてしまったあとで、どれほど時をへても少しも、回復しなかった。
すでに僕は昔の自分ではなくなってしまい、まるで壊れた機械みたいに、どんな言葉もでない。
もしその先になにかがあるとしても、声はあげられないだろう。
その心はすでに遠い惑星の向こうにある、闇の底に落ちて行ってしまい、懐に帰ってくることはない。
2024年6月4日
2024年6月3日
2024年6月2日
MacOSをはじめて使ってみた感想
実は、僕は最近うまれてはじめて、マックというしくみに移動していた。これが厄介なものであった。マック信者というのがいるけども、はっきりいって、意味わからん。これの操作法もウィンドウズと違うのはいうまでもないけども、どちらかといえば、というかはるかにウィンドウズの方が使い易い。単なる信仰の問題ではないだろう。洗練度みたいなのが違うのだ。
僕はモギケンがさもマックのほうがえらいみたいにいっていたのをきいていて、本当かよ? とおもっていた。そしていつか確かめてやろうと思っていた。色々な条件が整った今になって、それを実行してみた。それが、マックの方がはるかに使いづらいのである。これが本当のことである。色々なちがいがありまくる2つのOSだけれども、洗練のされかた、特に使い心地という点で大幅な違いがあり、モギケンがいかに嘘つきかということをこのたびもまたもまざまざと実感することになった。色々な問題がこのマックOSとやらにはあるわけだが、ウィンドウズ10になってくると完成度があがってきてほとんどない。マシンの性能に依存したちがいがあるくらいで、致命的な欠陥といえるほどのものではなかった。それがマックはもともと問題ばかりなのだ。あれもこれもできないし、大体、日本語入力システムそのものが揃っていないに等しくて、カタカナに一発で変換すらショートカット使わないと苦労するといった具合だ。それにディレート・キーはあるのに、バックスペース・キーがないとか、意味不明な点が残っておりこれ自体が改善されていない。つまりウィンドウズから学ぶといった姿勢がないのだ。威張ってるんだろうと思う。マックの開発者は。モギケンそっくりではないか。
ちなみにね、わざわざ僕はカタカナで強制的に変換しなくちゃいけないとき、F7キーまで手を伸ばしてやっている。もう一個のショートカットもCtrl + Kのはずなんだけど、ウィンドウズ・キーボードだと機能しないので、さっきまたわざわざ検索して、KじゃなくてIをおしてやっている。こんなのもいちいち苦労させられる。まぁキーボードを共通にしないとかも、ライバルだからなのかもしれないけども、意地が悪いとおもわれる。双方にというより、マック側が、威張ってるんだとおもうのだ。
世間的にいわれているところの、マック特有の良さみたいなのも、たしかにあることはあるのかもしれない。それはいいとして。なんか特有のゲーム機っぽい雰囲気があり、ゲーム感を与えてくるという不思議さがあり、それがウキウキ感をうみだしてるみたいだ。
それで僕はこのしくみに自分を慣らすのに、すでに4日から5日くらいつかったのだけども、かなり疲れたといえば疲れた。特に最初の3日間とか、のまずくわずでやっていた。やっとなれてきたのだけども、もぎけんがいうことのいんちきぶりには、ほとほとあきれてしまった。いまにはじまった呆れではないんだけども。とにかく、ひどいな、とおもう。マック信者とやらの悪質さは。
いろいろ感じたことがあるのだけども、マックOSの設計は、そもそもシングル・タスクこと単一作業を前提につくってるのではないか、とおもえるふしがあった。だけども、僕はウィンドウズの性質に脳が適応したのか、もともとなのか、マルチ・タスクを沢山やる様な性質をもっている。これもマック信者の設計とは、かなり違和がある。それだけじゃなくて、予測変換の能力も、いまもかいてて感じるけども、ウィンドウズのほうがすぐれている。こういうすぐれかたはひとつだけではなくて沢山ありまくる。
スティーブ・ジョブス脳と、ビル・ゲイツ脳の決定的な違いは、前者が単一作業、後者が並列作業派だったことに求まるのかもしれない。
でも、いづれにしても、大体慣れたからこれでいけるところまでいってみるけども、ただ、僕はここ最近、とてもいろいろ考えたり感じたりすることがあったのだ。そのことについて書いたり発信したりする機会がなかった。次の文章で、できるだけかいてみようとはおもうけども、とにかく、僕は自分自身がいわゆる芸術家的な性格をしているとおもうのだけども、その人にして、あきらかに僕自身が普通のいわゆるひとではないのだろうとおもうのだ。というのも、僕はなにも発信しないでいるととにかく不満がたまる様な性質をしているからだ。そして自分はあきらかにほかの人より感じやすいのだろうとおもう。だから日々色々なことを感じたり考えたりしまくっているのだが、それらがマグマの様にたまっていって、なにもいわないでいると世界にはなにもないことになるのだとおもう。
そのときは生きていてもいきている心地がしない。
そんな感覚は、昔から実はあったし、それが僕自身の固有の性質なのだろう。その正体はよくわからないが、とにかくそれからの解放をもとめて自分は芸術というしごとが必要の様子でもある。
2024年5月26日
閉じた監獄
出口もなければ会話する友もない
嘘と悪意で埋められたこの世では
だれひとり仲良くなれる者もなかった
悪人達しかいない監獄で
何もできず死んでいく
実際人でなししかいないのだから
ここで希望など持ちようがない
人間界という監獄にひとたび閉じられれば
だれも逃げ出せない
2024年5月23日
2024年5月20日
2024年5月17日
東京と対比した関西地方の風土分析
ユーチューブによる言論弾圧
偽名目皇帝
嘗てはえせ中国やえせ天竺やえせ朝鮮をまねていた
自称天皇制度は関西人の捏造したえせ中華皇帝
元々自分に自信がない侵略犯が外国の権威を笠にきて
日本人を騙す目的で中華思想と帝国主義ごっこ
当の中国やイギリスは下手な猿真似をみて嘲笑する
史実歪曲故意犯への注意喚起
ドイツや英語圏で本をどれほど売ろうと信用できない人間は信用ならない。
コロナ禍の中で有観客の集団イベントを強行したがった茂木健一郎氏には故意がある。
「マスクはコスプレ」と反医学的な発言をしたり、「歴史は存在しない」と歴史歪曲主義発言したりするなど現実に大吉原展を弾圧し史実を歪曲しようとする茂木氏には、明らかな悪意があるとみなせる。
またアートイベント審査後の子ども焼死事件、脱税事件、ホロコースト揶揄ギャグ弁護、賠償金踏み倒しの無法者を最高の賢者扱い、Windows開発者のすぐ隣での侮辱など同様の例が余りに多いので、一連の心理病質性は決して偶然ではない。公的国際社会は茂木氏の公害や加害に十分注意してかかる必要がある。
天皇・関西自人種優越ナチズム
俗跡と聖跡
生前、差別発言を連発して猟奇小説をばらまき、姦淫小説屋をほめちぎるなど散々悪業三昧していた石原慎太郎都知事は、呆気なく死去し、かえりみるものとてない。
たとえ茂木健一郎が滝波ユカリやひよこらと展覧会弾圧をはかろうと、刀エッジや滝口らとコロナ禍賄賂五輪強行で冤罪バン攻撃を連発し、あしきSNS界にのさばろうと、死後は呆気なく、永久に忘れ去られる。
たとえ成田悠輔が大量虐殺論でひろゆき一派とのさばろうと、死後は誰からもかえりみられない。
悪人達の記憶はまるで思い出したくもない不快な記憶として、誰にとってもかえりみる価値がない。もし記憶にのぼるとしても、その記憶は反面教師としての意味しかない。
だが聖人達の事績は、恰も泉の様に絶えず人々の訪れがやまない。徳高き人々の存在は、俗人だらけの世界で唯一の救済措置だからだ。
植民地略奪海賊団長
いい加減に漂白して損壊したエルギンマーブルをギリシャへ返せ世界帝国の野望挫折後の邪悪な嫌味海賊団
芸術論の資格なき者
人は各々その好みの音楽で幸を得るのであり、必ずしもルパートや茂木の好みによるのではない。傲慢な彼らの好みが狭量であったり、野蛮であったり、通俗的であったり、あるいは権威主義的であったりするなら尚更である。ルパートや茂木は音楽の趣味の狭さの為に人類を不幸にいざなう極悪の利己主義者だ。
詩歌は人の魂であり、その心を理解できないルパートや茂木は人でなしと言われる。
表現自由権の擁護とその米英ごっこ女性主義系弾圧者の断罪
は天下の大悪党である。その加担者である茂木健一郎も滝波ユカリ一派も全く同罪にして、日本国憲法の権義において全力で、表現権並びに自由権を国際人権規約批准済みの諸国民は擁護しなければならない。
X極右勢力図
人権・国権弾圧をはかる米国政府の不正
ティクトクすら違法
それなら情報を合法的に抜き取り放題の
米政府管轄下の巨技企業も禁止で
それとも米国民による私事侵害はでき
中国民にその権利はないのだというが
政治体制を理由に通信傍受しているのは
当の在日米軍基地なのではないか
米国の正義は世界の不正か
好みに応じた評価
大吉原展弾圧犯らによる表現自由権弾圧の分析と断罪
大吉原展弾圧は明白な憲法違反かつ人権侵害だが、XやYouTubeなど主要な社交媒体で言論弾圧をはかっている反社会的女性主義者には、未治療の性嫌悪症の人々が反響室やサイバーカスケード状態で誤って大挙している可能性がある。過去の浮世絵展示会を弾圧した美術史など存在した試しがないし、ナチスすら展覧会弾圧などしなかった以上、今の東京の表現自由度は紛れなく世界史最悪の状況にある。その倫理崩壊の原因の一端を担っているのが上記の性嫌悪系女性至上主義者による暴徒状態での基本的人権侵害なのかもしれない。
茂木健一郎氏や滝波ユカリ氏らは、十分な悪意を込めて、藝大美術館を攻撃している。漫画における遊郭の描写など、『さくらん』や『鬼滅の刃』など幾らでもあるし、決して女権的考察が目的とは言えない表現で溢れている。しかし彼らはわざと藝大美術館のみを攻撃している。ここには明白に悪意がある。茂木氏と滝波氏が焚きつけた無法な暴徒には明らかに性嫌悪症の人々が含まれている様子であった。つまり、両名は全体主義的権力行使の為に、意図して性嫌悪症を利用したのである。女性至上主義の体裁は言論弾圧による権力拡大の方便にすぎず、実態は新国民社会主義による自身の恣意の全体への押しつけだ。
茂木氏は津田大介氏によるあいちトリエンナーレ2019表現の不自由展の企画を喜劇の体裁で、稚拙なものと嘲笑した事があった。滝波氏は津田氏のポリタスTVの出演者で、今度は津田陣営側が茂木氏と共に表現弾圧に回っている。この深刻な矛盾は、彼らが本質的には表現自由の擁護者でなかった証拠である。
茂木氏に限っては、社交媒体での影響力行使に勢いを得て人権侵害に平気でふみこむ場面がごく多く、深い意図なく取り巻きらと共に表現自由権を公然と侵害している様に見える。加齢による認知力低下を考慮しても美術館展示弾圧による反社会的暴挙は常識の範囲をこえており、違法な扇動は裁かれるべきだ。
自集団内の悪業
日本人は自滅している
自らの業から逃れられる者はない
たとえ人の目に隠れておこなったはずでも
業は世界の消えない記録である
日本人が日本人を日本語で日々虐げ
その悪業の連鎖は自集団絶滅に向かう
悪い国民にまともな結果はやってこない
悪い民には悪い国
恋愛理想論の限界
国画及び純粋絵画論
亡びの必然
呆気なく亡び去る
欧米の暴虐の数々も
その蛮族の都市ごと呆気なく消え去る
この世では滅亡しないものはない
驕り高ぶる東京も西日本も中部も北海道も
