2024年5月15日

人類界の陸でもなさ

今の世の中は陸でもない事が実に多い、様にみえる。でもいまにはじまった話でもないのかもしれない。『源氏物語』は心底陸でもない話で、読んでいて吐き気ばかりしてきて、最終的に胸の奥にどんよりとした絶望だけが残る最悪の話だ。あれをほめちぎってる関西人も、まぁ誉めてるかは分からないけど、「日本が太平洋の真ん中にあったらその物語が生まれなかった」とXで言った某画伯とかも、予てからある意味で倫理観がどうかしているわけです。皇族特権乱用による性被害だらけで自殺未遂と出家で終わる姦淫小説なんて全世界に一度も生まれなかった方がよかったに決まっているからだ。自分があの物語の女性陣の誰かになって納得できるんだろうか? 全員死ぬほど不幸にみえるが。因みに男の方だってよほどの人格崩壊者しか耐えきれないと思うのだ。自称京都こと山後の人々ってあの時代から、というかそこへ外から移民してきて初期から、ああだった証拠で、少なくとも平安時代のはじめころからikezuだったのだろう。本当にどうしようもない人々というのは現にいるらしい。昔、多浪してた田中君がミクシーで書いてた。どうしようもない人がどばた(すいどーばた美術学院)の多浪生の中にだれかいたらしい。自分は一年で芸大の欺きに気づいて脱出したから、それがだれかはしらない。でもいるんだろう。きっと。
 確かにネットを観察してると、どうしようもない人々しか出てこない。そのどうしようもない自堕落さに大小の差があるだけだ。

 また、僕はこう感じた。人類は一般的にろくでもないのだと。これは事実だと思われる。僕がどれほど善意で動いても、殆どの人類はそれを悪意でうけとってくる。この状態は人類界が地獄である証明だと思う。少なくとも、日本国は大概がそういう場だ。だから僕は日本国というのは、根本的に亡びるべくして亡ぶのだと思っている。そこにくらす人々の普段の行いは、匿名犯罪が初期設定で、かつ酷く性悪である。しかしブータンの人がこう言っていた。「ここには誰も悪い人はいないよ」と。まるで違う。仏教も日本では変質し、特に上述した山後地区では俗坊主の拝金主義となって、いまでいう京都市を財政破綻に追い込んでいるしその為に滅ぶと言っても過言ではないだろう。