教養とは人として大切な事、つまり人の道を知っている事を指す。他方、単に些末な雑学を知っているにすぎないこと、すなわち年頭月尾を誇ることは、俗物根性と呼ぶべきものである。
この意味では、皇居の馬屋の火事で皇族やほかの公務員らとともに庶民を差別して済ませ、香炉峰の雪にまつわる漢詩の一知識をその主著『枕草子』で自慢していた清少納言は、当時の一般教養の範囲にあった漢学に於ける俗物であり、決して後世に誇れる教養人なるものではなかったのだ。よしんば彼女が、同書の中で紹介されている当時の上流女性に要求されていた一般的学問の一部であった、和歌についての歌学の範囲では何らかの学習をしていたかもしれなかった上に、随筆家として傑出した感覚論や文才の持ち主だったとしても。