風の前の塵に等しい
中国共産党も金政権もプーチン政権も自民党も
誰も滅びないものはない
驕れる京都市も廃墟と化し亡ぶ
偽の伝統
差別の国の自滅
なんでもやり放題の日本
中年男性差別ならお手のもの
欧米と一緒に東洋主義で人種偏見の上書き
なんと汚い自称天皇のレイシストだろう
大量虐殺犯の分際で神の末裔と称し
人類を全員差別しながら税を貪る
関西人の悪意の塊の最悪邪教にしがみつく衆愚
差別の国は滅びて当然だ
リス生
リスは言論弾圧されない
リスは女性至上主義者から急に侮辱されない
リスは絵を描いても
講義をしても自由で
𝕏やGoogleに消されない
悪意で埋まるヒト社会となにもかも違う
ヒトは最悪
リスは最高
木の実を食べて寝ていればよい
あとは歌って踊るのだ
月は綺麗で水は清い
僕はリスになる
女権乱用国
自ら自由を放棄する
下らない漫画屋とつるんで
ネオナチどもの蛮行だ
フォロワーをたきつけ権利侵害
今度は米国へ移民した悪魔と
政治意図で絵画展をやめろという
「恥を知って下さい」などと
正真正銘の恥知らずがぬかす
原爆の傘のした悪行三昧
信じられない女権乱用の日本
J-POPの分からぬ輩
ルパートというイギリス人も同じ
ろくな奴らじゃない
人の心がわからない奴らは野蛮人だ
特に繊細な優しい心を踏み躙る奴らは
甚だしい野蛮人だ
J-POP と言ってるが要は民謡
どれだけ優れた曲が多い事か
どれほど多様で偉大な創造性がある事か
奴らは何もわからない
彼我の人権尊重度
世界史のこの出来事は、欧米諸国が人権後進地であった動かぬ証拠だ。
日本は戦後、退位法で天皇の立法権侵害を許可した時点からガラガラと音をたてて権利侵害が加速している。無法者は象徴の地位にふさわしくない。天皇制度は永久に廃止し、法政によって正しく人権を再獲得しなければならない。
欧米と日本の人権尊重の度合いは五十歩百歩で、結果は日々の行い次第だ。
大吉原展弾圧ネオナチによる重大人権侵害の断罪
鬼が島での悪人達との戦い
私は何度となく、Xで人権侵害された。ひよこという人は表現弾圧のために、恥を知って下さいなどと言ってきた。恥を知らないのはそのひよこという人自身だった。ひよこという人が、自分の気に入らない過去の浮世絵を消す目的で、日本の人権を米国の笠を着て消そうとしていた。最悪の経験だった。
茂木健一郎一派は以前から悪行三昧だ。ネオナチ行為の為にどんな卑劣な事もしてくるし、その周囲にいる連中もとんでもない悪人ばかりで関わられると即人権侵害される。茂木は賄賂五輪をする為にホロコースト揶揄ギャグを庇いに、サイモンヴィーゼンタールセンターに殴り込みに行っていた。とめたら攻撃された。それ以前に、コロナ禍の中で大規模衆人イベントを開きたがる事自体が狂っており、それへの指摘も冤罪バン攻撃ばかりしてきていた。そんな蛮行が許されるものか。
滝波ユカリという人は、言論弾圧犯で、過去の浮世絵の展示会をX衆愚と一緒になって大弾圧を企てていた。驚くべき事は、津田大介氏は表現の不自由展をした筈なのに、この滝波の言動に何も言ってなさそうな事だ。ポリタスという津田氏の番組に滝波氏は出ている様子だった。本当に意味不明な矛盾した言動。
茂木氏は、津田氏のあいちトリエンナーレ2019の表現の不自由展をからかっていた。ところが同じ人物が、今度は表現自由権の弾圧をする。この点では、茂木氏も津田氏もかなり疑わしい。なぜ浮世絵の展示なら表現弾圧していいというのだろう。女性至上主義が唯一の全体主義原理だと言いたいのだろうか? もし女性至上主義が彼らの信じる理想論なら、女性や女系が天皇になれないとする天皇や神道の教義に従っている事も大いなる矛盾というべきだろう。この点で再び茂木氏や津田氏は矛盾をきたしているから、決して女性至上主義を理由にした表現弾圧が目的とも言えない。彼らは適当な権利侵害者なのだと思う。
僕は、彼ら東京人達の悪行にはほとほと疲れてしまった。毎日やっている事といえば本当に彼らは悪業ばかりなのだ。正真正銘の地獄というものが存在し、そこでは上記の様に、日々無法行為が常習的で、衆愚でさらに悪事を群れて加速しているものなのだ。反響室の中では正義は完全に蹂躙され耳に入らない。
関西地方の悪行も今に始まった話ではない。帝国主義の暴虐や差別的な乱倫自慢によってどれほど国内外に彼らが不幸をばら撒いてきただろう。天皇の悪政は今の時代を最後に永久に終焉するだろう。亡国の兆候は、天皇一派の周囲の信じられない不道徳ぶりで誰の目にも明らかだ。確実かつ不可避に日本は滅ぶ。
権利は自ら守らなければ誰にも守られない。滝波や茂木、ひよこらは進んで表現自由権を侵害した。その為に、日本ではまともな意見を表明できなくなり、女性が言う間違った意見なら平然と押し通る状態になる。遂には大悪行の連鎖で全滅するまで、彼らの傍若無人ぶりは加速し続ける。本当に最悪のネオナチ。茂木や滝波、ひよこらの悪行ばかりではなく、日本人一般はネット匿名状態で普段から悪業三昧している。果たして、その結果がこないわけがない。没落する国を作っているのは、日本人一般の普段の悪事で、他ではないのだ。権利侵害が常態ならばそこを先進国とは呼べない。だから日本は民衆の質が後進国だ。倫理崩壊した衆愚の国が、何につけ、まともな結果を伴う筈がない。本当に悪い、酷い国に生まれてしまったものだ。この国には自由がない。言いたい事を何もと言っていいほどいえないのだし、常に天皇と称する暴力団体長から脅迫され搾取され、何も自由がない。全体主義国の実態とは拷問の日々でしかない。
僕は、日本国で悪人としか会わなかった。けど、ブータンの人は逆の事を言っていた。ここには悪い人は誰もいないよと。日本国は、ブータンと比べれば完全な地獄で、卑しい民衆が匿名で悪事ばかりしており、その衆愚を洗脳している人種主義邪教祖天皇が無法の乱倫行為ばかりするただの鬼が島だったんだ。
さらに恐ろしい事には僕にはこの地獄の島からの脱出方法がない。金も手段も与えられていないので、逃げ出す事すらできない。抵抗しようにも、言論を悪魔の様な茂木や滝波、ひよこその他のネオナチは弾圧してくる。これほど最悪の条件で、悪人達に囲まれ、疲れ果てながら生涯戦い続けるのは実に災厄だ。
悪女の業と少子化
年齢差別と芸者の国日本
東京や山後は地獄同然
金のため魂を売る悪意が列をなしている
最悪女性主義者が発狂しながら
有性生物を侮辱し人格攻撃している
性を持つ生き物に死ねという
不貞は女の自由だという
日本人達が絶滅するのは当然だ
ここには悪女しかいないのだから
清き歌
全ての声を奪われようと
ただひとり声をあげ
真実を伝え続けよ
たとえイングランドや自称京都や東京の外道どもが
その驕り高ぶった無文化と偽文明の押しつけで
自称天皇一味とどれほど言論弾圧してきていても
たとえアメリカへ移民した極悪人格が
暴力を担保に表現自由をどれほど侵害してきていても
ただひとり絵をえがき
美とは何かを虎視眈々と語り続けよ
たとえ地上に悪人しかいなくとも
匿名の差別主義者どもが
憎悪犯罪者どもがあらゆる悪意で
善といえるすべてをよごしていても
ただひとり力の限り
至上の正義というべき清き明き心を高らかに謳い続けよ
天皇破滅までの距離
腐敗した驕れる寄生階級だった公家は、善人を悪意で冤罪に陥れ、悉く自滅した。生育の悪い人々は、身分制度に只乗りしていても、やはり不徳のため一様に滅び去る。自称天皇一味の破滅は限りなく近い。
道徳本性
悪徳国
西日本の人々には一般に、侵略罪を反省する能力、他者への共感や理解の能力が低く、侵略戦犯の過ちを繰り返す。また姦淫罪を美化する『源氏物語』をその作者ごとほめちぎる様に、性道徳が元々殆どといっていいほどない。この為、悪業の実例をばらまいて驕る。
超長期戦
いつか彼らは一人残らず絶滅して
善良な被害者は救われるだろう
永遠に続く地獄の山奥はない
性悪なイギリス人が幾ら傲慢で不躾でも
いつか彼らは一人残らず絶滅して
善良な国々のたみは救われるだろう
永遠に続く悪魔の島はない
性悪な自称天皇と東京人が幾ら破滅的に最悪でも
いつか彼らは一人残らず絶滅して
善良な田園地帯の人々は救われるだろう
永遠に続く悪行の宴はない
たとえ本のわずかであれ
極悪人どもに打撃を与え続けよ
必ずそれらの努力は実を結び
悪魔どもの絶滅に繋がるから
宮内庁による洗脳
国税から借金を返済されさっさと亡命されているのに
まだ宮内庁の情報統制による偶像崇拝だと気づかない
明らかな愚民は北朝鮮の人々と思考の質が変わらない
民敵神道一派
天皇と称する悪魔に群れながら悪業三昧西日本の外道
アジア中で罪なき数千万人を虐殺・差別・収奪し朝敵冤罪で凄まじい悪業をくりかえす極悪の自称天皇一味とその極悪西日本狂信者衆 地獄の底で悪業に悪業を塗り重ねていく
浅ましき人権未開地・関西地方の悪意のかたまり自称天皇の世襲独裁とその邪教祖を崇める人種差別教義・神道 悪魔同然な人権侵害常習犯の差別主義者たちが群れながら「朝敵ヤ!朝敵ヲ討テ!」と口々に叫びながら 罪なき人々をつぎつぎ害他心で陥れ 自由を踏みにじり殺戮しながらつけあがり続けている
卑しい西日本の人々が「上皇様に院宣をお願いしないと」などといいながら国政の権能を侵害しつづけてきている無法者・自称上皇明仁の権威を笠に着て 悪業に悪業を重ね続けるその信じ難い悪意の底なしさ 飛鳥時代から不正に不正を重ね続けてきた天皇恐怖主義に何一つ反省がない悪徳ぶり心根の下劣加減
原爆投下を2発見送りそのあいだポツダム宣言も受諾せず自分の家の延命を図ろうとした天皇家 史実も知らず「戦後、植民地化を回避できたのはどなたのお陰やと思っているんやろ。有難い事やで」などとほざく関西弁愚民 国内外を天皇と称する悪魔の権威を笠に着て侵略する事には何の痛痒も感じない外道
自称山所民族 ただの極悪侵略犯 その長と称する不徳きわまる自称天皇はもともと偽者で 日御子の方が先にいた真の女帝な事は文献上も出土品上も明らか 関西の山奥の卑しい嘘つき犯罪者集団にだまされる愚民はなにもかもみにくし
身分差別 人種差別 民族差別しかできない関西地方人一般 その悪意の邪教祖で世襲絶対権力者の自称天皇一味はなにもかもが見苦しい 差別の制度を押しつけ回る関西地方人はその片棒を担ぐ西日本の人々もろとも 政教分離の理解できない人権未開集団として先進国から永久に亡び去ることのみふさわしい
天皇を国家元首と称する無法者共 西軍を構成した天皇ナチストに何一つ反省などなかった 麻生太郎や安倍晋三 明仁 徳仁がその証拠だ 退位法は国政権能侵害で違憲だが 自称天皇一族を暗に絶対君主化しようとする邪教・神道勢力は人種差別教祖の自称天皇一族ともども日本国にとりつく致死的癌である
皇室と神道完全解体の自由
自由の精神をもつ者は、自称天皇一味に専制された関西地方に、少しも生きていられなかっただろう。東日本・北陸・沖縄・アジア一帯へ天皇一味が侵略後も、彼らをその祖先崇拝ごと神格化するこの邪教神道の悪業は底なしで、不敬罪と名づけて果敢な抵抗者を卑劣な集団暴力や脅迫で圧殺し続けてきている。
だが、不義の政体がたとえ中国の『史記』から借りた「天皇」の自称が確認できる674年から1350年間も関西地方・東京都をその圧制で押し潰していようとも、自由を求める心は天皇制ファシズムや、神道、皇室を知恵と勇気で全て解体し、その卑劣な専制体制に洗脳されている人々を必ずや救い出す事だろう。
古代移民国家
