2024年5月10日

性道徳の欠けた西日本や南関東の人々および天皇一味の比較文化による必然的末路の推察

Tという人物がいた。アメーバ・ピグ民だ。この人はミキが明らかに不貞な行いをするときも、ミキ側が正しいという事に仕立ててきた。そしてよく話を聞いてみると、この人自身が不貞な人物だったのである。というか、性道徳というものを持っていない。それで53歳になっていた。
 不貞な人には不貞な人生がある。それが当人の中ではしあわせなものだったらしい。全ての男達はTの元を去った。当然のことにみえる。だってこのTという人は不貞なのだから。というか、よく話をきいてみるとそれ以上におかしい点が沢山あるのだが。

 たとえば京都市と自称している地域には不貞あるいは姦淫罪の歴史が『源氏物語』以来千年以上蓄積されているが、そこに暮らしている人々はこの皇族犯罪による性加害の正当化話を崇めこそすれ、少しも非難する気色がない。つまり古代級の未開地あるいは不貞ないなかまちで、その悪徳は常習性をもっている。舞妓文化と称する未成年あるいは児童対象を含む人身売買・不本意の性売買罪の社会の行政ぐるみでの常習性もおなじことを意味している。
 ところでTの事実が事実なら自称京都人らが、特に性悪で知られている事にもきちんと理由があるといえる。だってそこでは性道徳が崩壊してきているというあしき伝統があるのだから。
 実際、自分がみた山後人やましろジン(本当の名だからそう呼ぶ。最高徳の天子がいないまちを京都と呼ぶのは僭称にすぎない)は、およそ一般に、性道徳崩壊後の姿だった。そこからでてくる連中が、たとえば村上春樹や綿矢りさなどだが、姦淫小説をまきちらして威張り散らすのも、やはり同じ事実を照らし合わせている。つまり、山後はゴモラみたいなところで姦淫罪がはびこってきていて少しも変わっていないし、住んでいる人々もそういう悪徳を一般に帯びて生きているということだろう。だからこそ陸でもない小説屋を昔から称賛してきたのだ。その極悪ぶりが、かれら山後人自身に似ているからだ。姦淫罪の社会を批判的にみれない、むしろ悪徳賛美ばかりするということは、かれらもその悪徳社会の一部で、心が腐敗しているということだ。自称天皇一派も同じである。今も進行している山後の自滅には必然性があるのだ。

 でも、たとえばイギリスの『ハムレット』とか全く逆の性道徳を語っているといえるだろう。貞操を命より重んじているからこそ、そこではオフィーリアが自殺した。ハムレット自身の発狂同然のふるまいも、母の不貞への憤りがおもな原因だといえるだろう。
 実際、自分はかつてイギリスの人とかなり親しくなって、かれはボビーとなのっていたのだが、アメーバピグの人で。その人の性道徳観も、まったくおなじもので、要するに清教徒思想そのものがまだ残っているというか相変わらず続いている様子だった。
 この点は僕がみた、虚栄心にもとづく性悪さでいえばイギリスの人々と双璧か、もっとひどい人達のあつまりといえる山後の人々とは、まったくといえるほど対照的だった。真逆といってもいい。性道徳をまったくもっていないか、それを否定することが最高あるいは当たり前とおもっている山後人は僕がみるかぎり、単なる東洋主義をこえて、明らかに驕れる極東の未開人だといえるだろう。対して、イギリスの人々は、たとえば自由恋愛の点だと遥かに進んでいるともいえる隣国のフランスと比べてすらあるいは星中の単位でみて現実には余りに極端な一夫一妻主義だけの性道徳を狂信している人々がいる、ともいえるが、少なくとも貞徳を尊重しているという点でいえば、充分文明化されている、もしくはキリスト教的に教化されている、といっていいだろうとおもう。

 僕の茨城県は以前から武士道の社会だ。そしてこの道徳律も、儒学の要素を思いっきりとりこんでいる様に、山後よりイギリスの方によく似ている面がある。忠誠を一つの徳目とみる点、また良識を重んじる点。さらに尊王や徳政を重んじた家柄でよくしられ名君と仰がれる水戸の徳川家の面々がその典型例だったのだけども、貴族義務が当然と考えるという面もかの国の倫理観にそっくりだった。性道徳でも、良家間の婚姻を前提とした一夫一妻が自然という点でおよそそっくり同じだ。お見合い社会があったという点だと、どちらかといえば我々の方がかなりおくてな気がするけど。我々の社会もきちんとした美風が前提で、自分が見聞きしたり会話したりした南関東、中部、あるいは青森や北海道、西日本の人々とはとても落差があった。我々の方が風紀がよいのである。この点は、寧ろ我々はイギリスの性道徳観と似ていた。そして、この美質は保たれるべきなのではないか、というのが今の時点での一つの見解だ。イギリスのひとびともおよそまちがいなく、大陸旅行したときに似た事を感じた筈だ。

 茂木健一郎は母方が佐賀やら北九州から出てくると、父方は群馬と動画でいっていたが、埼玉で育って東京に現れ、物の哀れを大宣伝している。つまりイギリスかぶれのくせに、山後式の不貞社会を礼賛してきている。その割にご都合主義で、芸能界の不貞な人々、具体的には乱倫事件で追放された松本人志氏のな、喜劇観で対立していた人物へは不貞の観点で擁護をしないし、眞子内親王と小室圭さんの恋愛関係へは長らく嫌がらせの言動をしていた。この種の心理病質的な歪みは茂木氏の言動の随所にみられるのでいまさら指摘するまでもないのだが、ここでは、とりあえず彼の様な物の哀れ推進論者は、自称天皇一味の性犯罪を正当化してきた、単なる西日本の蛮族にすぎないということだ。その不正のごりおしがいまにいたる天皇家の傍若無人な無法者ぶりをもたらしてきた。天皇を擁した西軍や彼らが中心となってつくった大日本帝国軍の性道徳のなさという点での国際的悪評も、茂木氏の様な、主に西日本出身で、不貞を理論的に正当化する人物と起源を等しくしている。

 また、こうもおもう。自分はピグで最大の悪役だったといえるダークテトラド「天使」と称する悪魔と最終決戦を今年やっていたのだが、このひともどうしようもない僕が見たなかで圧倒的に最悪の人物で、結局治ったりはしないのだし、結局、その種の悪魔が偏在しているからこそ、関西地方は昔も今もああだったのではないか。嗜虐快楽目的での冤罪加害が初期設定とは、いかにも性格の悪いことでつとに知られるし現に侵略罪の加害史やら差別の文献記録やら、被差別部落問題による悪行の実例で埋まっている山後の人々あるいは関西の人々が長らくやってきたことではないか。東日本の正義の勢力、具体的には先住権をもっていたアテルイやモレ、地方自治権をもっていた平将門、あるいは天皇に忠義だった徳川慶喜や松平容保らを冤罪で陥れた天皇一派の邪悪さを後押ししているのは、根っから性悪の西日本のひとびとだ。
 が、そんな彼らも圧倒的力の前では抵抗できず、米軍にひれ伏して今に至る。永久に悪業など続く筈もない。西日本の亡びは当然のことにおもう。南関東も余りに普段の行いが悪すぎる。その末路は必ずひとつだろう。