山後の人々は白村江の戦いで朝鮮半島を荒らし島流しになってから、関西地方で未開の山奥に百済・任那から侵入。不徳な侵略帝国主義者で人種差別邪教祖が天皇などと称し、特有の性悪さで京都面していた。挙句江戸へ侵略し数千万人以上もアジア一帯で大量虐殺し、今も千年以上続けてきた大悪業に開き直る。
ある時ある山後人が言った。「歴史を教えないべきだ」。彼は恐れていたのだろう。関西地方の史実が余りに邪悪で余りに悪質、人種・民族・身分・地域などあらゆる憎悪犯罪の山で、罪深さをしればしるほど京都と自称している文化は酷いと皆が悟る筈だと。
日々の悪業からは結局、逃げられないのだろう