関西人優越論の人種・民族差別教義を大量虐殺や暴力的洗脳 異文化蔑視で国内外へ無理やり押しつけ回ってきた天皇と自称する渡来系ヤクザや連続強姦小説を賛美する悪質な弥生移民 舞妓と名づけ児童娼婦の人身売買・性売買罪常習犯な極悪自称京都人移民らと千年近く共存させられてきて移民に不寛容とは
もし日本が移民に不寛容ならさっさと天皇一味だの関西人だの薩長土肥芸ら西軍だの 明らかに侵略犯にして人権侵害常習犯の人種差別主義者であって全体主義ナチストの中華思想集団こと 西日本の野蛮な弥生人移民をとっくの昔に完全殲滅していたろうに 思いっきり受け入れてもう2800年近くも経つのだが
人権侵害常習犯の自称天皇一味に群れて侵略犯罪や日本人差別 財産収奪 暴力自慢など果てしなく悪業ばかりする野卑きわまりない関西移民と共存してきたのは確かに途轍もなく不愉快な経験で 先住日本人にとって最大の悩みの種だった しかし多少あれ混血も進み関西人を追い出そうとする者も元々いない
自称天皇の馬脚
真に尊い人々はたとえ民間にいても尊い。だが偽天子は宮内庁に隠されねば呆気なく馬脚を現す。
性悪の仲間
絵画音痴
しかも直接突っ込んでも無視してるし おじいちゃんに無限ツッコミするのは労力の無駄でしぬほど疲れるからもうやめた もっとわかりづらい違いだったらまだしも普通に違いすぎるのは本当に痛々しい それなのにバンクシーみたいなインチキ・イラストレーターの器物損壊罪人を模範みたいにいう絵画音痴
寿命の意義について
神の子孫と称し浅ましい人種差別の教義を暴力で押しつけ回っていた自称天皇一味も、次々寿命がきて死んでいく。
異文化蔑視しながら植民地奴隷貿易を続けてきた欧米列強の人々も、次々寿命がきて死んでいく。
京都や上方、畿内、近畿、上京、洛中などと自称して被差別部落差別や異民族蔑視をしながら自称天皇一味をひいきして極度に驕り高ぶってきている性悪な門地差別集団である山背地方の人々も、次々寿命がきて死んでいく。
拝金主義で全国を見下し偏見報道する東京の人々も、次々寿命がきて死んでいく。
悪しき人々も悉く死に絶える。この世では死なない者はいない。
草津町名誉毀損罪人・上野千鶴子とフェミニスト
偽王朝
出自不明さと関西地方の遺伝比率で誰の目にも明らか
アイヌや縄文人ら先住日本人でない事は明らかで
国を乗っ取った悪魔の戦犯逃れ男系は即亡ぼす必要がある
自称天皇が現れる前には日御子らによる別王朝もあった
また先住日本人は明治時代まで共和政をとっていた
息を吐く様に嘘をつく関西人の卑劣な嘘を信じるな
関西人一般の虚栄心とうぬぼれは世界最悪級で
自称京都からの悪意ある差別で埋まっている
うぬぼれた邪教狂信者どもの一部になってはならない
自称天皇関連には移民後高が千年少々しか史跡がないが
東日本には数万年以上続く史跡が無数にある
自称京都の誇る千年の都など世界中に幾つもあるが
東日本には万年の都が無数にある
山後地方のイケズと民族中心主義を見抜き
全国民奴隷化目的で暴力団の特定男系祖先を神格化する
徳なき偽天子にして人種差別の関西系酋長にすぎない
自称天皇一味にわずか少しも騙されるな 信じるな
小さな畑のその後
かつては小さな小さな畑があった
戦時中に隣のお婆さんが野菜を作っていた
夏にはひまわりが姿を見せ
秋にはすすきがそよいでいた
今では横浜からきた若い家族が除草剤を撒き
あたかも荒れ野になっているその上を
誰にも見られていないと思って
ねこちゃんが歩いている
2024年5月15日
完全な孤独
それというのも
僕が抱えているそれは普通のものではなく
そもそも僕がヒトという生物たちと
根源的に異なるものだからなのだ
僕の目には全人類は悪でしかない
悪意と悪行の塊でしかない
だとすれば自分がその仲間であろう筈がない
しかもその全人類に囲まれ
逃げ出す手立てがないのだ
人類界の陸でもなさ
確かにネットを観察してると、どうしようもない人々しか出てこない。そのどうしようもない自堕落さに大小の差があるだけだ。
また、僕はこう感じた。人類は一般的にろくでもないのだと。これは事実だと思われる。僕がどれほど善意で動いても、殆どの人類はそれを悪意でうけとってくる。この状態は人類界が地獄である証明だと思う。少なくとも、日本国は大概がそういう場だ。だから僕は日本国というのは、根本的に亡びるべくして亡ぶのだと思っている。そこにくらす人々の普段の行いは、匿名犯罪が初期設定で、かつ酷く性悪である。しかしブータンの人がこう言っていた。「ここには誰も悪い人はいないよ」と。まるで違う。仏教も日本では変質し、特に上述した山後地区では俗坊主の拝金主義となって、いまでいう京都市を財政破綻に追い込んでいるしその為に滅ぶと言っても過言ではないだろう。
鳥が飛ぶときの様に
ところで、僕はラジオをやっていた。講義ラジオみたいの。けれども、ラジオ発信というのは、ユーチューブが簡単に規制してくる感じで好きな事がいえない。視聴者の民度に問題あるのかもしれないし(かもしれないではなく大量視聴層をみるとそうだろう)、自由度が低いという事みたいである。哲学にせよ芸術にせよ、自由度が低い所では結局なにもできない、ということがある。だから自分はユーチューブは問題あるんだなとわかった。内部で使ってみないと分からない。本当に簡単に発信したものを勝手に消してしまうのである。それが人類史にとって著しく重大な内容だとしてもお構いなしだ。グーグルの親会社のアルファベットの持ち物なわけだけどユーチューブって。その点だと文化史を担うだけの覚悟はないんだと思う。唯の営利企業なんだろう。そういう適当さがいづれ彼らにとって致命的になるんだろうなと思う。
ところで僕の人生でも後悔してることの一つに、ツイッターでモギケンウォッチをしてしまったことがある。モギケンとはあの脳科学者の茂木健一郎氏。実にひどかった。最近までその酷さは続いている。僕はてっきり、知識人だと思い込んでいたのだ、彼を。でも違った。もしそうだとしても、尊敬すべきレベルの人ではなかったのだ。いうことがでたらめで、不道徳さが凄かったからだ。僕は人を見る目には自信があったのだけども、暫くウォッチしてしまった事自体は後悔している。でも何か意味はあったのかもしれない。偽知識人とは何かが深く理解できた。イギリスには「スノッブ」こと「靴屋」の俗語が語源みたいだけど、訳知り顔の部外者みたいな、こっちでいう「門前の小僧習わぬ経を読む」の「小僧」という意味で使われる意味の語彙があるわけだけど、日本語だと「俗物」と訳してる事が多いが、大体、この階級の人という事の様子だった。茂木さんは漱石のファンだったりして自分がイギリスかぶれになっていった過程というのがきっとあるのだろうけども、僕が観察していて、それは最早とりかえしのつかない間違いを犯していると感じられた。今日はとりあえず僕が観察したモギケンについて、或る程度まで考察を進めてみようと思う。きっと何かの役に立つだろう。
彼を突き動かしているのは、恐らくだけども、強烈な劣等感なのではないかなと思われた。それは佐賀県の人々とモギケンが接している時、具体的には佐賀新聞社長の中尾清一郎氏と会話しているときなどにポロポロと顔をだす。思うに薩長土肥の肥前の国の人々にもあの種の精神的態度があったのではなかったか。不思議なことに、欧米中心主義の様な態度をとって、日本の文化を貶める様な言動をとるパターンがとても多く、それに痛痒を感じない様子である。その際、必ずしも日本の文化が欧米に劣るわけでもないので色々な矛盾をきたす。けど、彼にそれを問題視する様な節はない。沢山矛盾していても平気なのだ。
ところで、モギケンの分析しようと思ったんだけどやっぱり嫌になった。もううんざりしているからだ。
僕はそれより前は、村上春樹とか福沢諭吉とか夏目漱石とかの研究をしていた。けども、茂木健一郎の研究はあまりやらなくてよかったなと思っている。前三者のうち、一番やらなくてよかったのは春樹だけども、まぁ個人的に執筆や思考の文体を作る時に参考にできたのは大いにあるのだけども、茂木氏が一番論客としても質が愕然と低かった気がする。茂木氏は人格的に問題が色々あるのでそのことは世間も知ってはいるとは思うんだけど、要するに風見鶏が普通の状態で、それは彼の心理病質からきているみたいで、長らく観察していると遂には精神病跡学をやっている状態になって、つらい気持ちになってしまう。それが茂木研究の結果だった。
ところで、また話題がかわるのだけども、いま随分しばらくぶりに文を書いてわかったのは、やっぱり、僕は文章を書く事が好きであり、また向いているのだろうと思われる。第一、書いてると気分がすっきりしてくる。
小学生の時小3の女の先生がこういった。
「ずっと書き続けて下さい」
僕が『麦わら帽子』という題で小説書いたのをみんなの前で朗読させられたあとのことだった。みんながどう思ったか知らないが、またあれはみんなに言ったのだと思うが、自分としてはあの先生のことばをおぼえており、現に書き続けているわけだけど、確かに、あの先生が言った通り、書き続ける事によって到達できる境地というのは確かにあると思われる。現に今の僕がそうだ。
はじめ文章を書く時から自分はなぞにするするとよどみなくことばが出てきて、夏に冷房いれてお父さんの書斎の机で書き始めて、数時間くらいで十五枚くらいの原稿用紙をすぐ埋めて小説できあがったわけだけども、あれ以来ずっと書いてはいるのだが、確かに、前より高度な書き方ができる様になったと思う。技術という意味では、少なくとも前よりあがるということはあるのではないか。まるで鳥が飛ぶときの様に。
2024年5月14日
悪女地獄の抜け道
それならそこは山の後ろみたいなものだ
実際に出生率も極度に低く
日々滅びている
女性至上主義者は日々発狂し権利乱用し
人権侵害しのさばりきっている
それなら東京は浮世絵より遥かに悪く
ただの地獄絵図以外なんでもない
もし悪女しかいないなら
そんな国は間違いなく亡ぶべきで
実際に滅亡し続けている
悪女に妥協するな
悪女は自滅していく
悪女に合わせるのではなく
悪男悪女どもを地獄に落とし
決して救うな
決して関わるな
自ら善人であれ
自ら最高善の存在であれ
滅ぼし去れ
それならそんな国は滅びればいい
日本国が亡びるのは全くよいことだ
なぜならここには悪人しかいない
どこへ行っても悪人しか現れなかった
そんな地獄が続くべきではない
匿名の悪魔らと生涯戦い続ける
それしかない国などただの地獄で
何の救いも慰めもない地獄には
わずか少しの希望も必要ないのだから
悪人しかいない国は残るべきではない
少しの妥協もなく完全に滅ぼし去れ
構造的な地獄
そんなことだとはじめからしっていたら、だれもこんな島に生まれてこなかったろうと思う。一度生まれてしまったからには、生涯、どうしようもない悪魔らに囲まれ、奴らとの戦いを余儀なくされる。嫌々ながら。ただその様な拷問が延々続くのだ。そしてしぬ。事実上、悪魔のラスボスの天皇にむさぼられ殺されることになる。それが日本国というただの地獄だった。
この様な地獄を作った天皇と称する悪魔の一味は、ただの馬鹿なのだろう。彼らは人種差別主義者で、神道というその教義によって民衆の奴隷化をはかり今に至る。だが、一体そんな連中になんの尊厳があるだろう。実に間抜けな話だ。やはりこの島に耐えられるのは、信じ難い馬鹿か、下賎な生物かいづれかだけだ。まともな理性があればすぐにでも逃げ出す筈だ。既に利口な人々は逃げ出してしまったあとなのだろう。
だがどこへ?
地上を埋め尽くし、果てまで悪意で染めている人類という陸でもない生物らに、何一つ期待できないのだろう。僕はなんとかこの世界から救済されたいと願う。だが、それは殆ど叶わぬ願いだ。なぜなら、我々はこの地獄へ構造的に閉じ込められ、にげだせないからだ。
2024年5月10日
性道徳の欠けた西日本や南関東の人々および天皇一味の比較文化による必然的末路の推察
Tという人物がいた。アメーバ・ピグ民だ。この人はミキが明らかに不貞な行いをするときも、ミキ側が正しいという事に仕立ててきた。そしてよく話を聞いてみると、この人自身が不貞な人物だったのである。というか、性道徳というものを持っていない。それで53歳になっていた。
不貞な人には不貞な人生がある。それが当人の中ではしあわせなものだったらしい。全ての男達はTの元を去った。当然のことにみえる。だってこのTという人は不貞なのだから。というか、よく話をきいてみるとそれ以上におかしい点が沢山あるのだが。
たとえば京都市と自称している地域には不貞あるいは姦淫罪の歴史が『源氏物語』以来千年以上蓄積されているが、そこに暮らしている人々はこの皇族犯罪による性加害の正当化話を崇めこそすれ、少しも非難する気色がない。つまり古代級の未開地あるいは不貞ないなかまちで、その悪徳は常習性をもっている。舞妓文化と称する未成年あるいは児童対象を含む人身売買・不本意の性売買罪の社会の行政ぐるみでの常習性もおなじことを意味している。
ところでTの事実が事実なら自称京都人らが、特に性悪で知られている事にもきちんと理由があるといえる。だってそこでは性道徳が崩壊してきているというあしき伝統があるのだから。
実際、自分がみた山後人(本当の名だからそう呼ぶ。最高徳の天子がいないまちを京都と呼ぶのは僭称にすぎない)は、およそ一般に、性道徳崩壊後の姿だった。そこからでてくる連中が、たとえば村上春樹や綿矢りさなどだが、姦淫小説をまきちらして威張り散らすのも、やはり同じ事実を照らし合わせている。つまり、山後はゴモラみたいなところで姦淫罪がはびこってきていて少しも変わっていないし、住んでいる人々もそういう悪徳を一般に帯びて生きているということだろう。だからこそ陸でもない小説屋を昔から称賛してきたのだ。その極悪ぶりが、かれら山後人自身に似ているからだ。姦淫罪の社会を批判的にみれない、むしろ悪徳賛美ばかりするということは、かれらもその悪徳社会の一部で、心が腐敗しているということだ。自称天皇一派も同じである。今も進行している山後の自滅には必然性があるのだ。
でも、たとえばイギリスの『ハムレット』とか全く逆の性道徳を語っているといえるだろう。貞操を命より重んじているからこそ、そこではオフィーリアが自殺した。ハムレット自身の発狂同然のふるまいも、母の不貞への憤りがおもな原因だといえるだろう。
実際、自分はかつてイギリスの人とかなり親しくなって、かれはボビーとなのっていたのだが、アメーバピグの人で。その人の性道徳観も、まったくおなじもので、要するに清教徒思想そのものがまだ残っているというか相変わらず続いている様子だった。
この点は僕がみた、虚栄心にもとづく性悪さでいえばイギリスの人々と双璧か、もっとひどい人達のあつまりといえる山後の人々とは、まったくといえるほど対照的だった。真逆といってもいい。性道徳をまったくもっていないか、それを否定することが最高あるいは当たり前とおもっている山後人は僕がみるかぎり、単なる東洋主義をこえて、明らかに驕れる極東の未開人だといえるだろう。対して、イギリスの人々は、たとえば自由恋愛の点だと遥かに進んでいるともいえる隣国のフランスと比べてすらあるいは星中の単位でみて現実には余りに極端な一夫一妻主義だけの性道徳を狂信している人々がいる、ともいえるが、少なくとも貞徳を尊重しているという点でいえば、充分文明化されている、もしくはキリスト教的に教化されている、といっていいだろうとおもう。
僕の茨城県は以前から武士道の社会だ。そしてこの道徳律も、儒学の要素を思いっきりとりこんでいる様に、山後よりイギリスの方によく似ている面がある。忠誠を一つの徳目とみる点、また良識を重んじる点。さらに尊王や徳政を重んじた家柄でよくしられ名君と仰がれる水戸の徳川家の面々がその典型例だったのだけども、貴族義務が当然と考えるという面もかの国の倫理観にそっくりだった。性道徳でも、良家間の婚姻を前提とした一夫一妻が自然という点でおよそそっくり同じだ。お見合い社会があったという点だと、どちらかといえば我々の方がかなりおくてな気がするけど。我々の社会もきちんとした美風が前提で、自分が見聞きしたり会話したりした南関東、中部、あるいは青森や北海道、西日本の人々とはとても落差があった。我々の方が風紀がよいのである。この点は、寧ろ我々はイギリスの性道徳観と似ていた。そして、この美質は保たれるべきなのではないか、というのが今の時点での一つの見解だ。イギリスのひとびともおよそまちがいなく、大陸旅行したときに似た事を感じた筈だ。
茂木健一郎は母方が佐賀やら北九州から出てくると、父方は群馬と動画でいっていたが、埼玉で育って東京に現れ、物の哀れを大宣伝している。つまりイギリスかぶれのくせに、山後式の不貞社会を礼賛してきている。その割にご都合主義で、芸能界の不貞な人々、具体的には乱倫事件で追放された松本人志氏のな、喜劇観で対立していた人物へは不貞の観点で擁護をしないし、眞子内親王と小室圭さんの恋愛関係へは長らく嫌がらせの言動をしていた。この種の心理病質的な歪みは茂木氏の言動の随所にみられるのでいまさら指摘するまでもないのだが、ここでは、とりあえず彼の様な物の哀れ推進論者は、自称天皇一味の性犯罪を正当化してきた、単なる西日本の蛮族にすぎないということだ。その不正のごりおしがいまにいたる天皇家の傍若無人な無法者ぶりをもたらしてきた。天皇を擁した西軍や彼らが中心となってつくった大日本帝国軍の性道徳のなさという点での国際的悪評も、茂木氏の様な、主に西日本出身で、不貞を理論的に正当化する人物と起源を等しくしている。
また、こうもおもう。自分はピグで最大の悪役だったといえるダークテトラド「天使」と称する悪魔と最終決戦を今年やっていたのだが、このひともどうしようもない僕が見たなかで圧倒的に最悪の人物で、結局治ったりはしないのだし、結局、その種の悪魔が偏在しているからこそ、関西地方は昔も今もああだったのではないか。嗜虐快楽目的での冤罪加害が初期設定とは、いかにも性格の悪いことでつとに知られるし現に侵略罪の加害史やら差別の文献記録やら、被差別部落問題による悪行の実例で埋まっている山後の人々あるいは関西の人々が長らくやってきたことではないか。東日本の正義の勢力、具体的には先住権をもっていたアテルイやモレ、地方自治権をもっていた平将門、あるいは天皇に忠義だった徳川慶喜や松平容保らを冤罪で陥れた天皇一派の邪悪さを後押ししているのは、根っから性悪の西日本のひとびとだ。
が、そんな彼らも圧倒的力の前では抵抗できず、米軍にひれ伏して今に至る。永久に悪業など続く筈もない。西日本の亡びは当然のことにおもう。南関東も余りに普段の行いが悪すぎる。その末路は必ずひとつだろう。
2024年5月9日
一次資料による『痩我慢の説』の一正統解釈
福沢諭吉は大分の下士として水戸学の少しも分かっていなかった。そのため、『痩我慢の説』でわかるとおり勝海舟が和睦を講じたと勘違いしたままで生きていたし、『徳川慶喜公伝』でわかるとおり、徳川慶喜が日頃の教えを含め、はたちころ烈公から直々に水戸徳川邸で忘れるなと告げられた父祖の遺訓である尊王の大義に殉じた事を、理解できないでいた。寧ろ慶喜に天皇へ恭順と説得された勝は主戦派だったのだ。
福沢に限らず、西日本の人々はおよそ例外なく水戸学とは何たるかを理解できないのであり、例えば内田樹の『痩我慢の説』の解釈(古書)がそうである様に、令和時代の今もその点は変わっていない。西軍の人々はうまれもっての性悪さのために天皇を建前に利用した暴力で統治する暴政が理の当然と考えており、そこには徳治的要素は根底に何もないのである。そしてそうであればこそ、吉田松陰や西郷隆盛らはじめ、儒学に実を伴う忠孝・愛民などの諸徳と神道の祭祀形式を一致させないとうまく運用できない水戸学の教えを表面だけ勘違いして捉え、悪用し、結局台無しにして今に至るのだ。
勝は福沢を相手にしなかったが、『昔夢会筆記』『氷川清話』でわかるとおり、明治天皇が慶喜公へ朝敵冤罪からの和解を申し出て、その帰りに勝のところに寄った折り、勝は慶喜公を「水戸で教育された人だけあると改めて感心した。嬉しさのあまり感激して涙がこぼれた」云々と語ったよう、慶喜公が敢えて天皇と争わなかった事、その御心に忠義な侍としてこたえた事に武士の職分を立派に果たした満足を覚えていた。
この事は、不忠不義の西軍の人々には終ぞ理解できなかった事だし、福沢もそうだったのである。
以上の事は、仕える上司の心が尊ければ、その部下の職分も尊くなる事の一証である。また、使える上司を間違えた人々には、それにふさわしい末路がやってくる。
福沢は天皇に仕える将軍の部下の立場でいたのに、どちらへの忠義も果たさず、寧ろ天皇にも将軍にも逆らう行動をとった榎本武揚や西郷隆盛を同文で称揚した。その上、松陰や西郷、板垣退助らが主張した征韓論と同一歩調を彼の「時事新報」新聞紙面の論説『脱亜論』でとったために、思想史の局面では、飽くまで対外的侵略主義者の西軍やその西軍が担ぎ上げた明治天皇と同じ汚名を国際的にまぎれなく、自ら進んで着る事になったのだ。
2024年5月7日
西軍・公家・天皇一族破滅の道義的必然
生まれ育ちの悪い人々は、他人を悪意でみる。悪意に満ちた人々を身近に置くな、関わるな。
腐敗した驕れる寄生階級だった公家は、善人を悪意で冤罪に陥れ、悉く自滅した。生育の悪い人々は、身分制度に只乗りしていても、やはり不徳のため一様に滅び去る。自称天皇一味の破滅は限りなく近い。
悪徳を帯びた人々は、悪徳の国々を作る。
西日本の人々には一般に、侵略罪を反省する能力、他者への共感や理解の能力が低く、侵略戦犯の過ちを繰り返す。また姦淫罪を美化する『源氏物語』をその作者ごとほめちぎる様に、性道徳が元々殆どといっていいほどない。この為、悪業の実例をばらまいて驕る。
匿名で悪業を積み重ね、正義を貶め、不正を愛する人々は、そのおこないの為に世界の悪例となって自滅していく。不徳な人々に未来はない。また少しも幸福になりえない。悪しき人々に関わるな。彼らは世界の悪例となる為に生存しているが、人に備わった道徳本性の働きによって、一様に亡びる日は近い。
悪魔との戦
性悪な自称京都人が幾ら差別的で邪悪でも
いつか彼らは一人残らず絶滅して
善良な被害者は救われるだろう
永遠に続く地獄の山奥はない
性悪なイギリス人が幾ら傲慢で不躾でも
いつか彼らは一人残らず絶滅して
善良な国々のたみは救われるだろう
永遠に続く悪魔の島はない
性悪な自称天皇と東京人が幾ら破滅的に最悪でも
いつか彼らは一人残らず絶滅して
善良な田園地帯の人々は救われるだろう
永遠に続く悪行の宴はない
たとえ本のわずかであれ
極悪人どもに打撃を与え続けよ
必ずそれらの努力は実を結び
悪魔どもの絶滅に繋がるから
2024年5月6日
宮内記者会・宮内庁の共謀による皇室情報統制による世襲最悪天皇独裁体制への帰依
国税から借金を返済されさっさと亡命されているのに
まだ宮内庁の情報統制による偶像崇拝だと気づかない
明らかな愚民は北朝鮮の人々と思考の質が変わらない
日本国の致死的癌
卑しい西日本の人々が「上皇様に院宣をお願いしないと」などといいながら国政の権能を侵害しつづけてきている無法者・自称上皇明仁の権威を笠に着て 悪業に悪業を重ね続けるその信じ難い悪意の底なしさ 飛鳥時代から不正に不正を重ね続けてきた天皇恐怖主義に何一つ反省がない悪徳ぶり心根の下劣加減
原爆投下を2発見送りそのあいだポツダム宣言も受諾せず自分の家の延命を図ろうとした天皇家 史実も知らず「戦後、植民地化を回避できたのはどなたのお陰やと思っているんやろ。有難い事やで」などとほざく関西弁愚民 国内外を天皇と称する悪魔の権威を笠に着て侵略する事には何の痛痒も感じない外道
自称山所民族 ただの極悪侵略犯 その長と称する不徳きわまる自称天皇はもともと偽者で 日御子の方が先にいた真の女帝な事は文献上も出土品上も明らか 関西の山奥の卑しい嘘つき犯罪者集団にだまされる愚民はなにもかもみにくし
天皇を国家元首と称する無法者共 西軍を構成した天皇ナチストに何一つ反省などなかった 麻生太郎や安倍晋三 明仁 徳仁がその証拠だ 退位法は国政権能侵害で違憲だが 自称天皇一族を暗に絶対君主化しようとする邪教・神道勢力は人種差別教祖の自称天皇一族ともども日本国にとりつく致死的癌である
2024年5月5日
天皇からの自由
自由の精神をもつ者は、自称天皇一味に専制された関西地方に、少しも生きていられなかっただろう。東日本・北陸・沖縄・アジア一帯へ天皇一味が侵略後も、彼らをその祖先崇拝ごと神格化するこの邪教神道の悪業は底なしで、不敬罪と名づけて果敢な抵抗者を卑劣な集団暴力や脅迫で圧殺し続けてきている。
だが、不義の政体がたとえ中国の『史記』から借りた「天皇」の自称が確認できる674年から1350年間も関西地方・東京都をその圧制で押し潰していようとも、自由を求める心は天皇制ファシズムや、神道、皇室を知恵と勇気で全て解体し、その卑劣な専制体制に洗脳されている人々を必ずや救い出す事だろう。
2024年5月1日
2024年4月29日
A級戦犯逃れの大量虐殺犯一味を庇う特定渡来人男系至上主義者による人種・性・門地・身分差別邪教祖延命の醜悪な業
安倍御用学者の一残党
日本史上最悪の侵略大量虐殺を正当化しながら
散々褒めちぎってきた極悪佐賀人茂木健一郎
西日本人がやる事なら何でも美化するつもりらしい
内乱罪人坂本龍馬を英雄化したと思えば
今度は無法者安倍晋三の悪業を無謬化すべく
アベノミクスと称する戦後最貧困政策を弁護
傲岸不遜な自称皇室王室の悪業ぶりとその必然の凋落
天皇と自称する関西の野蛮きわまりない人種差別主義者によって、日本は千年以上ダメにされたし、罪なき人々がぬれぎぬを着せられながら大量虐殺され、ひたすら生きる尊厳を辱められてきた。
同じく、イングランドの侵略海賊団の長こと英国王室は、人類の罪と災厄の塊である。奴隷制と植民地支配によって世界に恐怖と搾取目的の専制政治下の貧困を押しつけ、尊い異文化を浅ましい民族中心主義で差別しながら当の自称天皇一味と進んでつるむ醜態は、最悪級マフィアとヤクザの共謀にすぎない。
道徳心の欠如した卑しい天皇家やイギリス王室をもちあげる、皇室、王室、政府、朝廷、王朝、宮内省・宮内庁などと称する差別主義の下衆どもの狂態に関わるな。
全国民の税に寄生してひたすら己の虚栄心の為の贅沢目的に他者を貪る信じ難い悪業の山の末路は、理の当然の世界最悪級の惨めな破滅だけである。
悪女の退歩性
大井川和彦茨城県知事へ傲慢にも
S高講演時に県を侮辱してきていたが
唯の悪女に何一つ進歩性などない
性別差別しているのは三浦氏の方だ
女なら誰でも尊いのではない
国税で学問をさせてもらいながら
女権濫用で風紀を乱す者は唯の悪女だ
自称天皇一味と西軍の完全廃滅革命論
東日本にとっての天敵は、具体的に冤罪をしながら無法にも侵略してきて無反省な大量虐殺犯で極悪種族主義邪教祖・独裁血族自称天皇一味と、西軍の自治体、具体的には薩長土肥京芸(鹿児島、山口、佐賀と長崎、高知、京都、広島)やその同調集団で、他ではない。天敵を完全に退治せず平和はあり得ない。
大日本帝国は憲法上唯一統治権をもつ自称天皇の独裁政体だった。この政体の名残りをもつ戦後政体もまた、退位法のよう天皇一味が独裁している偽共和政体にすぎない。
戦後政府にとりついている薩長藩閥の残党狩りを完全にやり尽くしてのち、天皇一味を完全に廃滅し初めて、日本国民による日本国民の為の政体ができる。国民国家をまだ実現していない、市民革命未経験の日本では、天皇独裁や薩長残党の自民寡頭政治が続く。国民自ら市民革命を起こし、真の近代化を果たせ。
2024年4月26日
山後排他主義
でも元々そこに住み着いた自称天皇も
百済や任那からきた渡来人末裔で極悪侵略犯
性加害自慢の趣味最悪俗話『源氏物語』で有名なやくざ仲間
善良な日本人を千年以上差別や虐殺・収奪してきて
勝手に古里とほざく陸でなしどもが
誰でも排他しているのは今も昔も変わらない
悪女亡国
誰にも悪女は救えない
救うべきですらない
不良日本女は進んで大都会へ現れ
悪しき自堕落な生活をし
次々人類界を去っていく
悪女をふやすな
悪女に善意を示したり
少しも妥協して道を譲ってはならない
悪性者にはそれにふさわしい末路がある
悪女で満ちた日本国は亡ぶ
うぬぼれと努力
下らぬ電子遊戯でどれほどカネを貪っても
人種・民族・地域差別をばらまく自称首都は
クモの子を散らすよう散りぢりに消え去る
だがまじめに勉学を続け
高貴な義務を守り
子供の頃から挫けず努力を続けた人々には
やがて当然の報いがくる
低俗な人々から好かれ少しも喜ぶな
西日本勢による侵略罪の断罪とその必然の末路
悪しきおこないには悪しき結果がくる。侵略帝国主義によって、東日本や北陸、東アジア一帯で大量虐殺をしていた極悪西軍の片棒を進んで担いだ広島には、対立した連合国から原爆が落とされ、無反省の蛮行を繰り返す人々が大量にころされた。岸田文雄はオバマに拍手され、原爆をもつ米国の侵略戦争を煽る。
西軍や自称天皇一味に与する西日本の人々は総じて、侵略戦争で他者の平和な暮らしを侵害し、世界中へ不幸を増産する為に生きている性悪の極悪人集団である。このため侵略帝国主義へ少しも反省する知能がない。また他者の主権を尊重するつもりが少しもない。他者の文化を貶め、粗暴な差別にうぬぼれきる。
野蛮な大量虐殺犯・自称天皇一族やその片棒を担ぎ侵略戦争に驕り高ぶる西日本の人々は、植民地主義や奴隷制で世界史に悪名高い欧米諸国と同等以上に悪い。あしき欧米主要国に寡頭政治されている国連は、西日本共々世界の人道をよごし、罪なき人々を虐殺する米軍の手先を買って出る悪魔の手先にすぎない。
根っから心の悪い人々と、少しも関わるな。西日本も欧米諸国も、自称天皇家もろとも呆気なく滅亡する。くりかえされる悪業は彼ら自身の底知れぬ不幸をもたらし、生存を恨ませるだろう。
極悪の自称天皇家は浮雲より儚い。侵略罪に驕り散らす、冤罪自慢してきた西日本は、どんな人道もなく惨めに亡ぶ。
日本最下位の衰退度自称京都文化の潮目
日本最下位の少子化で衰亡していく
悪風に見習うな
世界中の人々が芸者と俗坊主
下らぬ金儲け電子遊戯に騙されるほど愚かではない
この世では一部の人々だけが愚かだ
関西地方が自らの悪習で滅び去ってのち
まるで潮が引く様
立派な文化をもつ人々が誰かがわかる
民族と行い
大阪系の人が東京で騒ぐと野蛮だという
ところが秀吉や自称天皇が朝鮮や中国で
大量虐殺を犯しても叩かない
民族主義者の考えは心底でたらめだ
関西に多い遺伝は中国黄河流域からきた
単に別れて暮らしているだけで
元は同じ集団だった
民族ではなく行いが問題だ
安倍派の業
次は何位まで落ちぶれるやら
世界最下位で何の疑問もない
統計改竄までしてこの無様
やることなすこと卑怯者
息を吐く様に嘘をつく
西日本ではお決まりイケズな濡れ衣攻撃
性悪どもの自滅劇はまことにみじめ
籠池夫妻にいつ謝るのだろう
裏金安倍派どもは
外国かぶれ関西地方の末路
昔の中国や天竺かぶれもそんなだったのだろう
自称天皇がその末路
今もってしても僭称京都はみじめだ
奈良は中国風行列を金なくてやめた
あれだけ威張り散らし
全国で連続殺人罪を人種差別しながら誇り
犯人をミコトと抜かすヤクザぶりだったのに
外国かぶれは情けない
西日本の永久罰
世界最悪の公害を起こし
少しも収束の見込みがないのに無反省で
難民差別しながらのさばる
原発推進右翼は唯の人でなしだ
西日本は確実に滅亡する
金欲しさには大量に人をあやめ
人々を不幸にするのをなんとも思わない
生物も自然も何十万年も汚染し
なおも金を欲しがる
そんな西日本の人々には永久の罰がある
良心なきSNS会社
芸能人に媚びて一般人を馬鹿にしている
企業体質だから治らないと思う
芸能人詐欺広告提訴では不十分で
人々の不幸で飯を食う会社と
もっと世界中が知るべきだろう
ツイッターもろくなものではないが
メタのサービスはそれ以上だから
良心は何も期待できないのだ
京都の差別自己解体論
人類は愚劣な性悪どもと連れ立って幸せには決してなれない。
京都市民一般は、初対面で差別的言動を当たり前の様にし、被差別部落扱いで特定の人権侵害被害者の少数集団を冷遇し平気でいるなど、道徳的民度の低さ、意地悪さでは人類界でも全く傑出している。
イギリスと京都市がこの点では自分の知る限り双璧だしその種の差別を伝統文化と言い繕っている点でどちらも、明らかに人権未開の最悪級風土というべきだ。
悪質な差別主義集団のうち極東側が悪政で自壊しているのは人類の良識と、幸福に関わる文明の望ましい展開にとって、全くの朗報といえるだろう。元々自称天皇一味と一緒に、朝鮮半島を荒らして亡びた百済・任那から島流しになった流刑民集団として、この京都市をつくった先祖は日本列島にとって端から移民であった。この事実は遺伝地図でも確かめられている。そしてこの流刑集団が全国を荒らし回り、大量虐殺など大蛮行を続けてきたのも史実である。
朝鮮半島を荒らした果て日本列島へ島流しにされた。日本列島だけでなく、アジア一帯で大量虐殺して回り、挙句、米国のニューヨーク州へ逃げた。これが全国民が監視する中で発情目的で借金を踏み倒そうとした眞子内親王に繋がる自称天皇一族の行動だ。無法者の系譜は相変わらずで、一族蛮行史ばかりなのも頷けるというべきだ。
世界でも最も急激に衰退し、滅亡していくのが自業自得だとすれば、我々人道と良識をもつ者は京都市と称する無法者の流刑地が外国資本に自己解体される事を心から祝福すべきだろう。自滅により関西地方の古代から続く闇の一部が浄化され、百済・任那系移民から1230年近く続く差別の悪風が解消されるなら。
山後保守主義の否定
コロナ禍の最中にロックフェスを強行しようとはかり
大量虐殺を狙っていたのはただの事実だろう
医師会が注意喚起していたのに逆ギレしていた
そのとき京都のロックファンが医師会を脅迫して
警察に逮捕されていた
金子勇がP2Pを開発したからと
まるで道具を作る事自体が罪かの様
日本のITを千年は遅らせたのが京都府警と京都地裁だった
金子は最高裁で無罪になったが
実際その後も日本初の情報技術は次々潰され
一つも世界で採用される事はなかった
著作権は米国にずっと遅れて
いまだにフェアユース規定がない
諸々の事態をみるからに
京都の保守主義は国の根幹で進歩を阻害する要因だろう
未成年の舞妓を京都が人身売買していると
桐貴清羽氏が暴露している事は
恐らく高確率で事実ではないか
前から似た様な事が遊郭内ではあった
保守的な京都ならそれを継続している筈だ
人身売買罪は文化でもなんでもない
頭の遅れた人々に関わるな
時代についてこれない平安時代のままの集団では
いまだに洛中洛外などと中国のまねをし
自称上京区から外の人々を差別して平気でいる
わざわざ説教して性悪が変わるでもない
元々性格が悪い人というのがいる
思いやりのない害他的な生き物は
人が嫌がる事を喜んでするものだ
天皇と関西地方の小中華思想の起源
京阪出身川勝平太氏の利己性は、「近畿」「上方」「畿内」「京都」などと称し中華皇帝制をまねつつ、自民族を種族主義で神格化するなど、関西地方に漢民族と類似し凡そ共通してみられる特徴だが、『晋書』『梁書』で呉の太伯の子孫と称していた様、関西人一般は実際に中国と遺伝的・文化的共通性がある。
劉暁渓らによる2024年の『全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴』*1で明らかになっているのは、天孫降臨と称し関西地方へ侵略しのち天皇と称する一族が元々住んでいた地域が、神話の高天原ではなく中国の黄河とその上流域にあった事である。
現実には遺伝の方が確かな証拠なので、関西人に多い遺伝の先祖は、中国の黄河流域を下ってきたのだ、と考えていいだろう。同じく、天皇と称する事になった一族の先祖も、古代中国の黄河流域の人だったのだといえるだろう。
現実に、関西の人々独特の小中華思想は中国模造文化を日本で作り上げたのだ。
―――
参考文献:
1) 『全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴-ネアンデルタール人・デニソワ人の遺伝子混入と自然選択-』2024年4月18日、理化学研究所
(原論文 "Decoding triancestral origins, archaic introgression, and natural selection in the Japanese population by whole-genome sequencing" Xiaoxi Liu, etc. 2024, Science Advances.)
2024年4月25日
子供搾取からの救出の為の任天堂打倒論
特に貧しい家の子供が任天堂のせいで差別されるし、完全に人類をダメにした会社の第一分類に入る。ない方がいいのは間違いないと思う。
金が儲かるからといって、子供を下らない娯楽でダメにして良いとは全然思えない。実際ろくでもないゲームで洗脳された京都は日本ごと亡ぼしてるし自業自得と思う。
ちなみにファミコンから色々やってきて、なおもそう思うのだから、本当にろくでもない下らない、ない方がいい会社という事なんだろう。京アニもそう感じたけど、任天堂も大概の気がする。なぜそんなに子供を大抵ダメにするだけの下らない娯楽を褒めちぎる衆愚が威張るのかと言えば連中も下種だからだ。
僕が色々やった中で一番嫌いなのがスーパーマリオ3だ。今もあの海中の音楽とか思い出すとイライラするし。まぁ小学生の頃だったから普通にやってたけども。僕は宮本茂のゲームは子供騙しで下らないと大人になって悟った。アクションゲーム自体が、下らない反射神経の遊びにすぎない。チンパンジー向け。もしプラトンが生きていたら、講義で真っ先に任天堂追放を唱えたと思う。そしてそれは子供を退廃から救うという意味で、大正論の気がする。大人に挨拶もできず、ずっとスイッチを見つめて友達と外で遊んだりもしない今の子供は完全に終わってる様にしか見えない。任天堂が全て悪い。悪の会社だと言える。
特にろくでもなかったのはスーファミ時代で、カセットのソフト1つが1万以上2万円近くした。馬鹿げた価格だったし、マシリトもキレてたが完全にぼったくりで、子供を騙して親からふんだくっていた。ソニーのおかげだ、ソフトの価格破壊が起きたのは。FF 7もスクエアもいじめられたし任天堂はヤクザだ。
はっきりいって、任天堂を良心的企業と思い込んでる新入りは、完全にゲーム素人に違いないと確信できる。ずーっと前からヤクザと本当に思われていたし、それはゲーム供給側の独占的地位を使って、法外な価格設定でおもちゃ屋をいじめながら子供を騙してボロ儲けしてきたと皆表も裏も知っているからだ。僕は子供の頃、姉が買って貰ったファミコンから最近姪っ子がやってるスイッチまで殆どの任天堂コンシューマー機は乗り継いできて、特に小学生時代はファミ通やVジャンプすら凡そ全部読んでいたけども、一度も任天堂が良識派と思えた事はなかった。独占企業にすぎない。しかも態度が悪い。特に開発側へ。
ソニーが久夛良木健氏とゲーム機に参入してなかったら宮本茂一派はもっと威張り散らして、価格だって無闇に上がっていて、買って貰えない子供はもっといじめられていたに違いない。前から任天堂は本当に酷い会社だ。バーチャルボーイすらもってた僕からしてもだ。サードパーティしかソフトでは有能じゃない。ゼルダを神あつかいする人らは夢を見る島ゲームボーイ版のどろぼーネタで傷ついたり、64時のオカリナを本当にファミ通満点みながら嘘だろーと思ってやったらハイラル平原へ初めて出る瞬間には当時大納得したりしたのだろうか? 多分してない気がする。どうせスプラトゥーン世代が何にも知らんで過剰評価。
まぁとにかく、任天堂はヤクザだという事はおもちゃ屋界でもサードパーティ側でも基本常識だったという事を自分は長らく観察してきて、PSが革新起こした瞬間に野中君ちでリッジレーサー1やりつついあわせていたし、今もスティームがそうしてるのをみてるけど。褒める意味わからん。言ってみれば、任天堂のゲーム界ポジションはマイクロソフトみたいなもんだろう。独占禁止法に抵触しないのが意味わからんという状況でひたすら調子乗ってライバルをいびり、PS派をいじめ今に至る。最近はIP稼業に手を出し安倍晋三とつるんでマリオぶって五輪招致とか物凄く印象が悪い。もう僕は嫌いだ。
確かに家庭向けコンシューマー機を普及させはしたが、それは同時に日本人の子供を凡そ根こそぎダメにしたともいえる。任天堂さえなければ、日本国は今ほど没落してなかったかもしれない。ゲームばっかやって少しも気概がないゴミだらけになったなんて全て京都勢が悪いのだ。所詮は博徒の花札メーカー。京都新聞が任天堂をいびられると発狂してるのは、税収が傾くから、或いは外聞がいい会社だと思い込んでるに違いない。でも僕みたく自分でゲーム作る側ですら冷静にみて、前から独占的地位でろくでもないと考え、任天堂を倒すのを大義にしてきている。基本、ゲーム開発が正攻法でゲーム批判が奇道だろう。
僕は心の友のみきさんにいわれた。親にDS買ってもらえなかったから、友達にいじめられたのだと。だから自分は任天堂を倒す義務がある。それは正義のためなのでやむをえない。子供を家庭の貧富で差別させる様な商売はなるだけ早く廃れさせる必要がある。任天堂が子供をダメにしてきているのは間違いない。
自分は荒野行動や原神にはとても注目していたし荒野に限っては相当やりこんだ。どちらも中国勢が非任天堂系の環境で任天堂に勝った瞬間で、任天堂機経済圏に摂り込まれもしなかったので歓喜だった。やっと日本市場でもソニー以外の猛者が現れた。セガはサターンは良かったのにドリームキャストが残念だった。
任天堂信者は、良識派にとって完全に天敵とみていい。これがゲーム史を振り返っての偽らざる真実と思う。特に希望が大きいのは中国勢だ。実際やっての感想は独特の雑さもあるが、任天堂系よりずっと現代的で子供に害が少ない気がする。おそらく中共の教育的年齢制限があるせいだ。中国勢は今や頼もしい。
ソニーだけでは任天堂の牙城を完全に攻略しきるのは難しかった。信者を駆逐するには、やはり中国企業級の開発規模と才能の集積が必要だった様子がある。欧米市場の様子でも、Xbox が健闘しているので意外な伏兵で任天堂勢は不利な戦いをさせられている。海外市場を奪えば、少子化で最後の国内決戦だ。宮本茂の余命も長くはない。宮本頼りの面がある任天堂国内市場占有率や需要を、競合商品や奉仕で一つずつ着実に奪っていくのが重要に思う。少子化もこの際使える。グリー、DeNA、サイバーエージェントらの貢献もあった。だが決定打ではない。常に敵の動向を確実に掴み、子供を任天堂の搾取から救出せよ。
偽京都の悪政
自称洛外の立派な徳をもつ人々へ人種差別
それが関西地方古来のにせ中華思想
洛中民族中心主義は舞妓の訴えを無視
子供人権侵害を外人ぐるみで伝統と称し人買い業
行政公認人身売買・性売買罪が無形文化遺産扱い
自称文化首都の悪政は底なしだ
驕れる山の後ろは久しからず
史実教育否定論者
ある時ある山後人が言った。「歴史を教えないべきだ」。彼は恐れていたのだろう。関西地方の史実が余りに邪悪で余りに悪質、人種・民族・身分・地域などあらゆる憎悪犯罪の山で、罪深さをしればしるほど京都と自称している文化は酷いと皆が悟る筈だと。
日々の悪業からは結局、逃げられないのだろう
インスタ映え一見旅
富士山を望む五重塔撮りたさに飛行機で大挙
京都の町中は一見さんでいつも一杯
あの坂道を舞妓が歩く姿を絶対撮りたいのだ
どの哺乳類より人と称する生物の方が遥かに鈍重で
「日本は凄いわ!」とぼったくり価格のぶぶ漬けを何も知らず喜んで食べはる
2024年4月24日
日立文明の独歩論
僕はあんなに性格が悪い人々が大勢生きているなどとは、全然知らなかった。それはインターネットではじめてわかった。特に、西日本の人々は完全に異国や異民族といえると感じた。余りに性格が悪いし、民度物凄く低いと感じた。
実際僕は自分の地元がそんなに民度が高いなんて全然思っておらず、どちらかといえば外国にはもっと立派な所が沢山あるんだろうという風に感じていた。しかし、現実はまるで違って、むしろイングランド北部のニューカッスルの人にこういわれた。「君は日本からでない方がいいよ」、と。その意味する所は、僕が思うより遥かに地球社会は民度が低い筈だから、という事の様だった。もしかすると実際そうなのかもしれない。
少なくともイングランド自体には、確かにそう感じる面が色々散見された。けども、西日本だとか南関東だとか、中部だとかははいうまでもないのだが、あるいは東北の一部だろうと、北海道だろうと沖縄の一部だろうと、また群馬とかにも、少しは似た様な感じを受けた。
僕の生まれ育った北茨城の文化と最も近いのは、水戸や日立、あといわきだろうし、栃木にもある程度似たところがあるのかもしれないのだが、大体、やはり旧水戸藩といわれる領域、つまり、茨城県の中北部の文化といわき市の文化というのが一番自分のそれに似ていると感じた。あたりまえといえばそうなのだけども。大体、自然というか気候が、子供の頃から住んでるからもあるとは思うけど、ここが自分には一番心地いい。総じて涼しいし、どの季節も快適だ。しかも自然がとても繊細でうつくしい。
自分はそれでも、僕の所が世界一の大文明だとは、基本的に思っていなかった。明らかにひどいと思える事も色々経験したからだし、必ずしも理想郷だと感じたわけでもない。しかしながら、総合点だと、なんとここが世界一なのかもしれない。特になにが優れているかだけど、特に道徳性なのかなとおもう。水戸市が一番立派なのかもしれない。一つの理由は、水戸の徳川家がそれだけ偉い人達だったのだろう。領民がそう思うだけのものはあった。現にそうだとおもう。徳治主義を本気でおこなって、実際に成果があり、住民にその気風が伝染した。だから、僕らが外の社会にでてみると、みな僕らより不徳な感じの人々ばかりで呆れてしまう事になる。日立の国の最大の長所が道徳性だとすれば、その点をもっと伸ばす様にすべきで、失うべきではないのだろう。
外国人観光客とか、素人が多くて、何もわかっちゃいないのだとおもうのだ。僕は何度か山の後ろの国こと京都と称する観光客に大人気のところへ行ったけど、やはり余りいいところとは思えず、むしろがっかり観光地と感じた。下品だからだ。寺って飾る様なものじゃないだろう。歪んだ三流仏教を有り難がる外国人は無文化といっていいとおもう。僕は民家のおもむきでパルテノンの様な古典的構成をもつあの立派な佇まいの佐竹寺に一番感動した。それはたまたま僕の県にあったのだけど、ひいき目に見ているのでは決してない。仏教精神かくあるべし、という一つの模範解答だと感じた。釈迦は民衆の間にきて、単純なことばで彼の悟った真理、あるいは解脱思想を説いていた。寺って、その場のことのはずだから、民衆の心の拠り所として民衆の間にあるべきで、豪華に飾ったり、装飾に凝ったりは、どれも俗坊主の腐敗宗教の証にすぎず、その点で、山後は全部がダメで落第点だと感じひとつも感心できなかった。
ほかの点でも、はっきりいって悪趣味さが感じられ、精々中国のまねだなと感じた。総じて、山後は住民にも街にも性格の悪さが感じられるし、俗物根性の証ばかり自慢されて、嫌な感じがした。そのくらい、僕と山後は相性わるいのではないかと感じる。もう2度と近づかないことにしているのだけどそれでいいのだとおもう。
僕は好みというのはその人の品性を示す、かなり重要な世界の要素だと感じているが、こと山後が好きだとかいっている外国人とか、日本人もだけどその時点でかなり激しく軽蔑感を感じるので、一切かかわらないか取引せず、距離を置く様にしているけども、それは、山後の住民があまりに悪業三昧しているのをあまりに多く見かけた事があるからが一番大きい。自分も一被害者だ。しかも平安時代の文献をちゃんと読むとなおさらそう感じることになる。本当に陸でもない人々が、僻地に移民してきてしまい、そのままあの意地悪地獄を千年以上も偽中華都市だと抜かしてきたのだから、それは性格だってそこに長居すればするほど歪むだろう。近づかないにこしたことはないのだ、人権のない貧民窟なんて。いまの京都市内ですら差別をしあっている。民度が極端に低い。話にならないというべきだろう。
色んな西日本の人々と会話したのだけど、ネットでが多いが、はっきり言ってどこも茨城県に比べて大分民度が低い様に思われた。そうである以上、僕の県は特に西日本とつきあう必要はないのではないかとも感じた。一々、同じ日本へ編入されてしまっているからといって、まぁそれも水戸の会沢安さんの『新論』での国体構想によるのだけど、日立は単体で充分立派なのだから、その点で、独立して孤高でいるべきなのではないかと思う。
今後は、僕自身も極力頑張るけども、外貨を稼いで、これまで以上に日立の文明を高める事にすればいいのだと思う。
種族主義的ひいきの否定と人格の尊厳
少なくとも政府が為替市場で円安誘導など、為替市場の額が膨大すぎてできない。与太話の類を経済素人の為になどと言って、しったかぶって信者を焚きつけていて悪質だ。
麻生太郎も財務大臣時代同じ趣旨の発言をしていた。自分もそう思う。ドル円市場は2019年ころ1日で700兆円近く、日本の2018年ころの年間国家予算の約7倍もある。どうやって動かすというのか。オベールという人はどうも政府をFXトレーダーだと思っているらしい。経済音痴とみる。
また米英側は地球を植民地主義で荒らしてきているのだから、日帝がそれに抗ったのはただの国際常識だ。一般の他国もそう扱ってくるし今更言うことでもない。
イギリス中心主義なり英連邦中心主義は暴力に驕るただの間抜けというべきだ。世界はBBC級の英語圏より遥かに広い。世間知らずの日本観は浅い。
多分ニュージーランドかどこかの人だった気がするが、特にXへ進出後その民族差別的言動は余りに目に余る様になったと思う。はてな界隈にいたみたいだった頃一瞬だけ見た事があるけど、正直な話、学はとりたててあると思える質ではなく、ハーフだからと持ち上げる連中の気持ちは自分には全然わからない。
彼に限らず、自分は匿名ダイアリーの陰湿さにうんざりしはてなという京都のイケズ会社には一切関わらない事にしてるが、正直はてな勢は物凄くたち悪い気がするので、彼は常識が歪んでるのだと思う。レイシスト信者に囲まれ色々勘違いして遂には歴史歪曲主義に陥ったのだろう。侍精神が理解できないとは。
関西地方の民度は、この件でも明らかな様に酷く低い。イギリスのハーフがいう事がでたらめでも人種差別で崇拝してしまうらしい。下卑た連中だ。その調子だからあしき天皇の邪教やら制度やらを作り上げ、いまだに少しも疑ってかかれない人だらけな上に、いつも誰かを差別して被差別民扱いし出すのだろう。
関西人達は以前は朝鮮の人々を散々もちあげていたが、途中で手のひらを返し差別しだした。イギリス人ら西洋の人々へも必ず同じ事をするに違いない。
東日本は関西人伝統のその種の民族差別の悪習には少しも見習うべきではない。人種主義は醜くまた意味をなさない。人は種族ではなく人格によって尊い。
自称天皇一族郎党・西軍残党の米犬徹底征伐論
とかく薩長閥やら西軍やらの残党は米国の犬を買って出るあからさまな売国仕草しかできない 特に酷いのは鬼畜米英と明治政府で散々煽っておいて残留孤児やらを西軍が無理やりつくりだした植民地に置き去りに 自分達だけ逃げ帰ってきて 戦後も相変わらず米国諜報を買って出て政界にのさばっている事だ
士族反乱は主な西軍の地元でも多数派は明治政府の卑怯で陰険なやり方に反対だった証だ 大体小御所会議では東日本勢は全員排除され 薩京芸の根っからの性悪どもが勝手にその後の今に至る米国犬となる道を全国へ押しつけてきたのだ みよ 薩摩閥大久保利通末裔の麻生太郎と広島の岸田文雄の二重基準を
西日本の人々は少なくとも侵略被害者の沖縄を除けば総じて一連の西軍による米国犬政策を最善策かの様に言い繕っている だからこそ土佐閥の政商岩崎弥太郎がつくった三菱財閥の残骸に武器輸出させ 世界中の不幸で自分だけボロ儲けしようと坂本龍馬なる死の商人を必死で美化する 実に醜い悪人の集まり
ここ150年ほどの西日本勢の悪性の山は誰の目にも明らかだ 麻生は岸田と同じ政党にいながらトランプとも裏で手を繋ぐ卑怯ぶりを少しも恥じる気配はない 万事この調子 長州閥安倍晋三がやらかしていた違憲立法の最中も隣でふんぞり返っていた 福岡炭鉱成金の道義は鹿児島の下士の品性と変わりがない
天皇一味の下種加減は最早誰にも隠し立てできない 国政権能を侵害し勝手に退位し上皇とほざく無法者ぶり だてに何千万の無実の人々を自分の強欲で大量死に強制で巻き込んでおいて自分だけ死刑逃れしただけはある 天皇皇族と自称しやっている事は借金踏み倒し仕草など特権乱用犯罪の山だ 陸でもない
米英軍と決死戦をさせたのは紛れなく天皇一味だった しかも赤紙で強制で その直後に米英の犬と化す ふざけるなとしか言いようがない つまりは天皇と称して自分達だけ贅沢しながら無限馬乗りしたいだけの関西人の屑にすぎない それが東京と称し干潟の埋立地で米英と手を組んで談笑している間抜けさ
西日本の人々は百年二百年の単位で見返せば実にその場限りの蛮行しかまずしていない 今もそうなのだ 温故知新と孔子が言った 米国犬をやっていざ戦になったらまた全国民を犠牲に天皇一味だけトンズラだ いつもの宮内庁作文を信用するな 最早京都人イケズの極みが何をしても誰も信用してはならない
関西人は自称天皇の不徳な屑を驕り高ぶって威張り散らし全世界へ押しつけてきた ただの長安のまね 中国やら欧米やらへの劣等感がなせるわざ 根っから発想が卑しい 差別主義者の集まり関西地方では他人を差別する事で自分が差別されないと思う 自称天皇ら含めその性悪ぶりが全く卑しいだけなのだが
竹田恒泰氏をみよ 天皇一味の実態が彼ほどはっきりわかる人物はいない 続けて眞子内親王の今の姿をみよ いわくつきの人物とジーパン履いてニューヨークで好き放題生きる 宮内庁職員の苦労が忍ばれる話ではないか すまじきものは宮仕え 形だけの制度など完全に人道に反するのは衆目一致で明らかだ
竹田氏の様な人を関西人は後生大事に崇め奉りその男系至上主義の下劣な人種差別教義に完全に洗脳されてきている しかし断言してもいいが 東日本人で竹田氏より人格の劣る人物を見つける方がよほど難しい 一体誰があれほど嘘の歴史を捏造しながら人種差別や民族差別を公然とばら撒き続けているという
神道は人種差別の邪教だ その特定男系至上主義教義も当然何一つ尊重する余地はない みるからに下劣な公家の腐った親玉など真っ先に処刑され当然というべきで 現実に安徳天皇を海に沈めた源義経軍は全く正しかった いやそれでは足りなかった 一族郎党本拠地の山城や大和自体を灰燼に帰すべきだった
勝手に天皇と称する唯の人種差別の邪教祖によって その後のアジアでは数千万人も戦争犯罪の被害にあってしまった 自称京都人の性悪さの極みが自称天皇一族とみれば当然の末路だった はじめに抵抗する方が易しい 平安時代でも既に遅すぎた 飛鳥時代の時点で自称天皇一味は完全に滅ぼす必要があった
米国には期待できない マッカーサーはただのトルーマンの犬だ そしてトルーマンは悪の本体には触れなかった 西日本の闇が生み出した魔物がその差別主義の頂点に位置する自称天皇一味だったのに 当のラスボスを見逃せばまた始めからやり直しになってしまう 存在の根ごと一掃しなければ埒があかない
関西地方は人が住まいえぬほど壊滅的衰亡すべきである 神道の施設があちこちにあり天皇陵をもっている限りそこが邪教復活の拠点になってくるのはいうまでもない 大体が関西地方人の性悪さが中華皇帝もどき制度の原因だ 源義経を先例とし ひたすら正義を貫いて邪悪な天皇一族浪党を完全に滅ぼし去れ
西軍残党どもは平家の落人の様なもの 自民党もまた平家一門の様なもの 驕れる者は久しからず 西日本勢がどこに逃れても一人も許すな 自称天皇一味諸共全員を政界から完全永久に滅ぼし去るまでひたすら攻め続けるのみ 世界海賊団米英の蛮行を終わらせるには西日本の米犬どもを壊滅させる必要がある
瀧波ユカリ・茂木健一郎・ひよこ一派による大吉原展弾圧の一総括
過去の時代の歴史の一幕を何らかの意図で描写したとも考えられる絵を、彼ら歴史歪曲主義者らは自分の理想論で撤去させようとした。それだけではない。ひよこら茂木一派は、瀧波ユカリという北海道からでてきた煽り悪魔と一緒に、Xで必死になって、彼らネオナチの価値観にそぐわない絵の文脈をかえさせようとしたり、展示自体を中止させようとはかった。しかも周囲にいた人々へ口汚く名誉毀損や侮辱をくりかえし、自分も被害にあった。
米英人一般の世界中での傍若無人ぶりは今に始まった話ではない。アフリカの人々を奴隷にしながら米国大陸やオセアニアを民族浄化の大量虐殺でのっとり、インドや清を植民地化し、遂に日本にくるや政府に無断で横浜に領事館を置くと、大名行列に割り込んで生麦事件を起こし、鹿児島を砲撃して潰した。日帝が人種的差別撤廃提案をすると米英は拒絶した。第一次世界大戦後の国連での史実だ。その後、米英が主導して原爆を開発・投下し、日本人を大量虐殺してきたのはいうまでもない。戦後はBBCからJ-pop一切を異文化蔑視的文脈に置き、バンクシーと称する器物損壊罪人を茂木一派とほめそやす蛮行加減だ。
沖縄が県民投票で、米軍辺野古基地は邪魔だといっているのに全然どこうとせず、寧ろオバマが自伝で手ごわい相手だったなどとルーピーを称する始末だ。だてに広島の式典で拍手しただけはある。その時、形だけの反米政略かもしれないが、プーチンは胸の上で十字架をきっていた。米英民族中心主義は下劣だ。
少なくとも茂木やひよこは唯の白人至上主義者さもなくば米英民族中心主義者の一種だろう。そのため日本人へ初期設定で人種差別をしており、米英側の春画や遊郭の浮世絵展示は弾圧しなかった。東京芸大美術館がやろうとした途端弾圧した。それが意味するところは、茂木やひよこはレイシストだという事だ。
次に瀧波という人物だが、ユーチューブに出ていたのでよく観察した所、この人は唯の陰湿な権力志向の漫画屋だと思われた。それで無学にも色道の存在を知らず、文化人類学の視野を全くもっていない江戸・明治文化ど素人なので、『鬼滅の刃』善逸による遊郭賛美やら遊郭内へ禿就業やらは全く非難しない。瀧波はX衆愚を扇動し、女性主義を明らかに乱用して、表現自由権を自分のわがままで弾圧しようとはかった。それに同調してきたのが専門外の人文学へ素人未満の低能さしか期待できない茂木や、無教養で不躾な人権侵害犯でセラピストをするひよこらネオナチだったのだ。彼らは元々絵画史へ関心は全くない。
これらの野蛮人達は、絵画表現の自由について何一つ知見もなければ、そこに描かれた内容を理解できるほどの知能も何も期待できない。『源氏物語絵巻』は皇族特権乱用で強姦被害にあう女性らが描かれている。ではこの関西人が国宝と称する陸でもない絵を、彼らはなぜ女性主義の観点から撤去させないのか。茂木、ひよこ、瀧波らは、そもそも高文化的理解力、殊に美術に関する真っ当な知見といったものが凡そ何もないに等しい上に、過去の作り事を、現実の史実と混同している。浮世絵に描かれた平面美術の技術的・美学的議論は、遊郭の史実自体の考察とは本質的に別のものだ。どちらの為にも絵の展示は有益だ。
茂木氏は嘗て、津田大介氏が愛知県で行う公的展覧会の限界に挑戦したとも解釈できるあいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展」へ、コメディと称し、その企画を小馬鹿にする様な事を自身のユーチューブでいっていた。だが、今度は茂木氏が表現自由権を侵害する側に回ったのは日本美術史の皮肉である。
子供向けに遊郭を美化する事と、大人向けに過去の歴史的絵画を美術として過去の遊郭での美意識や公娼への現代的考察を含めて展示する事と、どちらがまともだろう。自分がみる限りは確実に、『鬼滅の刃』は極悪下劣だが、「大吉原展」は企画自体が間違っているわけではない。みる側の民度の低さが問題だ。Xが起点になっており、殊に悪徳漫画屋・瀧波による放火と、その後に続く人文素人の茂木の煽りやその悪意あるネオナチ系自由権弾圧に乗って無関係の唯の絵描きの僕を中傷してきたひよこ、といった流れの「大吉原展」炎上なる一連の大公害、多重人権侵害問題が発生したのは、全て東京人の低民度が原因だ。
元々吉原遊郭があったのは江戸の民衆の人身売買だの性売買だのといった風習の因果である。東京に改称後も戦後まで続いていた。また、現代でも、似た様な風習は都内に色濃く残っている。
つまり瀧波・茂木・ひよこは、現代東京での似た風習に蓋をし、悪意で性産業従事者を差別しようともしたのである。
茂木は動画などで、いつものはやりものには何でものっかるミーハー加減で『鬼滅の刃』を散々礼賛してきていた。所が人気がおちると手のひらを返し、もうサポートしないなどといった。そんな軽薄なテレビ芸人が、絵画美術という洞窟壁画から一貫して何千年も歴史ある分野になんの爪痕を残せるというのか。もし東京芸大美術館の「大吉原展」を政府とつるむヤクザな漫画屋だの、米国へ移民し調子に乗った日系移民くんだりと大弾圧した所で、難を逃れた当の絵画群は、必ずや別世界の博物館に保存され、未来の人々に江戸・東京の遊里の美意識を伝え続ける筈だ。
画家の目は人の真実を捉え、時代を超えている。
2024年4月23日
脱亜入欧批判
民族浄化をはかりながら
奴隷制を続けていた
日本は欧米の侵略に抗い
2つの原爆を投下されながら
人種差別を終わらせた
卑しい欧米の高慢をうのみにするな
国連は国籍差別をしながら暴力に驕る
欧米のばらまく利己主義の国民性は卑しい
人の正しさは国や民族によらないものだ
イギリスの人々は身分で差別する
京都の人々は地域で差別する
インドの人々はカーストで差別する
差別する人々はどこでも卑しい
どの国でも
人として正しい人々は尊い
郷土の人々を守ったアテルイとモレは尊い
国の為に自己犠牲した徳川慶喜と松平容保は尊い
自国の尊者を知らないからと言って驕るな
北米はイギリスの人々が侵略し
平和にくらす先住人を虐殺し乗っ取った
南米はスペインの人々が文明ごと亡ぼし
オセアニアの島々は西洋人が乗っ取って
遂にアジアの人々を奴隷化してきていた
アフリカの人々を奴隷として人身売買し
欧米人は蛮行をほしいままにしてきた
欧米の歴代悪業を褒めちぎるな
浅ましい欧米の悪業にこびへつらい
中東諸国民の神を敬う心をふみにじり
卑しい米軍の暴力に群れてつけあがるな
どれほど暴力を極め
どれほど驕り高ぶって嘘をつこうと
悪しき行いには悪しき結果がくるものだ
欧米諸国がその悪業で自滅して後
地球には平和がもどる
浅ましい欧米民族中心主義に従うな
欧米人はホロコーストで
罪なき人々を何も告げずガス室であやめ
そのまま灰にし約600万人も殺し
しかもその証拠一切を隠した
欧米人は既に敗れるとわかっている日本で
救世主と神を信じ祈りを捧げている
同じキリスト教信者の上に原爆を落とした
これらは欧米による蛮行の証拠だ
蛮族を偶像化するな
相手がアングロサクソンだからといって
或いは白人だからといって偏見で崇めるな
相手がアジア人だからといって
或いは有色人種だからといって偏見で貶めるな
アングロサクソンや白人の極悪人や蛮族もいる
アジア人や有色人種の大聖人や大文明人もいる
見た目や人種の勝手な妄念で人々を差別するな
欧米諸国がやってきた悪業の山に目をつぶり
その民度の低さを惨めな偏見で覆い隠すな
アジア諸国がやってきた善業の山に目をつぶり
その民度の高さを惨めな偏見で覆い隠すな
全てを愚劣な欧米崇拝にあて
己の過去の不道徳を覆い隠すな
自ら最善の行いを常にしてきた人々には
自らの道が人として正しい
千年間続いた古都も呆気なく滅びる
何万年続いた民族も呆気なく絶える
驕り高ぶっていた欧米諸国も
さも風の前の塵のよう呆気なく消える
不徳に驕るな
悪因には悪果がくるものだ
欧米人の悪業の山は
西日本人の悪業の山の様なものだ
侵略戦争で星中を荒らし回った結果
蛮族の古里は砂の城のよう崩れる
イギリス人は北米の先住人を虐殺し
自らの卑しい金儲け目的の国を作ると
星中を暴力で虐げ回りながら
乱れた民衆政治を正義だと言い繕う
無学な下衆に立派な国は作れない
アメリカ人は長崎でのイエス生誕祭のさなか
救世主信者に原爆を落とし拍手をする
蛮族に思いやりは縁遠い
英米の蛮行に憧れるな
老病保健の国事
誰もが病む
己だけが健康と思って
老いた人や病んだ人を蔑むな
己だけが健康でいられると思う者は
砂漠の中を大勢の敵に囲まれ
逃げ続ける盗賊の様なものである
老いと病が襲ってきた時
老いと病を虐げていた者は
身ぐるみ剥がされ苦しんで死ぬ
心ある者は老いた者 病んだ者を救え
何十兆円のカネを積んでも
わずかな命より価値がない
何百兆円のカネを惜しんでも
わずかな健康も買い戻せない
病んだ人の苦しみを癒やすには
わずか一円も惜しんではならない
健康な家族の姿をみることは
全世界のあらゆる商売より尊い
老いた人を思いやる国事は
金銭を惜しむ人々の全生涯に優る
2024年4月22日
米国バイデン大統領の悪趣味
大悪政をしてきた自称天皇一味と西日本勢によるお決まりの卑劣な責任転嫁被害を東日本勢は悉く避けるべき事
自分がしるかぎり戦後で最悪の自殺点を入れたのは前原だったのだけど あのとき普通に戦ってれば普通に政権交代できた様に見えたが その後はガラガラと長州閥にまた専横されてGDP5位まで下がったんだけどね 天皇にすら違憲立法させ西軍系暴徒がまた出てきて日本国終わった もう日本国政府に触れるな
前原は京都人らしく意地悪行動だけは得意だが ほかは陸な事しない 意地悪行動だろうと味方に入れておくかぎり自殺点の原因になるし 本当に無能な政治家というのもいるものだ 自分が生涯みた中では前原とモナ男が無能系の二大巨頭でどちらも京都人なのが興味深い 古来政治的不毛の土地なんだろう
前原がなぜ政権交代できるのに突然なぜか小池百合子に与党の座を譲り渡しだしたか それは前原がビビりだからでほかではない 野望だけはあるから出世したがるが総理の座につくのは臆病さから気が引けたのに違いない 自分がみるかぎりこの点はまた京都選出の泉健太も同じだ サラリーマン系無能議員
立民の現行メンバーに政権与党を担うだけの能力が欠けているのは誰の目にも明らかだ 特に泉の無能ぶりは図抜けている これまでも立民は党首選挙で間違え続けてきている 素直に敏腕小沢一郎を最初に選んでおけばもっと長期政権を担っていた筈だ 風土の悪い立民自体には期待せず別の野党を作るべきだ
東日本勢に告ぐ もう日本国政府に触れるなと私は言った これは西日本人の悪性さを知っているがゆえだ 明治政府をみよ 奴らは自分が得なら出てくるが損する時は必ず他人のせいにする 今出ていけば責任をかぶらされ全ての汚名を着させられるだけだ 徳川慶喜と松平容保や東條英機を省みよ 今出るな
戦後政体一連の失政は最長期独裁をしいた安倍晋三の責任だと衆目が一致している 明仁も安倍政権下で退位メッセージを突如出し違憲立法をした史実が法律上残っている 天皇と長州閥が始めた明治・戦後政府は天皇と長州閥に責任をとらせるのだ このまま日本国政府は滅亡するだろう 腐った物に触れるな
悪性の西日本人らが作って潰した明治・戦後政府はこのまま放置で亡ぼせ それまで東日本勢は天皇や西日本勢の不徳と無能からきた中央悪政の山に触れるな 責任転嫁で濡れ衣を着せられるだけで何もよくならない 史実に学び過ちを繰り返すな 西軍の性悪を完璧に見抜き 僅か寸分も隙を与えてはならない
西日本人一般は明治政府というインチキ侵略政体を西軍の薩長閥が作ったとしっていながら その悪政全体の責任を自己犠牲した東日本勢のせいにしたてあげようとする 無論天皇家がその責任転嫁の悪謀の首魁だったがほかの西日本勢も共犯だ
西日本勢は責任転嫁の癖に少しも反省の余地はない その悪性加減は世界に傑出した本物なのが京都の有名なイケズ民俗や意地悪行動の多さで周知の話だ だからこそもう亡びるのがわかっている日本国政府に今かかわるな 安倍信者と天皇一味がその悪政の汚名を着せたがる悪謀を見抜き 善人の犠牲を避けよ